第8話 金属性浸食生命体

〈ボーズ・アインシュタイン凝縮体、規定量生成完了〉


 シャトナーの報告を受け、スオウは次なる指示を出す。


「フェイズ2に以降。ポジトロニウム、崩壊過程開始」

〈了解、崩壊の142ナノ秒後に発生するガンマ線の指向性コヒーレンスを安定させます〉


 スオウの眼前に浮遊する立体表示ホログラムスクリーンに映るリングを備えた円筒体、それが〈クリシュナキャノン〉だ。キャノンは外見上は特段の動きは見られない。だがリングと円筒体に繋がれたケーブル上には目まぐるしいと言える光の明滅が見られる。スオウは同時に表示される各種数値データに目をやる。


「ガンマ線数値の急上昇、指向性コヒーレンス状態のボーズ・アインシュタイン凝縮体から次々とガンマ線が生成、集約されている……」


 そこに膨大な力の集中がある。シャトナーが報告する。


〈間もなく臨界到達、放射態勢完了まで3分20秒!〉


 スオウは全身が焼け付くような感覚を覚えた。それは間もなく行う大量破壊の力の発動を自らの手で行うのだという自覚がもたらすものだった。


 ――〈クリシュナキャノン〉、これは小規模な宇宙人工島スペースコロニーレベルのサイズを持つ超巨大放射線砲。砲塔の円筒体後部に設置されている粒子加速器(リング状部分)で生成されたポジトロニウムの崩壊を受け発生したガンマ線を集約させ、強大な指向性コヒーレンスを成立させて一気に撃ち出すものだ。即ち超巨大ガンマ線レーザー砲。木星行政圏は太陽系世界で一番早くにこれを開発・建造、配備した。

 ガンマ線レーザー砲自体は通常の宇宙戦闘艦にも装備されているものであり、特別なものではない。だが全長にして5キロ、直径500メートルに達する超巨大砲塔が放つガンマ線レーザーの威力は文字通り壊滅的だ。


 スオウの目は別のスクリーンに映る。そこにいびつな形の細長い小惑星の姿が映っている。


「ヘクトル……〈クリシュナキャノン〉が周回する巨大小惑星……」


 彼の口元が細かく震えだした。目には明らかに恐怖の色が表れている。


「あの小惑星すら一撃で破壊し得る超絶の放射線兵器、それが〈クリシュナキャノン〉だ」


 そこで言葉を切り、ゴクリと唾を飲み込んだ。高い緊張感が表れている。


 ――400キロレベルに迫る巨大小惑星をも一撃で破壊するだろう超放射線砲――こんなものを使用するというのか?


 スオウの目は3番目のスクリーンに向けられる。そこには斥候スカウト1号が映されていた。


「過剰すぎないか?」


 スオウには未だ迷いがあったのだ。

 ガンマ線レーザーは真空中ならばエネルギーを減衰することなく進行する。つまり遠方まで破壊強度を維持したまま届くものだ。これが〈クリシュナキャノン〉が惑星間戦略兵器と呼ばれ、太陽系行政圏の間で厳重に管理されるようになった理由だ。天文単位を隔てた遠距離間でも十分に脅威となり得るからだ。

 もちろん太陽系空間は絶対真空ではない。宇宙塵や微小小惑星、彗星やそれがまき散らす塵などの星間物質がある。これらを完全に避けて進行するのは不可能であり、よってエネルギーの減衰はある。それでもヘクトルすら完全破壊可能と言われる超絶レベルの初期エネルギーの減衰など微々たるものであり、天文単位を隔てた目標を十分に破壊できると判断される。木星軌道に設置されたクリシュナキャノンだが、地球にも壊滅的影響を及ぼし得ると計算された。

 これは惑星間の位置関係によっては全く役に立たない場合がある。惑星や小惑星は常に公転するものであり、合――特に外合の場合は太陽を挟んで反対側に位置する。この場合は攻撃が不可能になる。よって使用不可能になる。もちろん砲を移動させればいいのだが、多大な負担がかかるだろう。このため、必ずしも他の行政圏に対する絶対的な脅威とはならない。

 それでもこの兵器の建造・配備は太陽系世界に著しい緊張をもたらした。やはり一撃で広大な領域を破壊できる超巨大放射線兵器の登場は恐怖を生み出したのだ。

 当然ながら他の行政府も同様の兵器の開発に乗り出した。小惑星帯メインベルト、火星、そして地球―月連合が後を追うように同レベルの兵器の配備に着手した。この動きはかつての軍拡競争、20世紀の冷戦期に起きた相互確証破壊の再来と呼ばれた。歴史の繰り返しなのか? だが単純な繰り返しとはならなかった。

 太陽系国際連合が舵を取り、各行政府と折衝、軍備管理条約の締結に漕ぎつけたのだ。

 平時に於いては兵器システムをシールド、凍結させる。解除・起動させた場合、その信号は量子通信回線を通して瞬時に他行政府に伝わるようにした。これは全行政府の兵器に一律に適用された。太陽系世界は互いに監視し合う体制を整えたのだ。


「連合はキャノンの廃絶を目指さなかった。あくまでも管理に留めた。それが功を奏したわけだ、だが――」


 廃絶の強制は極秘裏の開発をもたらすだけだと判断されたのだ。ならば全行政府での開発・配備を認め、それを互いに監視できる体制を整えればいいとの判断だった。要するに強く制御された相互確証破壊とでも言うべきもの、これが現実的な選択だったわけだ。


「これは惑星間戦略兵器、超絶レベルの大量破壊兵器だ」


 ――そんなものを全長500メートルほどの存在に使うのか? ガンマ線レーザー砲ならば通常の戦闘艦にも装備され、木星行政圏・ギリシア群防衛機構にも配備されている。20艦配備されていて、それらの使用でいいのではないのか?


 これがスオウの迷いだ。電磁輻射の全反射を成す存在ではあるが、高指向性を持つガンマ線レーザーならば反射を貫いて破壊効果を及ぼすと期待できる。これは戦闘艦が装備する戦術兵器のレベルでもいいのではないか? 不安ならば20艦全てを一斉に動員すればいい。だがリウ司政長官は〈クリシュナキャノン〉の使用を命じた。


〈臨界到達、放射可能です〉


 シャトナーの報告がスオウの意識を現実に戻した。スクリーンの位置が変わり、斥候スカウト1号を映したスクリーンが彼の目の前に移動していた。星空を映した鏡のようなものが見える。ふと気づくとその真ん中に暗い赤っぽいものが微かに見えている。それが何を意味するのかスオウには分かっていた。


「ヘクトル……」


 距離は23万キロと計測されている。ヘクトルが映っていたとしても裸眼では見えるとは思えない。これは超望遠映像だが表面にそれと分かるように映るものなのか、スオウには分からなかった。これは意識がもたらした一種の幻覚かもしれない。だが、それが彼に決意させた。


「初手で最大戦力を投入する。これは軍事の常識じゃなかったか?」


 彼は役人であるが、同時に軍人だった。ギリシア群防衛機構の司令官でもある。軍人の彼にとっては当然の知識、逐次投入は愚策であり最初から全力で対処すべしというものだ。〈クリシュナキャノン〉はあまりにも過剰に思えるが、敵――と断言してはいけないかもしれないが――は未知の存在だ。人類側としては持ちうる最大戦力――この場合は火力と言うべきか――を一気に投入するという判断は当然なのかもしれない。だからこその〈クリシュナキャノン〉。

 彼は頷く。


「よし、シャトナー、放射開始せよ!」

〈了解、放射シーケンスを開始します〉


 加速経路がクリシュナキャノンの円筒部――砲塔ガンターレットと接続された。そして指向性化されたガンマ線が送り込まれる。放射線数値の急上昇が観測される。つまり放射が開始した。そして――――

 中央のスクリーンに爆発的閃光が発生し、即座にブラックアウトした。


「くっ――どうなった?」


 目を押さえるスオウ。閃光発生と同時にスクリーンはブラックアウトしたが、この閃光は斥候スカウト1号にガンマ線レーザーが到達した結果としての反応だ。スオウはその閃光を見てしまったのだ。そのため目が眩んでしまった。シャットアウトのタイミングが僅かに遅れたようだ。だが体内の医療用極微機械ナノマシンが即座に起動し視神経の機能回復を早めた。彼は数秒と経たず視力を回復した。


「どうなった? シャトナー、報告せよ」


 統括管理AIの報告が遅れているのがスオウには気になった。


〈焦点温度、摂氏23億度を観測〉


 やようやくシャトナーの声が届いた。同時に中央のスクリーンが回復した。


「むぅ……これは?」


 雲のようなものが拡がっていた。中央は真っ白に輝いていて。端に向かうに従って蒼白い色彩に移っている。億の単位に至る極高温の領域が発生していた。


「焦点温度23億度……これならば……」


 太陽の中心温度は1600万度、重水素―ヘリウム3による核融合反応でも10億度、これをも超える超超高温。いくら電磁輻射の全反射を行うと言えど、この酷熱

もたらした超指向性の放射線に耐えられるものなのか?

 破壊――いや、完全消滅したか?


「シャトナー、状況が分かるか? 斥候スカウトはどうなった」


 AIは、今度は即座に応えた。


〈残熱が凄まじいので暫く観測不能です〉


 リウは黙ってその回答を聞くだけだった。


 ――20億をも超える超高温を生み出すとは……惑星間戦略兵器とは何と凄まじいものなのか。なるほどこれなら天文単位を超えて打撃を加えられるな……


 そこまで考えてスオウは頭を振った。


「バカなことを考えるな。それより……」


 白熱の領域は急速に狭まっているのが見て取れた。次第に蒼白に移り、周辺部は緑黄から赤色へと移りつつあった。雲も急速に拡散しているらしく端は散り散りになって可視領域では捉えられなくなっている。その状態が続く。


「文字通りの焦熱地獄だな。それに〈クリシュナキャノン〉のガンマ線が生み出す衝撃波もまた超絶だったはずだ」


 そんなものに耐えられる物質などあるはずもない……リウは強く思考していた。それは祈りと言ってもいいかもしれない。

 もう居なくなってほしい……未知の存在に対する不安は恐怖のレベルに達していて、一刻も早くそのストレスから逃れたかったのだ。だが――――



 24時間後――――


 雲は大きく拡散している。中心は未だ数万度のレベルにある超高温の領域だ。だが周辺は数千から数百度のレベルに落ちていて、観測可能な状態になっていた。


〈ケイ素、鉄、ニッケルなどの金属成分が大量に観測されています〉


 雲界に対する電波・赤外線観測の結果だ。報告にある金属成分に特徴的な輝線が現れていた。


〈ヴァジュラユニットや探査機の由来のものもありますが、想定以上の成分量が観測されています〉

「つまり、斥候スカウト1号も金属の塊だったというのか?」

〈いかなる構成だったのか詳細は不明ですが、観測された成分を大量に保有していたと想像されます。斥候スカウト1号の密度は相当なものだったのでしょう〉


 密度の高さは軌道運動の慣性から想定されていた。だが実際はそれ以上だったらしい。


「金属性の存在……或いは機械? いずれにせよ、完全に溶かされてしまっているからもう分からないか……」


 スオウの目はスクリーンに釘付けだ。彼はこの状態で24時間ずっといる。


〈群長官、そろそろお休みになられてはどうでしようか? 身体に良いとは思えません〉


 シャトナーが話しかけてきた。スオウの状態が気になるからだ。だが彼は首を振る。


「〈リバーサー〉(体内極微機械ナノマシンの名称、健康維持に役立つ)が機能している。この状態で1週間は健康を維持したまま完徹できるよ」

〈それは無茶なドーピングのようなものです。必ず反動がありますから推奨できません〉


 スオウは微かに笑みを浮かべた。


「まぁ観測結果は近いうちに出るだろう。問題なしと出たら――」


 休むとするよ――と言いかけた時、警報アラームが走った。けたたましく鳴り響くそれは音響の竜巻とでも言いたくなるような代物だとスオウは思った。彼は暫し反応できなかった。


〈不正アクセス警報発令! クリシュナキャノン管制システムに対するハッキングが行われています!〉


 スオウは絶句した。不正アクセスとは何だ? 何故そんなことが起きる? いや、何がやっているのだ? 彼は著しい不快感に襲われた。


〈量子回線、物理的遮断! システムの全てを木星行政管理ネットワークから切り離しました。キャノンはヘクトル周辺より緊急離脱しています〉


 スオウはハッとした。


「キャノンは? あれは支配されてしまったのか?」


 支配――という言葉をスオウは使った。自分で使いながら、その意味するものに気づき、彼は怒りすら憶えた。そんなこと・・・・・があるのか?


〈大丈夫……のはずです。不正アクセスの検知の瞬間にキャノンのシステムは自閉モードに移っていましたから。これは観測機器も含めた電子光学アクセスに対する完全な隔離処置です。キャノンは緊急離脱軌道に入っていますし、これはアクセス直後にキャノンのAIが独自に判断・実行したもののはず。もしAIが何らかの侵入した異物の存在を探知し、駆除不能、及びシステムに対する安全が脅かされると判断した場合、速やかに自爆指令を出すはずです〉


 自閉モードとは重要システム保護のためのものだ。物理・通信、あらゆる接触手段を遮断するシステムの隔離処置。量子回線のみならず多くのシステムを凍結するものだ。

 また〈クリシュナキャノン〉の制御AIは現宙域を危険と判断し、ヘクトル周辺のからの離脱を指令したと思われる。キャノンの姿が急速に小さくなっているのがスクリーンに映されている。高出力バーニアを噴かせて独自の飛行を開始しているのだ。

 それでも危険が排除できないと判断した場合は自爆シーケンス開始を開始する。だが、現在の状態は不明だ。


「どうしても分からんのだな?」

〈はい、行政ネットワークからも切り離しているため、確認はできません〉


 つまり〈クリシュナキャノン〉自身の自閉モード発動以前に不正アクセスに成功していた場合、キャノンは支配されてしまった可能性が出てくる。自爆指令を出すいとまもなく支配されていたとしたら……その場合にもたらされるだろう事態にスオウは震えた。


 ――もしキャノンが何者かに支配され人類の手から離れたとしたら? それが人類に向けられるとしたら……?

 スオウの思考は阻まれた。


〈雲界内に高熱源体多数検知!〉


 スオウは仰天した。


「高熱源体? いや、雲界自体が高熱の領域だろう――」


 スオウの言葉は最後まで続かなかった。


〈荷電粒子流を観測。核融合プラズマ推進による熱源が領域内で多数発生しています〉


 雲界内で幾つもの輝点が現れていた。それは見る見る数を増やし、数十――いや、すぐさま100を超えた。


「何だ、これは何なのだ?」


 ――斥候スカウト1号なのか? 奴は生きていて、動き出したというのか? いや、待て! 反応源は100ちょっとを超えているぞ? 斥候スカウト船団はヴァジュラユニットや探査機を含めて全部で16機だったろう? 何故こんなに熱源が出現する?


〈先行隊、雲界から出ます〉


 その姿が露わとなった。それを見た時、スオウは何も言えなくなった。

 槍状の物体だった。雲界から次々と現れる高熱源は全て槍状の姿をしたものだった。それは彼のよく知るものだった。探査機を貫き捕食――いや、浸食と言うべきか――したものだったのだ。

 銀色に輝くそれらは例外なく蒼白の光輝を長く背後に曳いていた。まるで長大な尾を曳く彗星のようなものに見えた。


〈全数109。現状、全てヘクトルを目指しています。加速度10G! このままでは――〉


 直ぐにヘクトルに達するのは明白だった。もしそうなったら……スオウの脳裏には包み込まれて水晶が突き出したラグビーボール状体となった探査機群の姿が浮かんでいた。

 彼は頭を振った。為すべきことがある。このままではヘクトルに駐在している観測・開発職員に危機が及ぶ。


「ポッド型シェルター、緊急射出! 急げ!」


 シャトナーは即座に反応した。ヘクトル各地からは次々と発光するものが現れた。職員を収容したシェルターが射出されたのだ。これはヘクトルからの離脱も可能な宇宙船機能を有したものであり、ヘクトル自体に危機が及ぶような状況になった時に使用されるものだった。まず有り得ない事態と思われたが、それが必要になったとスオウは判断した。


「ダメだ、間に合わない!」


 スオウは歯噛みした。シェルターは次々と射出されているが、全部で50に及んでいる。それを一度に射出するのは不可能で、順次射出となる。どうしても時間がかかるのだ。


〈槍状体、第1陣が到達します〉


 それは悪夢としか思えなかった。凡そ10の槍状体が一斉にヘクトルの地表に突き刺さったのだ。すると突き刺さった部分から放射状に銀色のものが拡大したのだ。真上から見ると蜘蛛の巣が拡がるようなものに見えただろう。それが高速で拡がったのだ。やがて第2陣、第3陣が到達する。拡大する蜘蛛の巣はやがて別の蜘蛛の巣と交差した。するとそのポイントから水晶のようなものが突き出てきた。そんな形で蜘蛛の巣と水晶体がヘクトル各地に出現、次第に全体を覆っていった。

 それは内部奥深くにも浸透していったのだろう、やがてシェルターの射出が止まった。管制システムが停止、破壊、若しくは支配されたのだろう。脱出できたシェルターは半分にも達していなかった。それはスオウに著しい苦痛をもたらした。


「くそっ、もっと早く……少なくとも光速反応圏に達した時に脱出させておけばよかったのか……」


 〈クリシュナキャノン〉という超巨大放射線兵器が効果を上げないなどとは考えなかった。だが、それは迂闊な判断だった。とは言え、未知の存在相手にでき得る有効な判断とはどんなものだったのか?


「そう、未知の存在なのだ。最悪を想定して素早く動いておくべきだったのだ……」


 スオウは自身の判断ミスだと自覚した。


「キャノンはどうなっている? 自爆に入っているのか?」


 〈クリシュナキャノン〉を映したスクリーンに目をやる。それは単純に遠ざかっていた。表面に銀色のものは見られず、槍状体も向かっていないようだった。


〈見たところ特段の変化は見られません〉


 ――こうなると直ぐに自爆してくれるといい。例え不正アクセスの遮断に成功していたとしても、いずれ槍状体が向かうと思われる。浸食されれば結局支配されるのではないか?


「むぅ……こうなると物理的遮断が仇となったか?」


 状況が全く把握できない事実に歯がゆさを憶えた。。


「惑星間戦略兵器が奴らの手に落ちてしまうとなると……」

〈いえ、キャノンは一度使用すると砲塔ガンターレットや加速経路部に大きな負荷がかかって損傷を起こし、大規模な改修が必要となります。これは避けられない欠点です。ただ今回はそれが我々には幸いと言えるかもしれません。斥候スカウト1号に占拠されても直ぐに使用されないはずです。それにあの存在がシステムをどこまで理解するのか不明です〉

「あれはヴァジュラユニットや探査機群を支配して制御していたぞ? つまり人類のシステムを理解できるのではないのか?」

〈いえ、あれらは物理的に構造を変えて自身と同様のものとして操っていたと思われます〉

「そうは言うが不正アクセスは量子暗号を突破したものだろう。これはやはり人類の技術を理解した結果ではないのか?」

〈それに関しては何とも言えません。確かに群長官の懸念は最も――〉


 ここでシャトナーの言葉が途切れた。何かに気づいたのだ。直ぐに報告する。


〈群長官、槍状体の一部が軌道を変更、〈アキレス〉に向かっています。直ぐに脱出してください〉


 シャトナーは軌道図を出した。スオウは報告の意味を検証する。彼は図を拡大し、ギリシア群全体の状況を映し出した。確かに〈アキレス〉に向かっていたが、それ以外の軌道を描く槍状体も映し出されていた。他の小惑星を目指しているものもあるのだ。


 ――雲界からヘクトルに向かっていた槍状体のうち半数は軌道を変更しているな。それらはギリシア群に広く拡散していっている。よく見ると大半は人類の拠点が存在する小惑星を目指しているな……


 〈アキレス〉はその1つで軍事基地が築かれ要塞化した小惑星だ。エンケラドゥス以来の事象は全人類的有事と判断されたため、防衛機構司令官の彼はここに滞在して機構の指揮に当たるべしと判断していた。


 彼は虚空を進む銀色の槍を見て更に思考を深くする。


 ――クリシュナキャノンのガンマ線レーザーは斥候スカウト1号の鏡面全反射効果を超えて破壊できたはずだ。20億を超える極高温で一気に溶融したと思われる。それでヴァジュラユニットや探査機群も含めて消滅したはずだが、全てを消し去ることはできなかったのか……

 槍状体は斥候スカウト1号の中から出現したものに違いない。或いはあれ・・はレーザー線が到達する前に槍状体を射出していたのかもしれないな。反射は不可能と判断し、生き延びる・・・・・ために射出したのか?

 それでも極高温に晒されたはずだが、よくも生き延びた……いったいどうなっている?

 そして槍状体は全て核融合プラズマ推進を行っている。ヴァジュラユニットや探査機群の成れの果てを生存させたのか? いや、数が多すぎる、100を超える槍状体は全て核融合プラズマ推進を行っている。これは何を意味する?


 彼は頭を激しく振った。


 ――考えることは多いが検証はここまでだ、今は――――


「シャトナー、〈トロヤ群〉への斥候スカウトの到達はいつになる?」


 トロヤ群とはギリシア群と太陽を挟んで木星軌道の反対側に存在する小惑星の集中領域だ。ここにも斥候スカウトが接近していた。


〈現状の計算では約1カ月後と出ていますが、早まる可能性は高いです〉


 斥候スカウトは加速度を細かく変化させている。予測は困難だ。


「ヘクトルで起きたことの情報は全てリウ長官に――そして他の行政府にも送ってくれ。一次データだけでなくお前自身による詳細な分析評価も添えてな。それと、ギリシア群に点在する全ての人類の拠点に退避勧告を送れ。これは最優先の強制勧告だ」

〈了解〉


 スオウは立ち上がり、オペレーションルームスタッフに指示する。


「ここを遺棄する。総員退去! 退去後爆破する」


 スタッフの間に息を呑む気配が流れた。だが長くは続かない。彼らは速やかに動き出した。

 スオウは槍状体を映したスクリーンに目をやる。続いてヘクトルの映像を見た、これは〈アキレス〉を周回する宇宙望遠鏡が捉えたものだ。今やほぼ全面を銀色のものに覆われていて無数の水晶体が林立したものとなっている。スオウは無言で見つめていたが――――


「金属性の浸食する存在……生命体……」


 その目の前でヘクトルの姿は更に変化していた。量子回線は既に断たれていて現状は分からないが、恐らく確実に内部の全てが浸食されていると思われる。それは脱出できなかった職員も吞み込んだのだ。何ということだとスオウは思った。

 〈クリシュナキャノン〉は現状、見た目の変化はない。

 スオウは無言でスクリーン群を見ていた。


〈群長官、あなたも脱出を〉


 スオウは目線を外し頷いた。そして呟く。


「このままでは終わらんぞ」


 彼の目は死んでいなかった。



 斥候スカウト1号は金属性物質で構成された存在だと判明した。それは高い流動性を持ち、まるで生命体のように動き、素早く変形することもできるものだった。そればかりか他の物質に取り付き、浸食することさえできた。それを撃ち出したエンケラドゥスのアメーバ体やラグビーボール状物体にも似た性質があるものと推測される。

 よって人類はそれらを総称してこう呼ぶこととした。


 MELE――Metallic Erosion Living Entity……金属性浸食生命体――――

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