第54話 昔日を語る4
【54】昔日を語る4
「君はなぜ祈らない」
それはジルの診療所で治療を終え、ベッドの上で潰れていたテオに向けられた言葉だった。
問いかけの主であるジルは、湯気の立つカップを二つ持っていた。その内の一つをテオへと手渡し、そばの丸椅子に腰かけると片方しか残っていない目で返答を促す。
本来ならば、テオはその手の質問には沈黙を貫くようにしていた。しかし今回はその相手が命の恩人である。
テオがこの街に来てから、助けを求めても実際に助けて貰えた経験は外にいた頃と比べて少ない。それだけ、聖教嫌いと言うレッテルの効果は絶大だった。
だからテオは基本的に師匠から紹介されたホゾキを頼るし、それ以外に縋ることもあまりなかった。
テオにだって人の心がない訳では無い。伸ばした手を振り払われる恐怖を一度でも知ってしまえば“次”のハードルは異常なまでに高くなる。
だが今回は、助けを求めても見知らぬ顔をされる寂しさより、祈りを捧げなければならない屈辱が勝った。
だからあっさりとテオはジルの腕に縋ったし、あの聖職者はそうする事を読めなかったのだろう。
それ故に、テオはジルが思う以上に彼に対して感謝の意を抱えていた。
そしてそれは、その手の質問に答えなければならないと思えるほどには、小さいものではなかった。
多少口ごもったものの、テオの口は簡潔にその理由を述べていく。
「祈った人が、祈った場所で死にました。大事な人だったので、俺はあれが嫌いになりました」
「ふむ。それで?」
「……それだけですけど」
受け取ったカップに注がれた茶を見詰めたままテオが言い淀む。どこか不貞腐れたように背中を丸め、ベッドの上に座っていた。
「嫌ならば近寄らなければいい。パーティなど組めば不可侵は無理だとわからなかったのかね」
そんなテオの姿を残った片目で一瞥したジルが言う。
「それとも何か。君の言う師匠の言い付けか。根本的に合わない輩とも仲良くやりましょうとでも言われたかね」
そこまで言ってカップを煽ったジルに対し、顔を上げたテオは睨むでもなく口を開いた。
「そういう訳じゃないです。ただ、友達を作れって、言われたから」
「だからパーティに入ったと」
「……はい」
短い返事とともにまた顔を俯けたテオに、ジルは静かに頭をかいた。
まるで子どもとでも話している気分だった。少年兵を拾ったつもりは無いのだが、どうにもジルは腑に落ちない。
「仕事仲間と友は違う。時として同じこともあるが、大抵の場合においてそれはイコールではない。君の師が指したものは少なくともそれでは無いと思うのだがね」
言葉に棘を含まないよう気を払ったつもりのジルの言葉に、テオは顔を上げないまま口を開いた。
「……友達ってなんですか」
その言葉にジルは大きく肩を落とした。吐き出したくなる溜息を抑えることなく存分に吐き捨て、ジルは再度口を開く。その声音はどこか疲れた色が浮かんでいた。
「……ああ、君は、なんだ。名前はなんと言うんだったか」
「テオドールです。テオと呼んでください」
「ふむ。その方が呼ばれ慣れているのかい」
「いえ。俺はよくわかりませんが、愛称の方が親しみやすいものなんでしょう? なら、テオでいいです」
「そうか。ならばテオドール、聞きなさい」
名前を呼ばれたテオは不審そうに眉を下げて顔を上げた。それを真正面から受け止め、カップを机に置いたジルが言う。
「棲み分けなさい」
「棲み分け?」
向けられた言葉をおうむ返しにするテオに対し、ジルはゆっくりと頷いた。
「ああ。棲み分けだ。嫌悪感と言うものは如何にもしがたい。そしてお前が祈らないことにそれしか理由がないというのであれば、聖教と程々に付き合えとお前に言うのは酷なように思える」
「はあ」
「付き合えないものに付き合おうとして問題を起こすのは、それと付き添えるものからすれば時として酷く疎ましい。君もそれを良しと出来ないのであれば、距離を置くことを勧める」
生返事を返したテオに、ジルは尚も言葉を続けた。しかしその内容を噛み砕き終えたテオが、丸めた背中を更に丸めて口を開く。
「でも、パーティを組むと必ずしも癒術師がいて、彼らは同時に聖職者でもある。距離を置くなんて、現実問題難しいですよ」
「パーティを組むな。壁から見ていたが、君ならソロでもやっていけるだろう」
「それ、ホゾキさんからも言われました。でもそんな、俺、弱いですから、一人で戦うなんて土台無理です」
ベッドの上に立てた膝に顔を埋めたテオが答える。手にしたカップの中身は一滴も減らない内に冷めきって、湯気のひとつも立たなくなってしまっていた。
「弱い? 本当に弱い人間はオルトロスの突進を真正面から受け止めて足を切り飛ばしたりなどしない。それとも誰かに言われたのかね、お前は弱いと」
「……兄弟子が。でも事実ですから」
萎びた焦茶の頭を小さく揺らしたテオが答える。
しかし言った通り、ジルから見たテオは決して弱い部類に相当するとは思えない。酷い負傷をしたものの、テオが一人でオルトロスの突進を止めたのもまた事実なのだ。
「……ふむ。因みに君の師はその件についてなにか口を挟んだかね」
しかしどうにもその辺りの自信が壊滅しているであろうテオの態度に、ジルは更なる追求を選んだ。
「いいえ。師匠は戦い方を教えないので、特には」
「うん? ならば君は何のためにその人に師事を、いや、待て。君の師匠は誰だ」
「ミダスです。聖骸ミダス」
「は、あー、は?」
彼を知る人から見れば余りにも珍しい素っ頓狂な声を上げたジルは、大きく頭を振った。
椅子に座った膝の上に手を付き、大きく息を吐き出す。
「……面倒なのを拾ってしまった」
「あの、大丈夫ですか?」
そんなジルの様子に、テオはようやっと顔を上げて心配そうに首を傾げた。その様子を切れ長の目で捉えたジルは渋々と首を横に振る。
「……ああ、気にするな。だが、聖骸ミダスの弟子か。顔は知らなかったが、噂はかねがね聞いているとも。最近聖骸ミダスがこの街に配置したとか言う弟子とは君のことか」
「多分、そうですね。ニールさん、ええと、兄弟子は今も師匠と一緒にいるはずなので」
「ならば尚更だ。大人しくホゾキの言う事を聞いておけ。あれも一応君の兄弟子に当たるのだろう」
「は?」
次に素っ頓狂な声を上げるのはテオの番だった。
ジルの言葉に目を見開き、手からこぼれそうになるカップを慌てて持ち直したテオの様子を見たジルが、ふと首を傾げる。
「なんだ、知らないのか」
「し、知らない。何の話、ホゾキさん師匠の所にいたの? 師匠、ホゾキさんの所に行けってしか言わなかった! ただの知り合いじゃなかったのか!? ほ、本当に知らない! 聞いてない! 誰も一言もそんなこと言わなかった!」
「良かったな。今私が言った。と言ってもホゾキは確か途中で弟子をやめたそうだが、この様子ならば関係は悪くないらしいな」
混乱し目を回すテオに対し、ジルは肩を竦めた。テオの手に収まるカップが今にも決壊しそうだったので回収し、自分のカップと同じく机に乗せる。
「それにしても随分と“可愛がられて”いるようだね、テオドール。この件に関してはもうさっさとホゾキと相談しなさい。私に言えるのはそれまでだ」
「……そう、します」
カップを奪われて空になった手をわきわきと泳がせたテオは、力なく答えて項垂れた。
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