6.勉強会
『お邪魔しまーす!』
「あら、いらっしゃい」
俺とハルと南が声を揃えてあいさつすると、奥の方から太一のお母さんが出てきた。家の外見――小さいけど門がある――とか、玄関の感じ――広い玄関の床には大理石が埋め込まれている――からも薄々気づいてはいたけど、太一のお母さんが身にまとっている服装からも同じように高級感が漂っている。テレビのインタビューとかでよく見るマダムって感じだ。驚きのあまりハルはポカーンと口を開けている。
今日は俺とハルと南の三人で朝早くから太一の家に来ている。なぜ太一の家に来ているのかというと……
定例戦終了後のこと。
「夏休みに入ったら合宿を行う。先に言っておくが、一学期の評点で赤点を取った者は合宿に連れていかないからそのつもりで勉強するように。以上」
『ありがとうございました!』
各自コートを出ていく中でハルだけはその場から足を動かせずにいた。無論、テニス部の中で赤点を取っているのはハルだけだ。きっと頭の中は大パニック状態だろう。
「瞬、どうしよう! 赤点取ったら合宿に行けないなんて。俺、前回十個も赤点取ってるんだぜ!」
「ハル、一回落ち着こう。期末テストまではあとどれくらいだっけ?」
「二週間とちょっと。だけどもう手遅れだよ。隣のヤツに頼んでカンニングさせてもらうしか――」
「バカ! そんなことダメに決まってんだろ」
「じゃあ、夜中に忍び込んで答案を書き換えるとか?」
「なんでそうなるんだよ……。ここは素直に勉強するしかないだろ」
「元々授業なんて聞いてないから自分で勉強しても赤点回避は絶対ムリ!」
そこまで自信たっぷりに言いきれるのはもはや尊敬に値するよ。かといって俺もハルに教えてあげられるほど余裕もないし頭もよくない。なにかいい手はないのか……
「困っているようだね、お二人さん」
俺とハルが必死に作戦を考えていると、そこに太一と南が現れた。
「なんだよ。どうせバカにしに来たんだろ」
「ちげーよ。残念ながら今回ばかりは逆だ。男子テニス部の頭脳と言われている俺たちが一肌脱いでやるよ」
『え?』
「だから、勉強を教えてやるって言ってんの」
『た、太一ぃー!』
ということで、期末テストの勉強をしに太一の家に集まったってわけ。試験が近いということで今日の練習はオフになっている。
俺も前回は赤点こそギリギリ回避したけど、今回赤点を取る可能性は十分にあるっていうことで勉強会に混ぜてもらった。つい最近中間テストが終わったと思ったらもう期末テストっていうんだから時の流れは早い。早すぎる!
「やっぱりお前ボンボンだろ」
階段を上がりながらハルが言う。
「ボンボンじゃねぇよ」
太一が答える。でもさすがにあれだけのものを見せられたら誰だって金持ちだと思ってしまう。
二階に上がって太一の部屋に入る。家の外見や玄関と比べると部屋の中は落ち着いていた。大きな本棚には本がいっぱいに敷き詰められているけど、それ以外は全然モノもなくてスッキリとした部屋だ。俺たちは部屋の真ん中に用意されていた四角いちゃぶ台を囲んで座った。
「じゃあ早速始めるぞー。とりあえず今日の目標は数学と化学な」
「えーもう始めるのか? こう、気合いを入れる時間とかはないのか?」
俺の正面に座ったハルが早くも文句を垂れ流す。
「当たり前だろ。ただでさえ時間ないんだから。それになんだよ、気合い入れる時間て」
「まずは肩と首をグリグリ回して、次に大きく深呼吸して、それから――」
「はいはい始めるぞー。どうせ授業なんてろくに聞いてなかったんだろ。復習からやってやるから、まずは数学の教科書出して」
「まぁな」
ハル、そこはドヤ顔するところじゃないよ。
「ていうか、お前らって俺たちに教えられるほど頭いいのか? そうは見えないけどな」
ハルが二人を怪しむような目で見る。
「失礼だな。なら教えてやる。前回の中間テスト、俺は学年5位だ」
と太一。
「俺は12位だよー」
と南。
それを聞いた瞬間ハルは手に持っていた教科書を落とし、俺は顎が外れるくらい口を開けた。
「どうした二人とも? そんなにポカーンって口開けて。マヌケ顔になってるぞ」
「いや、びっくりして。二人ともそんなに順位高かったんだね」
まぁね、と太一にドヤられた。
「マジかよ。お前らってそんなに頭よかったのか。……なんかショック」
ハルは分かりやすく肩を落としている。まぁハルの気持ちは分からなくもない。
「なんでお前がショックを受けるんだよ」
「だって普段のお前らからは頭のいいヤツらだなんて微塵も感じねぇもん。まぁ光野に言われでもしたら納得するけどよ」
ハルはシャーペンを鼻と上唇の間に挟んでふてくされている。ただ隣の太一を見てみるとその表情がとてつもなく険しいものに変わっていくもんだから俺は驚いてしまった。
「光野……アイツだけは……」
ハルも太一の異変に気づいたようで、鼻と上唇の間に挟んでいたペンをポトンと落とした。
「どど、どうした太一?」
太一の異変は止まらず、今度は体も震えてきている。やばくないか、これ。
「ダメだよハル。今の太一に〝光野〟は禁句だって」
「そ、そうなのか? でもなんで?」
「それはなぁ……光野と石川が俺たちの敵だからだよ」
え? 敵? それに石川も? どういうことだ?
怒りに震える声で太一は続ける。
「光野のヤツ、俺と一つしか順位違わないくせに俺のこと見下しやがって! 『遠藤くん5位なんだ。まっ、私は4位だったけどね』じゃねぇよ! 4位がそんなに偉いのか!? あー、思い出しただけで腹立ってきたぜ」
太一の光野に対する闘争心だけがメラメラと燃え上がっていく。俺たちのテンションは置き去りにされたまま。
「で、なんでそこに石川が出てくるんだよ? 南も石川にそんなこと言われたのか? 石川がそんなこと言うとは思えないけどな」
「もちろん言われてないよー」
南は満面の笑みを浮かべて言った。
「石川がそんなこと言うわけないじゃん。だってめっちゃいい子だし。確かに順位は俺より上だけど」
なるほど。こりゃ完全に南は太一に巻き込まれた形ってわけだ。
「でも目標があることはいいことだし、太一と一緒に勉強すればなんか頭よくなった気がするからね。共同戦線を張ってるわけ。だから一応俺も打倒石川を目指しているよ。ただ太一みたいに負の感情は全くないけど」
「なんだぁ、そんなことかよ。びっくりさせんなよ」
ハルは力が抜けたように机に突っ伏した。
「そんなことって――よしっ、今日はみっちり教えてやるからな。ちゃんと着いてこいよ」
「い、いや……その……」
「早く教科書開く!」
「は、はいぃ……」
ハルは太一の心に火を点けてしまったようだ。それから太一先生の授業が始まった。
俺にとって太一の授業は正直数学の小林先生より分かりやすくて理解が進んだけど、ハルはそうもいかなかったらしく、「確率なんて全部出るか出ないかの二分の一でいいじゃんか」とブーブー言っていた。これは太一の説明が分かりにくいんじゃなくて単純にハルのオツムが……と思ってしまう。
「太一、ハルにはその教え方じゃダメなんじゃない? ハルは超がつくほどのテニスバカなんだからなんでもテニスに例えてやらないと。……いいかハル。ファーストサーブの確率が67パーセントの人が――」
タイミングを見て南も指導に加わり、太一の説明で分からないところを上手くフォローしている。ハル向けにテニスに例えながら。
「あー、そういうことか。太一の説明よりうんと分かりやすかったな」
「悪かったな。ていうかなんで今ので分かるんだよ」
一つの分野の復習が終わったら問題集を解く。そしてまた次の分野の復習と問題集をひたすら繰り返す。
「あー、もうダメだぁー。ボール打ちてぇ」
早くもハルが痺れを切らし、大の字になって後ろに寝転ぶ。
「ハル、そんなんじゃまた赤点取るぞ。夏合宿行けなくなってもいいのか?」
「それは嫌だ」
そう言うとハルはすぐに起き上がって続きをやり始めた。今のハルにはこの言葉が一番刺さることを太一はよく分かっている。さすがだ。
それから三時間ほど経ち、時計の針はお昼を回った。ちょうど数学の範囲が終わったこともあり昼休憩にすることにした。事前に今日は一日中勉強すると言われていたからもちろん弁当は持参している。
「にしても勉強ってやつはやっぱり面倒だな」
もぐもぐしながらハルが言う。
「だよね。受験勉強はがんばれたけど、学校のテストとなると途端にやる気が出なくなる」
「それすげぇ分かる。受験期もきつかったけど、吹野崎行って小田原監督の下でテニスしたいって思ってたから勉強もがんばれた」
「ハル、中学の頃から監督のこと知ってたの? そういえば初めて監督見た時もやけに詳しかったよね」
テニス部に入って最初の練習日のことだ。
「うん。中学の時、俺が所属してたテニススクールに一度だけ監督が来たことあったんだ」
「へぇ。でもなんで?」
太一がすかさず聞き返す。
「監督は昔プロのテニスプレーヤーだったらしくてさ、うちのスクールのコーチにお世話になってたんだって。それであいさつしに来たって言ってた」
「プロの選手だったの? すげぇ人じゃん!」
それには三人とも驚いた。どうりで練習もきついわけだ。
「俺もびっくりしたよ。でもケガのせいで早くにやめちゃったんだって。で、元プロの人が来たらそりゃ打ちたいって思うじゃん! だから『打たせてください!』ってお願いしたんだ」
「それでオッケーもらったのか?」
ハルは首を横に振った。
「最初はダメって言われた。でもどうしてもって食い下がったら、『少しだけなら』って打ってもらえたんだ」
あの監督に食い下がるなんて。しかも中学生の身で。高校生の俺ですら「ダメ」って一言言われたら「はい」って二つ返事で答えてしまうのに。やっぱりハルはすごいというか神経が図太いというか。
「でもね、ここからがすごくて。打ってもらったはいいけど中学生相手にコテンパンにやるんだぜ、あの人。全然歯が立たなくてさ。終いにはこれがダメだとか、あれがなってないだとか、ボロボロに言われちゃった」
うわぁ。やっぱり怖いよ、あの監督。中学生相手にそこまでするなんて。
「でも逆に俺はそれが嬉しかったんだ。こんなに言ってくれた人は初めてだったし、その後はちゃんとアドバイスもしてくれた。高校でテニス教えてるって言うから、高校はこの人のいるところに行こうってその時思ったんだ」
「じゃあハルが吹野崎を志望した理由は監督がいたから?」
「そう!」
満面の笑みで答える。それだけのためにあの過酷な受験シーズンを乗りきったなんて。でもそれだけテニスに対して情熱があるからなんだろうな。
「監督がすげぇ人なのは分かったけど、でもやっぱり怖いよな。最初はあの見た目にまずビビる」
「だよな。顔は怖いし、いつも全身ジャージだし。しかも真っ黒」
みんなして頷く。やっぱりビビっていたのは俺だけじゃなかったんだ。それが知れただけでもなんか安心した。
「最初に監督の前で目標言った時なんて冷や汗止まらなかったもんな。石川なんて泣きそうになってたし、あの光野でさえも――」
「光野……」
あっ、やばい。みるみるうちに太一の目に火が灯っていく。
「ミ、
「こうしちゃいられない。全員早く飯食って続きをやるぞ!」
話をごまかそうとしたけど時既に遅し。太一はせっせとご飯を食べ終え、今度は化学の教科書を取り出してきた。
「なんかやる気出てきたぞ。よしっ、今回は絶対アイツに勝ってやる。全員飯食い終わったな。それじゃあ今日中にあと化学と
ふ、増えてるー!
「ちょっと待っ――」
「二人とも集中しろよ。はい、開始! ――ハル、スマホいじらない。終わるまで没収ね」
「ちょ、返せよ!」
太一がハルのスマホを取り上げて高く掲げた。ハルは取り返そうと手を伸ばすも太一に顔を押さえつけられて、「ふぐぅぅ」と顔をしわくちゃにされながら変な声を上げている。手だけはスマホを取り返そうと必死に抵抗を続けているけど、虚しいことに届く気配は全くない。
「ダーメ。ほら、早くしないと時間なくなるぞ。あっ、ちなみに母さんにはお前らが泊まる許可ももらってるからな。終わらなかったら徹夜でやってもらうぞ」
「それは勘弁だ!」
ハルの動きがピタッと止まった。
「じゃあ早く取り組むこと」
太一もハルの顔から手を離した。
「分かったよ。やればいいんだろ、やれば!」
諦めたようにハルはおとなしくなった。それを見て太一と南の二人は顔を見合わせて満足そうに笑った。でも俺は二人の笑顔に恐怖を感じた。だって二人がこんなにスパルタだなんて聞いてなかったから。テニスの練習はいくらきつくても耐えられるけど勉強はなぁ……
『瞬くーん』
二人が悪魔の笑みを浮かべながら同時に俺の方を振り向いてきた。マンガとかでよく見る顔だよ。怖いよ。
「はい! やります! やらせていただきます!」
それから俺たちは空腹も忘れて何時間もぶっ通しで勉強に打ち込んだ。気づいた時には外はもう真っ暗だった。
「もうむりぃー」
ハルがまた大の字になりながら後ろへ寝そべる。今回は俺も同感で同じように後ろへ寝そべった。背中に感じた床のひんやりした冷たさが心地よかった。
「二人とも今日はよくがんばった」
「そうだね」
先生二人からお褒めの言葉を授かった。でも二人の言う通り今日はホントにがんばったと思う。なんなら高校生になってから一番勉強したかもしれない。
「ホントにありがとね。わざわざ休日に勉強教えてもらっちゃって」
「いいってことよ。どうせ今日は一日中勉強するつもりだったし、教えることも自分の勉強になるからな。それにいつも以上にやる気も出た」
期末テストでは太一が光野に勝てることを心から祈る。
「そんなに勉強ばっかりして楽しいのかよ」
『お前はもう少し勉強しろ』
太一と南に同時に言われ、ハルは「ちぇー」と口を尖らせた。それを見て俺たち三人は笑った。
『お邪魔しましたー!』
太一とお母さんにあいさつを済ませて家を後にした。外は夜でももう暖かく、初夏の訪れを感じられた。これから始まる暑い暑い夏に向け、夜の帳が下りた街中を三人で駆けていった。
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