第2話

「おお、なかなかいい所じゃないか。人も少ないし穴場って感じだな?」

「だろ? 結構有名な穴場スポットなんだぜ?」

 有名な穴場スポットとは、矛盾を感じざるを得ない。しかし、斎藤にしては、なかなかいい選択だ。

「でも、男二人で夜景観賞って、恥ずかしいというか、悲しいというか」

 僕が苦笑いで助手席を見ると、斎藤は正面に広がる夜景を見る事なく、忙しなく辺りを確認している。周囲にはポツポツと、車が止まっている。きっと、僕達同様に夜景を楽しみにきているのだろう。又は、カップルで色々楽しんでいるのだろう。

 斎藤の誘導で、狭い山道を上ってきた。頂上に差し掛かると、少し開けた広場があり、車を止めた。木製の丸い柵があり、柵の前で車を止めると、町の夜景が一望できる。フロントガラスに広がる夜景は、なかなかに見応えがあった。僕はハンドルに抱き着くように前に乗り出し、食い入るように夜景を眺めた。斎藤の奇行も気にはなったのだが、とりあえず無視する事にした。後悔しかなかった旅行であったが、初めて斎藤に感謝できた。

 のんびりと夜景を眺めるなんて、いったいいつぶりだろう。それこそ、学生ぶりではないだろうか。社会人になって、必死に仕事をしてきた。厳しくも温かい職場ともお別れだと思うと、瞳の奥の奥からじわりと滲み出てくるものを感じた。感傷に浸ってしまうほど、眼前に広がる夜景は美しい。プログラマーとして育ててくれた社長や諸先輩方、気のいい同僚や可愛い後輩。そして、独立を快諾してくれ、独立直後は仕事が薄いからと、外注契約も結んでくれた。本当に人に恵まれた。感謝しかない。

「おい! なあ! おいって! 聞いてるのかよ!?」

「え? ああ、ごめん。何?」

 隣の斎藤の存在を完全に忘れ、自分の世界に没入していた。気恥ずかしさから、顔を背け目元を拭った。

「何か見えたかって、聞いてんだよ?」

「何か? 綺麗な夜景を見てたけど?」

「夜景なんかどうでもいいんだよ!」

 斎藤は苛立ちを隠そうともせず、顔を寄せてきた。感傷中の僕と苛立っている斎藤とのアンバランスさに、少々戸惑っている。

「はあ? 夜景なんかどうでもいいってどういう事だよ? 夜景を見に来たんじゃないのか?」

「え? あ、ああ、そうだけど・・・まあ、いいや。次行こうぜ、次。さっさと車出してくれ」

 まるでハエを払うように手を振った斎藤は、不貞腐れるようにシートに体を沈めた。さすがにこの態度には、腹が立った。僕は上半身を捻って、助手席に体を向けた。ハンドルに肘をついて、頬杖をつき斎藤を見つめた。不穏な空気を感じ取ったのか、僕をチラリと見た斎藤は、背後から蹴られたように体を起こした。そして、懸命に両手を振った。

「あ、い、いや、もう時間も時間だからさ。もう一か所行きたい所があるんだよ。そ、そんなに怒るなって、悪かったよ」

 分かりやすく狼狽える斎藤に、僕は深く溜息を吐いて、車をバックさせた。斎藤の指示で、峠道を走っていく。斎藤は何かを誤魔化すように、いつも以上に軽口になっている。斎藤に腹が立ったのは事実なのだが、もう少し夜景を見ていたかったのも事実だ。想い通りに行かなかった事に腹を立てたのなら、僕もまだまだ子供だと感じた。少々大人げなかったのかもしれないけれど、僕達は同級生だ。

 しばらく狭い峠道を走っていると、分岐点に差し掛かり、斎藤はさらに狭い道を指示した。こんな場所に何があるのだろう。道の両端からは樹木の枝が垂れ下がっており、たまに車体に触れる。カチカチカチという音が鳴り、車体に傷がつかないか心配になった。

「あ、あれだ。あそこに向かってくれ」

「え? トンネル? 大丈夫なのか? 本当に通れるのかよ」

「封鎖されてないって事は使えるって事だろ? 新しいトンネルができたらしくてな、こっちはあまり使われてないらしいんだ」

「ふーん、地元民しか使わないって感じだな」

 トンネルに入る直前で、車を止め前方を確認した。しかし、トンネル内は電灯がなく、ヘッドライトの明かりだけでは様子が分からない。奥の方が微かに丸い輪郭が見えたので、そこが出口なのだろう。あまり長いトンネルではなさそうだ。ブレーキペダルから足を離した。徐行でトンネル内に侵入する。トンネル内は車一台分程度の広さしかない。もしも対向車がきてしまったら、どうするのだろう。

「止めてくれ」

 トンネルの真ん中辺りに来た時、斎藤が突然声を上げた。反射的にブレーキペダルを踏んでしまい、体が前に揺れた。

「なんだよ?」

「あそこに何かいないか? 野良猫かな? ちょっと見てきてくれよ」

「は? なんで、僕が?」

「いいから、見てきてくれよ」

 争うのも面倒になり、僕は舌打ちをして、車外に出た。外に出ると、妙に風が冷たく感じた。ヘッドライトを背に、車から離れていく。野良猫なんかどこにもいない。ライトに当てられた僕の影が、トンネルに映し出されている。試しに手を振ってみると、巨大な黒い僕も真似るように動いた。僕だけど僕ではない黒い僕の影に、奇妙な感覚がした。すると、突然、辺りが暗闇に包まれた。慌てて振り返ったが、視覚が正常に働かない。トンネル内に広がっていたエンジンの音も消え、痛いほどの静けさだ。感覚が麻痺したような錯覚がする。世界から僕一人だけが、切り取られたような感覚だ。大きく深呼吸をして、感覚のチューニングをした。もう一度、酸素を取り込もうとした瞬間、けたたましいクラクションの音が鳴り響いた。さすがに驚き、体が跳ねた。ここでようやく、異常事態に気づき、車に走り出した。斎藤の存在を完全に忘れていた。勢いよく車の扉を開く。

「どうしたんだ!? 大丈夫か!?」

「お、お、おお。お前の方こそ、大丈夫か!?」

 斎藤の震える声には、微かな笑いが含まれていた。

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