第百九十八話「雄の面構え」

「う……ん……、痛っ……」


 湊が目を覚ましたのはそれから2時間後のことであった。


 タガラックが作った特製医療マシーンの効果はてきめんだったらしく、湊の傷は縫合の必要がない程度にまで塞がっていた。

 意識が回復したことに伴い、機械によって止められていた心臓も問題なく鼓動を刻んでいる。


 しかし目覚めるのが想定よりも早すぎたせいか、身体にはまだ鈍い痛みが残っていた。



「ここは、医務室……? そうだ、私は林太郎に……」



 湊の記憶は、林太郎に剣を渡したところで途絶えていた。

 その後がどうなったのかはもちろん、いったいその剣をどうやって生み出したのかもほとんど定かではない。


 覚えているのは、林太郎が湊の剣を確かに手に取ったということだけだ。



 ぼんやりする頭を抱えながら湊がベッドサイドに目をやると、綺麗に畳まれたパジャマの上に一枚の書き置きが残されていた。


『目を覚ましたころに戻ります。追伸、センパイも無事です。まゆずみ』


 看病してくれていたらしい桐華は、所用で席を外しているようであった。


「そうか、林太郎は上手く逃げられたんだな……」


 湊は桐華の報告にほっと胸をなでおろした。

 早く林太郎に直接会って、自分も無事だったことを報告したい。


 しかしそこで湊は、自分が血と汗で汚れた服を着ていることに気がついた。

 はやる気持ちを抑えながら、湊は用意されていた新しいパジャマを手に取る。


 胸のボタンを留めながら鏡を見ると、頬や髪が少し泥で汚れているのがわかった。

 ある程度の汚れは桐華が落としてくれていたようだが、少しでも綺麗な身なりで林太郎と顔を合わせたいものだ。



 なにせ昨夜、“あんなこと”があった後なのだから。


「……いやいやいや、あれは事故だ! 林太郎も勘違いだって言ってたじゃないか!」


 誰もいない医務室で、湊は大きな独り言を口にする。

 鏡に映った自分の顔は茹でダコのように真っ赤であった。




 地下秘密基地は冷えるので、湊はパジャマの上から毛布を羽織って医務室を出た。

 いつもは怪我人が列を成している廊下も、今日は不気味なほどに静まり返っている。


 宴会好きな怪人たちのことである。

 どこかしらから騒ぎ声が聞こえてきてもおかしくないものだが。


「うーん、誰もいないな……みんな出かけているのか……?」


 そう思いながら湊は、いつも宴会に使っている大広間の手前に差し掛かる。

 するとなにやら物々しい看板が立っているのが目に入った。



 真っ白な看板には、筆文字でこう書かれていた。




『故・剣持湊 儀 告別式々場 こちら→』




「……あ、あれぇ?」


 湊はあまりのショックに、口を半開きにしながら目をぱちぱちさせる。

 しかし何度見直してみても、看板に書かれている内容は変わらない。


 その看板から大広間の入口まで、廊下の両サイドには丁寧にくじら幕が張られていた。


「いったい、なんの冗談だこれは……?」


 湊は人目を避けるように頭から毛布を被ると、わずかに開かれた大広間の扉からそっと中を覗き込む。


 会場内には喪服を着た怪人たちがずらりと並んでいた。



 中でもよく目立つのは、パッツンパッツンの紋付き袴を着込んだ百獣将軍ベアリオンである。


「グオオオオオオオ!! ヒーロー本部のやつら許さねええええええ!!!!! 今すぐカチコミかけてひとり残らずブチコロしてやらあああああああああああ!!!!!!!」

「ここはおさえてくだせえオジキ! ほら、こういう場ですから!」

「ウサニー大佐ちゃんはやく戻ってきてニャン! 私たちだけじゃオジキを止められないニャンなあ!!」


 百獣軍団員に羽交い絞めにされながら、巨大な熊が仲間の死に激憤していた。


 かと思えば会場の反対側ではモーニングコートに身を包んだ麗人が、場違いなほど優雅に紅茶を嗜んでいる。


「花の香りに悠久はなく、雲の形に永遠はなし。傾国の名画も千年の都も、そして神々でさえも、時の悪戯の為すがままにあれ。かの戯れを真に受けるは瀑布に抗うが如し。されど腕を伸ばしたる者、深黒の闇に閉ざされしジュデッカの凍土に降り立たん」

「ええまったくもってザゾーマ様の仰る通りでございます」


 無表情で整然と居並ぶ奇蟲軍団員たちを従え、奇蟲将軍ザゾーマはその優美な口元に笑みを湛えていた。

 ザゾーマに関しては悲しんでいるというよりも、状況を楽しんでいるようにさえ思える。



 正面に設けられた花祭壇には、湊の大きな写真が飾られていた。


 いつも端っこや後ろのほうに映り込むせいだろうか、そもそも映っているサイズが小さかったのだろう。

 写真を引き伸ばしまくった結果、解像度がめちゃくちゃ低くモザイクアートのようになっていた。


 眉毛もハの字で微妙なはにかみ具合が羞恥をそそる。

 もう少し良い写真はなかったのだろうか。



 その写真の前で弔辞を読み上げているのは、我らが総帥ドラギウス三世だ。


「諸君、このたびの臨席、故人に代わって礼を言うのであるフハハハハ」

「総帥! 高笑い! 高笑い出ちゃってますウィ!」

「む、いかんいかん。それでは気を取り直して、フハハ……ングゥ!」



 湊はそっと大広間の扉を閉めた。




「あれ? 私、生きてるよな……? ひょっとして死んじゃってる?」



 自分が生きているかどうか不安になった湊は、自分の身体を手のひらで改めてみた。

 とりいそぎ触ってみた感覚としては生きているように思える。


 いやもしかしたら本当に……。

 湊が自分の脈をはかっていると、不意に羽織った毛布の裾を引っ張られた。


「こんなところでなにやってるッスか?」

「ぎゃーーーーーーーッ!! さささ、サメっち!?」


 毛布の端っこをちょこんと摘まんでいるのは、黒いブレザーに身を包んだサメっちであった。


「ああ、サメっち……いったいこれはどういうことなんだ……?」

「サメっちはこの服に着替えるよう言われただけッス。よくわかんないッス」


 きょとんとするサメっちは、いまひとつ状況を理解していないようであった。

 おそらく身内の死を伝えるにあたって、誰かが直接的に伝えないよう配慮したのだろう。


「それよりミナト、いつ帰ってきたッスか?」

「……ん?」

「ミナトは遠いところに行っちゃったって、アニキ言ってたッスもん! ひとりでバカンスに行っちゃったのかと思って、サメっちぷんぷんだったッスよ!」


 サメっちに湊の死を遠回しに伝えたのは、やはり林太郎であった。

 つまるところ、この騒ぎは既に林太郎の耳にも入っているということらしい。


 しかし先ほど覗き見た限りでは、会場内に林太郎の姿はなかったように思える。



 嫌な予感が湊の脳裏をよぎった。



「……サメっち、林太郎は今どこにいるんだ?」

「たぶん教導軍団の演習場にいると思うッスよ。さっきウサニー大佐ちゃんに引きずられてったッスから」

「ありがとうサメっち、ちょっと行ってくる!」

「あれッス? おみやげはッスぅ!?」



 湊は振り返りもせず、一心不乱に走り出した。




 …………。




 地下深くに設けられた広大な演習場、そのだだっ広いグラウンドの中央にふたりの男女が立っていた。


 ひとりは軍服を着て眼帯まで装着したウサミミ女子。

 そしてもうひとりは、身体中傷だらけの憔悴しきった男であった。



「どうした、かかってこいデスグリーン少尉! それとも魂まで腑抜けたか!」

「……もうやめよう、ウサニー大佐ちゃん」

「そうか、続ける気力もないか」



 ウサニー大佐ちゃんは軍靴を鳴らしながら林太郎に近寄ると、拳を固く握りしめる。

 そして大きく振りかぶると、一切の手加減なしで林太郎の頬を殴りつけた。


 林太郎は怒りの籠った拳を避けもせず、まともに受けてグラウンドに転がる。



「貴様はそれでもおとこか!!!」


 耳が裂けんばかりの一喝が轟いた。

 ウサニー大佐ちゃんは土で汚れた林太郎の襟元を掴み上げると、無理やり上体を起こしてもう一度殴りつける。


「貴様が……貴様がミナト衛生兵長を連れ出しさえしなければ……!」


 ウサニー大佐ちゃんの目からは大粒の涙があふれ出していた。

 行き場を失った憤りは、湊を守れなかった林太郎へと向けられる。


 二度、三度と無抵抗な頬に拳が叩きつけられる。

 そのたびに骨と骨がぶつかり合う鈍い音が演習場に響いた。


「貴様が! 貴様の誤った判断が! ミナト衛生兵長の! 我が友の命を奪ったのだ!」

「………………………………」

「なんとか言ったらどうなんだ、おい! 貴様にとってミナト衛生兵長はただの駒に過ぎなかったのか! 返答次第によっては私は貴様を殺す! 何度も何度も殴って殺す! 今ここでだ!」


 林太郎はまるで抵抗する様子もなく、殴られるがままであった。

 眼鏡がひしゃげ、口から血を流し、しかしそれでもなおその澱んだ目から涙はこぼれなかった。


「……大切な、仲間だった……。守りたいと思った……。……俺でも、誰かを愛せるんじゃないかって……そう思ったんだ……」


 傷だらけの身体の痛みも、殴られた頬の痛みも、心を斬り裂いた鋭い痛みに比べればかすり傷だ。

 どうしようもない無力さと悔しさが、壊れるほどに心臓を加圧する。



「俺は……憎い……ヒーローどもが憎い……。なによりも、俺自身の弱さが憎い……」



 何故自分は生きている。

 何故彼女だけが死に、自分だけが生き残った。


 もし時を戻せるのであれば、鼓動を刻むこの心臓さえ差し出したっていい。




 林太郎は己の胸をかきむしるように慟哭した。

 その叫びは地下空間の、高い天井にこだました。




 大地に背を預け、感情を吐き出した林太郎にウサニー大佐ちゃんが手を差し伸べる。


「強くなければ守護まもれない。だから貴様は強くなれ、デスグリーン中尉。お前は強くなるべきだ、誰よりも」


 落ち込んでいる暇などありはしない。

 喪ったもののために、立ち上がらなければならない。


 立ち上がり、そして前を向いて、一歩ずつ進んでいかなければならない。



 林太郎はウサニー大佐ちゃんの手を取ると、目元を拭って立ち上がった。



「ありがとうウサニー大佐ちゃん。おかげで目が覚めたよ」

「それはなによりだ、デスグリーン大尉。……貴官、雄の面構えになったな」


 ハイライトのないその目には、もはや迷いも後悔もない。

 林太郎は湊の姿を思い出しながら、己の拳を強く握りしめた。


「俺は、誰よりも強くなる。チョロくていいやつだった湊のために!」

「その意気だ。私も我が親友のために、この身命を捧げよう。チョロくていいやつだったミナト衛生兵長のために!」

「ああ。必ず世界を変えてみせる。チョロくておっぱいが大きかった湊のために!」

「私はそんなにチョロくなーーーーーーーーい!!!!!」



 演習場に叫び声が響き渡った。


 林太郎とウサニー大佐ちゃんは声がしたほうに目を向ける。



「ミナト……衛生兵長……!」



 思わずその名を口にしたのはウサニー大佐ちゃんだ。

 林太郎はあまりの衝撃に、言葉を完全に失った。


 なぜならそこに、死んだはずの湊が顔を真っ赤にして立っているではないか。



「貴官、生きているのか……!? 本当に、幽霊や幻じゃないんだな……!?」

「ええと、そもそもなんで死んだことになってるの?」

「びええええええええん!! ミナトえいぜいへいぢょおおおあああああ!!!!」



 ウサニー大佐ちゃんは涙と鼻水で顔面をぐしゃぐしゃにしながら、水平ミサイルのように湊の胸に飛び込んだ。


「ちょっと待ってウサニ……うがっふゥ!」

「よがっだあああああああああああああ!!!!!」



 泣きじゃくるウサニー大佐ちゃんをなだめながら、湊は林太郎に目を向ける。


 ウサニー大佐ちゃんが感情的になったぶん、冷静さを取り戻しているのか。

 それともただ単に感情の行き場をなくしているのか。


 林太郎はゆっくりと湊のそばまで歩み寄る。



 その顔は散々殴られて腫れていたが、静かな水面のように無表情であった。



「……どこから見てた?」

「えっと、たぶん……最初に殴られたところ……かな」

「そっか」



 短い受け答えのあと、林太郎はしばし目を瞑ると、頭に手をあてて深いため息を吐く。



「あの……」



 湊が何かを言おうとしたそのとき、林太郎の傷だらけの腕が湊の頭を抱きかかえた。


 身を寄せ合うように、お互いの左頬がくっつく。

 触れあった頬がとても熱いのは、散々殴られていたからだろうか。



 何を言うでもなくしばらくそうしていた後、林太郎はゆっくりと口を開いた。



「おかえり」

「……た、ただいま……?」



 抱きしめられた湊には、林太郎が今どんな顔をしているのかはわからない。

 ただ高鳴る心臓の鼓動だけは、はっきりと聞こえていた。








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画面の前のよいこのみんな!!

極悪怪人デスグリーン第七章も楽しんでもらえたかな?


今回は物語の核心に迫る話なだけに、前中後編だ!

この続きは今日の夕方からすぐに始まるぞ!


次回! 第百九十九話「痛みの剣」


お楽しみに!


⇒⇒⇒このあとはみんなで極悪ダンス!


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