第百九十七話「>突然の死<」

 先の戦いでまたしても神保町が灰燼に帰したため、阿佐ヶ谷には再びヒーロー仮設本部が設けられていた。

 こうも常設されていてはもはや仮設ではないようにも思えるが、築45年という取り壊し予定の古い市庁舎跡を利用しているためその設備環境は劣悪であった。


 その一室には、深夜2時を回ってもなお明かりがついている。

 仮設長官室というペラペラのプレートが掲げられた部屋では、烈人と朝霞がせっせと書類を作っていた。


 内容はもちろん、極悪怪人デスグリーンの捕縛および逃走を許したことに伴う始末書だ。



「くぅーーー! 朝霞さん、疲れましたね! ちょっと休憩しませんか?」

「結構です」

「あっ、そうだ! 俺ちょっとコンビニ行ってきますけど、飲み物とか買ってきましょうか?」

「結構です」

「じゃあコーヒー買ってきますね!」



 短く突き放すように言う朝霞であったが、烈人は笑顔を崩すことなくダッシュでコンビニに向かった。

 ちなみに朝霞のデスクには、30分に一回のペースでコンビニダッシュする烈人によって缶コーヒーのピラミッドが築き上げられていた。


 そしてその傍らには、封がされたままの便箋が置かれている。



 ぜつ緑犬。



 妹の字で書かれたそれは、実の姉に向けられた『絶縁状』であった。

 怪人との戦闘が行われた現場に残されていた以上、本来であれば犯行声明文あるいは怪人残留物として扱われるべきものだ。


 しかし明確なまでに自身へと向けられた手紙に、朝霞は手をつけることができずにいた。



「…………冴夜……」



 唇から漏れたのは、妹の名前だ。


 ヒーロー本部の公的な書類においては牙鮫怪人サーメガロと記載され、怪人組織内ではサメっちと呼ばれていることがわかっている。


 だが朝霞にとって妹は、たったひとりの“鮫島冴夜”であった。



 参謀本部長の地位まで上り詰めたのも、凍結されていた怪人保護区“ヴィレッジ”計画を再始動させたのも。


 全ては怪人と化してしまった妹を世間の目や正義の刃から守り、再び姉妹でともに暮らすために他ならない。



 栗山林太郎の捕縛は、その理想の第一歩となるはずであった。



 林太郎さえ抱き込めれば、彼をアニキと慕う冴夜を手中に収めることは容易いと朝霞は考えていた。

 だがその結果が妹に突きつけられたこの絶縁状である。


 今となっては、その栗山林太郎こと極悪怪人デスグリーンこそが、彼女の計画にとって最大の障壁となりつつあった。



「……………………」



 朝霞は絶縁状を手に取ると、部屋の隅に置かれたシュレッダーの電源を入れた。

 スイッチを入れると、鋼の刃がぐるぐると回りだす。


 こんなことをしても全てを無かったことにできるわけではない。

 しかし、手元に置いて直視し続けるには辛い現実であった。



 朝霞が未開封の便箋をシュレッダーにかけようとした、そのとき。



「ただいま戻りました!!」



 仮設長官室の薄い扉が勢いよく開き、烈人が両手にコーラとコーヒーを握りしめ買い物から戻ってきた。


 朝霞は反射的に便箋をポケットにしまい込んだ。



「お待たせ朝霞さん、はいコーヒー!」

「ありがとうございます」

「どういたしまして!」



 けして待っていたわけではないが、朝霞は通算十本目となるコーヒーを受け取ると缶ピラミッドの上に置いた。

 せめて色んな味があればいいのだが、全部同じ甘いコーヒーであった。





 …………。





 ところ変わってアークドミニオン地下秘密基地の医務室。

 普段消毒液の香りで充たされている室内は、煩雑なコード類と巨大な医療器械で占拠されていた。


 そのすべてが、ベッドの上で眠る湊の身体に接続されている。



「これでいいじゃろ」



 タガラックは白衣を引きずりながら、緑色の心電図モニターに目をやった。

 本来命を形を示すそのモニターに、今は何の波形も表示されていない。


 さすがに不安に思ったのか、助手を務めていた桐華が尋ねる。


「傷が深いとはいえ、心臓まで止めちゃうんですか?」

「怪人細胞の再生力を増幅させるために、一時的に心肺機能を停止させておるだけじゃ。そう心配するでない。まあ半日もすれば目を覚ますじゃろう。……それよりも心配なのは」

「……センパイ、ですね」

「うむ。あやつこそくたばっておらんのが不思議なぐらいじゃ」


 湊と共に一命を取り留めた林太郎であったが、その肉体は自壊寸前のダメージを受けていた。

 注目すべきはヒーローたちから受けた傷よりも、人間の限界を遥かに超えた活動による損耗のほうが遥かに大きいということだ。


 怪人覚醒のメカニズムにおいて、怪人細胞は損壊した肉体の回復を担う。

 これにより怪人は強靭な肉体と驚異的な再生力を得るのだが、対して林太郎の身体は未だ怪人細胞を有さない“人間の肉体”そのものであった。


「状況を鑑みても、あれは怪人覚醒のように思えるのですが」

「元来怪人覚醒は生まれながらの素質に加えて、強烈な心的圧力ストレスに起因しておる。……んまあーその点、林太郎は理屈っぽいからのー」


 タガラックはしわの寄った眉間に人差し指をぐりぐり押し当てる。

 そのわざとらしい仕草は、暗に心当たりがあることを示していた。


「心の弱さが怪人を生み出すならば、林太郎の心は強すぎたということじゃな。あえて呼び名をつけるなら“半覚醒”といったところかのう」

「半覚醒、ですか。しかしそのような事例はヒーロー本部の記録にもありませんでしたよ」

「そりゃ相当なレアケースじゃからのう。このわしでさえ、そんな厄介なことになった阿呆はたったひとりしか知らんわい」


 呆れたように肩をすくめるタガラックであったが、それ以上の情報を吐き出すことはなかった。

 この老獪な金髪幼女は話したいことならばなんでもベラベラ話すが、語るべきでないことに関して口を滑らせることはない。


 桐華もそれを重々承知しているので、この場でタガラックを問いただすようなことはしなかった。



「よいか桐華よ。くれぐれもあやつから目を離すでないぞ」



 タガラックの言葉に、桐華は黙って頷いた。




 …………。




 ふたりが医務室を出ていった後、明かりを消された室内には機械に繋がれベッドに横たわる湊がひとり残された。


 寝息も立てずに眠る姿は、まるでこの部屋そのものが絡繰仕掛けの大きな棺であるかのようである。



 しかし美女の安眠を妨げるかのように、ノックも無しに扉を開く者たちがいた。



「ソードミナスぅー、だいじょぶかニャーン! おぉう!? なんかすごいサイバーパンクなことになってるニャン!?」

「足の踏み場もないワン……まるで掃除する前のオジキの部屋だワン……」



 医務室を訪れたのは、百獣軍団に所属する猫犬コンビである。


 アークドミニオン内でも耳ざとい彼女たちは、湊が危篤である情報を掴むや否やいちはやく見舞いに駆けつけたのだった。



「ひえー、お見舞いにメロン持ってきたニャンけど、置く場所がないニャンなあ」

「ニャンゾ、待つワン……なんだか様子がおかしいワン……」

「んんんニャン!? ひょっとして息してないニャンぞ!?」



 彼女たちが目にしたのは、文字通り死んだように眠る湊の姿であった。


 林太郎を救い出すため正面からヒーローたちに戦いを挑み致命傷を負った湊であったが、怪人細胞の活性化により順調に回復しつつあった。


 だが一時的とはいえ心肺機能を停止させられているせいもあり、一見すると本当に死んでいるかのようである。



「し、死んでるニャン……!」

「これは一大事だワン……悲しいワン……口惜しいワン……」

「えらいこっちゃニャンぞ! はやくオジキとウサニー大佐ちゃんに報せるニャンな!」

「ドラギウス総帥にも報せた方がいいワン……」



 ふたりは顔を真っ青にしながら医務室を飛び出した。

 突然の訃報は、あっというまに地下秘密基地中に知れ渡った。





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