第百七十九話「神の最期」

 迫る自爆へのタイムリミット、もはや一刻の猶予も無かった。

 わずか数分では当然出口まで辿り着くような時間は残されていない。


「入口まで走ってたら間に合わねえぞ!」

「アニキこっちッス!」


 サメっちが指さす廊下の先では、“非常口”と書かれた緑色の光が煌々と輝いていた。

 林太郎とサメっちはふたりがかりで、潜水艦のハッチのような重い扉を開く。


 外の光が差し込むと同時に、強い風がふたりの頬を殴りつけた。


「やったッス! 外ッスよ!」

「いや外は外だけど、こりゃあ……」


 遥か眼下では既に脱出した怪人や、ヒーローたちが逃げ惑う姿がとても小さく見える。


 “非常口”の位置としては、ちょうど神田神保神の脇腹あたりであろうか。

 地表まではおよそ100メートル強といったところである。


「……飛び降りるしかねえか」

「たたた、高いッスぅ……」


『9、8、7……』


 無機質な電子音声のカウントダウンが、林太郎に決断を迫る。


 しかし林太郎のよこしまな頭脳は、飛ぶな死ぬぞと警告を発している。

 デスグリーンスーツの防御性能は折り紙つきだが、衝撃を完全に逃がせるわけではない。



『5、4、3、2……』



 立ちすくむ林太郎の腕を、小さな手が引っ張った。


「ちょ待っ! まだこころの準備がぁッ!!」

「サメっちひらいめいたッス!」


 サメっちに引きずり出される形で、林太郎は上空100メートルから身を投げ出した。

 すぐさま地球の引力という抗いがたい魔物が、林太郎たちを捕らえる。


 その背後で大きな爆発音が響き、熱風が林太郎の背中をあぶる。

 林太郎は反射的にサメっちの身体を抱きしめた。


「せッ、せせせ、せめてサメっちだけでも無事にッ!!!」

「サァァァァァァァァァァァメェェェェェェェェェェェェェェ!!!!!」


 いつもの少女らしからぬ、少し太い叫び声。

 それは林太郎の胸元から聞こえた。


 林太郎の腕の中で、サメっちの小さな身体が闇色に光り輝くやいなやむくむくと膨れ上がる。


 驚愕に目を見開いたのは林太郎だけではない。

 地上で逃げ惑っていた者たちはみな一様に、空を覆うほどの大きな影を見上げて絶句した。



 高さを変えられないのであれば、自らの身体を大きくすればいい。



 100メートルを超す高さからの落下も、巨大化した怪人にとってはせいぜい2階の窓から飛び降りる程度だ。

 サメっちが咄嗟とっさに思いついたのは、怪人ならではの逆転の発想であった。



 ズズウウウウウウウウウウウウウン……。



 60メートル級の巨体と化したサメっち、もとい牙鮫怪人サーメガロは腹から大地に激突する。

 逃げ遅れたいくつかのヒーローチームが、巨体の下敷きとなった。


「いててッスぅぅぅぅぅ。アニキぃぃぃぃぃ、無事ッスかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ?」

「ああ、ああ、今まさに生のよろこびを噛みしめているよ」


 林太郎は巨大化したサメ怪人の尖った鼻先にしがみ付いていた。



 地面に倒れ伏す巨大サメ怪人の背後で、最強の巨大ロボ“神田神保神GOD”が爆炎をあげる。


 頭、胸、両腕、爆発は次々とひろがり、ついには――。




 ズドオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!!!!




 ひときわ大きな爆発とともに、巨神の身体は粉々に砕け散った。


 黄金色に輝く装甲の破片が、東京の街に降り注ぐ。

 太陽の光に照らされたそれは、まるで流星群のようであった。




 ………………。



 …………。



 ……。




 白いシーツ、白いカーテン、白い壁。


 都内某所にある病院のベッドで、鮫島朝霞はおもむろに新聞を開いた。



『壮絶な相打ち! ヒーロー本部、怪人の脅威食い止める!』

『東京守った! 秘蔵の超巨大兵器とヒーロー本部に賞賛の声!』

『多数の局地的人的災害を相手に、決死の覚悟で立ち向かった戦士たち!』


 ここ数日分の新聞には、いかにも耳障りの良い見出しばかりがずらりと並んでいた。

 ヒーロー本部は口が裂けても“また負けました”などとは言えないのだろう。


 結果だけを見れば各紙の言う通り、怪人たちとの痛み分けに近い決着であった。

 しかし蓋を開けてみればとんだ負け戦だというのに、相変わらず物は言いようだ。



 頭を抱えたくなりながら目を滑らせると、ふと視界の端にこんな見出しを見つけた。



『行方不明だった風見長官、瓦礫の下から四日ぶりに発見される』



 マスクなしとはいえ、ヒーロースーツをまとっていたことで命拾いしたようだ。

 ああいう人間ほど、存外しぶとい。



「今回の一件で大怪我を負った風見長官は即日辞任を表明……」



 朝霞が記事を読み始めたちょうどそのとき、ベッドサイドに置かれた腕時計がピピッと短く11時を告げた。

 それとほぼ同時に、病室の扉が開け放たれる。


 褐色の肌に薄っすらと浮かぶ汗、季節感のない半袖シャツに七分丈のズボン。

 そして大きなバッグを背負った男が、病室にあるまじき元気な声で挨拶する。


「朝霞さん! おはようございます!」

「昨日も言いましたが、入室の際はノックをしてください」

「ごめんなさい!」


 朝霞が入院してからというもの、暮内烈人は毎日のように彼女の病室を訪れていた。


 面会時間中ずっと彼のハイテンションにつき合わされている朝霞は、入院前と比べて少し痩せたかもしれない。

 “病院ではお静かに”という掛け札は、どうやら彼の目には入っていないらしい。


「見てください朝霞さん、今日は千羽鶴を折ってきました!」

「明日にはもう退院する予定なんですが」

「だから今日渡しておこうと思いまして!」

「……ありがたく頂戴します」


 朝霞はそう言いながら、受け取った千羽鶴をサイドテーブルにひっかけた。

 生死の境を彷徨さまよっているならともかく、むち打ちと打撲で千羽鶴を送られたのは朝霞にとって生れて初めてのことだ。


 ちなみに昨日はビクトレンジャー総勢四名による寄せ書きを受け取った。

 中央にイエローの手形が大きくついているせいか、見た目だけでいえば完全に力士のサインである。


 そのほかにも携帯ゲーム機や恋愛小説、トランプやプラモデルなど。

 病室を埋める小物は全て朝霞が暇を持て余さないようにと、この四日間で烈人が持ち込んだ私物の数々だ。


 わずか数日の入院でちょっとした民芸品店なみに彩られた病室を見て、検温にきた看護師もさすがにちょっと引いていた。


「今日は他になにを持ってきたんですか」

「定番なんですけど、朝霞さんリンゴって好きですか?」


 烈人はパンパンに膨らんだバッグから、真っ赤なリンゴを取り出した。

 朝霞がそっと覗くと、大きなバッグにはリンゴがギチギチに詰め込まれていた。


 ゾウでも入院しているのだろうか。


「食べるかなと思って持ってきたんですよ!」

「嫌いではないですが、ひとつで結構です」

「じゃあちょっと焼いてきますね!」


 烈人は満面の笑みを浮かべると、リンゴひとつを持って病室を飛び出していった。

 朝霞は引き留めようと手を伸ばしたままの姿勢で、しばらく固まっていた。



 コンコンコン。



 病室のドアがノックされる。

 我に返った朝霞は、どうぞと入室を促した。


「あらやだ、ずいぶん物が増えちゃったわね。持って帰るの大変よ朝霞ちゃん」


 病室の扉を静かに開いたのは、にこやかな笑顔の老婦人であった。

 彼女の後ろからは歳を感じさせないがっちりとした体型に、仏頂面で白髪頭の男が顔を覗かせる。


 昔からなにかと朝霞の面倒を見てくれている守國夫妻だ。

 朝霞が怪我をしたと聞いて、着替えや歯ブラシといった生活必需品を持ってきてくれたのは他ならぬ佳四子である。


「なんだ、今日は暮内は来とらんのか」

「バッグはあるみたいよ一鉄さん……あらあら、リンゴがこんなにたくさん……」

「明日退院だと聞いているが、こんなに食えるのか?」

「病院の先生がたに差し入れさせていただくのがいいんじゃないかしら」


 大量のリンゴまではあらあらと言っていた佳四子も、千羽鶴には若干引いていた。

 怪我の具合など当たり障りのない会話を交わしたのち、佳四子は花瓶の水をかえに病室から出ていった。



 残されたのは先代のヒーロー本部長官・守國一鉄と、かつてその腹心を務めた鮫島朝霞である。


 しばしの沈黙のあと、守國はおもむろに口を開いた。



「……風見の話は聞いたぞ、苦労をかけたようだな」



 見たではなく聞いた、ということは、つまるところ。

 情報操作されたニュースではなく、真実を伝え聞いたということなのだろう。


 岩のような顔に真剣なまなざしを乗せ、守國は続ける。


「ヒーロー本部がな、俺に復職しろと言ってきおった」

「長官にですか?」

「無論、断らせてもらった。俺が頭を張るような旧態依然とした組織では、昨今の怪人組織に太刀打ちできん」


 朝霞は守國の言葉に、それ以上口を挟むことなく黙ってうなずく。


 補佐官として守國を支える立場にもあった朝霞は、彼の癖をよく知っている。

 守國一鉄という男が回りくどく話すときは、重要な相談事があるときだ。



「そこで朝霞、お前にひとつ頼みがあるんだが……」



 守國がそう切り出したところで、窓の外から院長の怒鳴り声が響いた。



「こらーッ! 病院の敷地内で焚火をしているバカはどこのどいつだーーーッ!」

「わーーーッ! ごめんなさーーーーい!!」



 朝霞と守國は同時に頭を抱えた。





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