第3話 太陽系連合・安全保障理事会
暗闇の中に仄かに浮かび上がる蒼光は次第に明度を上げ、全体像を露わとした。楕円形のそれはラグビーボールを思わせる。輝きはさらに増し、中心附近は蒼から蒼白へと転じていく。暫くすると表面のあちこちに泡立つような何かが現れ始めた。それらは数を増していき、増加速度は見る見る上がっていった。終いには全体を覆い尽してしまう。次に泡のようなものは表面から1つ2つと離れ始めた。やはり時が過ぎるに従い離れる数は増していった。
そして――――
視界いっぱいに“その姿”が映し出されるや、一気に暗転、何も見えなくなった。
照明が灯され、暗かった室内は太陽光のような光に満たされた。
そこは円形のコンサートホールのようなスペース、巨大とはいかないが、50人ほどは収容できるくらいの広さはある。中央に向かうに従ってすり鉢状に窪んでいて、その中央に円卓のようなテーブルが置かれている。そこに20人ほどの人々が着席していた。彼らの眼前、円卓の中に巨大な
沈黙がその場を覆っていた。
〈太陽系連合〉・安全保障理事会・緊急会議――――
“先頃”、土星圏・エンケラドゥスで発生した異常事象に関する討議が開催されている。これは秘密会議であり、一般には公開されていない。
『これは昨日の出来事になるね? 現状はどうなっているのかな?』
1人の男が沈黙を破った。金髪碧眼の典型的なアーリア人種の外見をした男だ。歳は若く、20代後半の外見をしているが、実際の年齢は現時点では定かではない。
テーブルを挟んで男に対面していた別の人物が口を開いた。赤毛のウェーブがかったミドルヘアの女だ、肌はやや浅黒くラテン系の人種かと思われる。やはり20代後半に見える。
『これは〈テティス〉※ から捉えられた映像です』
スクリーンに新たな映像が映し出された。会議場にはどよめきが走った。映し出されたものに少なからず驚いたからだ。
『棘だらけじゃないか!』
小柄な東アジア系の男の言葉、小さな目は確かに驚愕に彩られている。
エンケラドゥスの地上からは何本もの棘のようなものが伸びていた。尖塔にも見える。
『何だあれは?』
別の男――痩せた体躯の黒人の男――の発言だ。彼は言葉を続ける。
『確かテティスとエンケラドゥスは60万キロほど離れていたな? その距離を隔ててあれだけ大きく見えるとなると……あの棘は何キロ伸びている?』
赤毛の女が応える。
『これは超望遠映像になりますが、それでも軌道上から明確に確認できるだけのサイズのものです。一番大きなもので地上から100キロほどは伸びています』
一同は沈黙した。彼らは揃って映像に見入っているが、大なり小なり苦しそうな表情になっている。苦虫を嚙み潰したよう――という表現があるが、それがあてはまりそうだ。
『ラウダ議長、あれは内部海から伸びているんだな?』
アーリア人種の男が訊いた。ラウダと呼ばれた赤毛の女――この討議の時点での安保理の議長である――は頷く。
『はい、氷床を貫いて伸長しているようです。そして“棘”の周囲を活動するものの存在が多数確認できます』
映像のアングルが変わった。テティスだけではなく、他の衛星や内大衛星群附近を周回する探査機、人工衛星などから送られてきた映像になる。それらの中には動画もあり、地上を這うように動く“銀色の物体”が多数捉えられている。
『これだけを見ると、まるでアメーバみたいだな』
アジア系の男は肩を竦めた。
『最初、海中で確認された動くものはエイのような姿だったが……別種か?』
“アメーバ”は幾つもの群体に別れているらしく、それぞれ別々に活動しているように見える。だが全く関係ないわけではない。群体は全て“棘”に対して何らかの働きかけをしているらしいのだ。
『その点は不明ですが、同種だとすると役割の違いによる形態の変化とも考えられます』
アーリア人種の男が頷く。
『フム、蟻とか蜂など社会性昆虫は群れの中で役割分担が厳密に為されていて、時に形態が大きく変わることもあるしな、それと似たようなことなのかな』
新たな人物が口を開いた、褐色の肌をした30代半ばの外見をした女だ。
『フェルミ連合事務総長、しかしあれは地球外の存在だろうと思われます。地球の常識を基準にして考えるのは間違いかと思われますが?』
アーリア人種の男――太陽系連合事務総長の職にある――は、微笑んだ。
『その通りだ。そもそも生物か否かも不明だしね』
黒人の男が意外そうな顔をした。
『いや、あれは生物じゃないのですか?』
総長――フェルミという名になる――は黒人の男を真っすぐに見据えた。男は気圧されたのか、少し後退るような仕草を見せた。
『それこそ地球の常識だよ。生物的に見える活動をしているからと言って生物とは限らないだろう。そもそも地球上に限っても生物のように見えるけど非生物による現象と言えるものがあるじゃないか』
それはまぁ――と黒人の男は応えるが、声は次第に小さくなっていった。
『生物云々は今後の調査研究次第だが、緊急を要するのはエンケラドゥス駐在の研究員たちだな』
フェルミの言葉を受け、ラウダが口を開いた。
『エンケラドゥスには豊富な水資源開発のための予備調査隊として3人の科学者、工学技師が派遣されていました』
彼女が操作したのだろう、スクリーンの映像が切り替わった。3人の男女の画像とプロフィールが表示された。
『しかし事象の発生と共に一切の連絡が途絶、現在に至って復旧しておらず、安否は不明です』
スクリーンの映像がまた切り替わった。エンケラドゥス赤道附近を映し出したものだ。
『これは……』
誰の呟きか判然としなかったが、その言葉は討議場の雰囲気を更に重苦しくした。
赤道附近は特に“棘”の隆起が激しかった。棘というよりも槍、若しくは剣のようなものと言うべきか――無数のそれらが天を衝こうとでも言うかのように上空に向けて突き出されている。ちょうど前線基地があった辺りが中心になっている。映像では何も見えなくなっているが、内部海から突き出された“棘”により基地は一瞬にして破壊されてしまったのだ。当然中にいた3人の生死は……答えは明白だが、誰も口にはしなかった。
『――これはリアルタイムの映像になるのだな?』
フェルミはスクリーンを凝視したまま言った。その眼差しは厳しさを増している。
『はい、量子通信回線を通したものであり、これは量子テレポーテーション効果によって距離など関係なく瞬時にして情報が伝わるものです。よって
ふぅっ――というため息、フェルミのものだ。
『あれの活動は今のところエンケラドゥスに限られているが、今後の保証はないだろうな』
褐色の肌の女が反応した。
『そうなのですか? もしかして他の星、星系に移動するとでもお考えなのですか?』
フェルミはスクリーンから目を離さずに応えた。
『あの“棘”をよく見たまえ。先端附近に開口部が見られるじゃないか』
皆は一斉に注目した。言葉を受けてかスクリーンの映像が変化、先端附近が――赤道、前線基地があったところから伸長しているものの中で一番巨大なもの――拡大表示された。ラウダが操作したのだ。
そこには確かに開口部があった。内部は暗黒でどこまで空洞が拡がっているかは不明。赤外線や各種電磁波による
『砲塔のようなものに見えますね』
代表するようにラウダが発言した。
『この砲塔――と仮に称しますが――を中心とした伸長部分からはかなりの強度の磁場が計測されています。そして周辺を活動するアメーバからは絶え間なく電力の供給が見られます』
数人が反応した。
『電力? あのアメーバどもには発電能力があるとでも?』
ラウダは再びスクリーンを操作、アメーバに焦点を移した可視映像画面にする。そして各種電磁輻射帯による分析画像を併せて表示した。
『一目して分かりますが強大な電気の流れが確認できます。各アメーバ――全体数は膨大すぎて測りかねますが――が連結して電気を流しているようです。その全てがエンケラドゥス各地に存在する“棘”――いや、砲塔に集中しています。特に集中度が高いのが赤道のあれ――前線基地跡地から伸びたものです』
赤外線分析画像が特に分かりやすかった。砲塔内部は真っ赤になっていて、中心の軸となる部分は白くさえなっていた。
『力を溜め込んでいるって感じだな』
そう言うフェルミの口角は異様に歪んでいた。笑っているようにも見えるが、目は少しも笑っていなかった。
『力……何の?』
その呟きの瞬間だった。突如としてスクリーンが弾けた。
『なっ――』
言葉になどならない。最初は何が起きたのか誰一人として理解できなかったのだ。
スクリーンが弾けるなどということはない、突如として強烈な閃光が発生したのだ。それがスクリーンそのものを弾けてしまいそうなほどのものに見えたのだ。煽りを受けたのか、映像はすぐさまブラックアウト、何も映らなくなってしまった。
『何だ、何が起きた?』
ラウダが忙しなく手元の光学デバイスを操作している、事態を知るために何とかしようとしている。その顔にはかなりの動揺が見られた。
『始まった――ということかな……』
フェルミの言葉に皆は反応した。だが誰も何も問いかけることはなかった。沈黙は、しかし長続きしなかった。ラウダがデバイスの操作を終えたのだ。
『ああっ、見てください! 何かが撃ち出されています!』
映像が復活、ラウダはより外軌道の人工衛星と回線を繋げて観測映像を捉えたのだ。映し出されたものを見て、皆は言葉を失った。
次々と撃ち出される“何か”――砲弾のような形状のそれらはエンケラドゥス各地の砲塔から発射されている。土星の脱出速度を超えると計測されたそれらは、概算だが軌道要素から太陽系内部へと撃ち出されたものと推定された。
内部――最も近いのが木星を中心とした〈
『現在の速度と軌道要素を維持するとなると……、最も早くて半年後、〈
フェルミが呟く。
『砲弾……磁場で撃ち出した……マスドライバーみたいなものだったのか……』
皆は茫然と彼の言葉を耳にするだけだった。ただ誰もが理解していた、“始まった”――――と。
後に〈アポカリプスエイジ〉と称されることになる果てなき戦乱の時代の幕開けが、この時始まった。
時に西暦2301年、6月12日のことだった――――
※テティス――土星の第3衛星(エンケラドゥスは第2衛星)。土星の衛星の中では5番目に大きい。
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