第百七十六話「紅のヒーロー」

 落ちれば助かろうはずもない200メートルの高さから、正義のヒーロー・ビクトレッドはその身を投げ出した。


「冴夜ちゃんッ!!!」


 宙を舞うサメっちの両足首を、赤い両手がガッシリと掴む。


 たとえ怪人といえども、少女を見殺しにしたとあっては正義のヒーローの名折れである。

 ましてやその少女が、同居人であり上司である朝霞の妹となればなおのことだ。


「もう大丈夫だぞ冴夜ちゃん! …………あっ」


 烈人はホッと一息ついたところで、血の気が引くのを感じた。

 サメっちに続き、後先も考えず投げ出された烈人の身体が重力に引かれる。


 当然のことながら、烈人は命綱などつけてはいない。


「しまったあああああああああああああああッッッ!!!」

「ひょええええええええええッスぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!」



 大地へ真っ逆さまに吸い込まれるのも時間の問題かと思われた、次の瞬間。

 今度は烈人の足首が、何者かによってガッシリと掴まれる。



「くそっ! 不本意だ! まったくもって不本意だ!!」



 緑色の悪の怪人が、全身を猫のように伸ばして烈人の両足首を握りしめた。

 烈人が間に挟まることで、林太郎だけではけして届かなかったであろうサメっちまでの距離が埋まったのだ。


「アニキぃーーー!」

「で、デスグリーン!? 何故お前が俺をッ!?」

「お前のためじゃねえよ!! 烈人てめえその手絶対放すなよ! もし放したらお前の実家を更地にして駐車場にしてやるからな!!!」


 サメっち、烈人、林太郎の三人は、まるで人間はしご・・・・・のような状態で落下していく。

 100メートル以上落ちたところで林太郎の腰に巻き付けられた命綱がピンと張り、三人は連結したままタガラバトリオンの太腿あたりにぶら下がった。


「ぐえぇーーーッ!!」


 三人分の体重が腰にかかり、林太郎が潰れたカエルのような声をあげる。

 しかし、その程度の衝撃で手を放すような林太郎ではない。


「助かったのか俺たち……ふう、一時はどうなることかと思ったぞ!」

「やったッスねアニキ! これで無事おうちに帰れるッス!」

「お前さんたちはどうしてそう迂闊うかつに死神を招くようなことを口にするんだ!」


 林太郎のツッコミが冴え渡った直後、神田神保神の激しい攻撃にさらされタガラバトリオンが大きく揺れた。

 遠目に見ると少し怯んだだけに見える揺らぎも、200メートル級となれば相当なものだ。


 ましてやその身体から、綱一本でぶら下がっている林太郎たちが無事でいられるはずもない。


「「「ぎゃああああああああああああ!!!」」」


 宙ぶらりんの三人は、絶叫をあげながら大きな弧を描く。

 まるでセコイアの木に吊るされた空中ブランコのようだ。


 大きな拳の直撃を受け、林太郎たちのすぐ目の前でタガラバトリオンの大きな脚が粉砕された。

 凄まじい轟音と衝撃波が、一蓮托生となった三人の全身を襲う。


「まずいぞ、タガラックロボが崩れる!」

『誰がタガラックロボじゃい! タガラバトリオンじゃーッ!』

「どっちでもいいですよそんなの! タガラック将軍耐えてください!」

『も、もう無理ぃーーーッ! ごめんちゃいなのじゃーーーッ!!』


 林太郎の無線から、タガラックの悲痛な叫び声が響く。

 バランスを崩したタガラックロボ、もといタガラバトリオンはゆっくりとだが確実に崩壊へと向かっていた。


 サメっちと林太郎に挟まれた烈人は八方塞がりの状況を前に、マスクの下で歯を食いしばった。


 ただでさえ先ほどまでロボットの装甲にしがみついていたのだ、烈人の指にはもうほとんど力が入らない。

 しかしこの手を放してしまうと、サメっちは地面へ真っ逆さまだ。


「くっ……もう、握力が……限界だ……俺はいったいどうすればいいんだ……!」

『暮内さん、少しだけ耐えてください。これは司令官命令です』

「朝霞さん!? 朝霞さん! ぬおおお、通信切れちゃった! 朝霞さあああん!!」


 朝霞司令官からの一方的な通信は、乱暴にブツンと切られた。

 しかし朝霞の言葉は、烈人のくじけかけた心に再び炎を灯らせる。


 冷静な割に少々抜けている司令官であるが、その彼女が耐えろと言ったならば烈人は石に噛りついてでも耐えるまでである。


「うおおおおおおおおおおおおおおッ!! 俺はまだ終わってないぞおおおおおおおッッッ!!!」


 烈人は最期の力を振り絞り、腹筋の要領で身体を曲げるとサメっちの身体を林太郎の目の前まで持ち上げた。

 サメっちはすかさず、空いている両手で林太郎の身体にしがみつく。


「デスグリーン、冴夜ちゃんを頼む!」

「さ、サメっちぃぃぃ!!」

「アニキぃ! 怖かったッスぅ!!」


 ひとまずこれでサメっちの身の安全は確保できたと言っていいだろう。

 残っていた力のほとんどを使い果たした烈人は、ぐったりと身体を垂らす。


 彼の足首を掴み、生殺与奪を握るのはかの宿敵・デスグリーンである。


「烈……ビクトレッド、お前」

「勘違いするなよデスグリーン! 俺は両手さえ空けば、バーニングヒートグローブを使って空を飛べるからな!」

「じゃあ放していいか?」

「ちょちょちょ、ちょっと待て!」



 烈人は慌ててバーニングヒートグローブを取り出そうとして――。



 ――あろうことか、手を滑らせた。



「のあああああああッ!!! しまったあああああああああああッッッ!!!」



 はるか下の地面へと、真っ赤なグローブが落下していく。

 頭を抱える烈人は、その様子をただ眺めていることしかできなかった。


 マスクの下の顔がサーッと青く染まっていく。


「い、いくら卑劣で外道なお前でも、まさかそんなことはしないよね」

「教えてやろう。俺には腹に据えかねるレベルで嫌いなものがふたつある。ひとつは“お前”だ暮内烈人」

「……も、もうひとつは……?」



 烈人がおそるおそる尋ねるのと同時に、大地を揺らす轟音に混じって風を切るプロペラの音が耳に届いた。


「暮内さん!」


 一人用のドローンに乗った朝霞が、烈人の名を叫ぶ。

 その開かれた操縦室のハッチに向かって、赤い身体が投げ飛ばされた。


「ぷわァっ!」


 烈人が放り込まれたことでドローンは一瞬体勢を崩したが、すぐに持ち直した。

 しかし重量オーバーのため高度を落としつつ、ぶら下がったままの林太郎たちからはどんどん離れていく。



「デスグリーン! 冴夜ちゃん!」



 叫びもむなしく、ドローンはふらふらと飛行しながら落ちていく。

 崩れゆく超巨大ロボットを背景に、小さくなっていく緑の影が烈人を見下ろして言った。



「もうひとつは“てめえに借りを作ること”だよ。わかったらさっさと行け、目障りだ」



 その声はドローンのプロペラ音と、一方的なリンチを続ける超巨大ロボの轟音の中にあって、確かに烈人の耳に届いた。


 直後、飛び散ったタガラバトリオンの破片が四つあるプロペラのひとつに直撃する。


「不時着します。暮内さん、しっかり掴まっていてください!」


 言うが早いか、ドローンの操縦席に警報音が鳴り響く。

 アナログ計器はぐるぐると回り、小さな液晶モニターにはいくつもの警告文が躍る。



 コントロールの大半を失いながら、ふたりを乗せたドローンは地面に衝突した。




 …………。




「朝霞さん! しっかりしてください、朝霞さん!」



 上空から鋼鉄の破片と火花が降り注ぐ中、烈人は奇跡的に原型を留めているドローンの操縦席から朝霞を引っ張り出す。

 袋叩きにされるタガラバトリオンからすぐさま距離を取り、頭から血を流す朝霞の身体を安全な場所に横たわらせた。


 ヒーロースーツを身にまとっていた烈人とは違い、朝霞は生身で墜落の衝撃を受けたのだ。

 烈人はマスクを脱ぎ捨て傍らに置くと、朝霞のバイタルサインを確認する。


 部下を救うため超巨大ロボ戦闘に巻き込まれる危険さえも顧みない行動に、烈人は思わず朝霞の手を強く握りしめていた。


「目を覚ましてください朝霞さん!」

「…………うっ……暮内、さん……」

「よかった生きてる! 朝霞さんなんでこんな無茶を!」


 烈人は朝霞の手を握ったまま、彼女の思いのほか華奢な背中を抱き起こす。

 全身を強く打ってはいるものの、命に別状はなさそうだ。


「命を張るのは俺の役目です。朝霞さんが死んじゃったら、俺悲しいです!」

「暮内さん……私はあなたに、謝らなければ……ならないこと、が……」


 朝霞が何かを口にしようとしたそのとき、烈人のビクトリー変身ギアが赤く明滅した。

 それは今まさにタガラバトリオンにトドメをささんとする、神田神保神からの通信であった。


『やあやあ暮内くんに鮫島くん、無事でなによりだ。こちらもそろそろ片付きそうだよ』

「風見長官、作戦は成功ですか!? やりましたね!」


 もはやタガラバトリオンの左半身は粉々に砕かれ、残る右半身もぼろぼろであった。

 何も知らない烈人は、見事超巨大怪人ロボを討ち倒した風見と神田神保神の活躍を素直に喜んだ。


『ああ、ほぼ成功だよ。しかし最後の仕上げが残っていてね。君の協力が必要不可欠なんだ』

「任せてください! 俺にできることなら何でもやりますよ!」

『それは頼もしいね』


 嬉々としてやる気をみせる烈人は、己の身に危険が迫っていることなど知るよしもない。

 朝霞は今朝自分が手渡した、烈人のビクトリー変身ギアに手を伸ばす。


 そしてそこから聞こえてくる声の主が、今から何をしようとしているのかを察した。



「か、ざみ……!」



 そのビクトリー変身ギアは、風見の手から朝霞に、そして烈人へと渡ったものだ。

 風見は何度も、ギアがちゃんと烈人の手に渡ったかどうかを確認してきた。


 烈人を殉職させるべく、用意周到に計画を練っていた風見のことだ。

 果たして怪人に倒されたり、戦闘に巻き込まれるなどといった不確定要素に作戦のキモを担わせるだろうか。


 いや、必ず保険をかけているはずだ。


 そこから導き出される答えはひとつ。



 風見は烈人の息の根を確実に止める方法を、別に用意していた・・・・・・・・



『戦闘のさなか怪人の奇襲攻撃を受け、人知れず職務に殉じる。それがシナリオだ。安心したまえ、君の正義の魂は必ずや新しいヒーロー本部に受け継がれる。仇討ちの心が我々を今よりずっと強くする』

「風見長官? どうしたんですか? 仰っている意味が……」

『鮫島くんまで巻き込んでしまうのは本当に心苦しい。しかしこれも強きヒーロー本部を作り上げるための礎なんだ。理解してくれることを祈るよ。それでは』




 目の前にある勝利を確信しながら、風見は赤いヒーロースーツに仕掛けられた“高性能爆弾”のスイッチを押した。





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