第百六十話「紫羽誘火」

 エレベータを降りると、そこは既に部屋の中だった。


「はわあああ広いッスぅ!!」

「はしゃぎ回っちゃあいけないよ。転んだら窓を突き破って高さ八十五メートルから地面に激突しちゃうかもしれないからね」


 ホテルの最上階はワンフロアを丸々ぶち抜いた、最高級スイートルームとなっていた。

 ちなみに後で林太郎が調べたところ、一泊二百万円もするそうだ。


 先行する案内役の神木が、はたと足を止めうやうやしく頭を下げる。


「誘火様。デスグリーン様御一行をお連れ致しました」

「ほっ、ほきゃ……つつつ、ついにSHIVAと対面だ……!」

「アニキ顔が怖いッス!」


 澱んだ目を四白眼に見開く林太郎と、SHIVAよりむしろそんな団長の様子が気になる団員たち。



 一行の視線の先に、かの人物は背を向けてたたずんでいた。




 まず目に入ったのは薄紫色に輝く、蝶の鱗粉のような美しい髪だ。

 ブリーチや染色ではない、生まれながらにこの色なのだろう。


 そして線の細い、ファッションモデルのような高い背丈。

 確かな存在感を示しながらも、淡い色のガウンからすらりと伸びた長く白い手足はまるで重量というものを感じさせない。


 その後ろ姿だけでも、他人を魅了する魔法を放っているかのようである。



「………………」



 まるで水面に浮かぶ花弁はなびらのように、SHIVAはゆったりとした動作で振り向く。


 彼の顔は鼻から上がまるでオペラ座の怪人のような、白いファントムマスクによって覆われていた。



「……………………」



 最高位の魔術師アーク・メイジ・SHIVAはいかなるメディアでも一切言葉を発したことがない。

 彼の幻想的な魔術の数々に言葉のまやかしは必要ないからだ。


 プライベートでもそれは徹底されているようであった。


「誘火様は『よくぞいらしてくださいました』と仰っています」


 静かに微笑むSHIVAの言葉は、神木によって代弁される。


「は、はいっ! いや、ほんっ、その、勿体ないお言葉を……」

「台無しですセンパイ。さっきのハグが台無しですよ」

「でもほら、だって本物、本物で、あひゅっ」


 林太郎はSHIVAを前にして、完全に舞い上がっていた。


 仮面越しなのに……否、仮面越しだからこそ。

 彼の妖艶な所作と相まって、林太郎は目の行き場を失ってしまう。


 仮面の奥に隠された瞳が、まるで林太郎という男を品定めでもしているかのように感じる。

 そうして彼と相対する者は否応なしに、“手綱を握るのはSHIVAである”と自覚させられるのだ。


 行き場を失った林太郎の目は、薄く微笑む紅をひいたような唇に奪われる。

 まるで月下に咲く黒百合のように、音もなくゆっくりと開花する唇の隙間から真っ赤な舌がちらりと覗く。


「……………………」

「ちょりッス!」


 頭に血を昇らせてガチガチに固まる林太郎をよそに、サメっちはSHIVAと驚くほど軽い挨拶を交わしていた。

 友達感覚でSHIVAと接するサメっちを、林太郎は驚くべき速さで小脇に抱えて引きはがす。


「サメっち! サメェっち! サメェェェっちぃぃぃぃぃ!!!」

「ほえ? なんッスかアニキ?」

「なんッスかじゃないよ、なにやってるんだよぉぉぉ!? なに“ちょりッス”って、どういう距離感なの!? あわわ、たたた大変な失礼をば……」


 林太郎の顔は真っ青になり、頭からは冷や汗がダラダラと流れる。

 慌てふためく林太郎に対し、SHIVAは静かに微笑みかけた。


「……………………」

「誘火様は『構いません。どうぞお掛けになってください』と仰っています」


 どうやら怒ってはいないようだと、林太郎は胸をなでおろした。


 しかし林太郎の目には、SHIVAは本当に一言も発していないように見えているのだが、神木が翻訳するあのシステムはいったいどういう仕組みなのだろうか。


 いやいや最高位の魔術師アーク・メイジと呼ばれるほどの人物だ。

 テレパシーぐらい使えても不思議ではない。


 林太郎は自分にそう言い聞かせた。



「……………………」

「誘火様は『開演時間が迫っているので、手短に用件だけお伝えします』と仰っています」


 だったらなおのこと、己の口で説明したほうが早いのではないだろうか。

 という喉まで出かかった言葉を、林太郎は心のブレーキを踏み抜く勢いで抑え込んだ。




 信じられないぐらいフカフカのソファに腰を下ろし、林太郎が落ち着きを取り戻したところで話は本題に入る。


「……………………」

「かしこまりました誘火様。では不肖この神木めがご説明いたします」


 そう言うと神木は、みなとみらいのものらしき地図を取り出してテーブルの上に広げた。


 地図にはいくつかの箇所に、紫色のバツ印がつけられている。

 おそらくはマジックショーの警備計画書だ。


 舞台の中心からかなり離れた場所に、緑色の大きなバツ印が描かれていた。



「デスグリーン様。そして極悪軍団の皆様にお願いしたいのは、陽動でございます」

「陽動……? マジックショーなのに? あ、ミスディレクションってやつですか!?」


 林太郎がうきうきしながら聞き返すと、神木は黙って首を横に振った。


「ひいていただきたいのはお客様の目ではなく、ヒーロー本部の目でございます」

「…………ヒーロー……!?」


 聞き慣れたその言葉に、林太郎のみならず極悪軍団全員の顔が険しくなった。


 さしもの舞い上がっていた林太郎も、ヒーローという単語に息をのむ。



 SHIVAはそんな彼らの顔を見て、こめかみに人差し指をあてがった。

 表情はほとんど読み取れないが、どうやら頭痛の種らしい。


「ご存知かもしれませんが、誘火様は世界中の公安よりあろうことか怪人容疑をかけられマークされております」

「ええ、まあ。あれだけポンポン文化遺産やらランドマークを消してたら、そりゃあ……」

「今夜のマジックショーが行われている間だけで構いません。ヒーロー本部の者たちが介入しないよう、彼らの注意を引きつけていただきたいのでございます」

「なるほどね、それで陽動ってわけですか……」


 緑の大きなバツ印はつまり、ここで目立つ騒ぎを起こしてヒーロー本部を挑発しろということなのだろう。


「林太郎……さすがに相手が悪いんじゃないか……?」

「SHIVAの役には立ちたい……立ちたいけどみんなを危険にさらすわけには……」


 湊の言う通り怪人狩りを使命とするヒーローたちは怪人の天敵だ、可能な限り関わり合いにはなりたくない。


 更に林太郎にはヒーローを相手取るに際して、ひとつ大きな懸念があった。



 先の戦いでヒノスメラに燃やし尽くされた、“デスグリーンスーツ”の修理がまだ終わっていないのだ。



 いくら尊敬する人物からの頼みとはいえ、そもそも手段がないようでは話にならない。


「期間はショーが行われている一時間。報酬はおひとり様あたり100万円、計400万円をご用意させていただいております」

「ぐぬっ……時給100万円……!?」

「もしヒーローたちが現れなくても報酬は満額お支払いいたします。いかがでしょうかデスグリーン様」


 林太郎は苦し紛れに団員たちのほうに目をやる。



「海が近いから、サメっちはいけるッスよ。むしゃむしゃ!」


 出された紅茶のつけ合わせのお菓子をもりもり食べるサメっち。


「私はその、あんまりアテにしないでほしいというか……林太郎がやれって言うならやるけど……」


 ヒーローと聞いて不安そうな顔で居心地悪そうにしている湊。


「…………! …………ッ!!」


 そして任せておけとばかりに、無言で親指を立ててウィンクをする桐華。

 彼女にいたっては報酬やヒーロー云々よりも、林太郎に貸しを作るチャンスだと思っていそうだ。



「……引き受けてくださいますね」


 答えを聞くまでもないといった調子で、神木は林太郎に問いかける。

 林太郎は腕を組んで少し考えると、眉間にしわを刻みながら声を絞り出した。



「わかりました。お受けしましょう……ただし」

「ただし……?」



 顔を真っ赤にしながら、林太郎はその条件を口にした。



「し、しし、SHIVAのサインを……」



 おそるおそる告げられた要求に、SHIVAは“ふふっ”と小さな笑みをこぼした。




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