第百九十二話「弟子、動く」

 アークドミニオン地下秘密基地、その暗く冷たい廊下の先。

 最高幹部たる極悪怪人デスグリーンの居室に近づく者は、彼の部下以外ではそう多くない。


 ましてや地下深くの怪人用居住区画に管理者たる“彼女”が自ら訪れることは珍しく、嫌が応にも目を引くものであった。


「あっ、タガラック将軍。こんなところに珍しいですねウィ。そうそう、最近極悪軍団も資金稼ぎのために店を出したんですけどウィ、なにかアドバイス的な……」

「邪魔じゃどけーい!!」

「ウィーッ!?」


 金髪幼女に突き飛ばされたザコ戦闘員は盛大に尻もちをついた。


「いたたた、なんであんなに急いでるウィ……?」


 タガラックはザコ戦闘員を一瞥することもなく、ズンズンと進んでいく。

 その顔にはこれまた珍しく、焦りの色が濃く浮かんでいた。



「いかん、いかんぞー。まずいのー、非常にまずいのじゃー」



 機械の身体をもつタガラックだが、もし生身の肉体であったならその背中は冷や汗でぐっしょり濡れていたことだろう。


 彼女がホテルの一室に仕掛けた隠しカメラの映像は、おしくら饅頭にされた林太郎がぐったりとした様子で連れ出されるところで止まっていた。

 衛星からの監視映像では、複数台の車両がホテルから船橋方面へと猛スピードで走り去る姿が確認されている。



 極悪怪人こと栗山林太郎は、今やヒーロー本部の手に落ちたとみて間違いないだろう。



 問題はアークドミニオンにとって重要な情報を抱える彼が捕らえられたということだけに限らない。

 その原因が彼の身辺の警備を担っていた絡繰軍団、ひいては彼を誘い出し孤立を招いたタガラックにあるということもまた大きな問題のひとつだ。


 悪意ある者の目から見れば、同僚幹部を邪魔に思ったタガラックが林太郎を罠に嵌めたとも捉えられかねない。

 当然タガラックは意図的に林太郎を窮地に陥れたわけではないが、誰しもがそう納得するとは限らないのだ。



「えーと確か、ここじゃったかの……」



 タガラックは林太郎の部屋の前で立ち止まった。

 本来であれば入室の許可を取るべきだが、今は緊急事態だ。



 マスターキーを使って扉を開くと、部屋の奥の大きなベッドでふたりの少女がぐっすりと眠っていた。


 自分の上司が捕まったなどとは、文字通り夢にも思っていないだろう。

 ひとりの顔には恍惚の表情が、そしてもうひとりの顔には苦悶の表情が浮かんでいた。


「……センパイ……あぁ、そんな……赤ちゃんできちゃいますぅ……むちゅ」

「うぅん……ぐ、苦し……口から生まれちゃう、ッス……」


 桐華によって抱き枕にされたサメっちは、その細腕からは想像できないほどのパワーで締めつけられていた。

 サメっちの小さな身体はミシミシとよろしくない音を立てており、苦しそうな顔には無数のキスマークがついている。


「……んん……まだ夜は長いですよ……むふふ……」

「い……息ができな……ッス……」

「起きるのじゃおぬしらーーーッ!」


 タガラックの小さな手が桐華とサメっちの頬っぺたを、交互にぺちぺちと叩く。

 それでも頑として起きないことに業を煮やしたタガラックがバケツ一杯の水を浴びせかけたところで、ようやくふたりは目を覚ました。



 ……数分後。



「話はできそうかの」

「ええ、おかげさまで。寝起きは最悪ですが」

「へぷしゅッ! むぅん……身体中が痛いッス」

「すみませんサメっちさん。いつも抱き枕を愛用しているので、ついうっかり」

「だいじょぶッスよ。サメっちは骨が折れても半日で治る“けんこーゆーりょーじ”ッス」


 全身濡れネズミとなった桐華は、悪びれもせずサメっちの髪をドライヤーで乾かしていた。

 だがそれと同時に、ただ事ではないタガラックの様子から事の重大性を感じ取ってもいる。


 それほどまでに大きな問題が生じたのであれば、タガラックは林太郎に直接報告するだろう。

 だが彼女がふたりに直接会いに来たということは、導き出される結論はひとつであった。


「……センパイになにかあったんですか?」


 前置きをする間もなく先に話の核心を突かれたタガラックは、少し驚いたように眉をピクリと動かす。

 すぐ本題に入ろうとする徹底した実務主義的言動は、彼女の師である林太郎の影響を強く感じさせた。


 タガラックはしばらく目を閉じたのち、いつになく重い口を開いた。


「うむ、言いにくいのじゃがな……林太郎がヒーロー本部に捕らえられてしもうたのじゃ」

「えぇ!? アニキつかまっちゃったッスか!?」

「おそらく同行しておったミナトも、やつらの手に落ちたとみて間違いあるまい」

「えええええッスぅぅぅ!?」


 サメっちは大きな目を見開き驚きの声をあげる。

 だがそれとは対照的に、桐華は不気味なほど押し黙っていた。


 普段ならばいの一番に騒ぎ出しそうなものであったが。



「それは一大事ッスね……。んんん? なんか焦げ臭くないッスか……?」

「……………………こひゅ…………」


 桐華は立ったままサメっちの髪を乾かしていたことも忘れ、白目を剥いて完全に放心していた。

 その手に握られたドライヤーの集中砲火を浴び、サメっちの頭頂部から煙が上がる。


「サメっち燃えとる! おぬし燃えとるぞ!」

「あァァっちゅいッス!!!」

「ハッ! ああ、すみませんサメっちさん! センパイのことで頭がいっぱいでした!」

「だだだだだいじょぶッスゥ!」




 …………それからさらに数分後。



 桐華とサメっちは落ち着いた様子でタガラックの言葉を待っていた。

 ひとしきり騒いだことで逆に余裕が生まれたのか、しかしその表情は真剣そのものである。


 沈黙でもって促すふたりに、タガラックは言葉よりも先に頭を下げた。


「ふたりを連れ出したのはわしの判断じゃ。……すまんかった」

「謝罪は後ほど。それよりも私たちが今なにをすべきかだけ教えてください。どうせご自慢の絡繰軍団は使いものにならないんでしょう?」

「……おぬしは本当に聡いのう。いち軍団の尖兵にしておくには惜しいわい」


 タガラックは苦々しい表情で薄い唇をかみしめる。

 彼女が率いる絡繰軍団の総力をもってすれば、人質を取られたところで事態の収拾は造作もないことだろう。


 だがそうしないのには当然理由があった。

 精鋭揃いの絡繰軍団が、ヒーロー本部の手によって壊滅の危機に瀕していたからである。


「おぬしの言う通り、わしの可愛い子供たちは完全に制圧されてしもうとる。ヒーロー本部がハッキングを仕掛けてきとるのはわかっておったが、ここまで大それたことのできる手練れがおるとは思わなんだわい……」


 ヒーロー本部の襲撃は、タガラックにとっては想定の範囲内である。

 それに備えるべく、ホテルにはふたりの副官を筆頭に絡繰軍団の主力部隊が配置されていたのだ。


 しかし鉄壁のセキュリティを誇るはずのバトラムとメイディがいとも容易くハッキングされてしまったことは、タガラックにとって完全に想定外であった。


 これにより司令塔を失った現地の絡繰軍団は、ヒーローと戦うことすらないまま機能を停止してしまったのである。

 完全無欠の絡繰軍団であったが、一箇所が欠けたことで今度はその完全性が仇となった形だ。


「本来であればわしが始末をつけるのが筋であろう。じゃが絡繰軍団という手足を封じられた以上は他の者に頼らざるをえん。じゃが各方面軍に事情を説明して救援を呼び寄せるのは目立ちすぎるゆえ、人質の身が危ういやもしれぬ」

「つまり少数精鋭の私たちだけで、隠密かつ迅速にセンパイとミナトさんを救い出せと」

「おぬしは本当に話が早いのう……それで場所なんじゃが」

「ヒーロー本部の北千葉支部ですね」


 タガラックはまたしても舌を巻いた。

 桐華の分析は衛星からの追跡情報とピタリと合致していたからだ。


 先の戦いで再び本部庁舎を失ったヒーロー本部である。

 その行先は確かに最寄りの支部の可能性が高い。


 とはいえ桐華の言葉には推理以上の強い確信があった。

 まるで自分だけは林太郎の位置を完璧に把握できているかのようだ。


「……なるほどのう、そういうことじゃったか。ろくな大人にならんぞおぬし」

「ご安心ください。私はタガラック将軍ほどお節介・・・ではありませんので、相手は選びます」


 桐華の手には、林太郎のものと同じ機種のスマホが握られていた。

 その画面にはシンプルな地図と、発信機の位置を示す赤い点が表示されている。


 睡眠薬を盛られた桐華は意識を失う直前、林太郎にこっそりと発信機を仕掛けておいたのだ。


「“窮地に陥ったときこそ、反撃に繋がる布石を打て”」


 それはかつて桐華自身が林太郎から教えられたことのひとつだった。

 まさかこのような形で役に立つとは思いもしなかったが。


「ちなみに盗聴機能つきです」

「本当にろくでもないやつじゃのう。でかしたぞおぬしぃ」

「アニキの声が聞けるッスか?」

「それはどうでしょうね。ただ置かれている状況は把握できるかもしれません」



 桐華は片手でスマホを操作して盗聴アプリを起動した。

 そこでふと細い指先が止まる。


 もし、なにも聞こえてこなかったら?


 神保町をことごとく粉砕し、羽田空港を廃墟と化し、東京タワーをへし折り、レインボーブリッジを落とした極悪怪人デスグリーンは今や全国民の怨敵だ。

 検挙と同時に“処分”されていてもなんら不思議ではない。



 一瞬心に迷いが生じたものの、桐華はすぐに林太郎の顔を思い浮かべた。

 緑の断罪人とまで呼ばれたあの栗山林太郎が、そう易々とくたばるものか。


 九割の信頼と一割の祈りを込めて、桐華はスピーカーの音量を最大まで上げた。




『ウグワアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!!』




 聞こえてきたのは桐華がよく知る男の、魂を裂くような絶叫であった。




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