第1章
1.出会い
パッと目が覚めた。首だけ動かして枕元の目覚まし時計へ焦点を合わせる。
4時28分。
なんだ、まだ四時半か。もう少し寝よう。……ん? おかしい。四時半じゃこんなに明るいはずがない。
カーテンの隙間からは新学期を祝うように明るく暖かな光が射している。その射光は部屋に道をつくり、ベッドから一番遠くに位置する扉の取っ手まで真っすぐに伸びている。この扉を開けて外へ出れば新しい世界が待っている。そう示すように。
でも俺にはそんなことを考えている余裕はなかった。急いで起き上がり、両手でカーテンを開ける。――ウッ。眩しさに一瞬たじろぐもなんとか耐える。机の上にあるスマホを充電コードから抜き、時間を確認する。
8時12分。
一気に血の気が引いていく。
まずいまずい! 遅刻だ! 確か登校時間は八時半までだったはず。ということはあと十八分しかないじゃないか! なんで今日に限って目覚まし時計の電池が切れているんだよ。せめてあと三時間持ってくれれば……
それに母さん! いくら家訓が『自分のことは自分で決める』っていっても、遅刻するまで放っておくことはないじゃないか! ――っていけない。こうしているうちにも貴重な一分が過ぎてしまった。とにかく急いで着替えよう。
ベッドから飛び降りてパジャマを脱ぐ。それからアンダーシャツとハンガーにかかっているYシャツを着て、ズボンを履いてベルトを締める。次にネクタイを結ぼうとするけど絡まってしまって上手くできない。中学の制服は学ランだったからネクタイの結び方なんて分かんねぇよ。昨日母さんに結び方を教えてもらったけど、やり方なんて一晩のうちに忘れた。あーもうまた絡まった! 仕方ない。後にしよう。
ネクタイをポケットにしまいブレザーを羽織る。カバンを持って急いで部屋を飛び出した。
「母さん! なんで起こしてくれ……」
階段を駆け下りてリビングへ向かうも、そこには誰もいなかった。
あっ、そうだった! 今日は母さんの勤めている幼稚園も入園式だから朝早いんだった。「明日の朝は早く出るから遅刻しないでちゃんと起きるのよ」って昨日言われていたことを思い出す。あーあ、さっそくやっちまった。
机の上にメモが置いてある。『朝ごはん冷蔵庫にあるよ』。それを見ると、ぐぅー、と腹が鳴った。でもダメだ。食べている時間なんてない。
後ろ髪を引かれながらも洗面台へ直行し、ひどい寝癖がないかだけチェックする。軽いものは二つ見つけたけど、遅刻と天秤にかけた結果これくらいならと直すのを諦めた。
リビングに戻り時計を見る。8時18分。あと十二分か。ギリギリ間に合うかどうかだな。学校までは歩いて二十分くらいだったから、走れば十分くらいで着けるはず!
カバンを肩にかけて勢いよく家を飛び出した。――おっと、鍵を閉めなくちゃ。自分が最後の外出者だったことを思い出し、慌てて鍵を閉めに戻る。ガチャン。閉まったことを確認してから再び走り出した。
走りながらもご近所さんへのあいさつは忘れない。でも俺が勢いよく走り去っていくもんだから、誰だか分からずキョトンとされる。たまに俺だと気づいてくれたおじさんが、「がんばれよ若者!」なんて声をかけてくれる。同じような経験があるんだろうな。
学校までは約2キロある。道中はほとんど親水公園の中を通るから信号には捕まらずに済む。せめてもの救いだ。
住宅街の路地を抜けて親水公園に入ると朝のランニングをしている人たちが結構いた。その人たちの横を豪快に抜き去り、公園の中心を流れる小川を軽やかに飛び越える。途中で親水公園を出て再び路地へと戻る。
ここまで来ればあと少しだ。でも油断した途端に疲れが出てきた。カバンは重いし、制服は走りづらいし、なにより受験勉強で鈍った体がまだ言うことを聞いてくれない。
最初に飛ばしすぎた。俺の悪い癖だ。ついつい最初から全力を出してしまう。でもあともう少し。次の曲がり角さえ曲がれば残りは最後の直線だ。時間は……あと二分。いける! 踏ん張れ、俺の体!
最後の曲がり角が見えてきた。するとT字路の反対側からも走ってくる人影が見えた。徐々に距離が近づくにつれて、向こうの人影も同じ制服を着ていることが分かった。身長は同じくらいで髪は俺よりも少し短い。通学カバンをリュックのように背負っている。
目が合った。向こうも俺の存在に気づくと、苦悶の表情を浮かべつつも一瞬だけニコッと微笑んだ。ソイツの笑みに俺は少し動揺してペースが落ちてしまった。その隙にソイツはすかさず角を曲がった。
あれは宣戦布告の笑みだったのか。上等だ、負けねぇぞ。
勝手に決めつけて一人で燃える。知らず知らずのうちに俺にも笑みがこぼれていた。
俺も最後の角を曲がった。顔を上げると前を行くソイツは射程圏内にハッキリと捉えていた。この差なら抜ける。コイツは絶対に抜いてやる。サッカーで鍛えた俺の体がそう言っている。
もう疲れなんて忘れていた。目の前のコイツを抜くために限界まで腕を振り、足を回す。
徐々に差が詰まっていく。前を走るコイツは軽く俺の方を振り返ってきた。挑発しているのか、焦っているのか。俺は闘争心により一層の火をつける。
直線の半分にあたる25メートル地点を通過したところで遂に並んだ。よし、このまま抜き去ってやる。
隣をチラッと見る。また目が合い、ニコッと笑われた。今度は動揺しないぞ。俺はすぐに視線を前方へと戻した。
でもこの状況には正直楽しさを感じていた。高校入学式の日の朝、寝坊したために走って学校へ向かっていたらゴール目前で颯爽と敵が現れソイツと並走している。高校生活最初の日から遅刻がかかっている重要な瞬間だというのに、小さな勝負でも負けたくないプライドがあり、知らないヤツに負けたくない意地もあり、高揚感とともに夢中で走っていた。
追いついてからも互いに抜きつ抜かれつのデッドヒートを繰り広げる。残りはもう10メートル。
クソッ。もう呼吸が……苦しい……
互いに一歩も引かぬままゴールとなる校門を同時に走り抜けた。俺は立ち止まって膝に手をつき、肩で大きく息をする。ソイツは地面に倒れ込んでぜぇぜぇ息をしている。学校の玄関前は二人の荒い呼吸音だけが響いている。
「お前……速いんだな」
「そっちこそ……速いじゃん」
お互い呼吸がまだ整わず、途切れ途切れに声を発する。それにしても、俺が勝手に親近感を感じているせいかもしれないけど、どこかでコイツのことを見た覚えがあるような……
「お互い初日から遅刻しそうになって走って登校するなんてつらいな。これからの高校生活どうなることやら」
そうだった! 〝遅刻〟というワードを聞いて自分の置かれていた状況を思い出した。
「こうしてる場合じゃない! 時間は――」
キーンコーンカーンコーン。
「大丈夫だ。ギリギリセーフ」
ソイツは野球の審判のように両手でポーズを取った。その時、玄関の方から優に190センチはある大柄の男が現れた。
「セーフじゃない、アウトだ! チャイムが鳴った時には席に座ってないといけないって中学の時に教わらなかったのか?」
その先生に怒られてしまった。
「先生は遅刻した俺たちを捕まえに来たんですか?」
ソイツは物怖じすることなく平然と聞き返した。この状況ですげぇヤツだな。
「初日から遅刻したおバカさんたちを叱りには来たが、捕まえに来たわけじゃない」
先生の表情と口調が少し穏やかになった。
「もうすぐ入学式が始まるからな。早く自分たちの教室へ行くよう急かしに来たんだ」
そう言うと先生は急に俺の方を凝視してきた。
「それより、なんでお前ネクタイしていないんだ?」
「これはその……結び方が分からなくて」
「じゃあ誰かに教えてもらって結んでおけよ。ほら、もう行け」
「はい!」
「はぁーい」
ゴツン! と腑抜けた返事をしたソイツだけ拳骨を食らった。いてぇ、と涙目になっているソイツと下駄箱へ向かう。
玄関横に植えられている桜の木がそよ風になびいて、数枚の花びらが散る。そのうちの一枚が俺たちの間をひらひらと舞っていく。
ソイツは急に顔を明るくして俺に手を差し出してきた。
「俺、
今度は少し強い風が吹きつけてハルの後ろを桜吹雪が舞った。白い歯を見せて、大きな丸い目が線になるまでニコッと笑う顔は後ろのピンクによく映えていた。名前の通り、春に愛されているって感じがした。
「俺は桜庭瞬。瞬でいいよ」
俺はハルの手を取り握手をした。
「よろしく!」
ハルはまたニコッと笑った顔を見せてくれた。ハルが笑うと周りの空気中の分子たちも笑ったように見えて、一気に暖かい雰囲気を帯びる。春の優しい太陽のような笑顔を浴びて、俺の心も自然と安らいでいく。不思議なヤツだ。
ハルと最初に言葉を交わしたのは冬の寒さも終わりを迎えた、そんな春の暖かな日差しに包まれた日だった。
入学式が終わると各クラスでのホームルームとなった。まさかあの大男が俺のクラスの担任だったとは思わなかったけど。また下手なことをして悪目立ちしないように気をつけないと。
「今日はこれで終わりだが、午後は部活動をやっているところが多いからな。よかったら見に行ってみるといいぞ」
今日部活やってるんだ。絶対見に行こう。運動系の部活をやること以外はまだなにも決めてないけど、いろいろ見て回ろう。楽しみだな。
「それと、あいさつしたら桜庭、お前だけちょっと残れ」
ギクッ! 本田先生から名指しで呼ばれ、さっきまでの高揚感はすぐさま打ち砕かれた。俺は「はい」と申し訳ない気持ちを前面に押し出すように返事をした。
「瞬、またなにかやらかしたんだろ?」
隣の席の高橋がニヤニヤしながら聞いてきた。その後ろでは堤がクスクスと笑いを堪えている。
今朝教室に入った時には既に席が近い者同士でみんな仲よく話をしていた。遅刻したせいで俺は流れに乗り遅れたけど、席に座るやいなや二人が話しかけてくれたからお陰でぼっちは免れた。ネクタイの結び方も教えてくれたし、二人ともいいヤツらだ。
「バカ、なにもやってねぇよ」
先生に気づかれないよう小声で言い返す。
「初日から遅刻するくらい不良の瞬くんだからねぇ。他になんかやらかしていてもおかしくないでしょ」
「うんうん。あり得る」
初日からクラスメイトに不良呼ばわりされることになるとは。まぁ仲よくなれたからいいか。
「今日の遅刻は例外なの。目覚ましが――」
起立、と号令がかかったもんだから慌てて立ち上がる。また二人に笑われてしまった。
「気をつけ、礼」
『さようなら』
「ほら、行ってこいよ。部活、一緒に回るの待っててやるから」
二人してニヤニヤしている。そんなんで送り出されても嬉しくないっつーの。
トボトボと先生の元へ向かう。やっぱり怒られるのかな? 気持ちが沈む。
「桜庭、なんで今日遅刻したんだ?」
「信じてもらえるか分かりませんけど、今日に限って目覚まし時計の電池が切れていて。昨日までは大丈夫だったんですけど。母も仕事の関係で今朝は早くに家を出ていて、それで」
「そうか! それは災難だったな!」
ハッハッハ、と思いの外笑われた。
「今日の遅刻は特別になしってことにしておくから、明日からは気をつけろよ」
「は、はい! ありがとうございます!」
先生に頭を下げてその場を後にした。結局は怒られずに済んだ。見た目と違って意外と優しい先生なのかもしれない。といっても背が高くて肩幅も広いから、見た目のインパクトが強すぎて初見なら誰でもビビりそうだけど。
「ゴメン、お待たせ」
「いいよ。長くならなくてよかったね」
「うん。普通にいい先生だったよ。それより二人は何部に入るかもう決めてるの?」
「俺は野球部一択!」
と高橋。確かに、中学の頃も野球部で坊主にさせられていて、受験中に放置しておいたら全部の髪が均等に伸びてマリモのようになってしまった、というような髪型をしている。
「おーおー熱いねー。俺はまだなーんも決めてないや。いろいろ見て、一番ゆるーい雰囲気のところに入ろうかな」
と堤。見た目の天パからしてふわふわした感じのヤツだ。
「俺もまだ決めてないんだよね。いろいろ見て決めようと思う。じゃあまずは高橋希望の野球部から見に行かない?」
「賛成!」
「さんせーい。俺は絶対入らないと思うけどねー」
堤の言葉に俺と高橋は顔を見合わせて苦笑いした。
野球部の練習は校庭となる土のグラウンドで行われていた。サッカー部と兼用のようで、奥には移動させたと思われるサッカーゴールが見える。今日は野球部の貸し切りでグラウンドの全面を使っている。
「バッチコーイ!」
ノックを受けている部員が威勢よく叫びながらボールに食らいつく。イレギュラーしたボールを体で受け止めたり、ダイビングキャッチでボールを取ったりととても気合いが入っている。服はみんな泥だらけだ。その様子を隣の高橋はキラキラした目で見つめている。コイツ、ホントに野球が好きなんだな。
『ナイスキャッチ!』
好プレーを見せた者には部員全員で声をかける。みんな気合いの入った顔をしているし、こういう雰囲気は好きだな。同じ目標を持った仲間とともに一生懸命練習に打ち込む。ただチームスポーツにはまだ少しトラウマがあるのも事実だ。野球部は……一応選択肢には入れておこう。
「次行こうか」
「そうだね。やっぱり俺に野球部は合わないや。俺はあんなにアツくはなれそうもない」
「そっか。高橋はどうする?」
そう声をかけるも高橋は俺たちの声が聞こえていないのか、すげぇ楽しそうな表情を浮かべて練習を食い入るように見ている。邪魔をするのは申し訳ないと思い、俺たちは高橋を置いて二人だけで行くことにした。
「やっぱり野球は見てる分にはいいよね。やるにはちょっとしんどそうだけど」
「運動部はどれをやるにもきつくない? 文化部とかは見に行かないの?」
「体は動かしておきたいんだよね。ほら、運動不足になっちゃうからさ」
運動不足解消のために部活をやって、しかも緩いところがいい、か。そんな部活あるのか?
「次どこ行ってみる?」
「体育館行ってみようよ」
「いいね」
体育館では半分に仕切ってバスケ部とバド部が練習していた。バスケのボールをつく、ダムダム、という低い音が常に聞こえる中で、バドミントンの羽を、パンッ! パンッ! とラケットで打つ高い音が数秒ごとに聞こえてくる感じがなんだか心地いい。低音と高音がバランスよく混ざり合っていてまるで合奏みたいだ。そんなこと言ったら吹奏楽部に失礼かな。
でも体育館の雰囲気は仕切りを挟んで正反対だった。バスケ部は列になって真面目にシュート練習をしているのに対して、バド部の方からは笑い声が響いてくる。中には真面目に練習している人もいるけど、体育館の隅の荷物置き場で男女数人が固まって楽しそうに話している。バスケ部は顧問の先生が練習を見ているけどバド部のところにはまだ先生がいない。そのせいなのだろうか。
「あれ、真面目に練習している人やバスケ部からしたら迷惑だろうね」
隣の堤に話しかけるも、堤はキラキラした目でその光景を見つめていた。えっ、まさか……
「俺、バド部に決めた!」
やっぱり。さっきの発言、撤回しておこうかな。
「早速あの先輩たちと話してくる!」
そう言うと堤は走っていってしまったので撤回する暇さえなかった。まぁいいか。好みは人それぞれなわけだし。
結局最後まで残ったのは俺一人か。仕方ない、一人で回ろう。
本田先生から配られた全部活の日程表と活動場所の配置図を広げる。
えっと、あと今日やっているのは……テニス部だな。場所はグラウンドの端の方なのか。さっき野球部の練習を見ている時には気づかなかった。テニス部を見たら今日は帰るか。朝からなにも食べてないし、めっちゃ腹減った。今までよく持った、俺の腹。
再びグラウンドに出た。野球部が練習している更に奥をよく見てみると、確かに緑色のフェンスで覆われている敷地があった。でもここからだと中はよく見えないな。近くへ見に行ってみよう。
「よぉ、瞬じゃないか!」
コートの方へ行ってみると聞き覚えのある声がした。
「ハル! 朝以来だね」
今朝の激戦を思い出す。
「だな。聞いてくれよ。あの後担任に怒られて散々だったんだぜ。おばさんなんだけど化粧濃い先生でさぁ。『初日から遅刻するなんて怠けてますよ!』なんてキーキーうるさかったんだぜ。テキトーに返事してたら、『ちゃんと聞きなさいっ!』って更にボリューム上げやがって。結局この時間まで説教だぜ。俺、あの人苦手だわ」
俺は怒られなかったのにハルは長々と……。なんか同情する。
「それより、瞬
またニコッと弾けるような笑顔でハルは言った。その瞬間、俺も弾けたように思い出した。今朝ハルのことを見覚えのあるヤツだと思ったけど、今ハルの口から〝テニス〟っていうワードが出てきてやっと思い出した。あの日、俺が母さんから買い物を頼まれた日に親水公園でテニスしていたヤツだ。どうりで見覚えがあったわけだ。それにしても同じ高校に進学していたなんて偶然だな。しかも今朝死闘を繰り広げた好敵手だなんて。
「ん? どうした? そんなに目ぇ見開いて。俺の顔になんかついてるか?」
「いやいや、なにもついてないよ! ちょっと思い出したことがあって」
「ふーん。で、テニス部入るの?」
ハルは目をキラキラさせながら顔を近づけてくる。俺はハルの圧から逃げるように上体を後ろへのけ反らせた。
「ま、まだ決めてないんだ。それで今日はいろいろと見て回ってるんだけど――」
「じゃあ一緒にテニス部入ろうよ! ね!」
更にハルが一歩踏み出して――同時に俺が一歩後ずさって――俺に近づいてくる。もうほぼ俺の目の前にハルの顔がある状態だ。俺はバレエダンサーのように背中を大きく反ってなんとかハルの圧を受け止めているけど、それももう……
「ハ、ハル……きつい……」
「えっ? あっ、ゴメン!」
やっと俺の状態に気づいてくれたみたいで、ハルは二、三歩後ろへ下がってくれた。俺は腹筋と背筋に力を入れて上体を起こす。
「ハルはテニス好きなんだね」
「うん! 大好きだ!」
親水公園で見た時と同じように楽しそうな表情を浮かべる。ハルには愚門だったかな。
「瞬はテニスやったことあるの?」
首を横に振る。体育の授業でもテニスはやったことがない。
「そっか。じゃあどうやったら楽しさが伝わるかなぁ。俺はこう、狙ったところにバシッてショットが決まった時なんかは『よっしゃ!』ってなったり、あとはサービスエースを取った時なんて――」
ハルは体全体を使って俺にテニスの魅力を伝えようとしてくれている。でもそれが一生懸命すぎて逆におもしろかったから、俺はついフッと笑ってしまった。俺がいきなり笑ったことにハルはキョトンとした顔を浮かべている。
「ゴメンゴメン。でもハルのお陰で少しだけテニスの楽しさが分かった気がするよ」
「ホントか!?」
今度は嬉しそうにニコッと笑った。表情がコロコロ変わるもんだから見ていて飽きないヤツだ。
「でも瞬ならきっとすぐに上手くなるよ。今朝一緒に走った俺の体がそう言ってる」
「なにそれ。でもありがとう。テニス部に入ること、少し考えてみるよ」
「絶対だよ!」
「うん」
ハルと話していたら、ハルの後ろから女子の二人組が歩いてくるのが見えた。一人は髪の毛が長くて、もう一人は短い。
「あっ、今朝の遅刻君だ」
髪の長い方から指を差された。
「よく覚えてるな。初日から俺も人気者だぜ」
振り返ってハルが自信満々に答えた。
「違うわよ。君じゃなくてそっちの君のことよ」
よく見ると指の先は俺に向いていた。ハルは話しかけられたのが自分じゃないと分かり恥ずかしそうな表情を浮かべるも、ごまかすように口笛を吹く真似をしている。
「えっと、君は……」
「同じA組の
背筋が真っすぐ伸びていて堂々としている子だな。一目でしっかり者だと分かった。
「よろしく。俺は桜庭瞬。こっちは――」
「D組の瀬尾春人。よろしくな! そっちの子は?」
光野の後ろに隠れるようにして恥ずかしそうにこっちを見る子が一人。背も低いから中学生と言われても納得してしまいそうだ。
「……でぃ、D組の石川
小さな声でペコりと頭を下げる。ショートカットが幼い見た目をより際立たせている。
「D組? 俺と一緒じゃん! 気づかなくて悪かったな」
「い、いえ。気にしないでください」
石川は両手を顔の前で振ってハルに答えた。
「この子人見知りなの。優しくしてあげてね」
「分かった。二人もテニス部見に来たのか?」
「そうよ。私たち中学の時も硬式テニス部だったの。高校でも続けようと思ってね。そっちも?」
「あぁ。俺はテニス部に入るつもり。で、こっちの瞬も――」
「待って待って! ハルったら勝手なこと言わないでよ」
「ゴメンゴメン」
笑いながら両手を合わせて謝られる。
「俺はまだ考え中。いろいろ見て気に入ったところに入るつもり」
でもまぁ、ハルがいるならテニス部にしてもいいかな、なんて思えてきた。
「そう。まぁクラスは一緒なわけだし、これからよろしくね」
そう言うと二人は行ってしまった。
「俺たちもそろそろ行こうか」
「そうだな。あー腹減ったー。飯だ飯」
二人で校門を出ると、道の両脇に何本も植えられている桜の木々から散った花びらたちによって目の前の長い道一面がピンク色で覆われていた。ハルと一緒にその中を歩き出す。
上を見てもピンク一色で空なんてこれっぽっちも見えない。ほんの二ヶ月前は枝の間から空しか見えなかったのに、すごい変わり様だ。下を見ても一面がピンク色に染まっているから、まるで桜のトンネルに敷かれた桜の絨毯の上を歩いているみたいだ。
「こんなきれいな景色だったなんて朝は気づかなかったよ」
「ホントだよな。学校前のこの道な、吹野崎生の間では〝サクラカーペット〟って呼ばれてるんだって。アカデミー賞のレッドカーペットにちなんでらしい」
「なら〝サクラカーペット〟じゃなくて〝ピンクカーペット〟じゃない?」
「確かに」
二人して笑った。
「ハルはなんで今日遅刻したの?」
「まさかの二度寝だよ。うち、両親とも朝早くてさ。朝出かける時に母ちゃんが起こしてくれたんだけど、もう一回寝ちゃってさ。起きた時にはもうゲームオーバーだと思ったね。めっちゃ走ったらなんとか軽傷で済んだけど」
ヘヘッと笑う。
「でも帰ったら母ちゃんに怒られるんだよなー。担任が家に電話するって言ってたし。学校でも怒られたのに家でも怒られなきゃいけないなんて、もう遅刻は御免だね。瞬に会えたのは嬉しかったけど」
今度はニコッと笑った。
「それは俺もだよ」
「瞬はなんで遅刻したんだよ?」
「今日に限って目覚まし時計の電池が切れててさ。時間見たら設定時間の三時間前で止まってた。なんであと三時間持ち堪えてくれなかったんだって時計を責めたよ。機械だから返事はなかったけどね。母さんも早かったし」
「それは災難だったな」
そんなことを話していたらサクラカーペットも終わりを迎え、今朝俺たちが出会ったT字路に差しかかっていた。ここからはお互い反対の道だ。
「じゃあまた明日。明日はお互い遅刻しないようにしよう」
「そうだね」
「あと入部の件、絶対考えてくれよな!」
「分かったよ。じゃあね!」
最後にもう一度ハルのニコッと笑った顔を見てから背を向けた。
ハルにはああ言ったけど、俺の中ではテニス部に入ろうと決めていた。ハルと一緒ならきっと楽しくておもしろいことになる。俺の直感がそう言っていた。帰ったら母さんに伝えよう。――あっ、結局テニス部の練習見ずに帰ってきちゃった。まぁいいか。
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