第68話 戦い2

 

【68】戦い2




 ぱちぱちと薪の水分が弾ける音を聞きながら、並んで暖を取るレジーとテオに一つの影が近づいた。

 がちりがちりと金属音を立てる頬あてを片手に、汚れを落とすために水を浴びたセミロングの髪を揺らすミンディだ。


 その影に気が付いたテオが顔を上げて片手を掲げる。その隣でテオの視線の先に気が付いたレジーは見知らぬ顔の相手に首を傾げた。


「その人、誰」


 それは地を這うような声だった。


 一切の表情が死んだミンディの口から、酷く低い声音で吐き出された言葉にレジーは悪寒を覚える。

 ミンディの紅茶色の瞳が射抜く先がレジー自身だけであったことも、その寒気を助長させていた。


 その様子に気が付いていないわけが無いだろうに、特段気にする様子もないテオが口を開く。


「ミンディ、お疲れ」

「お疲れ様、テオ。その人誰」


 髪から滴る水滴を気にした様子もなく、ずりずりと幽鬼のように足を擦って近付くミンディに、レジーは思わずテオの影に引っ込んだ。


 しかし、テオと大きな体格差がないレジーでは完全にその背中に隠れきることなど不可能だった。

 半端にテオの背中に懐いたように見えるレジーへと向けられるミンディの視線が、一段ときつく強められる。


「こいつはレジー。今日ギルドに登録してきた。レジー、彼女はミンディ。ソロで斥候をしてる。今日は反対側にいたから見えなかったけど、頼りになるよ」


 自分の背後に隠れてしまったレジーの顔色を態々窺うことを面倒がったテオは、勝手に話を進めてしまう。


 頼りにならない盾兼先輩に紹介されたレジーは、立ち尽くしたままのミンディを怖々と見上げた。

 にこりともしない女が、眉を寄せるわけでもなく目尻を釣りあげる訳でもなく、ただ舌打ちをひとつ返して来る。


 頼りになるのかもしれないが、それはそれとして、頼りにしていい人の類ではない。

 レジーは引き攣る頬を必死に宥めて口を開く。声が裏返るのは仕方がないと諦めた。


「よ、よろしくお願いします、ミンディさん」

「……よろしく」


 テオを挟んだ二人の挨拶は、それでもきちんと成されたのだろう。


 物理的にも関係的にも挟まれているはずのテオがミンディの態度を全く気にする様子もなく、更には彼女に対して自分の隣を進める辺りから、少なくともこの先輩の中ではそうなっている様だとレジーは絶望する。


「なんで君はテオといるの」

「ええと、色々と教えて貰っているんです。壁のこととか、ギルドのこととか。私、この街には来たばかりで右も左もわからなくて」


 しどろもどろに答えるレジーの手がテオの背中を弱く押す。当のテオは剥き出しの大薙刀に布を巻き付けていて気が付いていないのか、レジーの救援信号を無視した。


「なんでテオといるの」

「え、ええと、だから、その、色々と教えてもらうために」


 同じ質問を繰り返すミンディに、レジーは他に語れる理由がなく、酷く困ってしまった。鉛色の眉を下げながら必死に言葉を探してつっかえる。


「なんでテオなの」


 そう問いかけるミンディは、テオの肩に手を付き、彼の後ろに隠れるレジーへと詰め寄った。煮詰めた紅茶のような赤茶色の瞳が、ぐんと寄せられてレジーの視界を埋める。


 その圧に押し負けたレジーの手が、縋っていたテオの背中から離れた。テオが着込むカーキ色の古ぼけた上着が、有り余る布に空気を含ませて揺れる。


「ミンディ」


 そうテオが名前を呼ぶと、ミンディは小さく首を傾げた。そして地面に尻もちを着いて自分を見上げるレジーを一瞥した後、元の位置であるテオの隣に座り直す。


「なあに、テオ?」

「今日なんだけどさ」

「うん。ギルドの近くの酒場がいい」


 普段から仕事終わりにテオと二人で食事に行くミンディは、いつもと同じように行き先の希望を述べた。

 しかしその言葉に困ったように眉を下げたテオが口を開く。


「それなんだが。悪い、俺達今日はもう帰るよ」

「え、え、え、なんで。ご飯は。一緒に行こうよ」


 素っ頓狂に声を裏返したミンディがテオの腕を掴む。それに向き直ったテオは手慰みに自分の首筋を撫でながら答えた。


「レジーとは泊まる宿も同じなんだけどさ、そこに子どもが待ってるんだ。悪いけど、そっちと行くから」

「一緒に行こう、一緒に行こう。私も一緒に行きたい」


 掴んだテオの腕を上下左右に揺らしてミンディは主張する。

 ミンディがその腕に力を込めればあっさりと自らの腕が折れる事を知っているテオが、精一杯可愛らしくおねだりを繰り返すミンディを見て言った。


「えー……、だってミンディ騒ぐじゃないか」

「大人しくするよ。お行儀良くする。喧嘩しないし大声出さないし、あと、あと」

「ちゃんと椅子に座ってられる?」

「座ってられる!」

「座るって座面にお尻つけることだよ? 上に立つことじゃないよ? 注文する時もだよ?」

「分かるよ! 今日はお酒飲まないし、きちんと座ってられる! 連れてってよ!」

「出来るなら普段からしててくれよ……」

「できる! できる! 連れてって! 連れてって!」


 地面に着いた尻を跳ねさせたミンディが訴える。その腰から繋がる硬いブーツ型の装甲が、がちりがちりと音を立てた。


 折れそうもないミンディの様子に、困ったように頭を掻いたテオがレジーを振り返る。レジーは人一人分離れた場所からテオとミンディを黙って見ていた。


「…………レジー、その、悪いんだが」


 テオの下がりきった眉尻を見たレジーは、精一杯の笑顔を貼り付けて答える。


「だ、大丈夫ですよ。一緒に行きましょう、ご飯は皆で食べた方が賑やかで美味しいですよ」

「そう言って貰えると助かる。ミンディが悪さしないように、俺がちゃんと見張っておくから」


 そう言って頭を下げるテオの後ろで、ミンディは大きくガッツポーズを取った。

 先程までレジーを睨み付けていた人物と同じとは思えないほどに愛らしい満面の笑みを浮かべている。


「じゃあ現地集合でいいか」

「うん! これ乾いたら行く!」

「ああ。俺達は先に行くよ。宿に寄らないといけない」


 そう言って立ち上がるテオにレジーは慌てて続いた。にこやかに頷いて二人を見送るミンディを残してテオとレジーはその場を立ち去る。


 やがてミンディの姿が見えなくなり、野戦地じみた風景が街中と呼べるほどに変わった頃、レジーは前を歩くテオに向けて口を開いた。


「なんでさっき助けてくれなかったんですかあ。怖かったですよ、ミンディさん」

「俺も知りたかったから、丁度いいかと思ってさ」


 布に包まれた大薙刀を担ぐテオが、レジーの隣に並び立つように歩幅を合わせて答えた。


「知りたいって何を?」

「なんであんたが俺に着いて来るのか」

「それ、は」


 テオの言葉に、レジーは小さく息を飲んだ。

 視線が足元へと落ちるレジーを横目に見たテオが、肩を竦めて言葉を続ける。


「そのうちでいいけどさ、きちんと聞かせてよ。そしたら俺も、俺の話をしてもいい」


 テオの言葉に、レジーは落ちていた視線を上げた。隣に並ぶテオは、灰色の目をゆるく細めてレジーを見詰めている。

 昨日の態度がまるで嘘のように柔らかい視線だと思った。そして同時に、それが意図的に作られた柔らかさでないことを否定できない事実にレジーは気がついた。


「……分かりました。そのうち。そのうち、話します」

「ああ、待っているよ。さあ、リオとベルを迎えに行こうか。もう日も暮れる。もう腹が減って仕方ないよ、俺は」


 そう言って態とらしく腹をさするテオの隣で、レジーは小さく笑って頷いた。




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