第百六十七話「タガラックの要望」

「廃車じゃな」


 金髪幼女は開口一番、青筋を立ててそう言った。


 バンパーは大きくへこみ、サイドミラーは折れ、フロントガラスは砕け、運転席側のドアは外れている。

 原型を残しているのは四つのタイヤとエンジンぐらいだ。


 横浜で烈人をはねた後、通報を受け次々と追いすがってくるヒーローたちとの壮絶なカーチェイスが繰り広げられた。

 林太郎が秘密の地下レーンを通ってタガデンタワー地下駐車場に辿り着いた頃には、高級セダンはただの動く鉄塊と化していた。


 戻ってきた愛車の無惨な姿を目にした絡繰将軍タガラックは、これまでに一度も聞いたことがないような悲鳴をあげた。

 おなかを押すと音が鳴る黄色いチキンのおもちゃを本気でしめたらこんな声で鳴くのではなかろうか。



 そして今、林太郎たち極悪軍団及び貸与の許可を出した総帥ドラギウス三世の計五名は、冷たい地下駐車場で正座させられている。


「うぅ……この歳でコンクリ打ちに正座は老人虐待なのである……」

「ほーう、孫にせがまれてわしの大事なセンチュリちゃんをほいほい貸したマヌケは、どこのどいつじゃったかのう」


 へこんだボンネットの上に腰掛けるタガラックの顔には、隠しきれない怒りの色がありありと浮かんでいた。

 シルクのような長い金髪が、怒りのオーラで少し浮いているようにも見える。


「……おい黛、あの車がタガラック将軍の私物だったなんて聞いてないぞ」

「……だってセンパイ、一番いい車を借りて来いって言ったじゃないですか」


 実行犯とも呼ぶべきふたりが、コソコソ話しながらお互いの脇腹を小突く。

 ただ忘れないでいただきたいのが、そのうちひとりは脇腹に傷を抱えているということだ。


「はっぎょ……ッ!」

「なんじゃい林太郎、真っ青な顔をしよってからに! おぬし、わしのセンチュリちゃんがいったいいくらすると思っとるんじゃーっ!」


 怒ったり泣いたりと、タガラックの人形ボディは人間よりも感情豊かであった。

 タガラックはどこからともなく取り出した電卓を、感情に任せてバシバシと叩く。


「型落ちとはいえ国産最高級セダンのカスタムオーダーメイド、走行距離もたったの……うっ、うっ……中古末端価格で1000万は下るまいて……」

「1000万円ッスか!? うまうま棒ひゃくまん本買えるッス! ……ふふふッス、サメっちは同じ過ちを繰り返さないッス」


 ビシッと親指を立ててドヤ顔をきめるサメっちとは裏腹に、林太郎の顔からはみるみる精気が抜け落ちていった。


「い、いっせん、まん、えん……」

「これでも相当安く見積もったんじゃぞ! それに額面は1000万じゃが、値段の問題ではないッ! わ、わしの大事なセンチュリちゃん……およよよよ……」


 泣き崩れるタガラック、しかし泣きたいのは林太郎も同じである。


 ザゾーマから受け取った400万円強のバイト代に、ベアリオンから貰った140万円を合わせてもまだ足りない。

 あれほど必死になって身体と心に傷を負ってまで稼いだ苦労は、いったいなんだったのだ。


 林太郎は正座したまま、糸が切れた人形のようにぐったりと倒れ伏した。


「ひゅぅぅぅぅぅぅぅ……」

「おい林太郎! ダメだ、心臓が止まってる! 呼吸も!」

「はわわ! じ、ジンコンコンキューッス!」



「「「……………………」」」


 “人工呼吸”の一言に、湊、桐華、サメっちの三人が黙って顔を見合わせる。


「こほん……仕方ない。ここは医療の資格を持つ私が」

「いえいえ、救急救命措置については私も一通り学んでいますので」

「はいはーいッス! サメっちやりたいッスゥ!」



 三者三様の主張に揉まれ、いっこうに始まらない蘇生措置。

 その間にも、林太郎の身体はどんどん冷たくなっていく。


「はぁ……仕方のないやつらじゃのう」


 見かねたタガラックがパチンと指を鳴らすと、地下駐車場のコンクリ地面を突き破って巨大な機械怪人が現れた。


 ゴリラのような外見だが頭にはパトランプを乗せ、巨大なバックパックを背負い、顔には禍々しいガスマスクが装着されている。

 そして胸には大きく赤い文字で“AED”と描かれていた。


「絡繰軍団製造ナンバー299、救急怪人キュキュゴリラじゃ。おーいキュキュゴリラ、いっちょやってくれい」

「ウホッ。心肺の停止を確認。ゴリります」


 丸太のような両腕が林太郎の身体を抱き起こす。

 団員たちが唖然と見守るなかそれはもう濃厚で濃密な蘇生措置が取られ、林太郎はかろうじて一命を取り留めたのであった。


「げっほ! げほっ……ハッ、俺はいったい……何を……?」

「アニキの雄姿はちゃんと動画に収めてあるッスよ」

「うっぷ、ありがとうサメっち。けれど俺の本能がそれを見ちゃいけないって言ってるよ」


 コンクリの床に這いつくばる林太郎に向かって、タガラックは手を差し出した。

 それを掴もうと伸ばした林太郎の手に“デスグリーン変身ギア”が手渡される。


「タガラック将軍、これは……修理が終わったんですか? お、お代は……」

「まー、わしも鬼ではない。おぬしら極悪軍団が金に困っておることも知っておる。ちょいとわしの頼みを聞いてくれるなら、車の件も含めてチャラにしてやってもよいぞ」


 にこりと優しく微笑むタガラックは、まるで純白のドレスをまとった天使のようであった。

 不気味に思いながらも林太郎が笑い返すや否や、その天使の顔が一瞬にして悪魔に変わる。



「よもや断れるとは思っておるまいなァ?」




 ………………。



 …………。



 ……。




 その日の深夜、千代田区神保町にそびえるヒーロー本部新庁舎。


 バサッ、バササッ。


 月のない夜空に紛れて、その屋上に三つのパラシュートが降下した。


「こちらDG、潜入ポイントへの降下に成功した」

『了解、こちらミナト。レーダーでも確認した、さすがだ林太郎。やはり屋上の警備は甘いようだな』

「ああ、地上の警備に比べりゃザルもいいところだ。よし、各自装備を確認しろ」


 降り立った三つの影は、それぞれに緑、青、黒の全身タイツを身にまとっていた。

 素顔を隠すために、頭全体をすっぽりと覆うタイツと同じ色の目出し帽を被っている。


「ええっくし! ……この格好、寒いな」

「夜はまだまだ冷えるッスからね。サメっちはタイツの下にカイロ仕込んできたッス」

「私はヒートテック2枚重ねなので、むしろ暑いぐらいですよ」

「ずずっ……俺もそうすりゃよかったよ。よし、さっさと仕事を終わらせて帰るぞ」


 林太郎はドライバーを取り出すと、慣れた手つきで通気口のふたを外しにかかった。

 ここからダクトを伝って、最上階の長官室に侵入できるという手筈てはずである。



 目的は長官室の金庫の中に眠る、ヒーロー本部の機密情報である。



 新兵装の開発プランであったり、人事資料であったり、緊急対策用のマニュアルであったり。

 しかしタガラックいわく、最も重要なものは“神保町の開発計画”に関する資料とのことである。



 ここ神保町が巨大化怪人の襲来で更地と化した事件は記憶に新しい。

 現在ヒーロー本部はこれを好機とばかりに、補償と称して土地の買い上げを進めている。


 それは神保町一帯をヒーロー本部関連施設で埋め尽くし、区画そのものを対怪人要塞化しようという計画に基づいたものだ。


 アークドミニオンにとって見過ごすわけにはいかないが、計画の全容を知ることで逆に利用してやろうというのが本作戦の狙いであった。



 林太郎はすべてのネジを外し終えると、サメっちと桐華にアイコンタクトを送る。

 ふたりの全身タイツはそろってグッと親指を立てた。


 作戦をサポートするため、後方の作戦本部に詰めている湊から通信が飛ぶ。


『よしみんな、作戦内容を再確認するぞ。目的の資料を転写コピーしたら証拠を残さずに立ち去る。侵入に気づかれた時点で作戦は失敗、プランBに移行だ。いいな?』

「あいあいッス!」

「了解しました」

「ああ、わかっている。バックアップは頼んだぞ」

心得こころえた。作戦の成功と無事を祈っているぞ、林太郎』


 林太郎が重い蓋を外すと、ついに侵入路がその口を開いた。


 ダクトからは、外気よりも冷たい空気が流れてくる。

 しかし新築なだけあって、ホコリやクモの巣といった心配はなさそうだった。


「狭いけどひとりずつなら入れそうだな。ここは小柄なサメっちに先行してもらおうか」

「サメ・クルーズにおまかせッス。サメっちはきらめくパッションブルーッス」

「うん。とても不安だけど、任せたよサメっち」


 サメっちはするりと、小さな体をダクトに滑り込ませた。

 彼女の後から林太郎、桐華と続く。



 極悪軍団による、ヒーロー本部庁舎潜入作戦が開始された。





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