第63話 見知らぬ男4
【63】見知らぬ男4
不貞腐れたように、もしくは困ったように、曖昧に口をすぼめたレジーがおずおずと口を開く。
「ねえ、テオさん。どうしても駄目ですか?」
「面倒くさい。既にお前と話すのが大分嫌」
腕を組んで顔を顰めたテオが答える。しかしレジーはその態度を気にした様子もなく、さらに言葉を吐き出した。
「ひっどい。何かお役に立ちますって。ね? だからギルドと城壁防衛のお話聞かせてくださいよ」
「聞きに行けばいいだろうが。誰でもいいだろうそんなの」
「私はテオさんが良いんですよー! ねー? ねー?」
「取り敢えず黙る所から始めないか? な? おい」
「黙ったら逃げるんでしょ?」
「当たり前じゃないか」
「ほらー! ほらー!」
鬼の首を取ったようにテオを指さしたレジーが喚く。堂々巡りする会話に嫌気がさしたテオが再度口を開きかけたその時だった。くい、アイザックが握るのとは反対の裾が引かれる。
テオが見下ろすと、血の気の失せたベルの白い手が、億劫そうにカーキ色の上着にぶら下がっていた。
「ん、んん。テオ、ちょっといい?」
「どうした」
引かれるままにテオはベルとその場を数歩下がった。自らの顔を扇ぐように呼び寄せたベルの動きに応えて、テオは廊下にしゃがみこむ。
「ごめん、僕も君が来てから起きたからちょっと寝惚けてるんだけどね」
「アーニーか」
「うん。僕、アーニー」
眠たげに目を瞬かせる少女にテオが問いかければ、ベルは船を漕ぐような頷きを返した。
「ええとね。ソフィアの記録を急いで見ただけだから、正直状況把握しきれてない部分あるのだけれどね。もしかして今、彼に口説かれてた所?」
「あいつ黙らないんだ。どうしたらいいかな」
「君は取り合いたくないだけなんだろうから、無視でもしておけばいいんじゃ……いや、そうじゃなくてね」
二人の話が終わるまで待ちの姿勢を取っていたレジーへと突き立てた親指を向けてぼやいたテオへと、アーニーは小さく頭を抱えながら答える。
「レジーとリオ。彼らのこと、少し見ていてくれないかな。気になることがあるんだ。無理にとは言わないよ。君にこれ以上の負担をかけることになるし、駄目なら僕達で調べる」
「……理由を聞いても良いか」
灰色の目を機嫌悪く細めたテオが尋ねる。うつらうつらと頭をもたげるアーニーは、どこか舌足らず声でそれに答えた。
「彼らね、んと、聖教嫌いを理由にね、君を……んー、尋ねて来たようなんだよね。聖骸ミダスの弟子のテオドールじゃない。聖教嫌いのテオをだよ。今まで、えー、そんな人はいたかい?」
「酒場で絡まれたくらいだ」
「リオ達はねえ、……君をね、探しててね? わざわざこの宿に、んー、うん、身をね、寄せたみたいだけれどもね。随分熱心なあ、ファン、だねえ」
つっかえつっかえに話すアーニーは、おもむろにテオに近寄り、しゃがみこんだその肩にもたれかかった。白金の瞳を瞼の裏に半分ほど隠しながら、テオの高い体温に擦り寄る。
「大丈夫か」
「ううん、うん。眠いの、大丈夫。うんとね、それでね」
眠気覚ましだろうか、はたはたと小さな手のひらで空を掻きながら、アーニーは言葉を続けた。
「聖骸というのは、その代その代で、……うん、ある程度まとめて、目覚めるらしいね? 本に、あのー、ジルの、うん、読んだんだけどね」
段々と力なく小さくなるアーニーの声に、テオは耳を寄せて集中した。レジーとリオ、アイザックの三人が未だに距離を保っていてくれている事を横目に確認する。
これなら小声で話していれば、こちらの話が聞こえることは無いだろう。
「僕が目覚めたタイミングが、あー、時期的にどの辺になるかは分からないけども、……うん、うん、ぼちぼちさ、今代の聖骸も出揃ってきてるんじゃないのかい?」
「そうかもな。俺が実際に見たのは一人だけだが、そいつも既に城壁に張り付いているらしい。師匠の話では、ある程度聖骸の頭数が揃うまでは教会から出しもしないらしいな」
その理由も聞かされていたテオは微かに眉を顰める。
目覚めた聖骸を聖教が一定の期間軟禁するのは、聖骸が聖教に対し協力的な姿勢を取るように、心理的接触もしくは取得する情報にある程度制限をかけるためだ。
この期間に聖骸と“仲良く”しながら、聖骸が種の破壊に赴くことは当然であり英雄的な素晴らしい行為だと刷り込むと言う。
大概の善良な聖骸は、心を通わせた相手を守るために、もしくは望まれたままその大義を果たす為に、種の破壊に対し協力的になるだろう。
当然ながらその反面、聖教に非協力的、もしくは種の破壊に対し消極的な姿勢を取る者も少なからずいる。場合によっては、聖教に反抗し仇なす聖骸が現れることもあった。
そういった聖骸に対する対抗手段や抑止力として、聖教は他の協力的な聖骸をある程度手元に置く必要があった。協力的か否か分からない新顔の聖骸を受け入れる際も同様だ。
故に、ある程度その“仕分け”が済むまでは、聖教は協会の外へと聖骸を出すことは無い。
そして恐らく、昨日は見掛けなかったものの、既に城壁でその力を奮った聖骸セオドアは、その仕分けを経て聖教から“問題なし”と判断されたのだろう。
テオは自らの肩に懐くように身を預ける白金の少女を見下ろす。
聖骸リリーの行動を決めるアーニーが選んだのは、他でもない、種からの逃走だ。ならば、仮に聖骸リリーが聖教に捉えられた先の未来に待ち受けているものは、豪奢な見た目をした檻の中への幽閉か、洗脳か妥協で行き着いた先の戦場なのだろう。
「そっかあ。もう戦える人がいるんだね」
ぼそりと呟くアーニーの瞳が伏せられる。その原因が眠気だけではないことは、少女の震える声音が示していた。
「……うん、まあ、それでだね。リオ達の方だけどもね」
少女の柔い目元を撫でるテオの手に、アーニーは擽ったいと呟いてふにふにと笑った。白金の瞳が浮かぶ顔を上げ、アーニーは言葉を続ける。
「そのタイミングでね、態々“聖教嫌い”だよ。信奉者を訪ねてさ、……うん、兵として取り上げるのとは訳が違う。好奇心であることは、んん、否定しないけれど、それ以上に気掛かりでね。ええと、気掛かりって言うのは、その、あれだよ……あー。……えっと、ごめんね、上手く言えないや。すごく眠い、むり、ねむいの」
一度は頑張って話し出したアーニーであったが、限界に襲われたらしく、テオの膝の上に崩れ落ちた。小さな手が、薄汚れたズボンの上からテオの足を掻く。
その力ない抵抗に、テオはがくりと首を垂れ、諦めたように言葉を吐き出した。
「……ああ。いいよ。分かったよ。やるよ。見てればいいんだな。何を見てるといい」
「ありがとう。とりあえず、テオにはレジーのことをお願いするよ。リオの方は僕が、いや、ソフィアが見ておく」
「分かった」
渾身の力を振り絞り顔を上げたアーニーの頭をひとつ撫でたテオは短く答えた。くたくたと力の抜ける少女の体を支えようと、細い腕の下に手を入れる。
「ソフィア、あとはお願いね。おやすみテオ……」
「ああ。おやすみ、おやすみ」
少女の軽い体を抱き上げたテオの腕の中で、遂にアーニーは眠気の前に陥落した。くたりと少女の体から力が抜けたのは一瞬で、すぐに顔を上げた少女の薄く緑がかった色素の薄い瞳が、自らの体を抱き抱えるテオを見つめた。
人好きのする幼い笑顔が少女の顔に浮かぶ。
「お互い、きちんと役目を成し遂げましょうね!」
「……はい」
胸の前で小さく拳を握った少女、ソフィアの言葉に、テオは消え入るような声で返事をした。
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