黙示録の夜明け

ファーストコンタクト

第2話 深海に浮かぶ蒼光

「無人深海探査艇〈シカール〉、標的ターゲットから約5キロまで接近。現在の〈エンケラドゥス〉南極・〈内部海〉の透明度なら光学視認が可能です。可視映像、出ます」


 おお……暗い室内に出現した“それ”を見て、一同はどよめいた。


「光っているな……」


 一同――3人の男女は皆、眼前の映像に釘付けになっている。彼らの間に1つの球形立体映像ホログラムスクリーンが浮遊しているが、その中に蒼白く輝くラグビーボールのような形状のものが映し出されていた。


「内部に熱源の存在が伺われます。周囲の温度は既に0℃を超えていて、概算ですが内部中核は100℃を超えていると推定されます」


 若い女の言葉、彼女はスクリーン下部に現れている光学デバイスを操作しつつ報告していた。滑らかに動く彼女の指はリズミカルで、ピアノか何かの楽器でも演奏しているような趣がある。実際は映像に付随する各種データの表示に関する操作だが。


「熱源……100℃も超えるだと?」


 白髪の男が独り言のように呟いた。暫く黙って映像を見つめていたが、やがて何かを思い立ったのか、若い女に向き直り彼女に話しかけた。


「放射線の反応はあるか?」


 女は首を振る。


「いえ、特段変わったものは。周囲の反応と大差ない数値です」


 それら数値データ一覧が映像の右側に併せて表示された。男は考え込む。すると別の人物が口を開いた、30代前半の外見の女だった。


「熱源は放射性物質ではないということね。となると、何になるのかな?」


 白髪の男は彼女には目を向けずに応えた。


「色々候補は考えられるが、それをこれから調べることになる」


 そうね――と30代の女の言葉。彼女は言葉を続ける。


「しかし不思議ね。これ、1週間前の海底探査の時には何も映らなかったのよね」


 白髪の男は腕を組む。


「うむ、ちょうど同じ座標の走査スキャンを行っている。今後予定されている〈内部海〉開発の予備調査として海底地形のマップデータを取っていたのだが……」


 彼の言葉は途切れるが、後を継ぐように30代の女が話し始めた。


「こんなもの、影も形も無かったのよね。熱放射なんて欠片も探知できなかったわ」


 だがその後、熱放射が観測されるようになった。そのため再び同じ探査艇による調査を行っているのだ。

 若い女に話しかける。


「ねぇ、〈シカール〉が故障していた、なんてことはないわよね?」


 若い女は直ぐに応えた。


「ありません。〈シカール〉の作動状況はリアルタイムで記録されており、異常があれば即時警告アラームが発令、我々には直ぐに伝わります」


 1週間前の探査時に於ける海底探査機の作動記録がスクリーン下部に表示された。問いに答えると同時に、若い女は記録を検索して表示させたのだ。細かな数値が大量に並ぶもので、一見して何が何やら分からないと思われるが、彼らは一瞥して意味・内容を理解した。


「うむ、“健康そのもの”といった感じだな。何の不具合も見られない」

「搭載AIがおかしくなっていたら、送られてきたデータもおかしいかもしれないわね」


 白髪の男は苦笑いを浮かべる。


「その可能性を考慮しているのかね?」


 30代の女は肩を竦めた。


「まぁ……、信頼性抜群の極限環境対応型の量子AIですからねぇ。極端な話、100年以上もメンテナンスなしでも問題なく機能できると言われる“タフネス”、そうそう故障するものじゃないのは理解しているわ」


 だが、“そうそう”は、あくまでも“そうそう”。絶対ではないということを考慮すべきだと彼らは理解していた。

 しかし――――


「故障はおそらくない。取り敢えずその可能性は外して……では、何故こんなことになっているのかを考えてみる」


 一同は再びスクリーン内の存在に意識を向けた。ラグビーボール状のそれは鈍く、蒼白く光っている。心なしかその輝きが増しているようにも感じられた。


「予備探査が刺激になったのかしら?」


 暫く沈黙が続いた後の30代の女の言葉だ。


「刺激? と、言うと?」


 白髪の男が問いかける。


「主にソナー探査だったわよね。他に赤外線探査とか試料採取とか。試料採取はあれのある位置ではやっていないわね。あの時の海域の透明度では――かなり濁っていたよね――光学探査はあまり効果がないと思われたからやらなかったね」

「ふむ……ソナーは超音波を放射するアクティブセンシングだったな。他はパッシブ系だったから、刺激となるのならソナー以外にないか。後は探査艇の存在に反応したとか……」


 若い女が会話に割り込んだ。


「博士、しかし超音波の刺激って何なのです? “あれ”は刺激に反応するような性質のものなんですか?」


 “あれ”――ラグビーボール状物体の輝きは一層増してきている。


「何らかのアクティブな活動をする物体ではある……」


 白髪の男に続いて30代の女が発言した。


「物体というか……生物だったりして?」


 彼女の言葉に残りの2人は強く反応した。女は怯んだのか少し後ずさる挙動を見せた。


「ああ、ごめんなさい。ちょっと軽率な発言だったわね」


 白髪の男は、しかし否定するようなことは言わなかった。


「考慮すべきかもしれんな」


 若い女が強く反応した。


「待ってください。現状ですが、今までエンケラドゥスでは微生物1つ発見されていませんよ。〈カッシーニ〉※ の探査以来何度も調べられて来ましたが、一度として確認されていません。痕跡すら見つからなかったじゃありませんか。〈内部海〉の直接探査は1年前にようやく始まったばかりですが、それでも生命が存在するのなら何らかの痕跡くらいは既に見つかっていて然るべしなのかと思いますが……それがいきなり、しかもあんな巨大なものが……」


 彼女は映像を指さした。

 数値データはラグビーボール状物体の長径が約5キロ、短径が1キロと出ている。地球上にはこんな巨大生物は存在しない。


「こんな極寒の環境で、こんな巨大な生物が存在できるのですか?」


 土星圏に存在するエンケラドゥスの環境は極寒そのもの、表面温度は絶対温度で平均75ケルビンになる(摂氏ならマイナス200℃ほど)。液体の水があると言われる〈内部海〉ならずっと高いだろうが、それでもかなり冷たい・・・。地球生命のような炭素基盤の有機生命が生存するには厳しい環境だが……不可能とは言えない。しかし巨大生物が出現するまでの進化が有り得るのだろうか、と若い女は問うているのだ。

 白髪の男は微かに笑みを浮かべた。


「〈ベルクマン・アレンの法則〉は知らないのか?」


 若い女は頷く。


「同じ種でも寒冷な地域に生息するものほど体重が大きくなって、近縁な種の間では大型の種ほど寒冷な地域に生息するって話ですね? でもそれは――」


 白髪の男は小さく手を上げた。まぁ待て――と言いたいのだ。


「分かっている。あれは地球上の生命に適用できる法則だ。ここは異星だしな、単純に適用できるものではないということくらい理解している」


 そもそもこのラグビーボール状物体以外、アクティブな活動を示すものは一切見つかっていなかった。これが生物だとするのなら、これに繋がる別の何かが見つかっているべきだと考えられる。これほどの巨大な存在が孤立して発生できるものなのだろうか?


「もちろん異星なのだから、ここでも地球上の常識は当てはめてはいけないがね。まぁ考慮すべきか、とは思ったのだよ」

「博士は……何らかの生物だと思っているのですか?」


 博士と呼ばれた白髪の男は首を振った。


「分からんよ、何も分からん。ともかく直接試料を採取するなどしてみない限り何も判断できないな」


 輝きが更に増したのか、博士たちのいる室内全体が蒼く染め上げられ始めた。


「もしかして……」


 30代の女が何か言いかけたが、途中で口をつぐんでしまった。


「どうした、言いたいことがあるのなら……」


 博士の言葉も途切れた。スクリーンを見る2人の目は大きく開かれていた。


「何だあれは?」


 若い女がが盛んにデバイスを操作している。


「物体から何かが放出されています。それがあの光景を生み出しているのかと」


 ラグビーボール状物体は今、大量の泡のようなものに包まれていた。その密度は時々刻々と増し、物体全体を覆い隠してしまった。だが輝きを覆うことはなく、泡のようなものを通して伝わっている。寧ろ強さを増していた。それは更に加速していて、蒼白から白へと転じていた。そして――――

 突然映像が途切れた。


「何だ、どうした?」


 間髪入れず若い女が応えた。


「何らかの衝撃が発生しました。それが〈シカール〉の機能に不具合を生じさせたものと思われます」


 彼女は忙しなくデバイスの操作を続けている。だがやがてその手は止まった。博士と30代の女は無言で彼女の背中を見つめるだけだった。やがて若い女が口を開いた。


「ダメです、復旧しません。全ての指令コマンドに対し反応なし、〈シカール〉のビーコン自体が完全に消えています」


 その意味するものを、一同は理解している。


「完全な機能停止……破壊?」


 するとスクリーンが瞬いた。何らかの映像が映し出される。博士は探査艇が生き返ったのかと思ったが、それは違っていた。


「これは信号途絶の直前に捉えられたものです」


 若い女が記録映像を呼び出したのだ。


「〈シカール〉が機能停止する直前、“これら”が接近していました」


 それは何と言うべきなのだろうか? 一同は理解に苦しんだ。銀色の紙のような……或いはエイに近いのか……そんな姿の物体が大挙して接近していた。その間、1秒にも満たないか――〈シカール〉は機能停止した。


「何だあれは?」


 誰も応えなかった、応えられなかった。突如として彼らの足元が揺れたのだ。


「何だ? 地震――いや、エンケラドゥスここでこんな強い地震なんか今まで無かったぞ!」


 その間も揺れが増していて、彼らは立っていられなくなった。皆、うずくまり、両手をついて四つん這いになるしかなくなった。見るとスクリーンの映像が盛んに乱れているのが分かった。右下の数値データが激しく変化している、“地震”に関する観測記録か。


ここ・・に、何か近づいてきています!」


 若い女が叫んだ、悲鳴のようになっていた。


「近づく……何が?」


 するとスクリーンの映像が変わった。その中に無数の光点が現れている。


「これは当エンケラドゥス前線基地直下の〈内部海〉に設置されている監視カメラ映像です。リアルタイムの可視映像になります」


 光点はやがて大きくなり、その姿が確認できるようになった。それを見て、一同は言葉を失った。


「〈エイ〉?」

「ええっ、何? まさか〈シカール〉を機能停止させたヤツ?」

「そんな……ここは赤道近くですし、あれから何分経ってます? いくら何でも早すぎますよ!」


 別の存在なのか? だが判断するにはあまりにも時間が足りなかった。直後、彼らの足元がまたしても揺れた。それは先の数倍に及び、巨大地震と言っていいほどのものだった。


あれ・・です、あのエイみたいなものから何らかの力が撃ち付けられています! それが当基地の直下を直撃していて氷床の下部が大きく削られています」


 攻撃されている……皆は直感した。しかし、何故? 何のために? やはり判断する時間は無かった。

 最大の衝撃が彼らを襲い、直後足元が大きく割れた。そして中より激しく噴出するものがあった、〈内部海〉の水か。だが彼らはその中に銀色の不定形なるものを目撃した。


 ――“あれ”は別の星からやって来たものなのかもしれないわね……


 こと切れる寸前、30代の女は思考していた。彼女が言いたかったことは、これだったのである。




 エンケラドゥス――土星の周りを33時間ほどで公転している第2衛星だ。全体を厚い氷で覆われているが公転に伴う摂動やその他の力の影響で内部に液体の水が存在すると言われる星だ。〈内部海〉と呼ばれるそれは当初は南極附近にしか存在しないと言われていたが、2015年の〈カッシーニ〉の探査により衛星全体に拡がっていると確認された。液体の水の存在から生命の可能性を持つ衛星として知られている。


 ※ 〈カッシーニ〉はNASAとESAによって開発され、1997年に打上げられた土星探査機。2015年に土星に到着、土星や幾つかの衛星、土星の環などの観測を行っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る