第百九十一話「帰ってきたヒーロー」

 ホテル中に割れんばかりのベルの音が響き渡る。


 我に返った湊が目を開けると、そこには両手をわきわきと蠢かせ、唇をちゅぱちゅぱと鳴らしながら円運動をする林太郎の姿があった。


「ななななな! なんだ林太郎、その気持ち悪い動きは!」

「ちゅぱっ!? こ、これはあれだ、準備運動! そう、準備運動だ!」


 確かにこれから決戦に臨むにあたって、心構えはとても大事である。

 だが少なくとも“車懸かりの陣”と言い張るには無理のある無様な光景であった。


「そんな気持ち悪い準備運動があってたまるかッ!」

「ききき、気持ち悪いとはなんだ!? 越後の龍に謝れ!!」

「よくわからないけど、たぶんお前が謝ったほうがいいと思うぞ!」


 言われるまでもなくその通りである。

 なにがビシャビシャなモンモンにテンテンだ。


 林太郎が心の中で偉人に土下座している間も、警報音は鳴り響いていた。


「なあ林太郎。これ、はやく避難したほうがいいんじゃないのか……?」

「……………………いや、その必要はない」


 少しの間を置いたあと、林太郎は警報が響く中、湊に向き合う。


 そして次の瞬間、林太郎は覆いかぶさるように湊の肩を抱いた。

 咄嗟のことに、湊は驚きギュッと身を固くする。


「あっ、あのあのあの、林太郎! 非常時じゃ……んっ」

「少しの間の辛抱だ。すぐに終わらせる」

「待ってくれ、そんな、もっと優しく……あっ!」


 湊を身体を抱いた林太郎は、腕に力を込めて強引に引き寄せる。

 そして高い背丈の割に華奢な腰へと手を回すと、そのままベッドから立ち上がった。



 林太郎はなにを言うでもなく、狼狽する湊を寝室に添えつけられたクローゼットの中に放り込む。



「むぎゅっ! いたた……林太郎、なにを……」

「俺が出ていいと言うまで隠れていろ。は俺がもてなす」



 ガシャン!!!



 寝室の窓が盛大に砕け散ったのは、林太郎がクローゼットの戸を閉めるのとほぼ同時であった。



 やおら騒がしくなった外の状況を飲み込むや否や、湊は両手を塞いで息を止めた。


(はわわわわ……ヒーロー本部!?)


 わずかに開いた戸の隙間から林太郎の背中が見える。

 その向こうでは小銃を構えた男たちが、フラッシュライトを林太郎に向けていた。


 屋上からラぺリング降下してきた侵入者たちは、いかにも高級そうな絨毯を土足で踏み荒らす。

 厳しい訓練を受けてきたのであろうその俊敏な動きから、相当の手練れであることが察せられた。



「こちら傭兵戦隊シャドーレイヴン。目標を補足」

「……………………」



 林太郎は警報からヒーローたちの襲撃を察して、湊をクローゼットに隠したのであった。


 このホテルは絡繰軍団によって管理されていることに加え、今夜は“貸し切り”である。

 警報が鳴るようなことがあるとしたら、それは外的要因に他ならない。


 問題はどうやってヒーローどもが絡繰軍団の連中を片付けたかだが、これも後回しでいい。

 今は目の前にいる悪漢たちに対処することが、林太郎にとっては先決である。


「ひとり……? 情報と違うがまあいいだろう」


 全身黒づくめの男たちは、一糸乱れぬ動きでサブマシンガンの照準を定めた。

 狙いはもちろん、標的たる極悪怪人こと栗山林太郎である。


「怪人に告ぐ。抵抗すれば即座に射殺する」

「よく聞こえなかったな、抵抗すればなんだって?」

「チッ……即座に射さ……」


 警告を発した男の顎を、掌底が真下から打ち抜いた。

 一瞬で間合いを詰められた黒づくめの男は、抵抗する暇も与えられず舌を噛んで昏倒する。


「ギェっふァ……!」

「いいことを教えてやろう。この狭さじゃあ、小銃はなんのアドバンテージにもならない」


 高級ホテルとはいえ寝室の広さはたかが知れている。

 銃で狙いを定めたとはいえ、彼らが立っていた場所は既に林太郎の“制圧範囲の内側”であった。


 たとえバスローブという軽装であろうとも、この栗山林太郎は前々年度ヒーロー学校で首席という輝かしい成績を修めた元プロの戦士ヒーローだ。

 努力によって培われた桁外れの戦闘力に加え、躊躇うことなく正確に、より有利な状況を作り出すことはもはや特技というよりも本能である。


「なっ……! 隊長ーーーッ!?」

「おっと動くな、抵抗すれば即座に射殺する。だっけか?」


 他の隊員たちが林太郎に銃を向けるが、それよりも速く林太郎は昏倒させた男を肉の盾とした。

 そして奪い取った小銃の銃口を、気絶したヒーローの首につきつける。


 いくらヒーローが防弾性に優れたスーツを着用していようと、至近距離で頸椎に向かって銃撃されれば無事では済まない。


「くっ、卑怯な……!」

「その点に関しちゃ、お前らも筋は悪くないよ」


 侵入者であるシャドーレイブンの隊員たちは、けして油断していたわけではない。

 しかしまさかバスローブ姿の男ひとりに、銃を持ったヒーロー五人がかりでもまるで歯が立たないとは夢にも思っていなかったに違いない。


「隊長さんの命が惜しかったら銃を捨ててもらおうか」

「……わかった、お前の言う通りに……」

「それじゃあ抵抗はしてないけど撃つね」

「おい待て早まるな……!」


 次の瞬間、なんの躊躇もなく銃口が火を噴いた。

 気絶した人質の頸椎にではなく、林太郎を睨みつける四人の隊員たちに向かって。


 軽口混じりの対話の中で、トリガーにかかった指が一瞬ゆるんだその隙を見逃すような林太郎ではなかった。

 隊員たちはみな一様に鎖骨の中心を正確に撃ち抜かれ、声も出せないほどに悶絶する。


「がっ……ハッ……」

「お前ら、今年ヒーロー学校を出たばかりの新米だな。シャドーレイヴンっていったか。サバゲーごっこは十分楽しめただろう? それじゃあそろそろお帰り願おうか」

「ぐぇ……な、なにを……」


 林太郎は倒れ込みまだ意識のある隊員の襟を掴むと、ずるずると絨毯の上を引きずっていく。

 その先にあるのは割られた窓ガラス、そして地上50階、高さにして百数十メートルの景色である。


「いやあ、定時退社できてよかったなあ」

「ま、待て……死にたくな……やめ、やめてぇ……!」

「大丈夫さ、ヒーロースーツの性能を信じなよ。俺は信じてないけどね」

「ひぃぃぃーーーーッ!」


 言葉や表情には出していなかったが、夜の熱いひと時を邪魔された林太郎の怒りはそれはもう活火山の如く激しく燃え上がっていた。



 林太郎がシャドーレイヴンの隊員を窓から放り投げようとした、まさにその瞬間。



「「「「「待てぇーーーーーい!!」」」」」



 黒い怒りではなく、熱い正義に燃える声が幕張の夜景にこだました。

 声に続いて、再び窓から新たなヒーローたちが飛び込んでくる。


 だが何人こようが、林太郎の敵ではないことは明白だ。


 そう、何人こようが・・・・・・



「チッ、新手か……ん? んんん??」



 シュタッと絨毯の上に降り立つ戦士たち。


 だがその影の数たるや、ひとりやふたりではない。



「重厚戦隊シールドバリアン! この世界は俺たちが守護まもる!」

「林業戦隊キコルンジャー! 悪の大木は根っこから引っこ抜くぜ!」

「風魔戦隊ニンジャジャン! ふっふっふ……ご無沙汰でござる!」



 窓だけではなく、部屋の扉からも続々とヒーローたちが雪崩込んでくる。



「剛拳戦隊ドッセイジャー! こんな扉、余裕でぶっとばすぜぇ!」

「足軽戦隊ゾウヒョウジャー! 一番槍は逃したけどいつも心に一番槍!」

「粒子戦隊レーザーファイブ! 今回こそビビッときめるぜ!!」

「おいおいなんか多くないか……?」


 林太郎が対応する間もなく、際限なく現れるヒーローたち。

 広々とした寝室があっという間に過密状態になっていく。


「念仏戦隊ナンマイダー! 経は唱えてやるゆえ、心置きなく逝くがよい!」

「大空戦隊エアジェッター! 成層圏から京葉線を経由していざ参上!」

「温泉戦隊ホッコリジャー! 関東のみんな、週末は群馬においでよ!」

「五色戦隊ジキハチマン! 相模も最近は住みやすくなって参り申した!」

「親分戦隊ジロチョウジャー! 清水いいとこおいでよお茶の名産地!」

「海鮮戦隊ダンキュリアス! 青魚には頭が良くなるDHAがたくさん含まれているぞ!」

「桃太郎戦隊モモファイブ! きびだんごエナジードリンク好評発売中だよ!」

「おい最後のほうのやつただの広告になってるぞ!! ぐぇぇ……!」


 ツッコミもむなしく、林太郎の身体はヒーローたちの人波に飲み込まれた。

 乗車率300%の満員電車も真っ青なほど、部屋はギュウギュウ詰めになっていく。


 もはや人波というのもはばかられるほどの超過密的人海戦術に、林太郎は物理的な抵抗を完全に封殺されみちみちと押し潰されてしまった。


「ぐぇぇ……ぐ、ぐるじい……」

「ははははは! ついに極悪怪人デスグリーンを確保したぞ!!」

「押すな! 押すなって! 落ちちゃうだろ!」

「ひゃんッ! 今誰か私のお尻触ったでしょ!」



 投入されたヒーローたちの総数は250名にも及んだ。




 ………………。




 ぞろぞろと人が出ていく気配を感じてから、30分ほど経ったであろうか。

 クローゼットの戸が開き、湊はそろりそろりと這い出した。


「ふぇぁぁぁ……どどどどど、どうしよう……」


 踏み荒らされた部屋の中には、林太郎を含め誰の気配もありはしなかった。



『極悪怪人デスグリーン、ついに検挙!』



 朗報はその夜のうちに、全国のヒーロー支部へと伝わった。



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