第百八十四話「ネズミ退治」

 『抱く(だ-く)』


 意味1 腕を回して持つこと。


 意味2 同衾どうきんすること。



 ※「すこやか日本国語辞典(絶版)」より抜粋。





「なるほどね、腕を回してホールドしてほしいわけだ……んなわけあるかァ!!」


 林太郎は華麗な投球フォームで、国語辞典をソファに向かって放り投げた。

 拍子でずり落ちた眼鏡をかけ直すと、頭を抱えて慟哭どうこくする。


「どう考えても同衾ってことだるるるおオォ!!」


 女が男に抱いてくれということは、つまりはそういうことである。

 それも遠回しな詩的表現などではなく、解釈の余地もないほどド直球なご要望としてだ。


「いや待て栗山林太郎。考えろ考えろ考えろ。あの湊が本当にそんなことを?」


 そう思いとどまるのは当然のことだろう。

 アークドミニオンの濃い面々と比べると、湊はあまり自己主張をしないほうである。


 例えるなら布団や消火器や浄水器を、ノーと言えずにみっつもよっつも買ってしまうタイプだ。

 動物に例えるならば、せんべいに群がらず端っこの方で草を食べている奈良の鹿である。


 そんな湊が果たして、林太郎に対しこれほど直接的なアプローチをかけるものだろうか。



「湊のことだから、てっきり『気持ちだけ受け取っておく』とか言うもんだと思っていたが……」


 否、だからこそ林太郎自身ではなく、わざわざサメっちに聞き出してもらったのだ。

 相手に警戒心を抱かせないサメっちならば、湊の本音を引き出せるとにらんで彼女に任せたのである。


 ついでに言うと無欲な湊にあてられて、サメっちも無人島などという無謀な要望を見直してくれることを期待していたのだが。


 結果は林太郎の予想を遥か斜め上をロケット花火よろしく吹っ飛んでいくものであった。


「サメっちにそんなこと伝えるか……? “抱いてくれ”だぞ……?」


 林太郎がちらりとベッドの上に目をやると、当のサメっちは両手足をいっぱいに伸ばして平泳ぎの練習をしていた。


「あぁおい~♪ うぅ~みぃ~が~♪ サメっちを~よんでるぅ~ッスぅ~♪」


 任務を完遂したサメっちの頭の中は、既に常夏の無人島へと飛んでいた。

 今のサメっちにもう一度聞いてこいというのも無体むたいな話だ。


 かといって、湊の要望をそのまま言葉通りの意味で捉えていいものだろうか。



「ううむ、さすがにあの湊の口から“同衾”ってのはいきなり飛躍しすぎている気が……」



 林太郎が両腕を組んで頭をひねっていると、不意にサメっちから声をかけられた。


「アニキぃ」

「なんだいサメっち」

「“どうきん”ってなんッスか?」


 ベッドで足をパタパタさせていたサメっちは、大きな目を輝かせながら平然とそんなことを尋ねてくる。

 子供というのは、時として無邪気に親を困らせるものだ。


「……それは、あれだよサメっち。一緒のお布団で寝るっていう意味だよ」

「じゃあアニキとサメっちは毎日どうきんしてるってことッスね」

「それ絶対他の人に言っちゃダメだよ。油断も隙もあったものじゃないからね」


 林太郎がサメっちのほっぺたを両手で掴むと、サメっちはコクコクと頷いた。

 また変な噂を広められてはたまったものではない。


「じゃあアニキはミナトとどうきんするッスか?」

「よぉしサメっち、その言葉はもう封印しちゃおう。どこで誰が聞いているかわかったものじゃないからね」

「まったくその通りです」

「「ヒャアアッ!!」ッス!」


 とつぜん聞こえた声に、林太郎とサメっちは飛び上がる。

 その声は林太郎たちのちょうど真上、天井裏から聞こえてきた。


 林太郎たちの目の前で天井の一部が蓋のように外れたかと思うと、そこから銀髪の美少女がにゅっと顔を出す。



「黛! お前いつからそこにいたんだ!」

「神が光あれと言ったそのときから、私はセンパイのそばにいますがなにか」



 桐華はそう言って頭を引っ込めると、今度は黒いストッキングに覆われた細い脚がすーっと天井の穴から生えてきた。

 懸垂けんすいの要領でゆっくりと身体を降ろすと、桐華はふかふかの絨毯の上に音もなく着地した。


 そしてまるで何事もなかったかのように、ちょこんと正座する。


「忍者かお前は……心臓に悪いから今後はもう少し登場の仕方を考えてくれ」

「まあまあ、そう仰らずに。これ・・を秘密基地中に仕掛けるようタガラック将軍に頼まれたんですよ」


 そう言うと桐華は、上着の懐から透明なビニール袋を取り出した。

 袋の中には紫色の丸い団子のようなものが無数に詰め込まれている。


「お団子ッスか? なんだかマズそうな色ッスねぇ」

「食べちゃダメですよ、これはネズミ退治用の毒団子です。誰かがペットとして持ち込んだネズミが脱走して、地下秘密基地内で繁殖しているとかで」

「なんとも迷惑な話だけど、それでずっと天井裏に潜んでたわけ? 俺が帰ってきてからだから、三十分以上も?」

「そうなりますね」


 桐華はさも当然と言ったように答える。

 しかし不信に思った林太郎は、クローゼットを足場にして天井裏を覗き込んだ。


「………………」


 天井裏の狭いスペースには寝袋やランタンが並べられ、まるでキャンプのような様相をていしていた。

 それどころかマンガ雑誌やカセットコンロのみならず、小型の冷蔵庫やスポットクーラーまで設置されているではないか。


 天井が低く薄暗いこと以外は快適な居住空間が、そこには広がっていた。


「なにこれ? 誰か住んでるの?」

「……え? 私の部屋ですけど?」

「えっなにその『……え?』って。ひょっとして俺が間違ってるのかな? ねえ、怖いんだけど」


 桐華は白銀の髪をなびかせると、林太郎の言葉が聞こえていないかのようににっこりと笑ってみせた。


「最近私の部屋の雨漏りがひどくて引っ越してきたんですよ。ご心配には及びません、風邪をひかないようちゃんと電気毛布も敷いてあるので」

「そういうこと言ってるんじゃないんだよね」

「ネズミ退治用の毒団子も節約できて一石二鳥ですね」

「うんそうだね。なんならもうネズミいるからね、大きいのが一匹」




 ………………。


 …………。


 ……。




 いっぽうそのころ、廊下を忍び足で進む妙に背の高い影があった。


 丈が少し足りない白衣、そして長く艶やかな黒髪。

 そのコントラストは影というにはあまりに目立つ。


「……大丈夫だ、なにも心配いらない……。林太郎ならきっと話せばわかってくれるはずだ……」


 湊は林太郎の部屋の前で立ち止まると、高鳴る心臓をおさえて呼吸を整えた。


 ついさきほどサメっちを相手に宣戦布告まがいのことをしてしまった矢先、林太郎と顔を合わせるのは少しためらわれる。


 故意に林太郎の秘密を暴いてしまったことは、もはや取り返しのつくことではない。

 しかし早急に誤解をといておかねば、致命的な破局を招きかねないのだ。


「うぅ……ここまで来たのはいいもののどうしよう……なんて謝ったらいいんだ……ん?」


 そのとき湊は、わずかに開いた扉の隙間から話し声が漏れていることに気づく。

 悪いとは思いながらもそっと覗いてみると、林太郎と桐華、そしてサメっちの三人がなにか話し合っているのが見えた。


『いいか黛、ネズミを始末するときはまず逃げ道をふさぐんだ』

『なるほど……追いつめて確実に息の根を止めるというわけですね』

『じゃあミナトの部屋にも仕掛けたほうがいいッスね!』


(はっ……はうあーーーーーッ!!!??)


 思わず声をあげそうになったが、湊は両手で口を塞いでなんとか耐えた。

 扉から一歩、二歩と遠ざかると廊下にぺたんと座り込む。


(ままま、間違いない、みんなでネズミを消すつもりだ……!! 仕掛けるってなんだ……なにを仕掛けるつもりだ……!?)


 きっとなにかの間違いだ、そうに違いないと湊は頭を振る。


 彼らとは同じ極悪軍団の結成メンバーとしてつちかった絆があるのだ。

 自分の耳が聞き間違えたに決まっている。



 湊は四つん這いになりながら、再び扉に近づいて中の様子を窺った。



『とりあえず、この大きなネズミの処分も考えないとな。どうしてくれようか、なあ黛』

『キツいお仕置きをするというのはどうでしょう。●●●を■■■して★★★するとか』

『アニキ、●●●ってなんッスか?』

『サメっち、今耳にした言葉は全て忘れるんだ、今すぐに。黛には後で俺から大事なお話があります』


(あわわわわわ……そそそ、そんな口に出すのもはばかられるようなことを!?)


 湊は自分の両肩を抱いて、扉から後ずさった。

 そして恐怖におののき身体を震わせる。


(そそそそそ、そんなことをしちゃって人間の身体が耐えられるのか……!!?? いや怪人の身体だけれども……!!!!!)


 緊張はピークに達し、湊の全身からは無数の刀剣がこぼれ落ちる。


 湊は慌てて拾い集めその場を離れようとするも、もはや腰が抜けて脚に力が入らない。

 まるで芋虫のように、うのていで隣の自室へと逃げ込んだ。



 そして扉に鍵をかけると、服を脱ぎ捨て浴室で熱いシャワーを頭からめいっぱい浴びた。

 嫌なことや悩みごとは、お湯に流して忘れるに限る。


 しかし林太郎の“秘密”は記憶の中から流れ落ちるどころか、心の中でますます大きく膨れ上がるばかりであった。



 つらさと後悔が、じわりと涙腺からにじみ出る。



「うぅ……うわあああん! 林太郎ぉぉぉ、ふええええええん!!」



 どれだけ洗い流しても、涙と鼻水はとどまるところを知らなかった。





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