第百一話「天幕の楽園」

 まだ2月だというのにそのドーム内には花が咲き乱れ、日本ではお目にかかれないような極彩色の蝶が飛んでいた。

 ロングコートを羽織っているソードミナスは、歩いているだけでじんわりと汗ばむほどだ。


 その場所はまるで、絵本の1ページをそのまま切り出したかのような楽園であった。

 ひとたび訪れたならば、きっと誰しもがこの場所を気に入ることであろう。



 ……ここが東名高速道路のサービスエリアでさえなければ。



「ワタクシども奇蟲軍団にとって冬の寒さは天敵でございます。そこでザゾーマ様が考案されたのが、この移動型植物園“蟲籠”なのでございますよ。いかがです? 快適でしょう?」

「いや快適かもしれないけど、場所が……」



 ソードミナスが見上げると、空は網目の白い格子に囚われていた。

 それがサービスエリア全体を、すっぽりとドーム状に覆っているのだ。



「うおおーーッ! 誰かおろしてくれーーーっ!」

「ちくしょおーーーッ! 糸が取れねぇーーーーーッ!!」

「助けてーーーッ! お母さーーーーんッッ!!!」



 ドームの天井付近には、糸でぐるぐる巻きにされたヒーローたちが綺羅星のように散りばめられている。

 触角を生やしたザコ戦闘員たちが、今度は警官を乗せたままのパトカーを天井に吊り上げようとしていた。


 この“蟲籠”は蟲系怪人たちの楽園であると同時に、巨大な蜘蛛の巣でもあるのだ。


 これもすべて奇蟲将軍ザゾーマの指示かと思うと、ソードミナスは会うのが少し怖くなった。


「わあーすごいトゲトゲッス! これ何の武器ッスか?」


 ソードミナスの不安もどこ吹く風と、サメっちは初めて見る植物や虫に興味深々であった。

 さっきから蝶々を追いかけたり、バナナの木に登ったりとやりたい放題である。


「ほほほ、気になりますか? そちらはドリアンでございます。濃厚でクリーミーな舌触りと、なによりその芳醇な香りはまさに……果実の王様と呼ぶに相応しい御馳走なのでございますよ」

「すんすん……ぷわっ! く、くさいッスぅぅッ!! ミカリッキーは嘘つきッスぅ!!」

「おやおや、お子様には少し刺激が強すぎましたかな? どうですソードミナス様、一口いかがですか?」

「けけけ、結構だ!!!」


 ソードミナスはカミキリムシ風の男・切断怪人ミカリッキーの申し出を力いっぱい断った。


 彼に案内されるがままにジャングルのような未舗装路を進むと、ちょうどドームの中央に出る。


 少し開けた空間には、真っ白なテーブルと椅子が用意されており、そこにひとりの男が腰かけていた。

 枝のように細い四肢を派手な衣装で彩るその男こそ、この楽園の主・奇蟲将軍ザゾーマである。


「ザゾーマ様、お嬢様方をお連れ致しました」


 ミカリッキーが頭を垂れると、ザゾーマの蝶を模した仮面の奥で長い睫毛がピクリと動いた。

 ザゾーマ将軍はソードミナスたちを一瞥することもなく、優雅気ままに紅茶の入ったカップを揺らし、まるで春の草原を風がなでるかの如く自然と語り始める。


「天幕は天にありて空にあらず。鳳は翼をたたみ、人は太陽と月の翳りを嘆く。星を探す愚者だけが我らが牙の輩なれば、この身この魂は天翔ける銀の星座となりて弓を引かん。その者、朔の天幕を彩る星々に導かれ、金色の国へと至るべし」

「はーい、お言葉に甘えるッスぅー」


 ミカリッキーが椅子を引くと、サメっちはその上にぴょんと小さなお尻を乗せた。


「あの、え……今何と?」

「ザゾーマ様は『お待ちしておりました。どうぞお掛けください』と仰っています」

「はあ……」


 ソードミナスが席につくと、ミカリッキーが手際よく紅茶をいれていく。

 テーブルについた3人は、お互い一言も交わさないままその様子を眺めていた。


 他ふたりのアクティブな将軍たちとは違い、ザゾーマとの対面は極めて穏やかであった。

 少なくともいきなりリングに立たされたり、空に向かって打ち上げられるようなことはないだろう。


 良く言えば温厚で平和的、悪く言えば何を考えているかわからず不気味。

 あまり話したことがない相手であったが、ソードミナスはそんな印象を受けた。



 ザゾーマは紅茶を口に運びその薄い唇を湿らせると、ようやくゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。



「数多の兵を以て鉄城を崩すは易く、鋼心を砕くは難し。唯ひとりを以て鉄城を崩すは難く、鋼心を砕くは易し。千剣を並べ士卒と為し、唯ひと振りを研ぎ澄ましては計と為す。しかるに戦士は火の炉にあたわず、鍛冶師は武技を修めず」

「ザゾーマ様は『あなたを強くすることはとても簡単だが、とても難しい』と仰っております」


 わざわざ翻訳してもらったものの、ソードミナスには言葉の意味がわからなかった。

 ただ頭をひねり、差し出された妙に甘ったるい紅茶を口にする。


「んく……簡単だけど難しい? ……というのは?」

「ただ力を得ることならば容易でございます。例えばそう“ドーピング”などでございますね」

「ブフーーーーーーッ!!!」


 ソードミナスは思わず紅茶を吹き出した。


「ももも、盛ったのか!? なんか甘いなとは思ったけど!!」

「ほほ……滅相もございません。こちらの紅茶はワタクシの特製ブレンドでございます」


 そう言ってミカリッキーが取り出したのは、“徳用たっぷりトレハロース入り”と印字されたカブトムシ用のゼリーであった。


「ほぼ盛ってるじゃないか!!」

「おや、お口に合いませんでしたか。これは失礼を致しました」

「甘くておいしいッスぅ」

「飲むなサメっちぃ! そんなもの飲ませたって知れたら、あとで私が林太郎に何を言われるかわかったもんじゃない!」


 慌てふためくソードミナスに、仮面の麗人は構わず言葉を続ける。


「恐怖は帳の中にあり、畏怖は先人の耳朶じだにあり、修羅は夜にあまねけども、死は我が心にのみぞあり。天の栄えるは神の功、地の栄えるは民の功、人の栄えるは徳の功。なれど悪の栄えるは三者の功なれば、その心また死さえも遥かサジタリウスのもとに」

「なるほど、深いッスねぇ」

「さすがは我らが主、ザゾーマ様でございます。このミカリッキー、忠節の心を新たにいたします所存……」


 ザゾーマの装飾過多どころか加工産業を2、3回通過したレベルの言葉に、サメっちとミカリッキーはうんうんと頷く。

 しかしまるで意味がわからないソードミナスは、ひとりでぽかんとしていた。


「え、何……? これ私が悪いのか?」


 行ったこともないような言葉の通じない外国に、友だちの付き合いで連れて行かれた旅行者というのはこういう気分なのだろう。

 ミカリッキーは改めてソードミナスに向き合うと、いつになく真剣な口調でザゾーマの言葉を代弁した。


「ザゾーマ様は『あなたは既に充分な力をお持ちですから、私から与えられるものは何もありません』と仰っております」

「うっ……それは……」


 ザゾーマの指摘に、ソードミナスが言葉を詰まらせる。


 剣を無限に生み出すという彼女の怪人としての能力は、実際にアークドミニオンの怪人たちの中でも最上位クラスに入るほど特異かつ強力なものだからだ。


 彼女の刃は獣の爪のように鋭く、その無尽蔵っぷりは莫大な経済力にも匹敵する。

 武器を供給し他者を強化するという意味では、紫の霧で団員をドーピングするザゾーマに近しい能力と言えなくもない。


 それだけ汎用性に富み誰しもが羨む力だが、肝心の怪人本人がまるで使いこなせていない。

 ザゾーマの言葉は、ソードミナスが抱える問題の核心を正確に射抜くものであった。


「ソードミナス様に必要なものは更なる剣ではございません。“剣を鞘から抜く強さ”でございます。あなた様は狂気の刃でありながら、優しい鞘でありすぎるのでございますよ」

「ミカリッキーさん……」

「……と、ザゾーマ様は仰っております」


 そう言うとミカリッキーはずんぐりむっくりの身体で、まるでサーカスのマジシャンのように仰々しくペコリとお辞儀をしてみせた。

 ザゾーマ将軍はそれを見届けると、満足したようにドームの天井を仰いだ。


「剣を鞘から、抜く強さ……」


 ソードミナスは自分に言い聞かせるように、その言葉を繰り返した。


 それはまさしく覚悟や度胸といったソードミナスに足りないもの、心の強さをさしているのだろう。


 どれほど力を持ったところで、心が伴わなければ何の役にも立たない。

 おいそれと身に付くようなものであれば苦労はしないのだが。


 ソードミナスは、林太郎の傍に立つに相応しい力を求めていた。


 だが本当に求めていたのは強さそのものではなく、彼の隣に立つ覚悟である。

 強い自分自身を証明せんとする、確固たる意思である。



「さて皆様方、紅茶のおかわりはいかがですか?」

「悠久なるものに永遠と名付け、時の刻むを愛でたるは甘美なる珠玉の……」

「はいはいはーいッス! サメっちあと10杯ぐらい飲むッス!」

「おろろろー、それはそれは。お茶請けが足りませんね、ほほっ」


 そんなやりとりをしながら、お茶会は2時間ほど続いた。

 ソードミナスは短くお礼を述べたぐらいで、あとはほとんど黙って聞いているだけであった。




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