第百八十五話「憂懼する金髪幼女」
東京で最も高い場所、タガデンタワーの最上階。
黛桐華は林太郎やサメっちとともに、絡繰将軍タガラックの自室を訪れていた。
「ネズミが出そうなところにはひと通り仕掛けておきましたよ」
「おーおー、ご苦労じゃったのー。ほれお駄賃じゃ、また頼むぞーい」
桐華は金髪幼女から差し出された封筒を受け取る。
会話を聞かずにこの絵面だけを見ると、銀髪のヤンキーがいいところのお嬢様を恐喝しているように見えなくもない。
そんな短い掛け合いに林太郎が割って入った。
「タガラック将軍、俺の許可なく部下を便利にこき使うのは控えていただけませんかね」
「なんじゃいケチくさいのー。それならそこの仔犬に首輪でもつけておけばええじゃろがい。それともサイボーグに改造するかのう? 機械はよいぞー、文句も言わんし休みもいらん」
「結構です。デメリットが大きすぎるんですよそのご提案は」
今回林太郎が桐華に同行したのは、タガラックに釘を刺すためだ。
というより
団員は百獣軍団がいうところの“家族”、奇蟲軍団がいうところの“群れ”、そして絡繰軍団がいうところの“駒”である。
それをアルバイトと称し、長の与り知らぬところで今後も好き勝手に使われてはたまったものではない。
ただでさえ他人に余計なちょっかいをかけることに関して、この年齢不詳幼女の右に出る者はいないのだ。
だが林太郎の心配をよそに桐華はやれやれと肩をすくめると、受け取った封筒をひらひらさせた。
「ご安心くださいセンパイ。これはただのアルバイト、いわば利害の一致ですよ」
「いいか黛、そうやって隙を見せたら遠慮なく捕って食おうとしてくる奴らも世の中にはいるんだ」
「まるでわしが腹黒い極悪人のような言い草じゃのう! こんなに可憐な美少女が人を騙して脅迫するように見えよるのか、おぬしは!」
「薄汚れた前科まみれのツラでよく言えたもんですね。とにかく、俺の知らないところで
あくまでも部下にちょっかいをかけられまいとする林太郎の言葉に、桐華が身体をくねらせる。
「
「黛、ちょっと黙っててもらっていいかな。話がややこしくなるからね」
「首輪……つけますね」
「俺の話聞いてた?」
林太郎は桐華のことを心配した自分がバカらしく思えてくる。
しかし実際のところいくらもらったのだろうか。
ちょっとしたアルバイトにしては妙に封筒が分厚いような気もする。
桐華が封筒をひらひらさせるのを見て、高級ソファに寝そべっていたサメっちが声をあげる。
「くららちゃん、サメっちもお小遣いほしいッス」
「おー、サメっちいくら欲しいんじゃ? 百万円ぐらいあれば足りるかのう」
「そんなホイホイ大金を渡さないでください。サメっちが金銭感覚の狂った大人になっちゃうでしょうが」
まるで田舎に帰省した孫を甘やかすお爺ちゃんと、それを押し留めるお母さんである。
林太郎は
「だいたいサメっち、お小遣いなんかもらってどうするのさ」
「ハレンチな水着を買ってアニキをノーサツするッス」
「覚えた言葉をすぐ使うのはやめようね」
無人島購入が既成事実化していることに危機感を覚えつつ、林太郎はサメっちの身体を“回れ右”させた。
そしてスマホと睨めっこをしながら、真剣に首輪の購入を検討している桐華の背中を押す。
「黛、もう用は済んだだろう。ふたりとも先に戻っていてくれ、俺はタガラック将軍と大事な話があるから」
「アニキぃ、サメっちお小遣い欲しいッスぅ」
「欲しいものはアニキが買ってあげるから、今は我慢しなさい」
「センパイ、犬用の首輪はノミ取りの薬品が塗られていて肌が荒れることがあるそうですよ」
「買ってあげる予定もないし、
ふたりを退室させたあと、林太郎は改めてタガラックと向き合った。
「おぬしは乙女心をわかっておらんのー」
「タガラック将軍、世間話に時間を費やすのはやめませんか」
林太郎は眼鏡をかけ直し、その光の宿らない澱んだ目を尖らせる。
先ほどまでの苦労するお母さんの目ではない、アークドミニオンの一翼を担う智勇に富んだ将の眼だ。
「ネズミ駆除の本当の目的はなんです? わざわざ黛を使ってまで、なにをやらせたんですか?」
「ほーう、相変わらず察しが良いのう。おぬしのそういうしたたかなところ、嫌いではないぞ」
黛桐華という女が、脅迫や金でなびくような人物でないことは林太郎もよく知っている。
だが己の利益にならないようなことをホイホイ引き受けるような善人でもない。
加えて、今回の雇用主たるタガラックは数多の有能な団員を率いる将軍だ。
“アルバイト”を桐華に斡旋したのにもなにか理由があるというのが、林太郎の考えであった。
そしてそれはおそらく、有能さにおいて事欠かない絡繰軍団員では担えないことだ。
さもなければわざわざ他の軍団から人員を借り受けなくとも、自分の部下にやらせればいいのだから。
「こいつをサーバールームに仕掛けてもらったのじゃ」
タガラックが会長室の大きな机の引き出しから取り出したのは、小さな黒い箱のような機械であった。
「これは小型カメラですか。それと盗聴器も」
「おぬし、黛桐華……ビクトブラックとの戦いを覚えておるか」
「ええ、もちろん」
「あのとき脅威となったのは、なにもビクトブラックだけではない。わしらは“眼”を盗まれた」
“眼”とは、すなわち林太郎の眼鏡に仕掛けられた小型カメラの映像だ。
この映像をハッキングされたことで、アークドミニオンの行動はヒーロー本部に筒抜けとなり
それを逆手に取って罠を仕掛けることで、からくも勝利を手にしたのだ。
「サーバールームに監視の目を光らせて、しかも絡繰軍団員に任せられないってことは……まさか……」
「またハッキングされちゃった。てへぺろなのじゃ」
そう言って金髪幼女はぺろりと舌を出してウインクした。
一見可愛らしい仕草であったが、林太郎は真顔でそれを受け止める。
「……それはいつの話ですか?」
「二日前じゃ。正確には不正アクセスの痕跡があった、というべきじゃな。幸いにも重要なデータには触れられておらぬ。じゃが二度目があればそうはいかんかもしれん」
「どうしてわざわざ監視カメラなんかを?」
「サーバールームに直接忍び込まれている可能性も無いわけではないからのう。いたずらの線も捨てきれんが、警戒するに越したことはなかろう」
さすがのタガラックもおふざけモードではいられないようで、腕を組んでその碧眼を細めた。
その顔にもはや悪戯幼女の面影はない。
「機械は文句も言わんし休みもいらん。しかし乗っ取られるときは一瞬じゃ、それはサーバーだけに限った話ではない。ゆえに絡繰軍団の駒を使うのはリスクが大きい。わしはおぬしほど己の部下を信用しとらんでな」
タガラックはそう言うとくるりと椅子を回し窓の外に目を向けた。
そこには物言わぬ大都市、どこまでも続く東京の街並みが広がっている。
機械系怪人を束ねる彼女にとって部下とは文字通り“駒”であり、けしてそれ以上ではない。
アークドミニオン再古参にして、日本経済界の表と裏を牛耳る
「それで絡繰軍団員にも知られないよう、黛を使って監視の目を増やしたというわけですか」
「おぬしやキリカは己の利益にならんことでは動かんからのう。そういう意味では信頼が置けると踏ませてもろうたわい」
振り向きざまにニヤリと口角を吊り上げる幼女の顔は、邪悪な組織の幹部としてのキャリアを感じさせるものであった。
「まあこの件はわしに任せるがよい。アークドミニオンの保安と福利厚生はわしの担当じゃて。それよりもおぬしにはやるべきことがあるじゃろう」
「と、いいますと? まさか俺にもなにかやらせようってんですか?」
タガラックは溜め息をつくと、大きな机に肘をついて指を組んだ。
まるでハッキングの一件よりも重要なことであるかのように。
物々しい雰囲気を察した林太郎が姿勢を正すのを見届けてから、タガラックはその小さな唇を開いた。
「……
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