外惑星世界 ――アウトランド・木星主星圏――

第9話 黒き影

 ギリシア群陥落より1カ月後、ガニメデ・木星行政府・危機管理オペレーションルーム――――


 浮遊する立体ホログラムスクリーン群を前にして、ルームスタッフたちは絶句していた。目にしたものが信じられなかったのだ。


「何だ? これは何なのだ?」


 リウもまた同じだった。それでも彼は何とかして言葉を絞り出したのだが、しゃがれた声は彼の驚愕を証明するものだった。



 1分前――――


〈ガリレオ衛星圏内に未確認飛行物体確認。ガニメデより群外周軌道方向に約120万キロ〉


 シャトナーの報告、それは彼らを茫然とさせるだけだった。同時にその映像が映し出されたが、一見して何も映っていないように見える。ただ星空の光景のみが映っていた。だがよく見ると一部の星々の光が順次遮られていくのが分かった。つまり星々の前に何かが存在していて移動していることが分かる。


「これは何だ? 各種波長帯域での観測記録を出せ」


 リウの指示に従い、シャトナーは即座に記録を出した。だがそれを見たリウとルームスタッフの皆は困惑するばかりだった。


「何も出ていない……だと?」


 記録は計測不能と出ていた。いや――――


〈いえ、赤外帯で僅かな熱反応が計測されています。これは徐々に高まってきており、現在では明確に現れています。今では高精度焦点観測に頼らずともキャッチできるレベルにまで上昇しています。それ故に私の注意を惹いたのですが……〉


 スタッフの皆の多くは首を振っていた。目撃したものがやはり信じられないのだ。

 シャトナーは“対象”の輪郭を強調して表示した。外観は真っ黒であり、星空を背景とした現状では確認することが困難だったからだ。


「これは……斥候スカウトだな……」


 涙滴状の全体像が浮き上がるように表示された。ガニメデ以外にカリストやエウロパの天文台、木星本星圏内を周回する何機かの観測衛星や警戒機などから得た複数の情報を統合して描画されたものだ。

 その形状は人類がよく知るもの――斥候スカウトと何付けられたエンケラドゥスより撃ち出されたMELE(金属性浸食生命体)による涙滴状の飛翔体だった。

 それが現れた、木星本星の衛星軌道内の奥深く――ガリレオ衛星軌道の内側にいきなり現れたのだ。それが皆には信じられなかった。


「いきなりとは、どういうことだ? それに、次に来るのはトロヤ群ではなかったのか?」


 ギリシア群陥落の約1カ月後に木星軌道の太陽を挟んで反対側に位置するラグランジュポイント5に存在する〈トロヤ群〉と呼ばれる小惑星の集中領域に斥候スカウトの第2陣が到達すると予測されていた。だが現実は違った。


「トロヤ群の現状は?」


 シャトナーはトロヤ群に接近中の斥候スカウト船団を映し出した。キラキラと光る涙滴状物体が幾つか映し出された。星空を鏡面のような外装に映したもので、これも見にくいが、しかしガニメデ至近に出現した真っ黒なものとは全く性質が違う。


〈群から約5000万キロの位置を飛行中。現在減速過程に入っており、この状態が続くとなると、到達は当初の予測よりも半月は遅れるかと思います〉


 リウは頭をかしげる。


「優先目標を変えたということか? それとも別の理由なのか?」


 状況は見たままだ。理由は不明だが、先に木星本星圏にやって来たということだ。それは彼らにとって思いもよらぬことだった。いや、いずれ到来するとは予測されていた。木星本星圏への接近軌道に入った斥候スカウトは何体も観測されていたからだ。


「やはり信じられない、まるで瞬間移動テレポーテーションでもしたようなものではないか。今まで全く探知できなかったとは……どうなっている?」


 それ以上に信じられないのが、“いきなり”だったことだ。何の予兆もなくガニメデの目と鼻の先に、僅か・・120万キロのポイント――木星圏の奥深くであるガリレオ衛星軌道の内側に突如として現れたことに驚いたのだ。そこに達するまでに全く探知できていなかった。


「こいつは今までの斥候スカウトとはまるで違うな」


 真っ黒な外観はそれだけで異質なものだと分かる。これが探知できなかった理由になる――と、リウは直観した。


〈はい、この外観はほぼ全ての電磁輻射を吸収した結果のものと思われます。その吸収率は99.9%超えています。極めて優れたステルス性能です〉


 だから真っ黒に見える。


「まるでオナガカンザシフウチョウみたいだな」


 極楽鳥ともよばれるフチョウ科の鳥だ。この鳥は光の99.95%を吸収するが、目の前の斥候スカウトも同等の吸収率を誇っている。いや、それ以上か。この黒い斥候スカウトは電波帯から紫外線帯まで広範な波長域の電磁輻射を一律に吸収していたのだ。


〈吸収に関しては素材の効果が大きいと思われますが、表面の構造も関係しているかと想像されます。オナガカンザシフウチョウは通常の羽根に加えてより細かな支流のような羽根を生やして吸収率を高めていますが、この斥候スカウトも表面の構造に何らかのひだのようなものを複雑に構成させて吸収率を高めているのかと思われます。詳細は不明ですが〉

「人類のフルステルス技術とは別の性質か」

〈やはり調べてみないことには分かりませんが、フルステルスは電磁マテリアルという輻射に対する負の屈折率を利用したものであり、熱反応の状況から見て違うのかと想像されます〉


 詳細を知るにはより精密に観測する必要があるが、あらゆる電磁輻射を吸収するのでそれは困難だ。いずれにせよほぼ全ての電磁輻射に対して高レベルのステルス性を示したこの黒い斥候スカウトの探知は極めて困難だったと言える。木星圏奥深くにまで探知できずに侵入された事実に、リウたちは戦慄すら憶えた。


「熱反応の上昇が顕著に見られるが、それでようやく気付いたのだな」

〈はい、ここまでは恐らく内部の活動も殆ど停止させていたと思われます。ある種のフリーズ状態だったのでしょう。秘匿性ステルスを高めるための処置だったのかと思われます〉


 それを解除して活動を開始した。


「ファーストフェイズはクリア、続いてセカンドフェイズのスタートというわけだな」


 熱反応の上昇は目を瞠るもので赤外帯での反応が強く観測されるようになっている。何らかのアクティブな行動開始が予測される。


 ――攻撃してくるのか……


「それにしてもガニメデから120万キロとはな、カリスト軌道よりも内側ではないか。ここまで接近されて気づかなかったとは……ステルスとは言え、恒点観測などの手段はあったはずだが……難しかったか」


 スクリーンに映る映像を見れば分かるが、移動に際して背景の恒星の光を遮ることがあり、この時点で手前に何かが存在していると分かる。光学観測を密に続けていれば、発見することは不可能ではなかったと思われる。だが全天の中から見つけ出すのは困難だった。


〈申し訳ありません。可能性を考慮しなかったのは迂闊としか言いようがありません〉


 リウは首を振った。あらかじめ可能性を考慮していれば、観測はできただろう。防衛拠点は絞られており、接近するとなると軌道は絞られる。予測軌道に対する光学観測を精密に行えば、発見できた可能性はある。だがそれはあくまでも予測していた場合だ。


「仕方がないことだ。我々は全面反射をする従来の斥候スカウトに目を奪われ過ぎたのだ。まさかステルス体が紛れているなどとは想像もしなかった」

〈量子AIの私まで同様の陥穽に嵌ってはいけません。何のための量子ネットワークなのか、膨大な高速演算処理資源リソースを活用できなかったのは私自身の思考の柔軟性の欠如と言うしかありません〉


 シャトナーの言いようはまるで人間のようだった。過ちを認め反省する姿は評価に値するが、非人間の人工知能がこうした反応を示すことにリウは驚きを憶えた。人工知能の進化を垣間見た気がしたが、彼はそれ以上は思考しなかった。


「今はいい」


 彼の口元には笑みが浮かんでいた。だがそれは苦し気なものだった。


「どうも斥候スカウトは一種類だけじゃなかったということだ。ステルス以外にも他の性質の可能性も考えておくべきか……」


 彼は目前のスクリーンに映る真っ黒なものを凝視する。彼の背後からは何人ものスタッフの会話が聞こえてきていた。


「今までの斥候スカウトは陽動みたいなものだったのだろうか?」

「いや、どうだろう? 別に隠れなくとも人類に手出しができるようなもんじゃなかったろ?」

「ギリシア群では殲滅はされなかったが、クリシュナキャノンの威力はやはり連中にも脅威に映ったんじゃないか?」

「だから隠れて接近しようと思ったのか?」

 

 リウはスタッフの会話に耳を傾けながら思考していた。


 ――あれ・・は初期に撃ち出されたヤツだろう。現時点で木星本星圏に到達するとなると1号とほぼ同時期に射出されものだと思える。最初からステルス状態だっのか? 途中で性質を変えるのは可能なのか?


「シャトナー、あのステルス体はどの軌道を辿った? 計算できるか?」


 直ぐに回答が返って来た。


〈典型的な経済軌道と推定されます〉

「フム、それにしては到着が早すぎる気がするが……加速噴射の反応はあのステルス体でも探知できるはずだな?」

〈他の斥候スカウト――通常の全反射型ですが――の反応が多く観測されており、その中に紛れていたのかと思われます〉


 ――なるほど、見事に隠されたというわけだな。


 リウは胸を張り、腕を組む。


「いずれにせよ敵――敢えて敵と言い切る――は既にわが方のふところ深くに浸透していた。これはもうどうしようもない!」


 リウの声は大きく響いた。続いて――――


「レーザー砲艦隊、いけるか?」


 スクリーンに20に及ぶマーカーが出現、これはガニメデ周回軌道の状況を現したものとの表示が出ている。ガニメデの低軌道から静止軌道に渡って星を取り囲むように位置する艦船の存在が確認できる。そのうちの1つにカーソルが当てられ、画像が拡大表示された。後部に二重のリングを備えた葉巻型の物体の姿をしている。クリシュナキャノンに似た形状だが、完全な円筒型ではないので別物だと分かる。何よりもサイズが違う。レーザー砲艦の全長は500メートル、斥候スカウトとほぼ同じだ。

 また別のスクリーンにカリスト軌道やエウロパとイオ軌道の状況が映し出された。これらガリレオ衛星の軌道上にも砲艦が配備されているのが示されている。総数はやはり20。ガニメデの戦力と合わせて40になる。

 リウは艦隊の配置変更を指示した。


「ガニメデ反対球側の艦を急速移動させろ。対面球側の艦は直ちに放射態勢に入れ。急げ、敵は直ぐに来るぞ! それとイオの艦隊をガニメデに移動させろ。カリスト軌道とエウロパ軌道の艦隊は射線方向をステルス体に向けて待機」


 シャトナーは直ぐに行動を開始した。ガリレオ衛星群の軌道に位置する全レーザー砲艦に指令コマンドを送る。それに従いスクリーン内の光点が目まぐるしい点滅を始めた。軌道上の砲艦のレーザー砲を起動させたのだ。


〈対面球側12艦のボーズ・アインシュタイン凝縮体、生成量上昇。ポジトロニウム崩壊、ガンマ線の発生、指向性化過程への移行を確認〉


 過程を示したグラフィックが表示された。指向性化ガンマ線のエネルギーが急上昇するのが分かる。


「大丈夫でしょうか、長官?」


 背後からスタッフの1人がリウに話しかけてきた。不安そうな様子が声だけにも表れている。


「クリシュナキャノン同様のガンマ線レーザーだ。単体の破壊力では劣るが20に及ぶ艦から集中照射できれば……」


 彼の言葉は途中で途切れた。そこに彼の不安が表れている。


 ――反対球側(ステルス体接近方向とはガニメデを挟んだ反対側の軌道上)の艦が攻撃に参加できるようになるまで十数分はかかる。それまでは12艦による集中照射になる。果たしてそれで十分なのか? 計算ではクリシュナキャノン一基にも及ばないのは分かっている。とは言え、焦点温度で確実に億の単位に達する超指向性のガンマ線の衝撃は尋常ではないはず。それが一度に12本注がれれば破壊できないか?

 だが――――


 クリシュナキャノンは一撃で斥候スカウト1号を破壊できなかった。どうも照射直前に水晶体を分離射出して逃れたらしい。それでも20億を超える極高温の領域を生き延びられるとは思えないが、奴らは生き延びた。事実は事実、理屈は不明。ステルス体の性質が変わるのかどうか、耐久力などは全く不明だ。

 レーザー砲艦の威力はどうしても劣る。――となると、あれは生き延びるのか?


「いや!」


 リウは頭を振る。


「シャトナー、艦による照射タイミングをズラすぞ」

〈一斉に砲撃しないのですか?〉

「そうだ」


 そして彼は照射開始時刻を細かく指示し始めた。


 ――タイミング変え、多方向から順次照射していく。それによって水晶体が分離射出されたとしても回避する余地を減らす。艦船レベルとは言え、少なくともガンマ線レーザーが直撃すれば、水晶体ならば破壊できるのではないか?


 リウはこう思い、指示したのだ。だがこれはかなり博打めいたものだと自覚もしていた。敵の性質は未だ不明点が多く判断が難しいのだ。それに――――

 彼は漆黒の姿を凝視する。


 ――あれは今までとは違うものだ。どうなるか分からんな……


 やはり博打になる。彼は次の指示を出した。


「みんな、脱出船に移ってくれ。ここは撤去する」


 リウのいきなりの言葉にスタッフの皆は驚いた。一番近くにいた1人が抗議する。


「長官、突然何を言い出すのです? まだ何も始まって――」


 振り向いたリウの顔を見て彼は言葉を詰まらせた。激昂しているかのような険しい顔をしていたのだ。


「生き延びるためだ。いいな!」


 スタッフにはそれだけを言って言葉を終えた。説明する気はないらしい。続いて彼はシャトナーに指示する。


「シャトナー、首都ガニュメデス市民に緊急退避命令! 同時にガニメデ全星に第1級警戒態勢発令! 治安維持部隊にも出動命令を出せ!」

〈了解、ただ長官、ガニュメデスだけでも人口は20万に――〉


 ガニメデには多くの一般市民が滞在したままになっていた。ステルス体の接近が予想外に早く、退避が殆ど行われていなかったからだ。現在、行政圏首都の〈ガニュメデス〉だけでも20万、ガニメデ全体を見れば100万を超える人口が滞在している。これでも人口は減っている(少し前まで500万を超えていた)。ギリシア群陥落の報を受け退避した者は多いからだ。

 またカリスト、エウロパにも滞在者は残っている。


 リウはシャトナーに最後まで言わせなかった。


「分かっている……」


 それ以上は何も言わない。だがシャトナーには彼の言いたいことは分かっていた。スタッフの皆も理解していた。

 ガンマ線レーザー砲艦隊による攻撃が効果を上げなかった場合、ガニメデはどうなるのか? カリストやエウロパ軌道とイオから援護に入る艦隊もあるが、間に合うかは不明。いずれにせよただでは終わらないと判断された。攻撃が功を奏しなかった場合、市民・スタッフの脱出が間に合うとも思えない。

 ステルス体による接近は完全に奇襲になったのだ。

 緊迫感が増す、ギリシア群ヘクトルの最期を知るだけに――――

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