第百七十五話「英雄」

 予想外である“同格”の出現に、神田神保神胸部に位置する操縦室内はちょっとしたパニックになっていた。

 振動制御装置が働いているにもかかわらず、タガラバトリオンの一撃を受けるたびに操縦室内が激しく揺れる。


「損傷大! 腰部装甲で亀裂が拡がっています!」

「Gブロックにて回線がショート、第6から第8機関室の電力がダウンしました!」

「脚部関節スタビライザーに異常! 姿勢制御を自動から手動モードに切り替えます!」


 次々とあがってくる報告は、けしてかんばしいものではない。

 しかし、いやだからこそ、風見はつとめて冷静に職員を奮い立たせた。


「諸君、落ち着いて対応してくれたまえ。このペースならば計算上は敵のほうが先に崩壊する。攻撃を続行するんだ」

「「「了解しました!」」」


 まさにここが正念場、正義と悪の勝負どころである。

 無論、奮闘するのはなにも風見やオペレーター職員たちばかりではない。


 “ビクトレンジャー仮設司令部”と書かれたプレートがかかったオペレーションデスクでは、朝霞が眉間にしわを寄せながら戦況を見つめていた。


 そのとき、無線機のコールランプが点滅する。


『もしもしッ! あさっ……朝霞さぁん!!』

「暮内さん。早く操縦室まで上がってきてください。そこで次の作戦指示を出します」

『俺ッ……お、俺まだ、外にいますッ……!!!』

「なんですって?」


 あまりにも予想外な言葉に、朝霞は己の耳を疑った。

 そしてモニターを凝視するなり、今度は自分の目を疑うことになる。


 神田神保神と殴り合いを続ける超巨大合体ロボ、タガラバトリオンの背中に赤い豆粒のようなものが見えるではないか。


「暮内さん、どうしてそんなところに……」

『ごめんなさい朝霞さん、乗り遅れちゃって……!』


 そう、ギリギリまで怪人ロボ軍団を引きつける“囮役”を押しつけられた烈人は、神田神保神の起動に間に合わず締め出しを食らってしまったのだ。


 復興が進んでいるとはいえ、一度更地となった神保町には身を隠せる建物がほとんどない。


 頼りのビクトリースター号も破壊され、踏み潰されるのは時間の問題であった。

 そこで烈人は苦肉の策として敵ロボットの背中にしがみついていたのだが、それが裏目に出たのだ。


 巨大ロボたちが合体したことにより、200メートル近い高さまで一緒に引っ張りあげられてしまったというわけである。


「危険です、即刻退避してください。そこからは降りられそうですか?」

『うぐぐぐぐ……ちょ、ちょっと無理そうです!』


 ビクトレッドの固有武器、バーニングヒートグローブを使えば短時間であれば飛行も可能だ。

 しかしこの暴れ狂うロボから不用意に手を放してしまうと、それこそ弾き飛ばされてグローブを装着する暇もなく固い地面に叩きつけられてしまうことだろう。


 朝霞は数秒頭を抱えると、背後の操縦席に座る風見に向かって呼びかけた。



「風見長官、暮内さ……ビクトレッドの収容が完了していません。いかがいたしましょう」


 今から起動状態の神田神保神に乗り込むことなど、当然不可能だろう。

 しかし暮内烈人を“英雄”として、メディアを通じてまつり上げていた風見ならば彼を捨て置くはずはない。


 そういった判断から、朝霞は風見に指示を仰いだ。



 ところが返ってきた風見の言葉に、朝霞は再び耳を疑うことになる。




「ああ、暮内烈人の回収はしないよ」




 まるで朝の散歩中、知り合いに挨拶をするかのように。

 焦る様子など微塵もなく、ただこともなげに風見はそう言い切った。


 あれだけ烈人のことを持ち上げ、頼っていた男の言葉とは思えない。


 戸惑いながらも朝霞は風見を問いただす。


「まさか風見長官は、この状況を想定されていたということですか」

「もちろんだよ。そうでなければ彼のような愚か者・・・を英雄に仕立て上げたりはしない」

「それでは……このまま彼を見捨てるということですか」

「言葉を慎みたまえ鮫島くん。これも情報戦略の一環さ。僕のプロモーションによって、暮内烈人は真の英雄となるのだよ」


 直後大きな揺れとともに、神田神保神の巨大な拳がタガラバトリオンの左腕部を粉砕した。

 モニターの中で体勢を崩すタガラバトリオンに、2、3発と追撃の拳が入り、オペレーターたちからも歓声が上がる。


 超巨大ロボ怪人のいびつな左腕が、ついにその接続を失って大地に落ちた。


 戦いの流れが決しつつある今、風見の顔には笑みが戻っている。

 だがそれはかつてのような仮面じみた不気味な笑顔ではなく、もっと恐ろしい嫌悪感を催す邪悪な笑みであった。



「鮫島くん、人が正義を心に抱き、英雄となる瞬間とはどんなときだと思う?」

「……仰っている言葉の意味がわかりません」


 軽蔑の目で睨みつける朝霞をよそに、風見は尋ねてもいないのに言葉を続ける。


「試練を乗り越えたとき? 真実の愛を知ったとき? ……ばかばかしい。古来より人が剣を取り戦う理由はふたつしかないんだ。“奪う”か、“奪い返すか”だ。暮内烈人を見て君はなにも気づかなかったのかい?」


 風見が操縦桿を押し込むのと同時に、神田神保神の拳がタガラバトリオンの装甲を少しずつ破壊していく。

 まるで積年の恨みつらみをぶつけるように、風見は力強く操縦桿を握る。


「“死”だ。仲間くりやまりんたろうの死が彼を覚醒させた。それが英雄……そして我々がいだく正義の真実だ。弔い、遺志を継ぎ、復讐に燃える魂こそが正義なのだよ」


 仲間の死に報いようとする心、それにより暮内烈人がヒーローとしてワンランク上に達したことは間違いない。


 そして今、風見は暮内烈人という男を英雄として担ぎ上げた。


 彼を人柱とすることで、英雄なかまの死に報いる狂気的な正義の英雄ヒーローを量産するために。


「正義というものはね、悪の存在をけして許さない心そのものなんだ。この世にはびこる全ての悪をけして許容せず、微塵も残さず滅ぼし尽くす。正義に殉じる覚悟こそが矮小なる人の身を“英雄”たらしめるのさ」


 もはや虫の息となりつつあるタガラバトリオンに、風見は容赦なく追撃を加えていく。

 悪を討ち倒すという使命、それ以上の思いが彼を突き動かしていた。



 朝霞は操縦室内に目を配るが、オペレーターたちはみな押し黙ってモニターと向かい合っている。

 おそらく彼女たちは、烈人を殉職させる計画のことを事前に知らされていたのだろう。



 なにも知らなかったのは朝霞と、暮内烈人本人だけだ。

 自分なりに正義を貫いてきた朝霞は、強く下唇を噛んだ。


「私はビクトレンジャー司令官として、本作戦には賛同しかねます。やむにやまれぬ事情ならばともかく、意図して味方に犠牲を強いるのは倫理に反します」

「そんなぬるいことばかり言っているから、怪人どもを増長させてしまったのではないかね」


 神田神保神の豪快なフックが決まり、タガラバトリオンの脚部が弾け飛んだ。


「僕はね、怪人どもを絶対に許したりはしない。アカジャスティス……守國前長官が引退して、僕に長官の席が回ってきたときに誓ったんだ。必ず大先輩の仇を討つ、そのためにヒーロー本部を強く生まれ変わらせるとね。転生の儀式には生贄がつきものだろう?」



 風見は口角を吊り上げながら、正義という名の狂気に染まった顔を朝霞に向けた。



「鮫島くんだって暮内くんには手を焼いていたと聞いているよ、いい機会じゃないか。それとも彼に個人的な思い入れでもあるのかな?」

「暮内烈人をここで死なせるわけにはいきません。彼にはそれだけの価値があります」

「人類と怪人の融和にとっては、だろう? 君の計画のことを僕がなにも知らないとでも思っていたのかい?」


 そこにはもう、風見鶏などと揶揄やゆされる男の姿はどこにもなかった。


「君が特定の怪人を保護しようと躍起やっきになっていることも知っているよ。名前はなんといったかな。まあいい、調べればすぐにわかることだ」


 守國のような力はないが、そのぶん情報を武器とする風見はカードを切るべきタイミングを熟知していた。

 穏やかでありながらも、威圧的な目が朝霞に向けられる。


「鮫島くん、ヒーロー本部は公安組織だ。君ひとりの個人的な感傷のために全体の方針を変えることは許されない。だが席に戻って静かにしていてくれれば、今回のことは不問にしてあげよう」

「……………………」


 朝霞は黙って拳を握りしめると、奥歯を噛みしめながら自分のデスクに戻る。

 モニターの中でバランスを崩す怪人たちの超巨大ロボ、もうもうと立ち込める土煙のせいで烈人の安否はわからない。


 だがほんの一瞬、巨大なロボの背中からなにか紐のようなものでぶら下がっている赤い影が朝霞の目に映った。



 なにも知らない暮内烈人は、まだ諦めずに戦っているのだ。




 朝霞はオペレーションデスクから自分の荷物を担ぎ上げた。

 そして通信機に向かって話しかける。


「暮内さん、少しだけ耐えてください。これは司令官命令です」


 一方的な通話の後、朝霞はいつも冷静沈着な彼女とは打って変わって乱暴に通信を切った。

 今まさに作戦行動中であるにもかかわらず、オペレーションデスクを離れようとする朝霞を風見が呼び止める。


「鮫島くん、君の立派なキャリアを棒に振ることはない。自分の持ち場に戻りたまえ」

「本部直轄地であろうと、ヒーローチームには担当管轄内での独自裁量権が与えられています。それに……」



 朝霞はメガネをかけなおすと、司令官の帽子と上着を脱ぎ捨てて言った。



「あそこが私の持ち場です」






 …………。






 いっぽう、時間は少し戻ってタガラバトリオンの背中。


 暮内烈人は装甲の端っこに、必死にしがみついていた。



「ぐおおおおおお!! どうすればいいんだあああああ!!! 助けて朝霞さああああああん!!!!!」


 タガラバトリオンが殴るたび、殴られるたび、烈人の身体は右に左に上に下にと振り回される。


 いびつな形状のタガラバトリオンとはいえ、超巨大ロボを構成するパーツのひとつひとつは60メートル級の巨大ロボである。

 掴まるべき突起は少なく、烈人は指先の力だけでぶら下がっているような状態であった。


 しかしいくらヒーロースーツをまとっているとはいえ、人間の握力には限界というものがある。

 もはやビクトレッド、暮内烈人の命運は尽きようとしていた。



「ぐぬぬぬぬぬぬ……げ、限界を超えろ俺!! 頑張れ俺えええええ!!!」



 指先がもう無理だと訴え始めたそのとき、烈人の目の前でコックピットのハッチが開いた。

 そこから顔を出した男の顔、正確には顔を覆う緑のマスクを見て、烈人は思わず声を上げた。


「「あっ」」


 ふたりの男の声がシンクロする。


 直接対峙した有明埠頭ありあけふとう以来、烈人がその顔を忘れたことはない。



「貴様は!! 極悪怪人デスグ」

「落ちろこの野郎!!!」


 ズンッ!!


 烈人が言い切る前に、緑色のブーツが烈人の指先を一切の躊躇ちゅうちょなく力いっぱい踏みつけた。


「うぎゃああーーーッ!!! いでででででででで!!!!!」

「ただでさえ命がけのクライミングだってのに、また俺の邪魔をするつもりか! さっさと落ちろよ!!」

「落ちてたまるかーッ! 地面まで何メートルあると思ってるんだ!」

「お前なら死にゃあしないだろ! このっ! このっ!」


 史上最大規模、まさに神話レベルの戦いを繰り広げる神田神保神とタガラバトリオン。

 その背中で、あまりにもみみっちすぎる正義と悪の骨肉の争いが繰り広げられる。


 開け放たれたままのハッチから、外の騒ぎを聞きつけたサメっちが顔を出す。


「アニキだいじょぶッスかーーー? うひょあッ、たたた高いッスぅ」

「サメっち出てきちゃダメだよ! 危ないから中に戻ってなさい!」



 ――しかし次の瞬間――。



 ズズン!!



 ひときわ大きな衝撃とともに、タガラバトリオンの左腕が砕け散った。

 神田神保神との殴り合いを続けた結果、腕部装甲が音を上げたのだ。



「はわッス!」



 大きな揺れにバランスを崩した林太郎と烈人の頭上で、少女の短い悲鳴があがる。


 根性でしがみついている烈人や、命綱のある林太郎と違い、サメっちには身体を固定するものがなにもない。



「はっ、サメっち!?」



 林太郎が慌てて見上げたとき、既にサメっちの小さな身体は高さ200メートルの空中に放り出されていた。



「あわっ、アニキぃぃぃーーーッ!」

「サメっち掴まれーーーッ!!」



 林太郎は千切れんばかりに腕を伸ばした。


 しかしその指先から、小さなてのひらがするりと抜け落ちる。



「ッスゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!」



 一瞬出遅れた林太郎の目の前で、サメっちの身体が重力に吸い込まれていく。

 林太郎は装甲を蹴り上げ身体を投げ出したが、その手はほんのわずかに届かない。



 邪悪な脳裏に、最悪の事態がよぎる。



「サメっちぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!」






「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッッッ!!!!!」




 そのとき――赤い閃光がきらめいた。




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