第67話 戦い1
【67】戦い1
レジーは強く蹴った靴の底に当たる乾いた地面の感触と、駆ける度に高鳴るように錯覚する心臓に息を飲んだ。
踏み固められた硬さとは反対に、さりさりと擦れる砂に近い感覚の表面を抉るように、強く地を蹴る。
山を背にした扇状地の中ほどに建てられた城壁のその外側。最前線の街ポーロウニアにおいて、さらにその“前”と呼べる戦場に、ようやくレジーはこの足を下ろしたのだと自覚した。
オーバーサイズの上着の裾を風になびかせ走るテオの背中を追いかけるレジーは、テオが手にする大薙刀を振るう度に飛び散る血飛沫に息を飲む。
その射程の問題から、決してテオの後方を追うレジーを飛沫が汚すことは無いが、出来上がった血溜まりと転がる死体を踏み越えるのは、レジーにとって些かばかり覚悟が必要だった。
「レジー。魔術の支援は片手でも可能か」
「は、はい。大丈夫だと思います」
「なら剣は抜いておけ。暫くは自分の身を守ることだけ考えていればいい」
「分かりました」
それはまだ壁の外に出る前、テオとレジーが交わした会話であった。その言葉に倣い、既にレジーの手の中で抜き放たれた細剣の鋭く尖った先端が、陽光を反射して煌めいている。
細剣の切っ先を地面すれすれに下ろしたまま、レジーは前を走るテオの背中を追い続けた。
その後ろを追い掛ける幾人の足音がある。それは敵を殲滅する為の兵士と冒険者の混合部隊だ。レジーはテオから、もし戦場で戦うことが難しければ、彼らの後ろに隠れているようにと言い聞かされていた。
金属製の鎧が擦れる音と、時折怒号のように上がる声が、レジーの背中を押し出すように湧き上がる。その空気に当てられたのか、それとも踏ん張り所を自覚したのか、レジーの足は決して彼ら混合部隊より後ろに下がることは無かった。
「レジー!」
「はい!」
半歩横に飛んだテオが前方を睨みつけたまま声を荒らげた。それに呼応したレジーは、強化を施した足で強く地を蹴りテオの前へと躍り出た。
テオの指示を受けてレジーが後方から魔術による攻撃支援を行うという、ここに至るまで既に二回実行した手順を繰り返す準備だ。
テオの背中越しに見えていた敵影がレジーの視界に晒される。鉄を含んだ泥を塗りたくったような黒い毛皮でその身を覆った大型の狼が、石造りの槍を持つゴブリンを伴ってこちらへと向かって来ていた。
「手前を殺せ」
テオが端的な指示を飛ばす。
その言葉に応えるべく、レジーは地に向けた細剣の切っ先を上げることなく、襲い来る狼のうち、先頭の二匹へと向けて掌をかざした。
「アース・バレット!」
レジーの声に呼応して、その足元から落ちる雫を逆回しにするように土の塊が立ち上り、四発の土の弾丸が生成される。拳大のその弾丸は、三メートル先でレジーに向けて駆けて来る二匹の狼の頭を吹き飛ばした。
頭を失った二匹の狼の体が、速度を殺しきれないまま地面へと転がる。ひくひくと痙攣するその体を、後続のゴブリンが踏み付けて進んだ。
踏み躙られる黒い毛皮に流れる血が浸透する。ゴブリンの土気色の足裏に、仲間であるはずの狼の血が滴った。その光景に、レジーは強く歯を食いしばり、その手をゴブリンへと向ける。
次弾を生成しようと練り上げられたレジーの魔力は、しかし直ぐに肩を叩く大きな掌に霧散した。
「そっちは俺がやる。お前は後ろを狙え」
短く告げられたテオの言葉は、それを掻き消さんばかりの勢いで振り抜かれた大薙刀の風切り音と共にレジーの耳に届いた。
大きく踏み出したテオの手に握られた大薙刀が横薙に振られる。寸分違わずゴブリンの首筋へと吸い込まれたその切っ先が、喉笛を裂き骨を砕いて、決して細いとは言えない首を飛ばした。
飛び上がるゴブリンの頭部と撒き散らされる血飛沫が、まるで置型の花火が着火された様だと、レジーは一人感想を抱く。
「来た! アース・バレット!」
テオが引き裂いたゴブリンの更に後方から駆け寄る三匹の狼へと向けてレジーは土弾を発射する。
放たれた土弾は二匹の狼の頭を潰したものの、一匹が死んだ二匹を盾にするように追従していた為に、土弾の被害を免れ無傷で通過した。
「は、外した! テオさん!」
「見えてる。大丈夫」
焦ったレジーの呼び掛けに、テオは落ち着いた声で答えた。体ごと回転させ振り抜いた大薙刀が、突撃してきた狼の胸を切り裂く。肺を剥き出しにされた狼は、勢いを殺しきれず地面へと転がり息絶えた。
「まだ行けるか」
「はい!」
血振りと共に送られるテオの視線に、レジーは大きく頷いた。その首肯を受け取ったテオは再びレジーへと背を向けて走り出す。
自らの体に身体強化を重ね掛けしたレジーは、必死にその背中を追いかけた。
──────────
その日、レジーは右手の細剣を血に濡らすことなく十七匹の狼を殺した。
遠くを狙って放った土弾の魔術はレジーを汚すこと無く、四対三で切り取ったような現実味を帯びない視界の中で敵を葬った。
その倍の魔物を切り捨てたテオの手に、血振りし損ねた返り血が垂れ落ちている。
日が暮れかけて撤退した壁の上、レジーはただ靴の裏にしか付かなかった赤と黒の汚れを見下ろして、小さく眉を寄せた。
「ああ、もう。失敗した。頭から被った、臭い」
オークの首を取った際に頭から被ってしまった血を、捲りあげたシャツで拭うテオが酷く鬱陶しそうに言う。
用水路まで降りることを面倒がってレジーに魔術で水を掛けてくれと強請るテオに、レジーは曖昧に笑い返して水を引っ掛けた。
「助かる。ありがとうな、レジー」
「いえ、これくらい」
「あっちで火を焚いてるんだ。当たりにいこう」
「はい」
レジーの手により生まれた水溜まりに混じった赤を踏み付けてテオが笑う。
先程まで命だったはずの付着した血も肉も、それが奪い取ったものであるならばきっとそこに悲嘆は必要ないのだろう。
これが現実なんだと、レジーはどこか遠く考えた。
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