第10話

 

【10】




 周囲の安全を確認したテオは天井を見上げた。

 そこには丁度キラーアントが一匹通れるくらいの穴が空いている。三匹目の巨大蟻はあそこから来たのだろう。

 上まで常に気を払っているとは言えなかったし、地図にも乗っていなかったから油断した。

 前回までの探索で見落としたのか。もしくは巨大蟻が新しく道を掘ったのか。


「上がれるか、テオ」

「跳ね上げてもらえれば」


 支度が済んだカーラが天井を見上げるテオに声をかけた。

 上がれるかと言うのは、今テオが観察していた穴への事だ。どこに繋がっているのか確認したいのだろう。

 あそこから巨大蟻が出てきたのなら行き止まりの可能性も少ない。


「ジャレッド。テオをあそこに上げられるか」

「ふむ。問題ない」


 カーラに呼ばれたジャレッドが答えた。会話を聞き付けて、ルーカスが近寄ってくる。


「この灯りは僕から離れると消えてしまうので、ランプを持って行ってください」

「分かった。ああ、自分のがある」


 ルーカスが自分の予備の小型ランプを渡そうとするので、それを断ってテオは持参した小型ランプを取り出した。


 反射板の着いた透明な瓶状のそれは、中に水とランプ石が入っている。強く振れば水中のランプ石に衝撃が加わり、明かりが灯る仕様だ。

 洞穴や夜間に活動する冒険者の必需品の一つだった。手に握り込めるサイズなので、緊急時に灯りを隠しやすいのも特徴だ。


「行き止まりか、別の道に通じたら戻って来い。敵と会ってもだ。道に出たら目印にランプ石をひとつ置いてきてくれ」

「分かった」

「アタシらはこの先を行ける所まで行ってみる。アンタは戻ったら外に出ていてくれ。そっちで落ち合おう」

「ああ。気を付けて」

「アンタもね」


 カーラが手甲を嵌めた右手でテオの肩を立たたく。衝撃でずり落ちた鞄を背負い直し、テオは小型ランプを点灯させた。

 持ち手の着いたそれを口にくわえ、ジャレッドの手を借りて跳躍したテオは難なく穴に侵入する。


 縦向きに空いていたので登攀に苦労するかと思っていたが、手足をかけながら中を覗くと、直ぐに水平な場所を発見できた。


「大丈夫だ。それじゃあ外で」

「おう。落ちるなよ」


 登るテオの様子を見詰めていた四人に声をかけると、スヴェンが茶化すように言った。小さい石でも投げ飛ばしてやろうかと思うテオだったが、彼らはまたスヴェンを先頭にしてさっさと先に進んでいってしまう。

 本来の四人パーティに戻った彼らの後ろ姿を見送って、テオは穴蔵の中に戻った。


「暗いな」


 手にした小さな灯りは、ルーカスの魔導光のようにはいかない。

 容器に着いた反射板がランプ石の灯りを増強するが、それでも嫌に細長い洞穴の突き当たりは見えなかった。


 人間のような直立時に縦長になる生き物からすれば伏せたような姿勢の巨大蟻は、全長と比べて体高が低い。

 そんな生物が作ったと思われるその道も、足元から頭上までの高さが低く、腰をかがめなければ進めなかった。


 岩盤にぶつけないよう頭を低く保ち、背中の鞄を腹の方に回したテオは、心細い灯りを頼りに穴の中を進む。


「……何も無い」


 ここまで歩いてきたテオは小さな疑問を感じていた。

 事前に聞いていた話では拡散した群れの個体は母体に餌を運んでいるという。それならば、何かしら餌の残骸が残っているのではないかと考えていた。


 食べ残ししかり、引きずった跡しかり。それを追うことが出来れば、巣まで至る道も絞れるのではないかと。テオは鉱山に来るまでの道すがら、そう考えていた。


 けれど実際は違った。

 転がっているのは壁と同質の大小様々な岩石だけだ。一体この坑道内の何を食べているのかも想像がつかない。

 蟻型の魔物の殺し方は知っていても生態など気にしたことがないテオにとって、それは差程大きくない疑問であった。


 まあ、それでもこんなところで生きているのだから、何かしら食うものがあるのだろう。

 他の魔物や生き物が見向きしなくとも、蟻だからこそ食える何かがあるのかもしれない。程度に考えていたからだ。


 それに、先程のパーティには冒険者として自分より長く活動しているカーラ、スヴェン、ジャレッドがいる。

 ルーカスだけはテオよりも経験が浅いが、それでもテオと比べてずっと教養があるし、何よりも勤勉だ。その性格を考えれば知らない事があれば調べるだろうし、立ち向かう敵に対して無知でいるとは思えない。

 その四人が気にしていないのだから、きっとそういう物なのだ。


 基本的に一人で活動するテオは、他者と認識を共有する重要性を理解はしていても、それを実行する機会に乏しく苦手意識があった。


 また、聖教嫌いしかり、ソロ活動しかり。なにかとマイノリティに身を置きすぎた弊害か、師の元を離れてからというもの、卑屈が染み付いてしまっている。

 そのためか、須く大抵の人間は自分より優れていると思い込んでいる節があった。人間の善性は信じないが、判断や知識、経験は信じている。

 ここまでその疑問を放置したことも、それが顕著に現れている例と言えた。


「……一応、後で聞こうかな」


 テオにとって魔物は殺すものであり理解を示すものではなかったが、最低限足を引っ張らないようにしなければならない。

 いざと言う時変に混乱して足が止まると真っ先に死ぬ。よく知っていた。


 狭い空洞を、決して両膝を付かないように進む。

 素早く動くことが難しいこの空間では、魔物と鉢合わせすること自体が、通常の通路よりも大きな危険となる。

 四人が進んだ道とは違い、こちらは一人でなければ調査できない場所でもあった。


 使う機会があるのかは疑わしいが、ここが巣への直通ルートである可能性も否めない。


「……きつい、腰が」


 戦場で駆け回るのとは別の意味で酷使した関節が痛む。

 時折、休憩を挟み、股関節や膝、肩が固まらないように解しながら、予想していたより長かった道を進んだ。


 湿気と汗で髪が張り付く。鼻を擦った際に付着したカビと鉄錆に似た泥の匂いが離れず、呼気に混ざって肺に落ちた。


「出口だ」


 やっとたどり着いた出口は入った際とは異なり、高い位置とはいえ、横向きに通路につながっていた。

 飛び降りることは容易だったが、一寸先も見えない暗闇の中、頭ごと丸呑みにされかねない敵を警戒しながら進んで来たテオは、この時既に疲れ切っていた。


 入ってからここまで巨大蟻に出会わなかったことを考えると、下の道よりはここで休んでしまった方が安全かもしれない。


「はあ、休もう」


 円形の出入口に凭れるようにして座り込む。左手側に通ってきた洞穴、右手側に通路を確認できる位置取りだ。

 張り付いた髪を梳かすように、がしがしと頭を掻きながらテオは一つ息を吐いた。


「ああ。そうだ。目印」


 思い出したようにテオが呟く。

 新しい小型ランプを取り出して点灯し、ここまでの道のりで世話になった方の小型ランプの蓋を開ける。中身の水ごとランプ石を下の通路にぶちまけた。

 からからと人差し指ほどの大きさの光る鉱石が転がり、地面の凹凸にぶつかって止まった。


 しかし、一体何処に出たのか。道の曲がり方から大体の方向は把握しているつもりだが、正確な位置が全く分からない。

 帰りは来た道を戻るので迷うことは無いが、転がしたランプ石が消えるまで凡そ二日。それまでにこの場所を通ることが無ければ、この目印も意味を成さない。


 結局巣には繋がっていなかった事だし、侵入も容易ではない上、ここまで通ってくるのもその狭さゆえに苦労した。

 今後のことを考えても使いにくく、そう重要なルートにはならないだろう。けれども、ここまで来た労力を考えると全くの無駄足になるのも悔しいものがある。

 テオはぼんやりと光るランプ石を眺めながら、そんなことを考えて小さく溜息を吐いた。



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