第53話 昔日を語る3

 

【53】昔日を語る3




 背筋が凍る感覚に身を竦めるテオを見て、聖職者の目が満足気に細められる。


「皆、見ての通りのてんやわんやだ。仲間や他の負傷者の相手に精一杯で、既に癒術師に絡まれている怪我人なんて見向きもしない。だから、ほら。僕が治さなくちゃね、君はこのまま出血多量で野垂れ死にだ」


 折れ曲がった足と疲れきった体、転がった長物の相棒はあまりに重く、立ち上がり歩き出したとしても目の前の男から逃げ切る速度など到底出せない。

 そしてテオが抱える聖職者に対する負い目に似た劣等感と、聖教嫌いのレッテルが齎した恐怖心が、見ず知らずの誰かに助けを求めるという選択肢を奪っていた。


「治してあげるよ、勿論。ああ、僕は癒術師だもの。死んでさえいなければ、その程度の傷治すのなんてわけないさ」


 聖職者の新調したばかりのローブから覗く白い手が、テオの両手を包み込んだ。

 乾燥し固くなったテオの手と比べて、柔らかく滑らかに思えるその手の感触が、まるで蝋の指のようだとテオに思わせる。


「祈ってよ。きちんと祈れたら治してあげるよ。死にたくなかったら祈るんだ。祈って、今ここで祈って。痛いだろほら、祈れって。意地はらないでさ。ほんの少しだけ祈ってみようよ。ほら、ほら、祈って、祈って、祈った姿を僕に見せてよ」


 非力なはずの聖職者の手が、恐怖に固まったテオの指を開こうとする。

 負傷していようとも、目の前の男とテオを比べてしまえば、力の差は歴然だったはずだ。だと言うのに、疲労し、怯えた手が反抗を諦めたように力が入らない。


「い、いやだ……」


 テオの体はすっかりと怯み、非力な聖職者の腕を振り解けない。必死になって喉から出たのは、酷く弱い拒絶の言葉だった。


「どうして? そのままじゃあ、今に死んでしまうってのに? 祈っちまえばすぐにでも苦しくなくなるって言うのに?」

「ほ、放っておいてくれ……、それで、それでいいだろ」


 必死に声を絞り出したテオの返答に、その聖職者は床に垂れたテオの上着の裾を踏みつける事で応えた。


「嫌だね。これは千載一遇のチャンスなんだ。あんたの事、面白くなかった。今まで散々治してやったってのに。だってのにさ、こっちのことは簡単に否定しやがって。縋ってみろよ。あんただって死にたくはないんだろ」

「否定、なんて」

「したさ。しただろ。祈らなかった。傷を治してやったのに、たったの一回も祈らなかった! いいか。癒術師に傷を治してもらったらさあ、祈るんだよ。治してくださってありがとうございました神様って祈るんだ! 常識じゃないか、なあ!」


 テオの寄りかかる壁に手を着いた聖職者が言う。頭上から降り注がれる言葉は、まるで質量を持った杭のようにテオの体を磔にした。

 出血で朦朧とする意識が、どうにもできない現状に打ち負けて潰れそうになる。


 しかし、そうして話す二人の間に一人の男が割り込んだ。


「それは面白い話だな。是非私にもご教授願いたい」


 砂埃と血で薄汚れた白衣に身を包み、大きな傷が片目を潰しているその人物がジルだった。

 鋭い眼光の下で、不釣り合いに釣り上がった口元が歪んでいる。


 突然に現れたジルに対し、聖職者は戸惑ったように口を開いた。


「あ、あんた、なんだよ」

「君と同じ癒術師だとも。ああ、ただし私は聖職者ではない。癒術師としてだけ活動している者だ」

「癒術師だって!? そんな目で、ふざけたことを抜かすな!」

「目? ああ、この目がどうかしたかね。こんななりでも癒術を使うのに支障はない。そんなことも分からない人間には見えないが?」


 ジルはそう言いながら、がつがつと足音を立てて二人に近付く。それとは対照的に、聖職者は怯んだように後退した。


「それよりも、随分と面白い話をしていたようだね。癒術師の治癒とは祈りと交換だと、そういう話だった。面白い、不思議だ。私の不勉強のせいか、そんな常識は寡聞にして聞いたことがない。それではまるで恐喝ではないか。君達の信仰する神とは、私の知るものと大分違うようだ。随分と俗的な欲を抱いているように思える」

「なにを言う!」

「何を? 何がだね。何をそんなに怒っているのか。君が言っていた。神の恩恵には祈りが代金になると、そういう話だったように思う。君はどうだ、そう聞こえはしなかったかい」


 ジルの言葉に激昂した聖職者を置いて、ジルはテオへと問いかけた。引き攣るように上がった口元と、その上の鋭い目元が威圧感を与える。


 しかしテオはその問いかけに即答ができなかった。

 施しに対し、見返りはあって当然のものだと皆が口を揃えて言う。

 そして癒術が神の恩恵であるならば、その見返りが行く先は神であり、受け手の神が求めるものが祈りと言うならば、それが正しく見返りとなる。


 それがテオが思う一般的な価値観であり、それに応えられない自分の意地が正しくないと、そう認識していた。

 人に後ろ指を指されることが増えたのは、きっとそういう事なのだと、そう理解していた。


「あ、お、俺は……」


 だからテオはジルの問に是とも否とも答えられなかった。ただ吐き出すことを許されなかった感情が、怪我の痛みに後押しされて微かに漏れる。


「助かりたければ、“俺も”と答えなさい」

「あ、う……」


 床に座り込んだテオを腰をかがめて覗き込んだジルの言葉に、テオは従うことが出来ない。

 自分の考えに妥協を埋め込めたのなら、そもそもこうして自分のパーティの聖職者と諍いを起こすこともなかった。

 それに加え、この時期がポーロウニアに置いて最もテオの自尊心が傷付いていた頃ということもある。何かを否定した場合の追求に耐える事に疲れていた。


「ふむ。同意は得られないようだ」


 そんなテオの様子を見たジルは、眉を顰めて一つ溜息を吐いた。そこへ聖職者が鉛色の目を細めてジルに噛み付く言葉を吐く。


「あんたには、関係ないだろ。どっか行けよ。僕だって癒術師だ。辺り見てみろよ。一人の怪我人に二人も癒術師が構ってる場合じゃないだろ」

「怪我人を前にして癒術師が無関係でいることは出来ないとも。彼を私の患者にする。彼を治す気がないのであれば、君こそが部外者だ。存分に祈ってくれる患者でも探したらどうか。その方が君のお気に召すだろう」


 ジルの言葉に、聖職者は肩をいからせて怒鳴り返す。ジルと聖職者の間に挟まれたテオは、痛みに朦朧とする意識を必死に繋ぎ、そのやり取りを見上げていた。


「部外者なものか! 僕はこいつと同じパーティの癒術師だ! こいつを治す権利は僕にある!」

「そんなもの治してから言え」

「治すさ! ちょっと話してただけだろ!」

「……はあ。随分と面倒な輩と組んでいるんだな、君は。他の仲間はどこだね。いつもこの調子という訳では無いのだろう?」


 そうジルに問い掛けられたテオは、ぼんやりと顔を上げ答える。脳裏に浮かぶ仲間達の笑顔を、もう見る事も出来ないのだと思うと、既に眩んでいた視界が余計に霞むようだった。


「…………他の仲間はもういない。……パーティは、瓦解した……」

「……ふむ。そうか。ならばこうしよう」


 テオの言葉に二つ頷いたジルはテオの傍に膝を着き、その肩を掴んで言った。ジルの細められた黒い瞳がテオを射抜く。


「助けてくださいと言え」

「は、……」

「言いなさい。助けてくださいと。祈るか、求めるか。そのどちらか、より屈辱でない方を選びなさい。私はそれに応えよう。それも嫌ならばまた考えるので、嫌なら嫌と答えなさい」


 テオの灰色の目を覗き込んだジルが言う。そんな二人の様子を、佇んだ聖職者は黙って見ていた。


 その傍観は一種の断定から来るものであったのかもしれない。少なくともこの聖職者は、祈りのひとつすら捧げられないテオが見知らぬ男に助けを乞う姿など想像もできなかった。だからこそ、テオがジルを拒んだその隙に割り込もうと、鉛色の目で二人のことを睨んでいた。


「……助けて、ください」


 しかしその予想も、すぐに崩れる。聖職者の男の予想と反し、テオはあっさりとその頭を下げたのだ。

 自らの肩に伸ばされた手を、壁に寄りかかったまま握り返したテオに、ジルは満足気に頷いた。


「勿論だ。これで晴れて君は私の患者だ。さ、怪我を見せてご覧」


 そう言ってテオの前に膝を着いたジルは、ひしゃげたテオの足の触診を始めた。骨ばった指が皮膚を押す度に走る痛みにテオは顔を顰める。


 しかしせめて言わなければならないことがあったと思い出し、テオは血で滲む視界を精一杯に持ち上げた。


「……祈れないのは、悪かった。俺達は合わないから、二人だけではやっては行けないよ。パーティはもう解散にしよう」

「そんなもの! 言われなくてもわかってる!」


 そう吐き捨て、その聖職者は立ち去って行った。その背中を見詰めるテオだったが、しかしその視線はすぐにその頭を鷲掴みにされる事で逸らされる。


「な、なんですか」

「あまり喋るな。肺を痛めている。それとだが、今から止血をする。多少痛むが耐えるように」


 そう言ったジルの指先から青い光が弾けた。

 傷をなぞる様に皮膚を這うその光の下で、ぱくりと開いた肉が閉じていく。それと同時に今までの傷の痛みとはまた違う、まるで熱湯をかけられたかのような熱に、テオは身を捩った。


「……ッ、う、ぎ……ふ、……」

「良く堪えた。応急処置はこれで終わりだ。本格的な治療は私の診療所で行いたい。いいかね」


 突如襲った痛みに息も絶え絶えとなったテオにジルが問掛ける。

 額から流れていた不快な出血が止まり、瞼に張り付いた残滓を指で拭ったテオは、自らを見下ろす片目の男を見上げた。


「……はい、お願いします。先生」

「私は教師ではないが」

「師匠が、傷を治すのはお医者様だから、先生と呼ぶんだって言ってました」

「……そうか。好きにしたまえ」


 そう言って溜息を吐いたジルがテオに肩を貸して立ち上がらせる。

 辺りはまだ、怒号と生臭さに満ちていた。




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