第55話 昔日を語る5
【55】昔日を語る5
「その後にね。ホゾキさんと相談して、結局俺はソロになった。それからは割合上手くやれていると思うよ。……多少、怪我は増えたけど。まあ、それでも酔っぱらいのじゃれ合い以上の喧嘩は減ったかな」
そう言ってテオは隣に寝転ぶニーナに笑いかけた。ぱちくりと目を瞬かせたニーナは、ゆっくりと体を起こす。
「ジルって人、昼の人とは別人みたいね。そこまでして他人に口出しする人には見えなかったわ」
こてりと首を傾げたニーナが言う。柔らかい菫色の髪が揺れてシーツを撫でた。
「あー……あれはね、俺の自業自得って言うか」
「どうかしたの?」
「その後にね、怪我をする度に先生の所に通ってたんだ。その、あはは。怪我をするにも限度というものがある! って、怒られちゃってね。それ以降あんな感じ」
仰向けに寝返りを打ったテオが笑いながら言う。半ば引き攣った笑みだったので、当人もそれになりに反省をしているようだった。
「そう。貴方が死ぬのは嫌だから、それは彼に感謝しなくちゃね」
「そうだね、俺も感謝してる」
テオの隣に寝転び直したニーナは小さく微笑んだ。隣に転がる焦茶色の癖毛をつついてみれば、擽ったがって身を攀じるテオの仕草に菫色の目を細める。
「ねえ、あなたは撫でられるのは好き?」
「……ん、どうしたの」
唐突に感じられたニーナの問いかけに、テオはベッドに横たわったまま首を曲げて顔を向けた。
天井を向いているテオの胸が呼吸で上下する様子を、細めた目で眺めるニーナが口を開く。
「私は撫でられるの、好きよ。髪に触れられるのも、あなたなら好き」
「急だね、また」
「抱えてもらうのも良かったわ。私達、前はもう大人だったから、人に抱き抱えられるのなんて久しぶりだった」
瞬きの間に覗く菫色のニーナの目は、どこか遠くを見ているようだった。
ぼんやりとした様子のニーナと向き合うために寝返りを打ったテオが、自分の腕の上に頭を乗せて口を開く。
「大人かあ。君達くらいなら簡単に抱えられるけど」
被術者の体力を消耗する癒術を使用して治療をした事もあり、テオの目は重たげで、今にも眠ってしまいそうだった。
そんなテオの腰に手繰り寄せた毛布を掛けたニーナが口を開く。
「これでも前は百六十センチと少しくらい身長があったの。あっちの人はね、こっちほど力持ちの人が多くないから、そう簡単には抱えられないわ。そう言えばあなた、歳はいくつだったかしら」
「にじゅうに……」
「なら私達、あなたより六つはお姉さんだわ」
「え、うそ」
眠気で舌足らずになったテオだったが、ニーナの言葉にはたと頭を上げた。
聖骸リリーの見目に引っ張られたせいか、六つの人格の元になったベルは、もっと幼いものだと思っていた。
具体的な歳の想像こそしていなかったが、それでも少なくとも自分よりは年下だと思っていたテオは驚く。
「本当。でも恋人も伴侶もいなかったから、久しぶりの抱っこだったの。私が気に入ったのだもの、きっと他の……アーニーもソフィアも気にいると思う。元は同じ人間だもの。感性だって大体同じだわ。良ければやってあげてね」
「ええ……。それは、嫌じゃないのかい。二十八なんて立派な女性じゃないか」
眉尻を下げたテオが答える。しかしニーナは緩く首を横に振り、半端に起き上がったテオの肩を押した。
決して強くない少女の腕の力にも抵抗しなかったテオの体は、再度シーツに沈む。しかしその目線は未だ、自分の隣で肘を着き顔をのぞき込むニーナに向けられていた。
「嫌じゃないと思ったのよ、私は。頭を撫でられるのは褒められているみたいな気分になって嬉しい。頬も背中も手が触れれば肯定されているみたいな気分になって心地がいい。抱き抱えられると、あなたの腕は長いから、包まれているみたいで安心したわ。あなたは嫌だった?」
「……俺は、いいけどさ」
「ならやってちょうだい。楽しみにしてる」
そう言って、ニーナは目を閉じた。長い髪を散らすようにテオの隣に横たわり、細い腕を伸ばしてテオの体温で温まった付近のシーツを撫でる。
これは寝入るなと感じたテオがベッドから下りようと静かに身を起こすと、目を閉じたままのニーナが口を開いた。
「それとね。こうして隣で寝ていると、許されてるみたいで怖くないの。だからここにいてほしいわ」
緩慢な動作で腕を持ち上げたニーナが言う。手探りにテオを探すように揺れる少女の手を、テオは思わず受け取った。
「……別に、何も怒ってないよ。俺は」
「ならそこで、私達にそれを教えてちょうだい」
緩く開かれた菫色の瞳がテオを捉える。柔らかく上がった口角が、テオが吐き出しかけた否定の言葉を邪魔した。
「ああ、もう。分かったよ。でも寝返りとかで潰しそうになったら叩き落としてくれよ。君達、小さすぎて怖い」
「任せて。今朝みたいにしてあげる」
「どうぞよろしく」
がしがしと頭を掻いて横になったテオの隣で、ニーナは満足気に頷いた。
せめてもの抵抗にベッドの端に寄ったテオがシャツの捻れを直すためにはたはたと首元を叩く。すると、その動きと合わせてちゃりちゃりとした金属音が鳴った事にニーナは気が付いた。
「それはなに?」
「え、どれ。ああ、これかい?」
初めは何を指した言葉だったのか分からず首を傾げたテオも、ニーナの指が胸元を叩いた事により合点がいった様に頷いた。
首に掛けられていた細い金属チェーンに指を通し、音の原因を取り出したテオは少し迷った後に答える。
「うーん、これはね。なんて言うか、そうだな。小さいお墓かな」
それは金属製の二枚の板だった。大きさは親指を交差させた程で、文字が打刻されている。テオの返答を聞いたニーナがその傍ににじり寄り、取り出された金属板に顔を近づけた。
「でもそれ、あなたの名前が書いてあるわ」
「ああ。俺の墓だからね」
そう言って、テオはその金属板を元の通りシャツの中に戻した。尚も首を傾げるニーナに背を向ける様に寝返りを打ち、もごもごと呟く。
「ねえ、もう俺、眠いんだよ」
「……そうね。お話してくれてありがとう。おやすみなさい」
「……うん、おやすみ、ニーナ」
眠いという言葉は本当だったらしく、そう時間が経たないうちにテオの寝息が聞こえ始める。
それを確認したニーナは、その大きな背中に耳を寄せた。菫色の髪の向こうから、規則正しい心臓の音が聞こえる。
それはどこが心地よく、ニーナにはその心音がまるでテオの見る夢の中へ続く道を照らす街灯のように感じられた。
「あなたはきちんと私達を呼ぶのね。でも、私達はあなたをなんと呼べばいいのかしら。テオ、テオドール」
小さく呟いたニーナの言葉が沈黙した部屋に転がる。その呟きに疑問を呈す事のできるたった一人の人間は、既に深い眠りに落ちた様だった。
「誰だって、心地いい名前で呼ばれたいわ。呼ばれる度に違うって叫びたくなるのなんて、あんまりにもおかしいじゃない。ねえ、そうでしょう?」
そう言って皮肉に笑ったニーナは、テオの高い体温を求め、その大きな背中に擦り寄った。
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