第61話 見知らぬ男2

 

【61】見知らぬ男2




 テオに促されたまま宿の壁に寄りかかったレジーが、落ち着きなく話し出した。


「珍しいと思ったんです。ほら、どこを歩いても聖教を悪く言ってる人なんて見ないから」

「別に俺だって悪く言ってなんてないさ。ただ、好きじゃないんだ」

「ええ、そう見える。なんで好きじゃないんですか? あー、えーと、この国では大抵の人があれを信仰してますけど」


 そう話すレジーの隣で腕組みをしたテオは眉を顰めた。苛立ちを隠し切れず、テオの人差し指が自らの二の腕を叩く。


「大抵の人間が好ましく思うものなら、俺も好んでないといけないのか?」

「そういう訳では無いですけど、理由もなく嫌うようなものでも無いでしょう?」

「そんな事は知らない」

「聖教の教えが嫌い? 聖職者が嫌い? それとも神様が嫌なんですか?」


 歯ぎしりを始めそうな程に口を引き結んだテオへと、レジーはさらに言葉をかけた。背中を曲げ、下から見上げるようにしてテオの顔を覗き込む。


「何なんだ君は。俺はその手の話すらしたくないんだが」

「ま、待ってください。もっと話を聞きたいんです」

「聖教の話か? 教会にでも行けよ。耳にたこが出来るほど聞かせてもらえる」


 なおも引き下がるレジーの様子にテオは頭を掻き毟った。これ以上日が傾いて、目の前に見えるバケツに影がかかってもレジーがまだこの話を続けるようなら、いい加減この優男をぶん殴ってもいいだろうか。テオは舌打ちを堪えながら考える。

 駄目だ。自分が好かない相手だろうと、レジーは一応アイリーンの客だ。あの様子では彼女たち親子に悪い対応はしなかったのだろう。ならテオが手を出すのはよろしくない。


「違いますって。そうじゃなくて、貴方の話が聞きたいんだ。どこまで、その、あれを好きじゃないんです? 例えば、ええと、貴方の子どもがね」

「独り身だ。子どもはいない」

「いいから聞いてください! 仮にです。貴方に子どもがね、いたとしてですよ。貴方が死んだら、その子どもを教会の孤児院に預けたいと思いますか?」


 真剣な声音で話すレジーは、背を預けていた宿の壁から身を離し、テオへと向き直った。

 壁といけすかない男に挟まれるようになったテオは、組んでいた腕を崩しつつ口を開いた。


「……可能なら知り合いに預けるよ。教会は避ける」

「なら預けられるほどの知り合いがいなかったら? もしくはその相手から断られたら? 貴方ならどうするんですか?」


 両手を広げて熱弁するレジーの腰で細剣が揺れる。その後ろ、傾く夕日が作った影がバケツと並んだ植木鉢を暗く埋めていた。


「……言いたいことが分からない。別に孤児院は教会だけじゃないだろ。北に行けば聖教がメジャーじゃない国だってあるし、なんならこの街にだって聖教の関わらない施設はある。俺は冒険者ギルドに登録してるから、そういう所は融通されやすい。ギルドは国を跨いだ機関だから、聖教みたいなこの国に土着した風習とは別の伝もある」

「ギルド……」

「本当によく分からないんだが、満足したか?」


 目の前に立ちはだかるレジーへと、テオは呆れを含んだ視線を向けた。しかしレジーはそれに気が付かないようで、自らの足元を睨むようにゆっくりと俯く。


「いえ。まだです。どうしてそこまで聖教の教会を避けるんです。国を跨いだ先が良いのだったら、宗教自体を嫌ってるわけじゃないんでしょう? 聖教だから嫌なんだ。それはどうしてです」

「話が堂々巡りしてる」

「はぐらかすから戻るんです。どうしてですか」

「はぐらかされてるのが分かっているなら止めてくれないか。話したくないこともある」

「どうしても話してくれませんか」

「ああ。話したくない」


 俯いたまま目を合わせないレジーを、テオは睨むでもなく見つめた。黙りを決め込んだテオに対し、レジーが言葉を紡ぐことを止めれば、二人の間に落ちるのは重たい沈黙だけだった。


 テオを壁際に追い詰めるように立ちはだかるレジーだったが、うろうろと視線を地べたの上に投げかけたまま動く様子はない。

 そうして数分レジーの言葉を待ったテオは、やがてひとつ溜息を吐き出した。レジーの背後のバケツは、既にどっぷりとした影が覆っている。


「退いてくれ」


 レジーの体を押すようにして退かせば、案外あっさりとレジーはテオに道を明け渡した。退散しようと宿の裏口扉に手をかけるテオに対して、しかしレジーは震える声で追い縋る。


「……私も、聖教は好きじゃない」


 裏口扉を押し開く寸前、耳に入ったその言葉にテオは足を止める。ドアノブから手を離すことなく、テオは渋々と口を開いた。


「そうか。それで?」

「どう生きて行ったらいいか分からない。出来れば貴方に助けを請いたい」

「それにしては随分な話しようだったじゃないか。態とじゃ無いのか。俺はこの数分であんたの事が嫌いになった」


 痛々しく眉尻の下がったレジーの鉛色の瞳が、テオを見詰める。開きかけた裏口扉を閉めて、その板張りに寄り掛かったテオはレジーの視線と向き合った。


「不快にさせたことは謝ります。でも、貴方みたいに聖教に嫌悪を抱く人は初めてだった。本当にそうなのか、……疑いました。信用できる人間が欲しいんです」


 自らの胸に手を当ててそう話すレジーは、真っ直ぐにテオの目を見つめ返した。少しも逸らされることなくかち合った視線に、テオは思わず下を向く。目元が嫌に引き攣って気分が悪かった。


「……それで。何がしたいんだ、結局」


 かつかつと指先でドアノブを叩きながら、テオはレジーへと問いかけた。


「宿の、上に子どもがいます。リオと言う名前で、その子を、その、……守りたいんです」

「ならそうすればいいじゃないか。立派な剣もある。腕は立つんだろう」

「……ええ、多少は。できれば、この街を出たいんです。でも何処へ行けばいいのかも分からなくて」


 話しながらテオへと近付こうと一歩を踏み出したレジーを、テオは手のひらをかざして拒否する。沈黙の拒絶を受け取ったレジーは、その場で背を正してテオの言葉を待った。


「さっきも話したが、この国を出て北に行けば聖教からは離れられる。些か遠いが、馬車で乗り継げば子どもを連れていても問題は無いだろう」

「実は金銭的にも苦しい所があります」

「稼げよ。ここは最前線の街だぞ。戦えるなら城壁では引く手数多だ。人の嫌がることをしないで、ある程度我慢ができるなら、一時的でもパーティにだって入れる」

「それってさっきのギルドの話ですか?」

「城壁防衛に参加するだけならギルドを介さなくてもいい。前線は常に戦力を欲しているから、来る者拒まずだ。ただ、国外へ行くならギルドに登録していた方がなにかと融通が利くかもな」


 かつかつとぶつける様に扉の木板に頭を預けたテオが言う。体が全力でこの場を離れたがっているものの、レジーを置いていくのはそれはそれで気が引けるのか、ノブを掴もうと手を伸ばしては下ろすを繰り返していた。


「テオさんはギルドに登録しているんですよね。パーティは組んでいるんですか?」

「話してわかったかもしれないが、生憎と性格が良くない。ソロだ。パーティを組みたいなら他を当たってくれ」


 目も合わせずに言い放ったテオの言葉に、レジーは首を傾げた。


「誰かと組む気はないんですか?」

「組んでくれる人がいないんだ。よしんば組めても長続きしない」


 今俺の話はしてなかっただろうが、とテオが続けて口の中で零した言葉は、生憎とレジーの耳には届かなかった。

 テオに拒まれた通り一歩もその場を動かなかったレジーは、しかし器用にも前のめりに身を乗り出し、声を上げる。


「私となら?」

「何が」

「私と組むのはどうですか。期間限定にはなりますが」

「……なんだって?」


 レジーの言葉に、テオは素っ頓狂な声を上げた。丸く見開かれたテオの灰色の目が、話を続けるレジーを見つめ返す。


「今の話を聞いていた感じだと、テオさんはギルドとか、城壁の防衛戦とか、結構詳しそうですよね。そのことに関して、どうか私に教えて貰えませんか? その間、私は貴方と共に戦います。言ってはなんですが、強いですよ私 」

「なん、……なんて?」


 目を瞬かせて吃るテオに、レジーは自信満々に胸を叩いた。叩かれた胸の斜め下で、華奢なまでに細い剣が揺れている。


「戦力的に力になるんで、知識的に助けてください」

「頼めば誰でも教えてくれる。腕に覚えがあるなら尚更。なんで俺なんだ」


 単純な疑問符を浮かべるテオへと、レジーは一歩踏み出し、悪びれもせず言葉を続けた。


「だって、貴方。聖教嫌いでしょう?」

「……………………………………………………………好きじゃないだけだ」


 苦虫を噛み潰したような顔でテオはそう呟いた。



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