5.新チーム

 六月に入った。都大会が終わってからはすぐに中間テストがあって、今日はその結果が返される日だ。テスト勉強は一応したんだけど、都大会での先輩たちの試合がどうしても頭から離れなかった。サーブにストロークにボレーにスマッシュ。あのコートで繰り出される全てがかっこよかった。俺もいつかは、と自分自身がコートに立っている姿を想像してみたけど……全然イメージが湧かなかった。

 机に座るまではよかったものの、そんなことばかり考えていたから勉強は全然手に着かなかった。だからテストの手応えなんてあるわけもなく――

「桜庭。ギリギリ赤点はなかったが、もう少し勉強するように」

「はい……」

 本田先生から結果を返され自席へ戻ろうとすると、席替えをして一番前の席になっていた堤に笑われた。席に戻っても今度は隣の光野にゴミを見るような目で見られる。

「なんだよ……点数低くて悪いかよ」

「別にそんなこと言ってないわよ」

 目が言ってたんだよ、目が。そんな光野の机には九十点台の答案がずらり。それを見た瞬間はさすがの俺も目ん玉が飛び出そうになった。

「お、お前、頭いいんだな」

「これくらい勉強すれば当然よ」

 光野は左手の人差し指で勉強の時にだけかけている眼鏡をクイッと上げた。自分の半分以下の点数だったヤツに「取れて当然」なんて平気で言いやがって、とムカついたけど無論なにも言い返すことなんてできず、逆に高得点を自慢するそぶりなんて一切ないもんだから急に肩身が狭くなった。

「赤点だったヤツには補習があるからな。黒板に補習のスケジュール貼っておくから見ておくように。以上」

『さようなら』

 今日は練習がオフだから、放課後にハルと親水公園でテニスをしようと約束をしていた。早速ハルのいるD組を覗いてみるも、絶望した表情で補習表を見つめる者が一人。

「ハル」

 錆びついたロボットが首を回すようにぎこちなくこっちへ振り向く。その顔は絶望に打ちひしがれるようにげっそりとしていた。

「赤点何個だったの?」

「……ジュッコ」

「十個!?」

 びっくりしすぎて大声を出してしまった。待てよ、科目数って全部でいくつだっけ……

「アカテンジャナカッタノフタツシカナカッタヨ」

「順位は?」

「……」

「ん?」

「……ウシロカラサンバンメ。ドウシヨウ、シュン」

 ゴメンハル。それはもうフォローもなにもできないや。

「とりあえず今日は補習あるんだろ? テニスは無理かな」

 こればかりは仕方ない。諦めて帰ろうかと思ったけど、ハルの顔が「あっテニス!」と言うように一気に輝きを取り戻した。そんな顔してもできないものはできないだろ。

「瞬! やろう!」

「いや、補習は?」

 シッ、とハルは人差し指を唇に当ててそーっと辺りを見回した。誰にも気づかれていないことを確認し安堵する。

「サボるに決まってんだろ」

 半径1メートルにしか届かないくらいの小声で言う。つられて俺の声も小さくなる。

「サボるって、いいのかよ」

「俺、十個も赤点あるから今週全部補習なんだよ。だから一日くらいいなくてもバレねぇよ」

 不敵な笑みが怖い。

「そういう問題じゃないでしょ。ていうか絶対バレるって」

「瞬はさ、この前の試合見て興奮しなかったの?」

 唐突に話題を変えられて困惑する。

「興奮? したよ、そりゃ。なんなら大会期間中は興奮しっぱなしだったし、今もそうだよ」

「練習したいだろ?」

「うん」

「コートもある。練習相手もいる。これで練習しない手はないでしょ」

「そうだけど。でも補習は――」

「瞬の気持ちはどうなんだよ」

 補習というワードをかき消すようにハルの質問が飛んでくる。

「……練習したい」

「じゃあ決まり! 行くぞ!」

 俺はハルに腕を掴まれながら教室を出た。

 完全にハルのペースに乗せられた。もうどうなっても知らないからな。そう思いながらもハルと練習できる嬉しさを隠せずにはいられなかった。

 俺たちは運よく誰にも見つからず学校を抜け出すことに成功した。少しの背徳感を感じつつも、早くコートへ行きたい一心で青葉が吹き始めた学校前の直線を駆けていった。

 翌日、ハルがこっぴどく先生に叱られたのは言うまでもない。



 都大会団体戦の結果は白鷹が優勝したと聞いた。トーナメント結果を見ると、白鷹はたった一つの試合を除いて全てストレートで勝ち上がるという圧倒的な強さを見せつけて優勝を決めていた。そう、そのたった一つの試合というのは俺たち吹野崎との試合だ。

 もしあの試合で白鷹を倒していたら全国へ行っていたのは俺たちだったかもしれない。俺はそう思ったけど――

「もし俺たちが白鷹に勝っていたとしても、全国へ行けたかどうかはまた別だ。それに俺たちは白鷹に負けた。それが現実だ。どんなに惜しかろうとそれ以上でもそれ以下でもない」

 金子新キャプテンからはそう言われた。でもその表情からはやっぱりあの日の悔しさがにじみ出ていた。あの白鷹をあと一歩のところまで追い詰めたんだ。時間が経っても悔しさは忘れられないよな。

 今日は新チームでの練習が始動する日だ。最初の練習日では新キャプテンが所信表明をするのが恒例とのことで金子先輩がみんなの前に立った。

「新キャプテンの金子です。こういうのには慣れていないので手短に話します」

 キャプテンは少し恥ずかしそうに話し始めたけど、次の瞬間にはすげぇ真剣な顔に変わっていた。

「俺がみんなに言いたいことは一つだけ。……全国、行くぞ」

 キャプテンがなんて言ったのか分からなかったのは俺だけじゃなかったみたいで、大半の部員たちの頭の上には「…」や「?」が浮かんでいた。でもキャプテンはいたって真剣だった。

「俺はこの前の白鷹との試合で確信した。このチームは全国へ行けるチームだと。もちろん生半可な気持ちで言っているわけではないし、先輩たちももういない。でも、俺は挑戦したい。本気でそう思っている」

 キャプテンは目の前の部員一人ひとりに気持ちをぶつけるように話していく。当の俺もキャプテンの言葉に気持ちを揺さぶられている。

「練習もこれまで以上に厳しくする。みんなには間違いなくきつい思いをさせることになる。でも一緒に目指してほしい、全国を!」

 今度は「全国」とハッキリ聞こえた。それは先輩たちも同じだろう。キャプテンはそう言うと俺たちに向かって頭を下げた。先輩たちも、もちろん1年も、どう答えたらいいのか分からず戸惑いの色を隠せない。でも一人だけ、頭を下げるキャプテンに拍手を送る者がいた。ハルだ。ハルだけは真っ先にキャプテンの気持ちを受け止めていた。キャプテンの気持ちに応えるにはそれ相応の覚悟がいる。でもハルは前から全国へ行くって言っていたからその覚悟があったんだ。

 キャプテンの気持ちは次第に他の部員たちにも伝わっていった。ハルに続いて遠坂先輩や堂上や他の部員たちにも拍手の輪が広がっていく。誰一人文句を言う者はいなかった。もちろん俺も。まぁ俺としては全国というよりまず目の前の練習一つ一つをしっかりこなして、少しでも上手くなることが目標だけど。だから練習がきつくなるってことはそれだけ上手くなるスピードも早くなるってことだし、願ったり叶ったりかな。

「みんな、ありがとう。それじゃあ早速練習開始だ!」

『はい!』

 キャプテンの声で各コートに散り散りになり練習を開始する。まずは球出しから。3年生たちがいた頃には試合形式の実践的な練習をメインでやっていたけど、先輩たち曰く新チームになってからは球出しなどの基礎的な練習をみっちりやるみたい。それだけでほぼ一日の練習が終わることもざらにあるという。でもこれまで1年は球拾いばかりだったからボールをいっぱい打てるのはそれだけで嬉しい。

「ナイッショー!」

 ラインギリギリにショットを決める堂上やハルの姿を羨望のまなざしで見つめながら声を出す。やっぱり二人は1年の中でも飛び抜けて上手い。それはつい最近テニスを始めたばかりの俺でも分かる。よーし、俺もやるぞ。

「打つ前に必ず頭の中で軌道をイメージしろ」

 今日も監督からその言葉を叩き込まれる。監督から毎日口酸っぱく言われているだけあって、ボールを打つ前には打ちたい軌道を頭の中で描く癖がついてきた。でも――

「ボール三つ(アウト)!」

 描いた軌道通りにいくことは滅多にない。それでも五球に一球くらいは描いた軌道通りのナイスショットが打てるようになってきた。いいショットを打った時っていうのはラケットの芯を食っているからか、打った瞬間手に伝わってくる振動がすげぇ心地いいんだ。今みたいに。

「ナイッショー!」

 よしっ! きれいに決まった。これからはこの確率を上げていかなきゃ。

「桜庭ぁ。一球いいのが出たからって一喜一憂しない。ほら、次のボール来るぞ」

「すいません!」

 監督に見つかる前に後ろに並んでいたキャプテンに軽くどやされた。俺が打ち終わると次はキャプテンの番だ。キャプテンも堂上やハルみたくスピードのあるボールをサイドラインの内側ギリギリに決めていく。キャプテンは三球打ち終わると再び俺の後ろに並んだ。

「ナイスショットです、キャプテン」

「ありがとう。……でもみんな、俺の気持ちを受け止めてくれてよかった」

 キャプテンは所信表明で言ったことが部員全員に受け入れられてホッとしているみたいだ。

「全国目指すって言いきった時のキャプテン、かっこよかったですよ」

「ホントか? それはよかった」

 キャプテンは優しく笑って答えた。

「瀬尾も最初に全国行きたいって言ってたからな。アイツに触発されちまったのかもな。でも今のチームには堂上も瀬尾もいるし、絶対にこれから全国を目指せるチームになるって俺は本気で思ってる。それに――」

 キャプテンは穏やかなまなざしでコート全体を見渡した。

「この仲間と一緒に全国へ行けたら最高だと思わないか」

 キャプテンにはきっとこのチームが全国で戦っている姿が見えているんだろうな。今の言葉でなんとなく感じた。俺にはまだ想像できないけど。俺に見えていないのはきっと俺がまだ下手だから。

「桜庭ぁー! 次行くぞー!」

「は、はい! お願いします!」

 どっちにしろ俺にとっては全国とかいう以前に目の前の練習を全力で取り組むことが大切だ。アップであろうがこの球出しから全力を注ぐまで。

 でも球出しと一口に言ってもバリエーションはいろいろあって、様々な局面を想定した練習ができる。例えば深めのボールが来たら攻められている場面を想定した練習になるし、逆に浅めのボールが来たらチャンスボールを決める練習になる。これにコーンを追加して打った後に必ずそれを回るようにすればステップワークを強化する練習にもなる。それを何十種類も休みなくやり続けると何百球という数を走って打ち続けることになるから、最後の方はへとへとになる。かといって、頭の中で軌道のイメージを持たずにただ打っていると監督に怒鳴られるから頭も休んじゃダメ。心身ともに極限まで追い込まれる。そして練習の最後には――

「ラインタッチ行くぞ!」

 地獄のメニューが待っている。

 みんな一列に並んで監督の笛の合図とともに一斉に走り出す。一本目のラインにタッチ。戻ってタッチ。二本目のラインにタッチ。戻ってタッチ……。今日も果てしなく続く地獄の練習を一本ずつ全力で走りきっていく。

 前に先輩から聞いた話だけど、何年か前にこのラインタッチの練習で体力温存しようと力を抜いて走っていた先輩がいたらしい。でもその先輩は監督に激怒されて粗相を犯してしまったとのこと。怒られるだけで粗相してしまうなんて、やっぱり監督を怒らせたら殺される。

 だからというわけじゃないけど手加減はしない。監督に怒られたくない気持ちもあるけど、それよりはもっと強くなりたい、早くハルや堂上みたいにかっこいいショットをバンバン打ちたい、っていう気持ちが俺の足を動かす。

 それにラインタッチにはテニスに必要な動きがたくさん詰まっている。短い距離で全力のダッシュアンドストップを繰り返すこと。タッチする際に腰を低く落とすこと。そしてそれらを積み重ねた負荷に耐えられる体力と精神力を鍛えること。俺はテニスじゃまだまだみんなに遠く及ばないけど、ラインタッチのようなフィジカルトレーニングでなら今まで鍛えてきたスタミナを活かして張り合うことができるはずだ。

 半分も終わると下半身の筋肉はパンパンになり、1年のほとんどはペースがガクッと落ちてくる。でも2年生はさすがで、そんなもんじゃくたばらないというように全然ペースが乱れない。俺はそれに必死で食らいつく。

 ふと隣を見るとハルが並走していた。目が合うときついながらも互いに笑みがこぼれた。

『負けねぇ』

 互いに呟くと視線を前方へ移し、全力で腕を振り足を回す。

 ザザーっとシューズが地面に擦れる音。ハルの呼吸音と俺の呼吸音。監督の怒声。ほとばしる汗。

 監督から「ラスト一本!」の声がかかった。体力はとっくに限界を超えていて、一歩ずつ進める足はまるで砂の上を走っているかのように中々前へ進まない。それでも気力を振り絞り、ハルと同時に最後のラインにタッチしてその勢いのまま地面に倒れ込んだ。汗で濡れた腕にコートの砂がベッタリとつく。

 これが全国を目指すチームの練習。正直きついどころの話じゃない。すぐ横ではハルも同じように地面に倒れて大きく呼吸をしている。他の1年も続々と最後のラインにタッチしてその場に倒れ込む。だけど2年生は誰一人として倒れ込む者はいない。一年間の差っていうのはこんなにも大きなものなのか。

「集合!」

 キャプテンの号令がかかると、倒れ込んでいた1年はすぐさま立ち上がり監督の前に整列する。

「今日の練習はこれで終わるが、今月末には定例戦を実施する。1年生は初めてになるから説明をよく聞くように」

 疲労困憊ながらも監督からの説明を1年は全員耳をそば立てて聞いた。

 定例戦とは年に三回ある部内戦のことで、六月と十月と三月にそれぞれ開催されるとのこと。冬にやらないのはケガをしやすいからというのと、トレーニングがメインになるからという理由だ。今でも十分トレーニングはやっていると思うけど、ひょっとしてこれよりもきつくなるのか? 考えるだけで体が震えてくる。 

 監督は定例戦をやる意図を「試合経験を増やしてチーム力を強化すること」って言っていた。でも後から先輩たちに聞いた話だと、六月の定例戦は1年の実力を測りたい目的もあって新チームが始まってからすぐに実施するとのことだけど、十月と三月はその後に控えている大会――秋の私学大会と春の都大会――のレギュラー選考を兼ねているらしい。だからその時期になるとみんなピリピリするみたい。

「よっしゃ! 試合だ!」

 そんなことは一切気にせずハルは帰り道で嬉しそうにしていたけど、片や俺は心配になる。テニスを始めてたかだか二ヶ月ちょっと。最近になってラリーはできるようになったけど、それでも試合となったら話は別だ。監督は「何事も挑戦だ」と、おそらく心配が顔に出ていた俺と太一にわざわざ声をかけてくれたけど、それでも……

「大丈夫だよ。相手より一球でも多くボールを返せば勝ちなんだ。それだけ考えていればいいよ」

 ハルはいつものようにニコッと笑った。不思議なことにハルに一言そう言われるだけでなぜか納得するっていうか、できるっていう気持ちになってくる。ハルの笑顔には人をやる気にさせたり安心させるパワーがあるなっていつも思う。そしていつの間にか俺の心配はワクワクに変わっていて、俺も試合が待ち遠しくなってきた。



 定例戦当日。今日の試合はシングルスだ。トーナメント表が掲示され、俺は一回戦で2年の堀内先輩と当たることが分かった。ハルや堂上は既に試合を終えていて一回戦を勝ち上がっていた。

「次、堀内と桜庭、コートに入れ」

『はい!』

 監督の指示でコートに入る。俺は早速ベースラインに立ってリターンの構えを取ったけど、ネット越しに堀内先輩から手招きをされた。

「まずはサーブ権を決めるよ」

 堀内先輩は優しく微笑んだ。

 そうだった。練習の癖でボールは勝手に飛んでくるものだとばかり思っていたけど、試合になったらサーブからポイントが始まるんだよな。都大会で見た先輩たちの試合を思い出せ。

「俺がラケットを回すからスムースかラフを選んで。スムースが表でラフが裏だよ」

「はい。じゃあ、スムースで」

 堀内先輩がネットから上体を乗り出して俺のコートでラケットをコマみたいに回す。ラケットはすぐに重力に耐えられなくなり、カランカランと音を立ててコートに倒れた。俺はそれを拾い上げて先輩に渡す。

「ラフだからサーブは俺からだ。試合は1セットマッチだけど、その意味は分かるか?」

「はい! 大丈夫です」

「オッケー! それじゃあよろしく」

「よろしくお願いします!」

 堀内先輩は先日の都大会でもリザーブに選ばれていたほどの人だ。日々の練習を見ていても上手い人だってことは分かっている。そんな人にどれだけ食い下がれるか。

 互いに背を向けてベースラインへと歩いていき、俺は再びリターンの位置についた。

 試合としていざコートに立ってみると想像以上に広く感じる。それに一人だからすごく不安になる。……いやいやいや、大丈夫だ。頭を振って自分に言い聞かせる。

 縦はネットまで、横は二本あるラインのうち、内側のシングルスサイドラインまでが俺の守備範囲だ。ここに落ちてくるボールは全部打ち返すんだ。一球でも多く返した方が勝ち。それだけ考えよう。

 堀内先輩がトスを上げた。――来る。

 少しワイドに入ってきたボールに狙いを定めてラケットを振り抜いた。ブンッ!

「15―0」

 大きな風切り音とともにラケットは空を切った。あれっ? もしかして空振り? うわー、超恥ずかしいじゃん。

 後ろへ転がっていったボールを拾いに行くとフェンスの外でハルが見ていた。きっと今のプレー見られたよな。笑われるんだろうな。

「瞬、まずはボールをよく見るんだ。慌てなくても大丈夫」

 ハルは笑うどころか真剣なまなざしで言葉をかけてくれた。俺にとってはそれがすごく心強かった。俺は頷いてコートへ戻った。

 続くサーブ。次はラケットに当たるその瞬間までボールをよく見た。よしっ、今度は返せた。でもリターンは浅くなり、先輩に空いた逆サイドへ打ち込まれる。俺はすぐに追いかけてギリギリのところでなんとか返す。次もまた逆サイドに打ち込まれるけどそれもなんとか返す。

 先輩が攻めてきて俺がなんとか返す、という展開を何度か繰り返していると最後は先輩のショットがネットに阻まれた。

「15―15」

 危ねぇ。ネットじゃなかったら間違いなく決まっていた。もっと相手コートの深いところに返していかないと。

 その後も走っては返して、走っては返しての繰り返しで、先輩が決めるかミスをするかの展開が続いた。俺から攻める展開なんてまずなくて、技術のない今の俺には打ち込まれてくるボールを追いかけて、ただひたすら返すことしかできなかった。でもこれでいい。瞬発力と体力には自信があるんだ。今ある武器を最大限活かして、どんな形でもいいから一球でも多く返して食らいついてやる。

 先輩からは何本もウィナーを決められたけど、それでもめげずに返し続けた。目の前の一球一球を返すことしか頭になくて、ポイント数とかゲーム数とか、そんなもの数えている暇なんてなかった。だから気づいた時には試合は終わっていて――

「ゲームセット、ウォンバイ堀内。ゲームスカウント6―3」

 はぁ、はぁ……もう終わりか。

 コート中央に歩み寄って先輩と握手を交わす。

「桜庭。お前足速いんだな。どこへ打っても返ってくるし、決まったと思ったボールもギリギリで追いつかれるもんだからすげぇやりづらかったわ。正直お前とはもうやりたくないな」

 先輩は冗談交じりに笑うとコートを後にした。先輩に続いて俺もコートを出た。

 先輩から言われたことは褒め言葉……だよな。そう受け取っておこう。試合はあっという間だったけど負けたらやっぱり悔しい。ただ返すことしかできなくて、練習の時みたいに頭の中で思い描いたショットなんて一回もできなかった。これが試合か。

「お疲れ。いい試合だったね」

 コートを出るとすぐにハルが声をかけてくれた。試合中も「ナイスショット」とか「ナイスラン」とか、いろいろ声をかけてくれたからすげぇ力になった。

「ありがとう。でも防戦一方でただ返すことしかできなかったよ」

「そうかな? 俺はよかったと思うよ。一球でも多く返してやるっていう気迫がビシビシ伝わってきたぜ」

 ニコッと笑うハルの笑顔にまた励まされた。でも今の試合で俺が取ったポイントは全部堀内先輩のミスによるものだ。俺の中でできることは最大限やったつもりだけどなんかやるせない。次は自分からウィナーなんか決めたりしてポイントを取っていけるだろうか……

「俺、試合見てて思ったけど、瞬は不動先輩に似てるな。いいテニスをしてる」

 俺が不動先輩と? 自分ではどこが似ているかなんて全然分からない。でも落ち込んでいた俺にはちょっぴり嬉しかった。

 その後もトーナメントは進んでいき、堀内先輩は次の試合でキャプテンに負けて、その金子先輩も堂上に負けていた。上には上がいて、更にその上もいるんだと思い知らされた。試合を見ていても、俺なんかとはボールのスピードもショットのコースも全然違った。試合を経験した今だからこそ分かるけど、あんなに動きながら速いボールを左右に打ち分けることがどれだけ難しいことか。それをハルや堂上はいとも簡単にやっているように見えるんだからやっぱりすごいんだな。でも、俺もいつかは……

 シングルスの結果はなんと堂上が優勝。ハルの言っていた通りやっぱりコイツはバケモノだ。続く順位は2位に遠坂先輩、3位にキャプテン、4位にハルとなった。ハルだって4位に入るなんて俺からすれば十分バケモノだ。

 トーナメントとは別に初戦敗退者の中でコンソレーション(敗者同士の試合)もやり、俺はそこで一回だけ勝つことができた。といってもその試合も堀内先輩との試合のように無我夢中でボールを追いかけては返す、を繰り返していたらいつの間にか勝っていたという感じだった。だから勝ったという実感はあまりないんだけど、勝ちは勝ちだよね。

 次の日にはダブルスのトーナメントもやった。ダブルスの方はキャプテンとハルのペアが優勝。そして意外にも1年の山之辺と川口のペアが2位に入る大健闘を上げた。ハルもこの二人には一目置いているみたい。

 ハルは堂上にライバル心を燃やしているのか、「ダブルスは俺の勝ちだな」って勝ち誇った顔を堂上に向けていたけど、堂上は「俺はダブルスには興味がない」としらっとした態度でどこかへ行ってしまった。その態度に「なんだよアイツ!」ってハルは一人で怒っていた。

 俺はというと太一と組んで出場した。でも前衛の時はどう動いたらいいのか、後衛の時はどこへ打ったらいいのか等々、終始分からずにあたふたしてしまった。終いには俺が後衛の時に太一の背中にズドンっとボールをお見舞いするという始末。太一は「だ、大丈夫」とすぐに立ち上がったけど、試合が終わっても痛そうな顔をしていたから心配だ。ゴメンよ、太一。

 そんなことをしていたら気づいた時には負けていた。相手の動きと俺たちの動きは全く別物のように見えて、ダブルスにはダブルスの動き方があるんだなって分かった。でも俺、シングルスよりダブルスの方が好きかも。シングルスと違ってダブルスは二人で作戦を考えたり、ミスを補い合ったり、互いのナイスプレーには称賛を送り合ったりできるから、それがなんかいいなって思った。

 それと、ダブルスではポイントを取っても取られてもポイント間は毎回必ずペアとタッチを交わす。都大会でも長野先輩とキャプテンがしているところは何回も見た。それは「ナイスプレー」とか「ドンマイ」とか「次のポイントは絶対取ろう」とかいろんな意味があって、とにかく毎回タッチを交わす。でもいい時も悪い時も「俺たちは一緒に戦っているんだ」って気持ちにさせてくれるから、これもすげぇいいなって思った。

 そんなこんなで俺の初陣は幕を下ろしたのだった。

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