第52話 昔日を語る2
【52】昔日を語る2
失敗した。
半ばで折れ曲がり、じくじくと痛む左足を引き摺りながらテオは悪態を吐いた。重量のありすぎる長柄の獲物を杖代わりに、がつがつと音を立てて崩れた通路の端を歩く。
城壁の上まではどうにか逃げきれた。ぐらぐらと眩む視界で現状を理解する。安全地帯を求めて数多くの冒険者や兵士が逃げ込んだ城壁の上は阿鼻叫喚の様相を見せていた。
「癒術師を呼べ! 早く!」
「腕え! 俺の、俺の腕!」
「だ、だれか、赤い、赤いローブを着たやつを見ていないか! 下で、下ではぐれて……」
「どけ! 怪我人を運んでるのが見えないのか!」
這う這うの体で通路脇の半壊した壁に凭れて座り込んだテオの傍を、顔も覚えていない男達が慌ただしく走り回る。通路を挟んだ向かい側では、必死に女の癒術師が腕のちぎれた重戦士の治療をしていた。
「……げほ、……は、ひゅ……」
その様子を見るともなしに見つめながら、テオは潰れかけた肺で必死に酸素を取り込んだ。投げ出すように転がした相棒が、テオの隣で巻き上げられる砂を被る。
師匠より賜ったその武器は、種に突き立てることを目的とし、その全てが師匠が友と共に編み出した特殊な合金で出来ていた。それ故にその武器は、扱うようになって短くないテオですら手に余るほどの重量を誇る。
身体強化の術式を施さねば持ち上げることすら難しく、それを持って戦場を駆け回らなければならない関係上、テオは自らの装備を最大限軽量化する必要があった。
その軽量化の策の一つが鎧だった。
金属製の鎧は重すぎて、その武器と併せ持つにはあまりに苦しい。その為、テオは鎧を着込む方法での防を捨てた。その代わりに着込むのは、比較的頑強な素材でできた斥候向きの軽装だ。
故にテオは戦闘において、前衛に立つ戦士であるにもかかわらず非常に脆い守りをしていると言えた。
それでも、これまでやって来れていた。
決して構えた刃先より内側に敵を踏み込ませず、万が一接近戦を行わなければならないならば、すぐさま懐のナイフに持ち変える。鍛えに鍛えた身体強化の術式は、並の魔物ならば小振りのナイフでも首をひきちぎれる。
その柔軟な動きと強引な攻撃力こそが、テオの強みであり、戦場で持ち得る全てであった。
「……しくじった」
血の止まらない後頭部を壁に預けたテオが呟く。石造りの壁を伝い、赤い筋が静かに床へと伸びていく。
惨状は一体の魔物により引き起こされた。
オルトロスだ、と叫ぶ者がいた。その名前をテオは知らなかったが、知る者の中には恐れ戦き腰を抜かす者もいた。
四足歩行の狼に似たそれは、首から生える二つの頭で、立ち向かう兵士や冒険者達を次々に喰らっていった。頑強な鎧はまるで卵の殻のように簡単に砕け、臓腑と血煙が撒き散らされる。
縦に四メートルを超える巨体がどんな馬よりも遥かに早く駆け回った。爪の生えた太い足が、無防備に転がった人間達を踏み潰し挽き倒した。
その当時のテオは、この街に来てから三つ目に当たるパーティを四人の仲間達と組んでいた。
迫り来る巨体を目の当たりにし怯む仲間の体を担いだテオは、すぐさま後方への撤退を選んだ。
まだ駆け出しであったこのパーティでは、あの巨体は手に余る所の騒ぎではない。また、それはテオ一人取っても同じだった。
経験を積んだ冒険者達が、隊列を組んだ兵士を連れてオルトロスへと突撃する。
しかしそれらの軍勢は、まるで風に晒した小麦の山のように、あっさりと吹き飛ばされるだけに終わった。
その光景に腰を抜かした仲間を後方へと置いて、テオはそれでも前線へと舞い戻った。
この時既に二つのパーティを止むを得ず抜けていたテオの心には焦りが巣食っていた。師匠の元を出てからというもの、上手くいかない事が多すぎる。
言い付けられた成果のひとつもあげられないのならば、せめて武功を果たしたかった。
それが師匠に求められたものでなくとも、自分が何も出来ない人間でいることが悔しかった。
果たして。それは上手くいったと言えるだろう。
オルトロスの巨大な体躯も頑強な骨格も、聖骸ミダス謹製の武器の強度には敵わなかった。
構えた自らの体を壊す勢いの身体強化を施したテオは、襲い来るオルトロスの体を下から切りあげ、その前足を一本切り飛ばした。
どれだけその足が早くとも、四足の内の一本を失えば万全のようには駆け回れない。
足と相打ちに吹き飛ばされたテオに代わり、前足の一本を失い失速したオルトロスへと多くの冒険者や兵士達が襲いかかる。
足を止めたオルトロスは酷く弱体化したが、それでも無力と呼ぶには程遠く、その獣の最期の抵抗は激しいものだった。
熟練の冒険者の大剣が、オルトロスの最後のひとつの頭を割砕いた時には、その周りにはさらなる惨状が広がっていた。
それでも、吹き飛ばされ地面に転がっていたテオを助け起こした見知らぬ兵士は、テオの功績を褒め称えた。
あの時テオが自滅を覚悟して足を切り飛ばしてくれたから更なる被害が出ずに済んだ。オルトロスが動き回れなくなったお陰でその巨体が城壁を乗り越え街が被害を受ける事を防げた。
兵士の言葉を満身創痍の体で聞くテオの目には、オルトロスの残る二つの首と、それを囲む数多の死体だけが映っていた。
「……あと、少しだった……ッ! あと少し、腕が上がれば、首を飛ばせたのに!」
掠れた声で、テオは歯を剥き悔しがる。痛めた肺が声量を抑え、その慟哭を周囲の喧騒から隠していた。
崩れかけた壁に身を預け蹲るテオの脳裏にこびり付いた赤と土の光景が、指差すようにテオの心を波打たせる。
「テオ! 見つけた! 大丈夫か!」
「……あんた」
「良かった、まだ生きてる」
俯くテオへと掛けられる、男にしては甲高い声に顔を上げる。そこには、真新しいローブに身を包んだ鉛色の髪の男がいた。
年若く、しかし成長期を終えた年頃のその男は、通路の脇に座り込むテオの前に屈んだ。
「……あんた、一人か? あいつら、……どうしたんだ」
目の前に屈み込んだ男にテオは問掛ける。テオが所属するパーティの聖職者を務めるそのローブの男は、テオの記憶が確かであれば後方に避難させた他の仲間たちと共に居たはずだ。
目の前の聖職者が普段自分を見る目は、どこか疎ましさを含んでいることに気がついていたテオは、どうにもこの男のことが苦手だった。
口にも態度にも出されない嫌悪を、その目を通してテオだけが感じ取る。薄ら寒い恐怖心が他の仲間たちに気が付かれないうちにテオの心だけを削り取る。
仕方の無いことだと思っていた。自分が大事に思うものを、尊重して貰えないことは悲しい。
この場合、目の前の聖職者が重んじていた聖教を蔑ろにしたのは自分だ。治療の度に祈りを返せない事は、きっと、そういう事なのだろう。
だからテオは、他の仲間達がテオに申し訳ないように頭を下げて聖職者を迎えるといったその時に、強く拒めなかったのだ。
効率を考えても、心情を慮っても、正しいのは自分の主張ではない。
しかし、テオの言葉に小さく首を傾げた聖職者は、まるで空の青さの疑問に答えるように当然と口を開いた。
「どうって、死んだけど?」
「……は、なん、で?」
聖職者の言葉に、テオは呆然と目を見開く。
だって、だって。
彼らは前線より遥かに安全な場所まで下がったはずだ。
鎧を着込んでいる為に自力で走っても速度の出ない重戦士の体を引き摺り、身体能力に優れない魔術師の体を、目の前の聖職者諸共担ぎ上げて走ったテオは良く知っている。
大の人間三人と大振りな長柄の武器を担ぎ、身体強化に物を言わせて汗だくで走るテオの前を行く斥候の姿も確認している。
テオがオルトロスの元へ戻る時も断りを入れた。リーダーである重戦士は首を縦に振っていたはずだ。
彼らが追いかけてくることはまずないし、まして、死んでいるなどと、思いも、しなかったのに。
「オルトロスが吹き飛ばした瓦礫に巻き込まれてた。ぺちゃんこだったから即死だったよ」
「……全、員が?」
「全員が。だってそうでしょ。あのパーティ、あんたが抜けたら鈍臭いやつだらけだ」
「……え?」
失血の為か、唐突に伝えられた仲間の死の為か、もしくは目の前の聖職者の得体の知れない白々しさが原因か。
テオの体から吹き出る冷や汗が体温を奪い、冷えた指先がかたかたと震える。
「分からなかった? あんたが牽引するから、あいつらあんな所に出られる実力があるつもりになってた。それがあんたが居なくなったら、そりゃ、ね? 死ぬでしょ。即死なんかされちゃ治せもしない。いい迷惑だよ。これで僕は仲間が死んだパーティの癒術師だなんて言われなきゃならない」
そう言ってすくりと立ち上がった男はテオの肩に手を伸ばした。脱力し動く気配のないテオの腕を、非力な聖職者の白い手が確かめるように持ち上げる。
「アンデットにならないよう処置はしておいたよ。死体報告はあんたが死んでたら二度手間で面倒だったからさ。あんたの生死確認した後にしようと思ってまだしてなかったけど、生きてたんならしておいても良かったね」
二の腕から伝って、肘を経過し、くたりと下がるテオの手首を掴んだ聖職者は、ゆっくりとテオの前に膝を着いた。
「ねえ、テオ。その傷、治して欲しい?」
淡々とした聖職者のその言葉に、テオは俯いていた顔を上げる。
テオの灰色の目に映ったのは、静かに聞こえた声音と反して口角の上がった聖職者の表情だった。
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