第62話 見知らぬ男3
【62】見知らぬ男3
“待て”を止めたレジーから逃げるように、テオは裏口扉を潜った。受付カウンターの横に転がしていたままだった布包みの大薙刀を引っつかみ、二階へと続く階段を駆け登る。
その後ろを、テオの背中にへばりつく様に追い掛けるレジーが続いた。
「待ってよ! ね、悪い話じゃないと思うんです!」
「くどい。俺に受けるメリットがない」
「なら、えーと、私に何かして欲しい事なんてないですか? できる限り力になるから!」
「出来れば今すぐその口を閉じてどこかへ行って欲しい。それで二度と顔を見せないでいてくれれば最高」
「なんで!?」
喚くレジーの大声に煽られて、テオは思わずたたらを踏んだ。その拍子に、抱えていた大薙刀が自重に負けて傾き、先端が天井を撫でそうになる。テオは慌てて、布でずれる柄に腕を絡めて揺れる大薙刀を押さえ込んだ。
「あ、危な……」
よろけて壁に手を着いたテオを逃がさんと、レジーはその前に立ちはだかった。互いに身長差がないせいで、よろけた分だけ僅かにテオの方が目線が低くなる。
僅か数センチばかり高低差ができたレジーの目がテオを見下ろし、追撃のように口を開きかけて止まった。
「あれ? もう戻ってきたの?」
「リオ!」
言葉を紡ごうと口を開きかけたレジーへと、投げかけられたのは子ども独特の高い声だ。弾けるように振り返ったレジーが、その声の持ち主の名前を呼ぶ。
レジーが振り返った先、廊下の突き当たりの部屋から現れたのは二人の子どもだった。その内の片方はアイザックで、大人気なく廊下で騒ぐ男二人を呆れた顔で見上げていた。
もう片方、アイザックの隣で首を傾げている少女とも少年ともつかない子がリオだろう。
リオと呼ばれたその子どもは、煤を塗ったような金髪を低く纏めていた。線の細い顔の輪郭の内側に、砂金を溶かしたような瞳が浮いている。
背の丈は並び立つアイザックと同じくらいだ。聖骸リリーよりは少し大きいように見える。
リオが身につけているシャツと半ズボン、それと薄手のカーディガンにはテオにも見覚えがあった。アイザックが似た物を持っていたはずだ。もしかしたら彼のお古かもしれない。
レジーがリオへと駆け寄っていく横を、ひょいと抜けたアイザックがテオへと近寄った。
「おかえりテオ」
「ただいま、アイザック」
そう言ってテオは、自分を見上げるアイザックの頭を空いた腕でくしゃりと撫でる。その手の感覚に心地よさげに目を細めたアイザックだったが、すぐに先程自分が出てきた部屋を振り返った。
「おーい、テオ帰ってきたぞ! ベル!」
声変わりを迎える前のアイザックの高い声が響く。その声に呼ばれるようにして、テオが寝泊まりする屋根裏部屋に繋がる階段から白金の髪の少女が顔を出した。
「テオ、おかえりなさい」
「ただいま」
階段の前でこそこそと話し込んでいるレジーとリオの横を抜けて、白金の少女、ベルがテオへと小走りで駆け寄った。
恐らく今の彼女はソフィアのはずだ。テオは朝方にアーニーと交わした言葉を思い出す。
「体調は良くなったか?」
「うん。すっかり元気。アイザックとリオが沢山お話聞かせてくれたの。楽しかったよ」
「そうか。良かったな」
アイザックにしたように、くしゃりと白金の髪を撫でながらテオが微笑む。
元来一人分の人格だったものを六等分し、あまつさえそれを再度寄り集めてしまった反動なのか、聖骸リリーに宿る六つの人格にはそれぞれ活動時間の制限があるらしい。
通常の人間が活動するために起き、休息のために眠る様に、六つの人格にもそれぞれに休みが要る。
幸運なのは、それが肉体の休息と同一ではない事だとアーニーは言っていた。聖骸リリーとして表出していない間に眠っていれば、それでいいのだと。
ただし一つを六つに分けたせいなのか、一人あたりの活動時間は短いらしい。六分の一とまでは言わずとも、一人当たりが連続して活動を続けられるのは精々が八時間程度なのだとか。
とは言っても厳密なものでは無いらしく、それを過ぎても死ぬほど眠くなる程度らしい。
アーニーが信頼して聖骸リリーの活動を任せられるのはソフィアとニーナの二人のみ。
キャロルは対人能力にやや問題があるらしく、また、マリーも放置すればどう問題を起こすか分からないので野放しには出来ないと言うのがアーニーの考えだ。もう一つの人格であり、他五つの生みの親に当たるベルは表出自体を嫌がる。
ニーナに関しても、最低限の活動は可能だが、消極的な物事と積極的な物事の差が激しいそうで、基本的には表出したところで睡眠を取るだけなのだとか。
結果として、基本的な活動時間はアーニーとソフィアで賄い、聖骸リリーの肉体の睡眠時間をニーナが埋めることとなった。
しかしこの街でテオと出会ってから、暫くアーニーが出ずっぱりだった為に休息が必要になってしまった。
ソフィアだけでは行動方針を決めることも、急なハプニングに対応することもままならない。そのため体調不良と偽って部屋に籠っていた筈だが、どうやらアイザックが話し相手に遊びに来ていたらしい。リオも同じ部屋から出てきた所を見るに、三人で居たのかもしれない。
自室に続く階段の前をレジーとリオに塞がれて戻れそうもないテオは、昨晩のニーナの言葉を思い出し、手持ち無沙汰にベルの長い白金の髪を後ろに流して遊ぶ。
擽ったい様に身を捩り、くすくすと笑う少女の声が耳を擽った。
そんなテオへと、おもむろにリオが近付いてくる。先程まで話していたらしいアイザックとベルに用があるのかと思ったテオは、弱くベルの背中を押した。
しかしそんなテオの考えと反して、リオは佇むテオへと向けて声をかけた。
「あの、初めまして。テオさんですよね? ベルとアイザックが貴方のことを話してました。僕はリオ。ええと、レジーの、甥っ子です」
自らの胸に手を当てたリオはそう言った。彼のくすんだ金髪が、言葉を紡ぐ度に揺れている。
「ああ、俺はテオドール。テオでいいよ。よろしくね」
廊下に膝を着いてリオと目線を合わせたテオが、柔らかにリオへと言葉を返した。
それに反応を示したのはリオではなく、その後ろに着いてきていたレジーだった。声を裏返したレジーは、半ば叫ぶように言う。
「テオさん全然態度が違う!」
「は? 口閉じてろよ」
「はー!? 嫌ですけど!?」
「早速力になる気がないじゃないか」
「これは仕方がなくない!?」
「知るかよ! 黙ってろよ!」
がばりと立ち上がってレジーに向き直ったテオが、語尾を強めて反論する。不毛な言い争いであった。
いきり立つレジーを諌めるように、リオはレジーの長いコートの裾を引いた。手網を締められ渋々と口を噤んだレジーを、その隣から見上げたリオが口を開く。
「レジー、興奮しないの。すいません、テオさん。レジーがなにか失礼をしたようで」
「い、いや、君が謝ることじゃないよ。気にしないで」
かたりと上半身を傾けて謝罪を口にするリオに、テオは焦げ茶の髪を散らす勢いで首を振った。そこへ近付いてきたアイザックが、テオの緩い上着の裾を引く。
「つんけん怒って何したんだよテオ」
「俺は何もしたくないだけだよ、アイザック」
「禅問答したいのか?」
「させられているんだよ」
乾いた笑いを零しながらテオが答える。その様子を首を傾げて見上げたアイザックの頭を、テオが誤魔化すように片手で撫で回せば、くしゃくしゃと笑ったアイザックはテオの大きな手に頭を押し付けた。
「ふは、よく分かんね! 俺そろそろ母さんの所に戻るな! じゃあな!」
からからと笑ったアイザックは小さい手のひらをはたはたと振って階下へと降りていった。
揺れる赤毛が階段の下に見えなくなると、リオの手から解放されたらしいレジーがテオに近寄る。
片眉を跳ね上げ、身を固くしたテオは逃げる事も出来ずにそれを受け入れた。
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