第71話 かみさまのおはなし2

 

【71】かみさまのおはなし2




「防具と言えばさ。テオは鎧とか付けないけど、そういうのでは無いの?」

「俺は武器が重いから鎧まで着たら上手く動けなくなる。それにほら、刃物使う、刃物」


 そう言って、テオはベッドの下に腕を突っ込み一振のナイフを取り出した。四十センチほどのそれは、大薙刀を振り回すにはあんまりにも狭過ぎる坑道でグールを殺す為に新調したものだった。


「ちょっと触ってもいい? 僕、武器って触ったことないんだ」

「いいけど、刃には触るなよ。切っても治らないんだから」

「うん。ありがとう」


 ベッドの上に座り直したアーニーは、鞘に収まったままのナイフをテオから受け取る。

 テオの指導を受けながらその柄を握り、鈍く光る分厚い刃を鞘から引き抜いた。まじまじとその刃を眺め、満足したらしいアーニーが口を開く。


「僕さ、持ったことのある刃物なんて、精々が包丁くらいなんだよね。こうも大きいと重いものだね」

「多少重量があった方が断ち切りやすいから、ある程度は態とそうしてあるんだ」


 そう言ってアーニーの手からナイフを回収したテオが言う。少女の腕には大き過ぎたそれも、テオが握ればそうも見えないから不思議だ。


「そっちは?」

「そっちはもっと重いから止めておけ」


 床に横倒しにされた布巻きの長物を指さしたアーニーに、テオは首を横に振った。ナイフを鞘に収め、元の置き場であったベッドの下に押しこめる。


「ふうん。もしかして、それが聖骸ミダスの作るっていう武器なのかい?」

「ああ、そうだよ」


 テオを探すにあたり、聖骸ミダスにまつわる噂のことも調べて知っていたアーニーの質問に、テオはこくりと頷いた。


 聖骸ミダス。

 数代前に目覚めた転生者であり、テオの師匠であるその女は、過去最も種に肉薄し、そして敗走した。

 その際に失った両腕と片足の為か、それとも別の理由があったのか、以降聖教と決別した聖骸。


 聖教を良しと出来ないテオを拾って育てられたのも、その縁を切っていたからなのだろう。

 そして何より、そんなテオだったからこそ、彼女のコレクション癖と言ってもいいほどに節操のない弟子集めのお眼鏡に叶ったのではないかとアーニーは考える。


 聖教に取り込まれる心配もなく、種と戦う理由も存分に刷り込める。あの当時のテオドールという少年は、聖骸ミダスからすればあまりに扱いやすい対象だったのだろう。


 少なくとも、テオが教育機関を兼ねる聖教と距離を置いた以上、成長するにつれて得た沢山の知識は聖骸ミダスにより与えられたものであるはずだ。

 実際のテオとミダスの間柄を知らないアーニーが、その関係を洗脳だの依存だのと誹るつもりは無い。

 それでも、如何様にも情報の選定や刷り込みのできる人間というのは、時として良心の呵責や倫理観を超えた利便性を期待できる。


 この世界で目覚めてから生まれたいくつもの疑心が拭えない故に、酷く捻くれてしまった考え方だとアーニーも分かっている。それでも、アーニーはどうしてもテオと聖骸ミダスの関係を信用出来ないでいた。


 しかし、テオがどこか機嫌良さそうに、布に包まれて転がる武器を眺める様子を見て、アーニーはふと気が付いた。


 ああ、そうか。

 どれだけ好きに使える相手であろうとも。

 それでも聖骸ミダスは、その弟子テオドールを手放したのか。


 どうとでも使えるように育てることも出来て。どうとでも出来るように信頼を得たその相手を。それでも聖骸ミダスはこの街ポーロウニアへと放逐した。


 テオとてもう幼い子どもではない。仮に長年かけて刷り込みをしたという事実があったとしても、その原因から離れて五年も時間があれば、多少なりともその効果が薄れてしまう危惧を抱かずにはいられるだろうか。

 少なくとも、テオを育てた聖骸ミダスに恣意的な悪意があったのなら、テオが己の師匠への疑問を持つには、この街で過ごした五年という時間は十分だろう。


 それでも、その師を思い出したテオの目に浮かぶ色が、微かに滲む優しさでしかないのなら、きっと彼らの信頼は本物だったのだ。


 アーニーはテオに出会う前から抱いていた、彼ら師弟関係への疑念を捨てる事を選んだ。

 静かに目を伏せたアーニーの横で、テオがおもむろにベッドを降りて立ち上がる。それを視線で追ったアーニーが小さく首を傾げると、寝かせられていた大薙刀へと手を伸ばしたテオは長柄のそれを抱えあげた。


「師匠は大薙刀だと言っていた」


 柔らかな声音でそう言ったテオが、大薙刀に巻かれていた布を取り払う。


 そうしてアーニーの目の前に現れたのは、確かにその名が似合うであろう一振の凶器だった。

 立ち上がったテオよりも遥かに長く、長い事その武器を扱ってきたであろうテオでも扱いに困るのか、刃先が天井を撫でないよう頭上を気にかけて見上げていた。


 その柄に焼き付いた手型に合わせて指を這わせたのは癖なのか、テオの手よりも一回りも小さい手型が厚い指の下に隠れる。


 満足したと伝えるために両の手を打って拍手を送ったアーニーを一瞥したテオは、ゆっくりとその大薙刀を布に包みなおし、元のように床に寝かせる。


 そしていそいそとベッドへと戻ってきたテオへと毛布を差し出したアーニーは口を開いた。


「ははは。大薙刀かあ。僕も実物を見たことがあるわけじゃないから詳しくは分からないけれど、それでも随分と日本的だね。君のお師匠様は僕と同じ世界から来て、さらに同じく狭い島国から来たらしい」


 受け取った毛布を被って横になったテオは、アーニーの言葉に頷く。


「そういうものだろう。師匠が、神が人間を選定して送るならば、相性の良い場所から選ぶのは当然だと言っていた」

「相性がいい? そうなのかな。僕達の国ではあんなナイフを持ち歩くことなんてしないよ。それに、魔法で火を撃つみたいな銃火器とも縁遠い」


 テオの横に寝転んだアーニーが答える。

 それに向き直ったテオは、しかし実感の湧かない“別の世界”の話に肩を竦めた。テオが語れるのは師匠が言っていた言葉だけであり、彼女が感じた思いそのものでは無いからだ。


「文化的なものだとしか聞いていない。少なくとも君達は神様が何人いたって、万能でなくたって、あまつさえ失敗したって邪魔したって、別段気にもしないんだろう」

「あはは、そういうことね」


 テオの言葉に乾いた笑いを吐いたアーニーが言う。その目はここではないどこか遠くを見詰めるように、ぼんやりとしていた。

 小さく息を吐き出し、ゆっくりと瞬きをしたアーニーが口を開く。


「失敗はまあ、気にはするけどね。万を超える何某が神を名乗ったところで、須らく全てを敬うくらいは出来るかもしれないね」

「そういう感覚、俺には分からないから」

「神様が実在するとして、それは一人でなくてはいけないかい?」

「違うよ、アーニー」


 テオの言う“分からない”が一神教に纏わるものかと考えたアーニーは尋ねる。

 しかしテオは頭を横に振り、その言葉に否定を示し口を開いた。


「神様が実在していることを知っているからこそ、それを無条件に敬うことが出来ないんだ。問題はその数ではなく、性質的な善悪に信頼がないことだと思う」

「……なるほど」


 テオの言葉に、アーニーは小さく頷いた。


 聖教が崇める神が聖骸と言う器に転生者の魂を降ろし、目覚めた転生者が自らを降ろした存在を語った。それは崇める神が実在したという証左に他ならない。


 だからこそ。

 この国において、神に対して向けられる疑問とはその存在の有無ではない。その在り方こそが、神の元に生まれた彼らが抱く疑いなのだろう。


 そう結論付けたアーニーだったが、テオはむつくれた顔をして更に口を開いた。


「こんな国では、そんなこと言ってへそ曲げてる方が少ないかもしれないけどな」


 それはまるで仲間外れにされた子どもが、輪を作って集まる子ども達を見て口を尖らせるのに似ていた。


 神を“善き者”と信じ唱えるのが聖教だ。

 彼らにとって、神の性質の善し悪し等という言葉すら、きっと冒涜的なものなのだろう。だからこそその善悪を疑問に思うテオは思想さえ爪弾きにされ、その主張は片隅にも置かれない。


 難しいことだ。

 アーニーはそう考える。何せ、聖教に属する彼らとて、何も間違ったことは言っていないのだ。確かに神はこの世界を守るため、遣いを降ろして抵抗した。


 目を伏せたアーニーは、視界を埋めるシーツにでも向けるようにその思いを口にした。


「国の単位で信じる神様を統一した場所か。難しいなあ、そういう話は」

「俺にはお前の話の方が難しく感じることがあるよ。何だよ楽器って」

「あはは、まだしばらくでいいから誤魔化されててよ」

「分かってる。お前が言うまでもう聞かない」

「ごめんね」

「いいよ。お互い様だ」


 そう言って、テオはアーニーに背を向けるように寝返りを打った。







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