第12話
【12】
夕暮れが夜に変わる時間。
道端の露天商が店を閉め、酒場に明かりが灯り始める。肉や魚を焼く匂いが通りに漂い、客引きに屋台が通行人を呼び止めていた。
街の色ががらりと変化するその時間に、鉱山の調査を終えて報告を済ませたスヴェンとテオは、通りで手招く店の客引きを避けながら宿への帰路を歩いていた。
「どうよ。この後」
スヴェンが軽く筒のように作った指を口許に向けて傾ける。酒の誘いのようだ。
テオとスヴェンは割合高い頻度で酒の席を共にする。それは偶然店で居合わせた時であったりもするが、こうしてどちらかからお誘いを持ちかけて始まる事もあった。大抵はギルド内の酒場だったが、三度に一度くらいの頻度で外まで足を運んだりもする。
「やめとく。暫く酒は、本当、やめとく。駄目だ。自分が信用出来ない。恐怖」
「重症だ」
けれどもこの日のテオは、悲惨な声を上げ両手で顔を覆いながらスヴェンの誘いを断った。その返答に肩を竦めたスヴェンだが、先週のルーカスとの件があったので仕方が無いかと諦める。
パーティメンバーが絡まれた人間の態度としては軽薄さを含んだ態度であったが、スヴェンのこういった大雑把な性格はテオの好むところであった。
具体的に言うなら、酔って延々と同じ話を愚痴っても流してくれるところが良かった。
テオと同じく宿住まいのスヴェンは、宿屋街に入るまでテオと帰り道が同じだ。別れる角が来るまでは、二人並んでだらだらと道を歩く。
仕事の最中と違って、オフのスヴェンは言葉も態度も軽くなる。テオ自身も似た部分があったので、肩の力を抜いた後の開放感はよく理解できた。
暖色の街灯がむき出しになった土の道を照らす。薄暗さとその色味が、鉱山の中で泥と埃に汚れた二人の姿を誤魔化してくれた。
「ああ、そう言えば。あれ見つかったのか? なんだったか、“テオドールさん”の追っかけしてる女の子?」
「いや。今日も入れ違いになったみたいだよ」
上着に着いた土を払いながらテオが答える。
ギルドに報告に行った際にメリルから聞いた話によると、また明日来ます、だそうだ。
「へえ、熱心な子だねぇ」
「心当たりがないんだけどね」
頭の後ろで手を組んだスヴェンが茶化す。しかし顔も知らない相手のことだ。テオとしても、今回ばかりはその茶化しにも困ってしまう。
メリルが今日少女が来た際に、夕方の時間に出先からギルドに帰ってくる事は教えたと聞いた。すれ違いにならなければ明日にでも会えますよ、とメリルは言っていたが、本当にそうだろうかとテオは疑問に思う。
と言うのも、ギルドは基本的に冒険者のための組合だ。あそこに出入りするのは、汚い、臭い、粗暴、で有名な冒険者たちが主である。
そこにメリルよりも小さいらしい女の子が、よりによって酒場が営業を始める夕方以降に出入りする事を、少女の保護者が認めたがるとも思えない。
連日単独で来ていることを考えれば、もしかしたら保護者に黙ってこっそりと来ているのかもしれないが、夕方に出歩けば夕飯時とも被る事だし流石にバレるだろう。
本当は少女が来るだろう時間に待っていてあげられれば良かったのだろうけど、と考えてテオは苦笑いを零した。本当に知り合いかどうか分からない子のために流石に仕事は投げ出せないよなあ、と頭を振る。
普段はソロで活動しているために何かと時間に融通が効くテオだが、今回は相手がある。話せばその時間に抜け出すことは出来るかもしれないが、テオ自身が身も知らぬ少女のためにそこまでの交渉をする事を億劫がってしまった。
少女には悪いが、明日の夕方かそれ以降のいつかか。もしくは朝に待ち合わせるか。どれにしてもタイミングが合うまでは待たせてしまうかな、とテオは顔も知らない少女に心の中で頭を下げた。
そうこう考え事をしながらもスヴェンとテオが雑談を続け、やがて通りを曲がり広場を抜ける。ここまで来ると宿泊街に入るので飲めや歌えやの繁華街と違い、道行く人も減り、静けさが辺りを包むようになるのだが今日は違ったようだった。
道端だ。
道端としか言いようがなかった。軒下とも言えない道の端に、小さな人集りができている。店先じゃないので客寄せの出し物でもない。
「歌?」
「大道芸か何かか?」
「こんなところで?」
「知らねえけどよ」
聞こえてきたのは、水を零したような声だった。山から流れる大河と言うよりは、打ち寄せて去っていく漣のような歌声。
女性特有のソプラノが、建物や地面、人々の間を撫でるように滑り、やがて二人の耳に届く。
スヴェンとテオは二人並んで精一杯の背伸びをし、人混みの向こうを覗こうと試みた。履きなれたブーツの踵を浮かせて初めて、テオの目がその中心を捉える。
元々そこに置かれていたのか、態々運んできたのか。人だかりの中心に立つその女性は、粗末な木箱をステージにして立っていた。
彼女の小柄な体は、恐らくギルドの受付係であるメリルよりも小さいだろう。身長だけなら子どもに見えるが、その歌声に混じる感情には幼さというものが感じとれない。
女性であることは歌声から辛うじて理解出来たが、頭から膝元まですっぽりと被った薄汚れた青色の布のせいで姿までは分からなかった。布の下から、黒いエプロンドレスの裾が時折のぞく程度だ。
そうして被った布に口元が遮られているにも関わらず、奏でられる歌声は寸分も曇ること無く辺りに漂う。
「凄いな。金取れるぞこれは」
「もう取ってる、と言うか、捧げられてるのかな。ほら」
歌う女性が台にしている木箱には、何枚かの硬貨が乗せられていた。
芸を出し物として金を取る場合は、缶なりひっくり返した帽子なり、大抵投げ銭用の容器が置かれているのだが、そういった物は彼女の周りには見当たらない。
どうやらこれは、歌っている本人からすれば金銭目当てのショーでは無いようだった。
一曲歌い終わったのか、女性は一息だけを大きく吸って、吐いた。やがて直ぐに次の曲を歌い始める。
耳馴染みのある音と、清らかであろう詞。その歌が何かを理解したテオは、夢中になって伸ばしていた足を戻した。踵が地に着く感覚が厚い靴底越しに鈍く伝わる。その小さな振動に負けるように、体の力が抜けていった。
「見てくか? テオ」
「いや、いい」
スヴェンのその誘いを、再度テオは断った。
彼女が次に選んだ歌は、テオもよく聞き覚えがある。恐らくこの国で育った人間の殆どは、意識せずともそれを口ずさむことが出来るだろう。
何せ、この国では子どもが文字を覚えるとすぐにその歌を教えられる。それ程まで当たり前に、人々はその信仰に慣れ親しんで生きてきた。
「ああ。聖歌か」
「そうだね」
足早に立ち去るテオの横にスヴェンが並ぶ。テオにとって聖教を称えるこの歌を聞くことは、少しばかり耐え難いことだった。
テオに付き合って歌に集まる人集りから離れることもないのに、自然と歩みを同じくするスヴェン。その横顔を、テオはちらりと盗み見た。
気配に聡いスヴェンは直ぐにそれに気が付くも、一度肩を竦めた程度で何も言わない。
黙りたければ黙り、話したければ話し、そばにいたり、いなかったりする。スヴェンにはスヴェンの居場所があるし、そこにテオを招く事もしなければ、引き止める事もしない。気分のままに着いて来たければ共に来て、別れたければ離れていく。
だから今も、スヴェンが二度と会えないかもしれない美しい歌を聞くことより、飲みを断ったテオと道を歩くことを優先したことに、付き合わせてしまったと気負うものを感じずに済んでいる。スヴェンが歌を聞きたがったのなら残るだろうと言う信頼があったからだ。
常に相手の事を考えて望まれるよう振る舞うことは難しくて疲れてしまう。他者が当然に受け入れているものを、同じように飲み込めなかったテオにとって、スヴェンの付かず離れずの距離は貴重であった。
そして同時に、テオはスヴェンに限らずそういう距離でいてくれる相手に対して、寄りかかっている自覚がある。
嫌いなものを嫌いなままでいても、特に何も言わないでいてくれる。何も言わない事を選ぶから慰めもない。故にその相手の前では平気な振りや治った振りをする必要もなく、常に心の奥にある蟠りを隠さずにいてもいい。
だからなのだろう。ずっと、息がしやすい。
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