番外編

第百二十五話「守國一鉄の憂鬱」

 戦士の朝は早い。



 男の名は守國もりくに一鉄いってつ、またの名をアカジャスティス。


 日本初となるヒーローチーム・ジャスティスファイブのリーダーを務め、以来50年にわたり日本の平和を第一線で守り続けてきた戦士である。

 彼の歴史はヒーロー本部の歴史であり、その身にはおびただしい数の古傷と、敵味方問わず散っていった者たちの魂が宿っている。


 しかし50年ともなると、しみついた習慣は身体からなかなか抜けないもので。

 守國は先日引退を表明してからも、早朝トレーニングを毎日欠かさず行っていた。


佳四子かよこさん、行ってくる」

「行ってらっしゃい一鉄さん」


 まだ暗い2月の午前5時。

 守國は玄関先でランニングシューズを履きながら、妻の佳四子と短い言葉を交わす。


 ふたりの間に子供はいない。

 武運には恵まれた守國であったが、ついぞ子宝には恵まれなかった。


 守國はその原因が自分にあると考えていた。


 ヒーローにとって、守るべき家族は同時に代替のきかないアキレス腱でもある。

 引退前に家庭を築くことは、愛する家族を怪人の脅威に晒すことに他ならないのだ。


 そのため一般のヒーローであれば20台後半、遅くとも30台半ばには引退し家庭を持つ。


 しかし初代ヒーローという肩書きを背負い、強い責任感を抱いていた守國はなんと48歳まで現役で最前線に立ち続けた。


 引退後も20年にわたりヒーロー本部長官という、常に危険と隣り合わせの立場にあった守國は、いつしか自分の子を諦め部下を我が子のように慈しむようになった。


 師として父として、時に厳しく時に優しく、後進の育成に力を注いできたつもりである。



「……今度、犬でも飼ってみるか」



 シューズを履き終えると、守國はぼんやりとそう呟いた。

 今まで動物を飼うなど考えもしなかった仕事一筋の男の言葉に、佳四子が目を丸くする。


「鍛え甲斐のある大きいやつをな」

「あらあら、いいわね。……ふふふ」

「俺が犬を飼うのはおかしいか?」

「いえ、一鉄さんの目が可愛かったものだから、つい」


 守國はバツが悪そうに頭をかくと、恥ずかしさを誤魔化すように咳ばらいをした。

 長年連れ添ってはいるが、歴戦の戦士守國一鉄も妻の佳四子には連敗続きである。


 さっきよりも小さな声で「行ってくる」とだけ言うと、守國は玄関の戸を開いた。




 そして目の前でうごめく大きな毛むくじゃらの影を見て、すぐに戸を閉めた。




(なんだ今のは……!? 怪人か……? いやそれにしては小さかったような……)



 ヒーロー本部に長らく籍を置いていた守國は、職務柄怪人から目の敵にされることが多い。

 それでも近年では、守國の自宅を直接襲撃するほど気骨のある怪人はいなかった。


 だが引退したヒーローが襲われるという話も、歴史上まれではあるがなかったわけではない。

 守國はもう一度そっと戸を開いて、わずかな隙間から外の様子を窺う。



 そこにいたのは大きなクマであった。



 体長およそ1メートル半、怪人ではなくどこからどう見ても野生のツキノワグマである。


 しかし驚くことにそれだけではない。


 ウサギ、キツネ、タヌキ、サル、シカ、カモシカ、ハクビシンなど。

 十数匹からなる多種多様な野生動物たちが、守國の家の中庭でたむろしていた。


「なんだこれはァーーーッ!!!」

「あらあら、まあまあ、可愛らしいわね。おすわり」

「いや佳四子さん、こいつらどう考えてもこの辺の動物じゃないぞ!」


 自宅が知らぬ間にサファリパークと化していたことに、さすがの守國も動揺を隠せない。

 そんな守國とは対照的に、佳四子は早くも動物たちを手懐けていた。


「朝早くに申し訳ありません、守國元長官」

「ご無沙汰しています守國さんっ!」


 動物たちを連れ立って、一組の男女がビシッと敬礼をする。

 ふたりとも守國が特別目をかけていた部下である。


「鮫島朝霞に、暮内烈人……これはお前たちの仕業か……」

「はい、不肖鮫島朝霞。心とお庭が広い守國元長官にたってのお願いがあって参りました」

「もうその言葉だけで何を頼もうとしているか想像はついた」

「じゃあ、引き受けてもらえるんですね! よかったなぁお前たちぃ!」


 青筋の立ったこめかみに手を当て、守國はスゥと息を吸い込んだ。


「ダメに決まって――」

「いいんじゃないかしら」


 守國の言葉を、佳四子が遮った。

 口をあんぐりとあけて、守國は佳四子に信じられないといった目を向ける。


「かよっ、佳四子さん?」

「一鉄さん、さっき犬を飼いたいって言ってたじゃない」

「言ったさ。確かに言ったが、もっとちゃんと見てくれ佳四子さん、あれクマだぞ」

「ええ、とっても鍛え甲斐があるわね」


 佳四子はそう言うと、満面の笑みでクマをなで回す。


 さすがは守國と同じ元初代ヒーロー・モモジャスティスなだけあって豪胆である。

 この程度の野生動物であれば、佳四子は全てハムスター感覚で接してしまうのだ。


「ありがとうございます佳四子さん。オンドコ沢に戻すまでしばらくの間預かっていただけると助かります」

「俺たちも定期的に様子を見に来ますんで! 良い子にしてるんだぞお前たち! 特にクマ太郎! またウサ太郎を食べようとするんじゃないぞ!」

「おい、共食いするのかこいつらは!?」

「そりゃあ野生の動物ですから、お腹が減ったら食べますよ!」


 部下がしれっと恐ろしいことを言う。

 守國の不安とは裏腹に、佳四子はまるで突然家族が増えたように喜んでいた。


 嬉しそうに微笑む佳四子を見て、守國はハァと諦めのため息をつく。


(やはり子供は作っておくべきだったか……)


 白髪頭をぼりぼりとかくと、守國は皆に気づかれないよう小さな笑みをこぼした。


 守國は密かに、実の子供のように思っていたふたりが定期的に我が家を尋ねてくれるということに、強い魅力を感じていた。

 もちろんそんなことを考えているなど、おくびにも出さない。


「まったく、俺を差し置いて好き勝手にやってくれる……。まあ、賑やかなのは嫌いじゃないがな」

「あらあら朝霞ちゃんも烈人ちゃんも、よく見たら泥だらけじゃない。うちでお風呂に入っていきなさい」

「佳四子さん、それは俺のトレーニング後の朝風呂……」

「一日ぐらいサボってもバチは当たりませんよ。さあさ、朝ごはんの支度をしなきゃいけないわね。今日は忙しくなるわよー」



 しょんぼりと肩を落とす老人を慰めるように、たくさんの動物たちが守國のことを見つめていた。



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