第十六話「歓迎、ようこそ悪の組織へ」

 アークドミニオン秘密基地をひとことで表すならば、巨大な迷路である。

 人員の増加にともない地下に増改築を繰り返した結果、今やアリの巣のように複雑な構造で縦横無尽じゅうおうむじんに入り組んでいる。

 組織にぞくして間もない者が遭難そうなんすることも、珍しいことではない。


 期待の新怪人デスグリーンこと栗山林太郎もその例にはれなかった。


「くそっ、どこなんだよここは!」


 脱出計画を実現するためには、地下からの安全な逃走経路を確保する必要がある。

 しかし、さしあたってこっそり基地内の探索に出てみたはいいものの、行けども行けども出口は見当たらない。


 距離も方角もつかみようがない地下空間を案内もなく突き進むのは、いくら林太郎といえども無謀という他なかった。

 なにせアークドミニオン秘密基地の構造は、新宿駅と梅田駅と横浜駅を全部足して三乗したぐらい複雑にして広大なのである。


「こりゃ本格的にマズいことになったぞ……」


 林太郎はかれこれ十二時間近くも、見知らぬ場所をさまよい続けていた。


 大量のキノコが自生しているジャングル。

 眼下がんかにひろがる灼熱しゃくねつのマグマ。

 底が見えないほど深い奈落ならく

 数メートル先も見えない猛吹雪。


 地下とは思えないほど、とにかく危険な道のりの連続であった。

 今は無限に続く似たような廊下をひたすら歩いているが、これまでのことを考えれば比較的安全であるといえる。

 しかし人っ子ひとり見当たらず、林太郎は次第に心細くなっていった。


「いつまで続くんだこの廊下……」

「そこにおるのは林太郎か」


 不意に、廊下の先の暗闇から声をかけられた。


「……あなたは!」

「我輩である! フハハハハ、ようやっと見つけたぞ林太郎よ」


 アークドミニオン総帥・ドラギウス三世が、闇をまとってそこに立っているではないか。

 もはや九割がた遭難していた林太郎は、脱出計画のことも忘れて安堵あんどのため息をついた。


「もうダメかと思いましたよ、今朝からずっと歩きっぱなしで……」

「フハハ、半日で済んだならばまだ短いほうなのである。一ヶ月ほど行方ゆくえ知れずになっていた者もおるからな、クックック……」


 なんともぞっとしない話だ。


「それ以来、誰かがいなくなったときは我輩が自ら見回っておるのだ」

「ってことは、俺をわざわざ探しに来たんですか?」

「うむ。ソードミナスの歓迎会だというのに、林太郎がおらんのが気になってな。サメっちも心配していたのである」


 怪人に心配される筋合いはない、と言いたいところだが悪の総帥にその本心を悟られまいと林太郎は下手くそな笑顔で取りつくろった。

 ドラギウスの鋭い目で見つめられると、下手な嘘は通用しないという気分にさせられるのだ。


「それは……ご心配をおかけしました」

「クックック、無事でなによりである。腹も減っておろう、さあ我輩と共に参るがよい」


 そう言うとドラギウスは薄暗い廊下を音もなく歩き出した。

 林太郎も後に続く。


「どうであるか林太郎。そろそろアークドミニオンには慣れたか?」

「え、ああはい。あんまり慣れないですね」


 ヒーローの身でありながら、悪の秘密結社の最高権力者と世間話をしながら肩を並べて歩くというのは貴重な体験だろう。


 林太郎の隣にいる男は、見た目こそダンディな老紳士だが富士山を爆発させるほどの大怪人である。

 そう考えるといくら七つの組織を壊滅させたヒーローとて、いやだからこそ、否応なしに緊張もするというものだ。


「林太郎は相変わらず硬いのである」

「仕方ないでしょう。正直、名前を呼ぶことすら畏れ多いですよ」

「ならば今後わしのことを“りゅうちゃん”と呼ぶがよい。なにごとも形から入ってみれば、存外すんなりといくものであるぞ」


 サメっちがドラギウスに対して異様にフランクだったのは、本人の意向であることが判明した。

 ただヒーローである林太郎は、いくら本人がそう提案したところで悪の総帥を“竜ちゃん”と呼ぶには抵抗がある。


「それは無理ってもんでしょう」

「フハハハハ、そうであろうな! だが林太郎よ、少しはほぐれたのではないか?」


 言われてみれば、林太郎は少しばかり肩が軽くなったような気がした。

 あきれている、といったほうが正しいかもしれないが。

 それにしてもよく笑う老人である。


「ククク……それでよい。それでこそ我が後継者に相応ふさわしいのである」

「……後継者?」

「フハハハハ、に受けるでない。ただの戯言ざれごとである。ハァーハッハッハ!」




 …………。




 大広間に戻ると、林太郎は自分の歓迎会でないにもかかわらず盛大にもてなされた。

 ようやく気づいたが、怪人たちは何かしら理由をつけてドンチャン騒ぎを楽しみたいだけらしい。


「あああああ、林太郎! どこに行ってたんだよ、私をひとりにしないでくれ!」


 長身の美女・剣山怪人ソードミナスこと剣持けんもちみなとは、林太郎を見つけるや否やその背にひしっとしがみついた。

 小心者で人見知りが激しい上に、強面こわもての怪人たちに囲まれてさぞ心細かったことだろう。


 たくさん刃物をバラまいたようで、涙を溜めてボロボロの服をまとっているさまはたいへん目に毒であった。


 それよりも気になるのが、怪人たちが手にしている物騒ぶっそうな凶器である。


「ナイフでご飯を食べるなんて、なんだかキャンプみたいでございますね」

「くそっ、なんでオイラはこんなでかい青龍刀せいりゅうとうなんだ……!」

「そんなもんまだいいだろうがあ! オレサマなんか三間槍さんげんやりだぞお!」


 どうやらひとり一本いきわたっているらしく、今日はみんな刃物・・を使って料理を口に運んでいた。

 特に気の毒なのが三幹部の百獣将軍べアリオンである。

 六メートルぐらいある槍で四苦八苦しながらローストビーフを頬張ほおばっていた。


「いやいや食べにくいでしょう。おはしとか使えばいいじゃないですか」

「おう、じゃあ今日は何も食わねえつもりかデスグリーン? そりゃあ筋肉によくねえぞお」

「アニキ、今日はミナトと握手して出てきた刃物で食べるルールッス」


 そういうサメっちは、サービスエリアとかで売っているめちゃくちゃ小さい竜の巻きついた剣のキーホルダーで器用にハンバーグを食べていた。


 デミグラスソースの香りが林太郎の胃を刺激し、腹の虫がグゥと鳴く。

 そういえば十二時間も基地内をさまよっていたせいで空腹も限界である。


「ククク……異様な光景であろう? だがこれでも皆、彼女を歓迎しておるのだ」


 戸惑う林太郎に対し、ドラギウスがフォローに入る。

 湊の身体的特性は多種多様な怪人の中にあっても特異中の特異だ。


 ふとした拍子ひょうしに凶器が飛び出すその体質は、他者を傷つける危険と常に隣り合わせにある。

 はっきり言ってここアークドミニオンにおける集団生活には、まるっきり向いていない。


 だがしかし、我らが総帥ドラギウス三世はただ一言『ささいなことだ』と笑い飛ばした。


「我ら怪人相手ならばこの難儀なんぎな体質もそう問題にはならぬ。人を傷つける力もいずれは制御できるようになろう。それを言葉ではなく体験として覚えたほうがよかろうと思って企画してみたのである……フハハハハ!」

「だからってこんな……」

「ククク、言ったであろう? なにごとも形から入ってみれば、存外うまくいくものである」


 そう言うとドラギウスは、悪い笑顔で白い歯を覗かせた。


「おーいソードミナス、槍じゃ食いづれえよお! オレサマにリベンジさせろよお!」

「あーっ! ズルいッス! じゃあサメっちももう一回やるッスぅ! ミナトぉリベンジッスぅ!」

「わかった、わかったからみんな一列に並んでくれぇ! そんないっぺんには無理だから!」


 これが怪人たちなりの歓迎、というやつなのだろうか。

 湊がアークドミニオンに来たばかりの頃に比べると、ずいぶんと受け入れられているように思える。


 ドラギウス総帥が何故これほど怪人たちにしたわれるのか、その理由が林太郎にも少しだけわかったような気がした。


 そしてなにより、手法はさておき、仲間に心を開いて受け入れようとするさまは。

 まるでそう、凶悪な怪人の集団というよりも、まさしく人のコミュニティそのものだ。


 怪人社会はもっと弱肉強食がはびこる野獣の群れのようなものだと思っていた林太郎にとって、目の前の出来事はちょっとしたカルチャーショックであった。


(これは、怪人に対する考えを少し改めたほうがいいのか……? いや、今はこいつらを利用することだけ考えろ……俺はヒーローなんだぞ……)


 自分の居場所はここではないと、林太郎は何度も心の中で己に言い聞かせた。


 ヒーロー本部に復帰すれば、この光景を今後の“戦い”に活かす機会もあるだろうと。

 それに怪人たちと友誼ゆうぎをはかることは、けして正義にもとるものではない、情報は資産であると。


 林太郎は呼吸を整えると、つとめて冷静なそぶりで怪人たちに話を合わせた。


「それで、この有様ありさまですか。俺もやらなきゃダメですかね」

「もちろんである。ただあまりソードミナスを驚かせすぎるでないぞ林太郎。わしは“アレ”を出したせいで今夜は食いっぱぐれである」


 ドラギウスが親指で示した先には、重さ一〇〇キロ近くはあろうかという巨大な鉄の塊が壁に立てかけられていた。

 湊がすいませんすいませんと頭を下げるたびに、ステーキナイフが転がり落ちる。

 もうこれを使って食べればよいのではなかろうか。


「いや、そうは言ったって……」


 林太郎が先ほどからずっとすそを掴んでしゃがみ込んでいる湊のほうを見ると、ばっちりと目が合う。


「うぅ……やるなら早くしてくれ林太郎……できればその、優しく……」

「さっさとしねえと無くなるぞおー」

「ごはん冷めちゃうッスよ」


 なんとも不憫ふびんな気がしないではないが、空腹にかされた林太郎は腹をくくった。


(何度も顔を合わせてるサメっちであのサイズだ。俺も同じぐらいだろ多分……問題は手を繋いだ状態で避けられるかどうかだな)


「じゃあ、にぎるぞ、湊」

「うん……」


 一抹いちまつの不安を抱えながらも林太郎は湊の手を取る。

 林太郎がいうところの“凶悪な怪人”の手のひらは、思っていたよりもずっとすべすべしていた。


「あれ、出ないじゃん」

「……すまない。緊張すると勝手にポロポロ出るんだが、その逆だとどうも」

「……逆?」


 手をぎゅっと握りしめ、湊は少し顔を赤らめた。


「林太郎の手は温かいな。なんだか安心するよ」


 長身の乙女はそう言ってにっこりと笑ってみせる。

 臆病者おくびょうものの怪人がはじめて見せた笑顔に、林太郎はほんの一瞬心を奪われそうになった。

 こう見るとソードミナス、剣持けんもちみなとはなんの変哲へんてつもない美女である。


「もしかして俺、今日は素手でごはん食べなきゃいけないの?」

「あ、あはは……それはなんだか林太郎に申し訳ないな」


(こいつは怪人、こいつは怪人、こいつは凶悪な怪人、社会の敵……!)


 そう思いながらも、林太郎はあまり悪い気はしないのであった。




 しかしッ!!


 ふたりの様子を見ていた怪人たちが次々にはやし立てる。


「さすがデスグリーンさん! 完全に殺気を消すことができるんだ!」

「すごいやデスグリーンさん! 俺たちなんかとはやっぱり格が違うぜ!」

感涙かんるいですぞデスグリーン様! 凶悪で冷酷無比れいこくむひなおかたほどその素性すじょう巧妙こうみょうに隠すといいますからね!」


 林太郎は猛烈に嫌な予感がした。


「デスグリーン? それが林太郎の怪人名か。かっこいいじゃないか」


 何故か盛り上がりを見せる怪人たちを尻目に、湊が呑気のんきな反応をみせる。

 そう、新参者である湊は、林太郎の“怪人としての活躍”をまだ知らないのだ。


「おいおいカッコイイなんてもんじゃねーぜ! デスグリーンさんはあのビクトレンジャーをたったひとりで三人も、それはもうむごたらしく無慈悲に始末したんだからな!」

「ザゾーマ様は『その邪悪にして深淵しんえんなる頭脳。なさ容赦ようしゃなき血塗ちぬられた殺戮者さつりくしゃよ。アークドミニオンの栄光は貴方あなたと共にある』とおっしゃっております、はい」

「アニキは怪人の中の怪人ッス! ビクトグリーンを頭からむしゃむしゃ食べちゃったッス! あとビクトブルーを爆弾で一〇〇メートルぐらいふっ飛ばして笑ってたッス! それからビクトピンクの顔をドロドロに溶かしたッス!」


 林太郎は繋いだ手のひらが、小刻こきざみにふるえていることに気づいた。

 湊は涙を浮かべながら、さおな顔に氷のような笑顔を張りつけていた。


「まるで我輩の若いころのようである。林太郎ほど極悪な怪人もおるまい。まさに地獄からの使者、地獄の刑吏けいりすら恐れる極悪非道の大怪人よ。ククク……フハハハハ! ハーッハッハッハッハ!」


 重さ一〇〇キロ近い巨大な鉄の塊が二本になった。


 林太郎はあんじょう、晩飯を食いそびれた。




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