第百九話「怪人の盾」

 にわかには信じられない光景であった。

 怪人を一瞬にして消し去る芸当は、ちょっとした手品のようである。


 しかし目の前で起こった現象は、トリックや幻覚の類ではない。

 林太郎たちの眼前で黛桐華という怪人がひとり、忽然と姿を消したのだ。


 それも突如として現れた、どう見ても非戦闘員である女の手によって。


「あぶ、危なかったですわ……。でもこのわたくし、小諸戸歌子“大”参謀本部長様の手にかかれば、危険度最高クラスの怪人といえどもチョチョイのチョイですわよ! ンフフフフフーーッ!!」


 積み上げられた資材の上で、スーツ姿の派手な女・小諸戸歌子がガッツポーズを取って勝利宣言をする。


 不意討ちを決めたつもりが逆にカードを一枚失った林太郎たちの顔には、彼女とは対照的に焦りの色が出始めていた。


「黛……ったく、言わんこっちゃない。敵の手の内を暴く前にイキるとロクなことがないって教えておくべきだったな」

「あああっ! キリカが死んじゃったッス!」

「落ち着けサメっち。俺たちをただ始末するだけなら、わざわざ姿を見せる必要はないはずだ。そうだろう、小諸戸とやら」


 狼狽するサメっちとは裏腹に、林太郎は動揺を悟られないよう冷静を装って揺さぶりをかけた。


「あら、お見通しですの? もっと劇的な感じに演出しようと思っていましたのに……。さすが極悪怪人デスグリーン、守國長官を引退に追いやっただけのことはありますわね」

「お褒めに預かり光栄だよ小諸戸宴会部長」

「宴会部長と仰いまして!? 怪人の分際でこの私を侮辱しましたわね!!」

「おいおいそうムキになるなって。なかなかいかした名乗り口上だったと思うよ。文化祭の出し物としては上出来だと思うね俺は」

「ムッキィィィィィィィィィィィィィッッッ!!!!!」


 歌子は顔を真っ赤にしながら地団太を踏んだ。

 もともと頭に血が上りやすいタイプなのだろう。


「おっと、褒められたら伸びるタイプか? 嬉しそうに吠えやがって」

「おだまりッ!! わたくしを侮ったこと、すぐに後悔させて差し上げますわ!!!」


 無論これは林太郎の作戦であり、ただ挑発を繰り返しているわけではない。

 相手の出方を探り、黛桐華を消し去ったトリックを見破るための駆け引きである。


 林太郎の目は曇天のようにどんよりと据わっていたが、怒り心頭の歌子が拳を握りしめるのではなく“開いた”瞬間を見逃しはしなかった。


 歌子の両手に装着されていたのは、銀色に輝く厚手のグローブである。

 いくら歌子が派手なナリをしているとは言え、そのグローブだけは明らかに他から浮いていた。



「なるほど、そいつ・・・で黛を消したわけか。文字通り“かくし芸”ってやつだな」

「ンフフフフ。仕掛けがわかったところで、アナタにはどうすることもできませんわ」



 歌子はそう言ってニヤリと笑うと、上着をバッと開いて見せた。



「これを見てもわたくしを攻撃できると仰るのかしらーーーッ?」



 上着の内側には黒い光沢を放つ手のひらサイズの結晶が、いくつもぶら下がっていた。

 数にしておよそ30強、無論それらはただの宝石の類ではない。


 黒い結晶ひとつひとつの中で、人影らしきものがうごめいている。

 林太郎が目を凝らしてよく見ると、それはなんと結晶に閉じ込められた小さな怪人たちであった。


『ウオオオッ! 出しやがれぇぇぇ!!!』

『ふぎゃーーーッ! 助けてニャーーーン!!』

『悔しいワン……口惜しいワン……!』


 結晶に閉じ込められた怪人たちが、口々に怨嗟の声を上げる。

 林太郎がアークドミニオンに来てからこのかた、見覚えのある顔ばかりであった。


「アニキあれ! オジキたちッス!」

「ちっ、こうなるような気はしてたんだよ……」


 それは林太郎が想定した中でも最悪の展開であった。


 いくらヒーロー本部がありったけの戦力を集めて奇襲を仕掛けようとも、ベアリオンとて百獣将軍の名を冠する大怪人である。

 彼に率いられた百獣軍団は、アークドミニオンでも屈指の戦闘力と連携力を誇る。

 満身創痍のヒーロー本部なんかに、易々と遅れを取ったりはしない。


 ただしそれは、たったひとつの弱点を除けばの話である。


『ごめんニャーン! アタシが捕まったからこんなことにニャーン!』

『チクショウがあ! オレサマの身柄と引き換えに解放するって約束だったろうがあ!』


 百獣軍団のメンバーは前身となる“百獣大同盟”の頃から仲間を家族と呼びあい、鉄よりも強い絆で結ばれている。


 小諸戸歌子は彼らの結束力を逆手に取り、手ごろな怪人たちを人質に取ってベアリオンを脅迫したのだ。

 これこそが、連続発生した神隠し事件の真相である。


 前橋支部に乗り込んだのち、歌子がベアリオンを手中に収めたことで勝負は決した。

 ベアリオンのもとでまとめ上げられている百獣軍団に、彼を人質に取られて抵抗できる者などいない。


「ンフフフフ。怪人のくせに絆だなんだとらしくないことを仰るので、ありがたく利用させていただいたのですわ」

「戦闘は素人でも、喧嘩のしかたは知ってるってわけか。俺も人のことは言えたもんじゃないけど、敵に回すとここまで厄介だとはね」


 歌子はンフフと笑いながら悪趣味極まるコレクションに、新たな結晶を加える。


『センパイ! くっ、私がこんなザコモブなんかに!』

「誰がザコモブですの!? 握り潰しますわよッ!!?」


 裸の桐華が結晶を内側からポコポコ殴っていた。

 桐華やベアリオンの力でも結晶にヒビひとつ入らないところを見るに、身体の収縮に合わせてパワーも奪われているということなのだろう。


 人間の盾ならぬ、怪人の盾に守られた歌子が、勝ち誇ったかのように下卑た笑みを浮かべる。



「さーあ、この者たちの命が惜しくばさっさと這いつくばって命乞いを――」

「メガロドンキーーーーーーーーーーーーーーック!!! ッス!!!」

「ぶぎゅるっ!!!」



 歌子の満面の笑みを、小さなスニーカーが踏み抜いた。

 “大”参謀本部長様は鼻から血を吹き散らしながら資材の山から転げ落ち、大の字なってしたたかに頭を打った。


 反動でジャララララと飛び散った結晶の中で、怪人たちが『うわあああ』と叫び声をあげながら縦横無尽に叩きつけられる。



 青い影はキックの勢いのままくるくると回転しながら華麗に着地をきめると、頭を抱えて悶える歌子の腹にまたがった。


「ンギャアアア!!! なんで!? なんで蹴るんですの!?」

「サメっちの水陸両用拳は、正義の味方に容赦しないッス!」

「ねえサメっち、人質って言葉の意味わかってる?」

「だいじょぶッス! みんなちゃーんと助けるッスよ!」


 口では大丈夫と言うものの、元百獣軍団所属のサメ怪人は怒り心頭なのであった。

 サメっちは歌子の上着から残った結晶をもぎ取っては投げ、もぎ取っては投げていく。


 そのたびに廃工場のコンクリ打ちの床に叩きつけられた結晶から、『うっ』とか『がっ』とかいう声が聞こえてくる。


「おっ、おやめなさい!! ぐえっ!!」

「もうめんどっちいから上着を剥ぐッスよ」

「あーーーーーれーーーーー!!!!!」


 まさかここまで人質をぞんざいに扱われるとは、いくら参謀本部長といえども想定外であっただろう。


 歌子は最後のひとつとなった結晶を必死に握りしめる。

 これを奪われようものなら完全にアドバンテージを失う羽目に陥るので、歌子も必死だ。


 鼻血こそ流してはいたが、歌子はまだ子供の腕力に抵抗するだけの体力を残していた。


 メガロドンキックなどと仰々しい名前がついているものの、所詮は子供飛び蹴りである。

 むしろ資材の山から落ちて打った後頭部のほうが痛みを覚えるほどであった。


「むぎぎぎぎぎ、放すッスぅぅぅ!!」

「ンギギギギギ、嫌ですわァァァ!! このっ……女子供とて容赦しませんわよ!!!」


 歯を食いしばりながら、歌子はその銀色に輝く手でサメっちに掴みかかろうとした。

 怪人を一瞬にして消し去る……実際には一瞬で小型化して結晶に詰め込む手がサメっちの肩に触れた、その時。



 ――ゴガッ!



「まぎゅるッ!」



 小諸戸歌子の足跡がついた顔面に、今度はひと回り大きな足跡がくっきりとついた。



「女子供に容赦しないヤツは、たとえ女子供であっても容赦してもらえないってのは覚えておいたほうがいい。って、もう聞こえてないか」


 それは林太郎の、メガロドンキックのように技と呼べるようなものではないただの喧嘩キックであった。


 大小二重の足跡を顔にくっきりと残し、小諸戸歌子は仰向けに倒れたまま気を失った。



「お手柄だ。怪我はないかサメっち?」

「平気ッス、アニキ! 一件落着ッスね!」

「……こいつはそうだな、裸に剥いて縛り上げて利根川を泳がせるか」

「2月ッスよ! 死んじゃうッスよ!」



 歌子は気を失いながらも、最後のひとつとなった結晶をぎゅっと握りしめていた。

 黒いガラスケースのような結晶の中で、よく見知った顔が林太郎を見上げている。


『さすがセンパイ、私は信じていましたよ』

「お前さんは帰ったら戦略と連携って単語をノートに100回ずつ書きなさい」


 林太郎がその桐華入りの結晶を回収しようとしたその刹那――。



「アニキ危ないッス!!!」

「…………うおっ!?」


 サメっちが横っ飛びに林太郎を押し倒す。

 先ほどまで林太郎の頭があった空間を、ピンク色の矢がかすめた。


「なにものッスか!」

「あら惜しい……意外と勘がいいのね」


 廃工場の暗がりから、林太郎にとって耳に覚えのある声が静かに響く。

 聞き間違えるはずもないその声は、林太郎のかつての同僚のものであった。


「その声は、ピンク……桃島か!」

「お久しぶりね、極悪怪人デスグリーン」


 伏兵にしては出てくるタイミングが遅すぎる。

 ビクトピンクこと桃島るるは、はまるでこの瞬間を待っていたかのように林太郎たちの前に姿を現した。


 だがピンクが現れたこと以上に、彼女の姿に対して林太郎は驚愕し目を見開いた。


「これもきっとデスモス・アガッピ・アグリオパッパ様のお導きだわ」

「……も、桃島? お前、本当にあの桃島るるなのか……?」


 林太郎が唖然とする無理はない。


 彼女はビクトリースーツこそ着用しているものの、その上から真っ白な作務衣をまとい、首からは袈裟と数珠を下げ、頭には小さなピラミッドを乗せていた。

 どう考えても戦闘に活かされない珍妙な出で立ちは、少なくとも栗山林太郎の知る桃島るるではない。


「オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛」

「アニキィ! 今までで一番怖いッスゥ!!」


 奇声をあげるピンクのえもしれない迫力に、サメっちは林太郎の陰に隠れてギュッと裾を握った。


「悪い冗談はよせピンク。子供サメっちが怯えちゃってるだろ」

「私の信仰心はいつだってメガ盛りMAXフルチャージよ。あまり大きな声で騒がないで頂戴。デスモス・アガッピ・アグリオパッパ様の声が聞こえないわ」

「いやアグリオパッパってかもだぞ。お前自身がカモになってないかそれ」

「おだまりなさい。そして食らいなさい、我らが浄化の炎を。ガンジャンホーラム、ガンジャンホーラム」


 ピンクが身体を左右に揺らすと、廃工場内にもくもくと煙が立ち込めはじめた。


「これは、煙幕……じゃねえ! この臭いはまさか、てめぇ火を放ちやがったな」

「はいご名答。賞品として光臨正法友人会の聖書を10冊まとめてプレゼントしてあげるわ」

「いらねえよ! あろうことか処分に困ってんじゃねーか! 焚火にでもくべてろよ!」


 そうこう言う間に林太郎たちの周囲から、ちらちらと赤い炎が上がりはじめる。

 このままでは数分もしないうちに、廃工場そのものが焼け崩れるかと思われた。


「アニキやばいッス! みんなが燃えちゃうッス!!」

「ちくしょう、やってくれたな!! 拾えサメっち、ひとつも残すな!」

「あっはっはっは! それじゃ頑張ってね、怪人さんたち」


 ピンクが合図を送ると同時に、炎の中から3メートルは超えるかという巨体が現れる。

 巨大な怪物は気絶したままの小諸戸歌子をむんずと掴んで、再び炎の中へと消えていった。


 30個をこえる怪人入りの結晶を拾うのに必死な林太郎は、その姿を横目に見つつも留めることはできなかった。



 ――十数分後。



 燃え盛る廃工場を背景に、回収した結晶をひとつずつ丁寧に並べていく。

 結晶内の怪人たちは皆ぐったりしているものの、命に別状はないように思えた。


 それは不幸中の幸いと言えたが、問題は数である。

 消えた怪人たちの数と結晶の数が合わないのだ。


「サメっち、どうだそっちは? あったか?」

「アニキ、やっぱりキリカの結晶だけないッス……」

「…………あいつ、この期に及んで握ったままだったか……」



 炎は冬の夜空を明るく不気味に照らしていた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る