3.オーダー発表
「いいわよー」
ラケットとシューズ買いに行きたいんだけどお金……と渋々母さんにねだると意外にも快諾だった。手渡された諭吉四枚を財布へ丁寧にしまって家を出た。
今日は駅前のテニスショップへラケットを買いに行く。ラケットについては全くの無知だからハルに相談したら、「俺も行く」と一緒に行くことになった。ハルはシューズを買い替えたいみたい。それを聞いて俺もシューズが必要だったことを思い出した。それから俺と同じくしてテニスを始めた太一――中学の時は水泳部だった――とテニス経験者の南も一緒に行くことになった。
「おはよう」
「おはよー」
「ハル寝癖すごい」
「そうか? 太一はオシャレしすぎじゃね? 今日行くとこテニスショップだぞ?」
「これくらいの恰好は普通だろ。お前こそジャージだなんてだらしねぇ」
「まあまあ二人とも。全員揃ったし行こうか」
ハルと太一はいつもこんなことを言い合っているけど、実は超がつくほど仲がいい。くだらないことでも言い合える仲っていうか、ちょっと羨ましい。ただ話が進まなくなることから南がちょうどいいところで終わらせる。ナイス、南。
「なーなー瞬。ラケット買うの楽しみだよな。俺昨日からワクワクしてたんだよ」
店に行く道中、太一が興奮気味に話しかけてきた。本当に楽しみなんだな。
「でも高いから当分の小遣いはなしねってうちの親言うんだぜ。そりゃないよな」
「それは残念だね」
太一は口をへの字に曲げる。うちはあっさりオッケーもらえたから感謝しないとな。
「それよりさ、瞬はどこのメーカーのラケットにするか決めたか?」
「いや、決めてないけど。ていうかそれを決めに行くんじゃないの?」
チッチッチ、と太一は人差し指を左右に振った。
「ラケットは何十種類ってあるんだ。短時間にそんな一遍は見きれねぇよ。だから俺いろいろ調べてきたんだ。で、俺はあのウェルバーが使ってるラケットを買うつもり」
「うぇるばあ?」
「ウェルバーだよウェルバー。知らないのか瞬? 世界ランキングでずっとトップに君臨し続けているあのマイケル・ウェルバーだよ!」
「ゴメン、知らないや」
ガックシと太一は肩を落とした。でもすぐに立ち直って熱弁を続ける。
「ウェルバーってすげぇかっこいいんだぜ。特にあの片手バックハンド! 小さいテイクバックからスパンッて打つダウン・ザ・ライン(サイドラインに沿ったショット)。あれは最高だよ」
「分かる!」
「だろ!」
ハルが話に乗ってきた。今度は二人で意気投合している。なんか俺、置いていかれてるような……
そんなことを話していたら店に着いた。
「こんにちは!」
「あらハルくん、いらっしゃい。今日はお客さんいっぱいだね」
駅前商店街の一角ある『テニスショップ皆川』は優しそうなおじさん店主が切り盛りしているお店だ。聞けばここはハルの行きつけらしい。
「はい! 部活仲間と来ました」
「そうかいそうかい」
みんなで頭を下げる。
「コイツ、瞬っていうんですけど、最近テニス始めたばかりなんです。だからラケットのこと、いろいろと教えてやってくれませんか?」
「もちろんだとも。さあ、こっちへおいで」
「お願いします!」
レジのカウンターから出てきたおじさんに着いていく。店内は入り口に近いところにリストバンドやウェアなどの小物類が陳列されていて、奥へ行くにつれてジャージやバッグなど陳列されている物が次第に大きくなっていく。俺はそれらを横目に見ながら店内の奥へ奥へと歩いていく。するといきなり目の前に大量のラケットが隙間なく掛けられた壁が現れた。
「ここがラケットコーナーだよ」
突如として現れた大量のラケットに俺は圧倒された。優に五十種類以上はありそうだ。この中から一つを選ぶなんて相当難しいぞ。こんなことなら俺も太一みたいに調べてくればよかったかな。
おじさんが端から一つずつ丁寧に説明してくれる。このラケットは振り抜きをよくしているとか、ガットの本数が少ないからスピンがかかるとか、ラケットにボールが乗りやすいとか。でも正直俺には違いが分からなかった。分かったのは赤青黄色などカラーバリエーションが豊富なことくらい。説明してくれたおじさんには申し訳ないけど。
一通り説明を受けて壁の前で悩む。レジでは太一が早速お目当てのラケットを買っていた。
「決まったか?」
ハルもお目当てのシューズを買ったのか手に袋を提げている。
「いやぁ、正直どれを買えばいいのか分からなくて」
「そうだよな。俺もラケットの違いはよく分かんねぇ」
「そうなの?」
「うん」
ハルが分からないのは意外だった。それなら俺に分かるはずもない。
「ハルはなんで今のラケットを選んだの?」
「そうだなぁ……見た目がかっこよかったから!」
「えっ? か、かっこ……それだけ?」
おう! となぜか誇らしげに頷かれた。
「見た目って意外と大事だと思うぜ。なんせ毎日見るもんだからな。自分がかっこいいって思えるやつの方がいいだろ?」
確かにそうだけど、そんな理由で選んでいいのか? でもこのままだったら一生決まらなさそうだし、いっそハルの言う通り選んでみるか。
「そしたら……これ!」
燃えるような深紅色をしたラケットを手に取った。赤が好きっていう単純な理由からだけど。
「うん。いいじゃん!」
ハルもニコッと笑って賛成してくれた。
それからおじさんにガットを張ってもらい、シューズも買ってお店を後にした。太一と南は用事があるって帰っちゃったけど、せっかく新しいラケットを買ったからってことで――練習でも先輩たちの球拾いか筋トレかラインタッチしかしていないこともあり――ハルと親水公園でテニスをした。自分のラケットでやるテニスは百倍楽しかった。
テニス部に入部してから一ヶ月が経った。打ち方も大分掴めてきて、球速こそ遅いけどラリーも続けられるようになってきた。ひょっとしたら新しいラケットの効果なのかも。
練習では前半の球出しやラリーの時には1年もボールを打てるけど、後半の試合形式になると相変わらず球拾いや筋トレがメイン。もちろん練習の最後には地獄のラインタッチもある。
だから練習がオフの日には親水公園でハルと自主練をすることが習慣となっていた。ハルはいつも優しく教えてくれるから、お陰でバックハンドショットやボレー、スマッシュといった他のショットも徐々にだけど打てるようになってきた。ハルが言うにはいろんなショットをバランスよく練習した方がいいんだとか。でもさすがに俺とばかり打っていてはハルの練習にならないから誰か別の人も誘おうとしたけど、ハルからは二人でいいと言われた。ハルがなんでこんなに優しくしてくれるのかは分からないけど、俺はすげぇ助かってるし、ハルのためにも早く上手くなりたいと思っている。
そんなある日の部活終わりのこと。今日はいつもより一時間も早く練習が終わった。といってもラインタッチはいつも通りしっかりとやったから、練習時間が一時間短くなったとはいえ俺たち1年はみんなへとへとだ。
ラインタッチが終わったらすぐに監督の元へ集合し、あいさつをして解散するのがいつもの流れだ。でも今日はなんだか様子が違う。先輩たちはみんな黙ったままで、とても解散するような雰囲気ではない。先輩たち、特に3年生から感じる雰囲気はすごく重苦しくて、ピリピリとした緊張感が漂っている。
「先輩たちどうかしたのかな?」
そっとハルの隣に行き、誰にも聞こえないように小声で聞いた。
「これからオーダー発表があるんだよ。都大会団体戦の」
オーダーっていうのは大会にエントリーするメンバーのこと。要はレギュラーメンバーのことだ。そういえば前にちらっとハルから聞いたことがある。高校テニスの全国大会は全部で三つあって、夏のインターハイ、冬の私学大会(私立学校のみの大会)、それから選抜戦だ。各大会に出るには地方大会を勝ち上がる必要があり、都大会はインターハイのそれに当たる。東京に与えられている出場枠は二つだから決勝まで勝ち上がれば全国大会へ行ける。
「初戦は来週の日曜日にある。団体戦の試合形式はシングルスが二本にダブルスが一本の計三本勝負。だからメンバーに選ばれるのは四人だ」
四人? たったの?
ハルの言葉を聞いて俺は驚いた。なんせサッカーは十一人も選ばれるからそれに比べるとうんと少ない。
「補欠とかはいないの?」
「リザーブは一人いる。けどそれ以外は……」
「それ以外は?」
なにか言うのをためらっているハルに恐る恐る聞く。
「……それ以外の選ばれなかった3年生は事実上の引退だよ。3年生にとってはこの都大会が最後の大会なんだ」
最後の大会。そうか、だから3年生はみんな真剣な表情を浮かべているんだ。
メンバーに選ばれたい。試合に出るのは俺だ。改めて3年生を見ると全員から強い気持ちがビシビシと伝わってくる。
「分かっていると思うが――」
神妙な面持ちを浮かべる先輩たちの前で監督が口を開いた。
「今日は来週から始まる都大会団体戦のオーダー発表を行う。が、その前に……3年生の諸君、これまで俺の練習によく着いてきてくれた。今のチームを引っ張ってきたのは紛れもなくお前たち3年生だ。本当にありがとう」
監督は深々と頭を下げた。
「選ばれた者たちは選ばれなかった者たちの分まで最後まで戦い抜くこと。そして、たとえメンバーに選ばれなかったとしても、選ばれた者たちのことを応援してやってほしい」
『はい!』
3年生たちが声を揃えて監督に答えた。
「では発表する。まずは男子から」
監督の口から順々に名前が呼ばれていく。一人、二人、三人、そして四人。続いて女子のオーダーも発表される。名前を呼ばれて表情が引き締まる者。呼ばれずに落胆する者。女子の中では泣き出す者もいる。俺でさえこの場の重たい雰囲気を肌で感じている。
「――以上が都大会団体戦のオーダーだ。選ばれた者たちには今から振り回しを受けてもらう。チームのために戦う覚悟を俺に見せてほしい」
『はい!』
そう言うと監督はキャスターつきのボールかごを引いて中央2番コートのT字――サービスラインとセンターサービスラインの交点――に立った。
「まずは女子から!」
女子のレギュラーメンバーの一人である2年の馬淵先輩が、ネットを挟んだ対面コートのベースラインに立ち監督と相対す。俺たち他の部員は全員で2番コートを取り囲む。
「いくぞ!」
「お願いします!」
ベースラインに立った馬淵先輩の声で、監督は左右のシングルスサイドライン近くへ交互に球出しを開始した。振り回しはその名の通り、左右交互に一球ずつ飛んでくるボールをただひたすら打ち返していく練習だ。一球打ったら逆サイドまで走って打ち、そしてまた逆サイドまで走って打ち……これを延々と繰り返していく。
「馬淵ファイトー!」
「ナイッショー!」
コートを取り囲む先輩たち全員が馬淵先輩に声をかける。馬淵先輩はそれに応えるように次々とナイスショットを決めていく。でも何十球も打っていれば体力が消耗するのは当たり前で、だんだんとその動きが鈍くなってくる。しかも一時間早く練習が終わったとはいえ、ラインタッチまでこなした後の振り回しだ。地獄以外のなにものでもない。俺なんてもう動けないくらいへとへとなのに。
「馬淵どうした! お前のチームに対する気持ちはこんなもんか! その程度なら交替するか!?」
ボールを出しながら監督が声を荒げる。それに奮起するように馬淵先輩の動きに勢いが戻った。声には出せないけど、「私はこんなもんじゃない!」「チームのために戦い抜いてやる!」、そう心の中で叫んでいるように思えた。
「あと少しだぞー!」
「有紀ぃー!」
周囲からの声援も増していく。
「あのボールかごって何球くらい入ってるの?」
俺は隣で一緒に見ていたハルに聞いた。
「百球以上はあると思う」
「ひゃ、ひゃく? そんなに? まさか全部?」
「もちろん、全部だよ」
ハルの向こう隣にいた2年男子の金子先輩が答えた。
「吹野崎の伝統なんだ。都大会のメンバーに選ばれた者は監督からの振り回しを受ける。監督も言っていたけど、チームのためにどれだけ戦う覚悟があるか、それを示す場なんだ。特に選ばれなかった3年生たちに向けてね。それが選ばれた俺たちの使命だから」
チームのために戦う覚悟、選ばれた者の使命、か。メンバーから落選して落ち込んでいた3年生の顔を思い出す。最後の大会に懸ける想いが一番強いのは3年生だもんな。落選したら悔しいに決まってる。だからこそ選ばれた者はそんな3年生の気持ちまで乗せて戦わなきゃいけないんだ。
「でもあれは結構きつそうだな。お前たちも応援してやってくれ」
『はい!』
馬淵先輩が終わり、他の女子の先輩たちも一人、また一人と終わっていく。最後の一球を打った瞬間に倒れ込む先輩もいて、その過酷さを目の当たりにした。
次は男子の番だ。男子でメンバーに選ばれたのは、シングルス1にキャプテン、シングルス2に2年の
初めに金子先輩がコートに入った。すると監督は後ろからボールかごをもう一つ持ってきた。まさか……
「いくぞ!」
「お願いします!」
金子先輩の振り回しが始まった。力のこもったスイング。打った後の素早い切り返し。すごい。周囲からの声援も先輩の背中を押している。
「どうした金子! もっと早く走れるだろ!」
監督の熱も次第に上がっていき、ボールも徐々に厳しいコースへ出されていく。でも金子先輩はその全てに食らいつきナイスショットを連発していく。本当にすごい。
気づけば最初のかごは既に空になっていて二かご目に突入していた。男子の振り回しは二かご分。一かごだけでもきついはずなのに。
「金子ファイトー!」
「半分越えたぞー!」
二かご目に入ってからは仲間の声援も一段と増した。俺とハルも声がかれるくらい金子先輩に声援を送った。でも一番声を上げていたのは、メンバーから落選しさっきまで落ち込んでいた3年生の先輩たちだった。最後の大会のメンバーに選ばれず悔しい気持ちはあるはずなのに、それでも仲間を全力で応援する姿に俺は心が揺さぶられた。そしてそれに全力で応える金子先輩。俺たち1年には見えない先輩たちの絆が確かにそこにはあった。
金子先輩、遠坂先輩、長野先輩、そして最後はキャプテンがきっちりと締め、地獄の振り回しを無事乗り越えたメンバーに全員で拍手を送った。先輩たちの気迫に終始俺は押されっぱなしだった。こんなにすごい人たちが試合でどう戦うのか、今から楽しみだ。
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