第57話 城壁2

 

【57】城壁2




 汚れた布を取り払った時、その下にあるものは何か。


 テオにとってそれは、酷く手に馴染んだ凶器だった。七十センチを超える刀身が百六十センチの柄の先に繋がっている。突く事に長けた純粋な槍と異なり、側面にのみ刃の付いたそれはグレイブに近いが、異なるのは刀身部分が刃が胸を張るように反っている事だった。

 刃に限らず柄を含む全てが頑強な金属で出来ている為に、大抵の人間では容易に持ち上げられないほどの重量を誇るそれは、初めてその凶器がテオの手に預けられた時は言われたままに身体強化を施したテオですら取り落としそうになったほどだった。


 丁度構える際に握り込む場所に焼き付いた、テオの手よりも一回り小さい手型は師匠の物だ。

 この武器の製作者である聖骸ミダスの手型。それこそが聖骸ミダスが弟子に与えた武具の証明だ。腕の無い女の、あるはずのない手型。それは聖骸ミダスの権能により現れる現象の一種だった。


 突くよりも切ることに向き、切るよりも薙ぐことに向く。

 その武器を生み出しテオに与えた師匠である聖骸ミダスはその武器を大薙刀と呼んでいた。


 生まれてこの方、孤児院教会の塾ですら、そんな言葉を聞いた事のなかったテオにとって、それは全く未知の物であった。


 造形し、手渡した師匠ですら、これは正確な再現ではないかもしれないと肩を竦めてしまえば尚更だ。

 用途に合わせて作られたその大薙刀は、決してテオに合わせて作られたものではなかった。


 故にその武器の使い方すら分からなかったテオは、しかし誰にも教えを乞うことが出来なかった。


 テオに武具を与えた師匠は長物を使わない。精々が刃渡り八十センチを超えないシンプルな両刃の剣を持つこともあると言える程度だった。

 テオにそれまで戦い方を教え込んでいた兄弟子も同じく長物は使わない。テオと同じように師匠聖骸ミダスにより与えられた、凡そガントレットに近い形をするものの、そう呼んでいいのか迷うほどに凶悪な形をした鈍器が彼の主力武器だったからだ。


 師匠でもなく兄弟子でもない、そこらの兵士や冒険者に教えを乞うた事もある。しかし誰もが、テオの手にした武器を見ては首を横に振った。見た事も聞いた事も無い武器の扱い方を、当てずっぽうで教える人間はいなかった。


 だから、テオは長年使う相棒とも呼べる獲物である大薙刀の“正しい”使い方を知らない。

 けれども、それで頭を悩ませた時期もとうに過ぎ去った。使い方など、自分のやりやすいようにやればいいのだと、兄弟子の戦う様を見ていて気が付いたからだった。

 テオの手により魔物の血を存分に浴びたこの大薙刀は、既にテオの最も手に馴染んだ凶器となった。


「く、は!」


 城壁の外側でテオは腹の脇に柄を通して腕を絡ませた大薙刀を大きく振り払った。身体強化を施した体はぶれることなく重たい武器を振り回す。

 丸く沿った切っ先が、黒い毛皮を纏った狼型の魔物の四本の足を骨諸共断ち切った感触が手に伝わる。硬い皮膚を裂いて、肉の筋を断ち、骨を砕く音を、強化された耳が捉えた。


 土埃を巻き上げて駆け回っていた黒狼の群れは、既にその半数がテオとエイダンの手により地に伏せる屍に成り果てていた。


 魔物の血を吸い、魔術の火に焼かれ、冒険者や兵士、数多の魔物に踏みつけにされた地面は既に草が禿げ上がり、砂と石が剥き出しにされている。

 壁の内側の山裾や河原近くに残る緑の後などここらには無い。ただ殺風景なまでに開かれた見通しのいい戦場は、散らばった戦果と置き去りにされた犠牲達が良く見えた。


 その戦場のただ中を、城壁を背にしたテオの十メートル先をエイダンが独走していた。“ペア”となった二人の遥か後ろから、パーティを組んだ冒険者と兵士の混合部隊が魔物の残党を殲滅しながら追随している。


「ふ、は」


 テオは短く呼吸を重ねる合間に、襲い来る黒狼の首を掬いあげた刃先ではねる。左足を軸にステップを踏むように半回転した勢いを利用し、背後に迫っていた二匹のゴブリンの胴体を返した刃で背骨ごと折り砕いた。


「テオ! 速度を落とせ! 引き離される!」


 血飛沫が手元を濡らさないよう、跳ねるように一歩引いたテオへと後方部隊の長から大声がかけられる。

 声の主を振り返ることなく腰を落としたテオは、肩を回して大薙刀を前方へと突き上げた。空を裂いて進んだ刃が、飛び込んできたゴブリンの首を半ばまで切り裂く。


 刃に絡まったゴブリンの死体を真上に振り払い、左に大きくステップを踏んだテオは、今しがた立っていた場所を走り抜ける黒狼の尾を横目にしつつ、大きく息を吸い込んだ。


「泣き言を言うな! エイダンが止まるわけないだろう! ペース上げろ!」


 テオが足を止めていた間にもエイダンの巨大な背中は遠ざかって行く。

 エイダンの本来の目的は城壁外の“探し物”だ。それをする際の彼は、決して後ろを顧みることは無い。通り過ぎた場所は既に確認済みであり、目的の物が無いと分かり切った場所になど用がないからだろう。

 故にエイダンは、まるで蛇行するケンタウロスのごとく、行先を阻む全てを手にした大剣で跳ね飛ばしながら突き進み続けた。


 テオの役目はエイダンが“探し物”ついでに開いた魔物の群れの抜け道を拡張することだ。城壁に群がる魔物の群れに突撃し、道を切り開く二人の後ろを殲滅部隊が追随する。


 しかし問題なのは、殲滅部隊がいくら頭数を揃えたとしても、魔物を殺し切るという関係上相手取る敵の数が多いことだった。そのために、後ろを顧みず進むエイダンの速度に、殲滅部隊はついて行けずに引き離される。


 そうなると今日のようにエイダンと部隊の間を受け持つテオが板挟みになり、後方から怒号のような指示をかけられることがある。


 けれども元々が単純に“探し物”をしたいエイダンと、他のパーティに組み込まれなくて済むという理由でエイダンに付いていたテオのペアだ。

 殲滅部隊はその突破力を利用しようと目をつけた指揮官が編成し随行させているに過ぎず、それまで爪弾きものにされていたテオとしてはその事情に振り回される事はどうにも面白くない。


 そんな後付けの支援部隊のことなど知ったこっちゃない、と叫び返したい本音をテオは飲み込んだ。事実、この編成を組んでからの方が撤退路が常に確保出来ている分、幾分もやりやすい。


 テオはやけくそのようにブーツを踏み鳴らして身体強化を重ね掛けした。体表から溢れ出た魔力の歪みが、湯気のようにゆらりと足元から立ち昇る。

 前方から迫る三匹の黒狼とその背に跨るゴブリンが、未だ足を止めたままのテオに目をつけて地鳴りのような咆哮を上げた。


 びりびりと響く獣の怒号を正面から浴びたテオは、がぱりと口を開け、自らの首を食いちぎらんと駆け寄る狼の足を見る。

 息を深く吸い込み、犬歯を見せ付けるように唇を剥いたテオは、大きく右足を後ろに引いた。


 戦場の真ん中で足を止めた獲物に見えたであろうテオへと向けて、地を駆ける三匹のゴブリン付き黒狼のその奥。

 遥か前方でエイダンが振り下ろした大剣がオークの頭蓋を砕き、血飛沫を巻き上げる様がテオの灰色の目に入る。


 誰よりも前で、誰の為でなくなっても。ただそこに立ちはだかる大きな男の背を見据えた。


「俺も、もっと急がないと」


 自分に言い聞かせるように呟いた声を置き去りにするように、テオは強化された足で強く地を駆けた。

 低い軌道で跳ねるばねの様な速度で進むテオは、三歩踏み込んだ所で低く構えた大薙刀の刃先を上へと向けた。

 突進に対し突進で返したテオの接近に対応しきれなかった黒狼の喉元から搭乗したゴブリンの腹までを大きく切り裂く。


 文字通り跳ね飛ばされた黒狼とゴブリンの死体の下を通るように、加速の勢いを殺さないままテオは体を捻った。

 擦り切れたブーツの底が土の上を滑る感触をそのままに、テオは手にした大薙刀を頭上へと掲げた。水面を跳ねる石のように回転を加えられた体に合わせて振り回された大薙刀は、両脇から迫っていた黒狼の胸を切り裂き肺をむき出しにする。


「は、あ、ッふ!」


 跨った黒狼が絶命したことで地面に投げ出されたゴブリンの一体の頭を踏み砕いたテオは、脳漿で滑る靴底を地面に叩きつけるようにして更に加速した。


 目指すは前方二十メートル先。左腕に抱えたままの布人形諸共返り血に塗れるエイダンの真後ろだ。


 たった一人でも魔物の群れに怯まず、目的のために殺戮を繰り返す男の立つ場所。他でもないそここそが、テオにとっての最前線だった。




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