三湖亭の人々
高麗楼*鶏林書笈
第1話
都・漢陽の中央を流れる漢江近くに小ぶりの屋敷がある。手入れの行き届いたこの家に暮らすのは士大夫・金德熙の側室である錦園である。
眺めの良いこの家を錦園は気に入っていた。この佳景を一人で楽しむのを惜しく思った彼女は、友人たちとも分かち合おうと定期的に“詩会”を開いている。名目は詩会だが、実際は集まってお茶を飲みながらお喋りをしたり、花や月を愛でるささやかな宴会をするのが目的である。もちろん詩も詠んでいるが。
さて、季節も変わり庭は様々な花々によって彩られている。
錦園は友人たちを招き詩会を開くことにした。今回は陽気も良いので庭に花茣蓙を敷いてそこで行おう。
錦園は使用人たちにその準備をさせた。そして今日は夫の親戚の茶人から頂いたお茶を出すことにした。
まもなく客人たちが続々とやってきた。
「いつも招いてくれてありがとう」
「どういたしまして」
それぞれ挨拶を交わす。
「全員集まったみたいね」
各自茣蓙に座ったのを確認した錦園はお茶の準備を始めた。お茶の贈り主の手紙に書いてあった通りの手順を踏んで丁寧にいれる。
「さあ、どうぞ」
女主人が自ら配ったお茶を一同が口にする。
「いい味ね」
年長の雲楚がまず口を開く。
「本当、美味しい」
他の人々も称賛する。
お茶に対する感想が一段落すると竹西が口を開く。錦園の親友である。
「この間の“金剛山記”面白かったわ」
先日、錦園が書き終えた旅行記だった。十四歳の頃、男装をして各地を旅した時の見聞をまとめたものだった。
「どんな内容だったの、私も読みたいわ」
雲楚が言うと「私も」「私も」と瓊山、瓊春姉妹も続く。
「分かったわ。順番にお貸ししましょう」
錦園は嬉しそうに応じた。
「金剛山、私も行ってみたいわ、“願生高麗国 一見金剛山”と言った唐土の詩人がいたけど誰だったかしら」
最年長の瓊山が言うと瓊春が
「東坡居士です」
と即答する。
「さすが博識ね」
錦園が褒める。瓊春は妓女時代から博識で有名だった。
「そういえば竹西も詩集を作っているのでしょう。完成したら見せてね」
錦園が言うと
「いいわよ、ただし寄稿してね」
と竹西が笑顔で応じた。
「私たちだけでなく、皆さんも自選集を作っているのでしょう?」
錦園が雲楚や瓊山・瓊春姉妹の方を向いて訊ねる。
「実は‥」
三人は微笑む。
「出来上がったら見せていただけますよね」
「もちろん」
こうして皆、それぞれの作品集を見せ合うことに決まった。
「ところで」
錦園は口調を改める。
「私たち、それぞれ個人での作品集は作っているけど合同での文集はないわね」
「そういえばそうね」
「今、世間では詩社を結成して文集を作るのが流行っているらしいけど、私たちも作ってみてはどうかしら?」
「それは名案ね」
「じゃ、まず詩社の名前を決めましょう」
「平凡だけど“三湖亭詩社”はどうかしら」
「いいんじゃない、分かりやすくて」
「では三湖亭詩社に決定。文集の名前は後で付けましょう」
「跋文は外部の方に書いていただきたいけど、誰かいい人はいないかしら」
「錦園の夫君の親族の茶人さまがいいんじゃない」
「そうね、超有名人なので文集の格も上がるし」
「では、夫を通じて頼んでみましょう」
「あとは収録する作品ね。やはり新作を集めた方がいいでしょう」
「ええ」
「取り敢えず、詩社名が決まったことだし、お腹も空いたので宴にでもしましょうか」
三湖亭の女主人が提案すると、一同賛成した。
すぐに酒肴が用意され、錦園は伽倻琴と長鼓を抱えてきた。
雲楚が伽倻琴を受け取り調弦を始めた。
「鼓手は私がしましょう」
と瓊春が長鼓と撥を受け取る。
「さあ始めましょう」
瓊春が長鼓を打つと雲楚が弦を弾く。続いて錦園が歌うと一同は唱和する。全員妓女だけあって素晴らしい合奏となった。
ここに集う女性たちは妓女という低い身分だが、側室であるが婚姻して安定した生活を手に入れられた。そして非士人層という身分ゆえに外に出て友人たちとも交流出来る。友人たちとは切磋琢磨して詩文の実力を向上させている。
自分たちはこの国の女性としては恵まれているのだろう、三湖亭詩社の人々は有り難く思うのだった。
三湖亭の人々 高麗楼*鶏林書笈 @keirin_syokyu
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