アポカリプスエイジ

プロローグ

第1話 転生の刻印

 それは全ての始まりだ。俺が“俺”として“誕生”した時の光景になる。




 赤黒い焔が“世界”を覆っていた。激しく燃え上がり、大地を舐めるようにうねり、逆巻き、そして上空へと伸び上がっていた。どこを見回しても同じ、そこらじゅうが紅蓮の焔に包まれて、まさに火焔地獄と呼ぶに相応しい光景が拡がっていた。


 この光景が始まり、全ての始まり。俺を“現在いま”の“俺”へと造り替えた転生の刻印……


 焔は渦巻き、世界を呑み込もうとしているかのよう。それは全てを灰燼へと帰さんが如き酷熱の魔性。まるで命あるものかのようにのたうち、跳ね回り、触れるもの全てを焼き尽くすかのようだった。そのさま、焔の蛇とでも言うべきか。


 むせる、喉が焼け付く……、肺の奥底にまで痛みが走る……


 何かが砕ける音が聞こえた、見ると巨大な岩塊が崩れ落ちるのが視界に入った。建物だ。高層ビルの1つが焔の蛇に巻き付かれ、崩れ落ちていくのが見えた。破片の一部は俺の近くにも飛んできた。


 だが俺はただ見るだけだった。逃げようとすることもなくただ目を向けていただけだ。身体に力が入らず人形のように大地に横たわっていた。いったい何が起きたのか、何故こんなところに横たわっているのか、この時・・・の俺はよく分からなかった。かなりの衝撃を身体に受けたのだと思われるが、記憶が混乱していて思い出せなくなっていたのだ。

 ただ、途轍もない災厄が起きていることだけは理解できた。


 俺は見つめる、ゆっくりと焔に呑まれていくビルの姿を。

 

 ――喰らっている……、あの蛇は何もかもをその腹に収めようとしているんだ……


 渦巻く焔は悪食の大蛇そのものに見え、その牙はありとあらゆるものを捕食せんとしているかに思えた。巨大建造物をも難なく砕き、崩壊させるさまは圧倒的な力の故であり、どうしようもない絶望をいだかせる。


 ビルはやがて完全に崩壊し、焔の海に完全に呑まれた。そして蛇もまた飛び散るように姿を消した。だが直ぐに甦る。地上を舐める姿が再び現れ、新たな獲物を屠らんと鎌首を上げ、焔を撒き散らす。

 そして、その一部が俺に向かって来るのが見えた。


「ぐぅっ……」


 肺の痛みは全身に拡がり、意識を苛む。だが俺は何とか事態を理解した。直ぐそこだ、手前にまで焔が迫っている。だが、身体に力が入らない……逃げられない……

 そう、身動き一つできなかった。指一本さえ動かすのも覚束い状態だったのだ。焔の蛇を前にして無力に横たわるのみだった。


 舐める炎は肌を焼き、髪を焦がすのが分かる。熱さが伝わり、新たな痛みが意識に伝わる。それは来るべき終末を自覚させた。間もなくこの身の全てを覆い、肉と骨を焼き尽くしていくのだ。予感が胸をぎるのだが、恐怖はあまり感じない。意識は奇妙に冷めていて、まるで他人事のように見つめるのみだった。


 ――ああ、寒い……


 焔に囲まれながらも、何故か俺は凍てつくような寒さを感じていた。いや、周りの熱さは感じていたのだが、体内から湧き出る寒気さむけが熱感を凌駕していたのだ。奥底より伝わるそれは、底知れぬ永久氷河のような凍気を噴き出し、意識を包み込んでいた。

 これが何を意味するのか? 俺は直感する。


 ――そうか、俺は死ぬのか……


 首筋を何かが掴む感触が走る。それと同時に寒気すらも消えていくのを実感する。そして“後ろ”へ――或いは“底”へと引きずられていくのを感じる。


 ――ああ、終わる。終わるんだ……


 安らぎすら感じ、俺は深い微睡まどろみの底へと堕ちていこうとしていた。

 しかし――――


 突如として身体の下より走った振動、地震かと見紛うそれが俺の意識を現世へと引き戻した。俺は頭をもたげ、視線を宙へと彷徨わせる。

 直ぐ目の前にまで迫る焔の蛇が見え、今にも俺自身を呑み込もうとしているのが理解できた。だが俺の意識は蛇などには向けられなかった。それ以上に目を釘づけとするものを、俺は両の眼に捉えたのだ。焔の海の中に、それは在った。

 銀色に輝く不定形の異形の姿を、俺は確固として捉えた。そして急速に記憶が甦ってくるのを自覚した。


 ――そうだ、こいつだ。こいつらだ……!

 そして――――

 続いてその名を口にした。


MELEミール……」


 絞り出すように繰り出される言葉だった。しわがれた声は焔の高熱に喉が焼かれている結果がもたらしたもの。そして口元を伝う生暖かい感触が、吐血を意味するものだと俺は知る。麻痺していた感覚が甦り、激痛が身体を走った。喉が掻きむしらされそうにもなった。だがそれは俺の意識を挫きはしなかった。それに倍する激しい情動が俺の心を支配していたからだ。

 しかめられた眉間、歯軋りを起こして食い縛られた口元が明瞭に表現している。

 つい先ほどまで意識を覆っていた安らぎの静寂は影も形もなくなり、代わって激情の波濤が俺を包んでいった。


 思い出したのだ。こいつが、この異形の輩が……、この街を、俺の家族を、大切なものを悉く奪い去ったのだという事実を。


MELEミール!」


 声は叫びとなる。喉を傷めているので、まともな声など出せなかったが、それでも絞り出された。僅かに響くしわがれた声は地の底から響くようで、重々しいことこの上ない。これが人間の発するものかと疑わせる禍々しい響きに満ちており、そこには人間が抱く最悪の感情が満ち溢れていた。


 怒り、怨嗟――そして憎悪の叫びだったのだ。


 昏く燃え盛る眼差しを銀色の異形に向けた。すると異形が俺に対して向き直るのが見えた。俺の眼差しを感じ取ったかのようだ。表面が鏡のようになっているのか、周囲の焔が異様に歪んで映っている。姿形の定まらぬそれはあたかもアメーバのようにうごめき震えていたが、やがて動きを止める。そして触覚のようなものが上部から伸び出るのが見えた。そして、その先端が俺の方に向く。その中から人の眼のようなものが顔を覗かせ、静止――凝視でもするように、俺に向けて固定した。


 悪夢としか言いようのない光景だ。紅蓮の海の只中、人の眼のようなものを抱くアメーバが目の前にいるのだ。地獄の魔物にでも憑かれたようなものだ。だが俺は恐れおののくことなどなく、寧ろより激しく迸る激情に揺り起こされ、身の内に力さえ滾るのを感じた。


 俺は身を起こした。指一本動かすのも叶わなかったはずだが、起き上がることさえ成し遂げた。するとバシャッという水しぶきの上がるような音が足元より伝わってきた。異様に厚みのある音は、それが単なる水でないことを意味する。

 目を向け、確認した。


 足元に拡がる赤い液体が見えた。滴るそれが自分の血だと直ぐに理解した。胸と腹が見るも無残に傷つけられていて、大量の血が流れ出ていたのだ。傷口からは肉が――或いは内蔵なのか――異様な塊となって飛び出しかけていて、傷の程度の酷さは一見して分かる。最早治癒不能だろう。


 その認識が意識を揺らしたのか、俺はよろめいた。だがそれでも、俺は眼前の異形から目を離さない、離してなるものかと気を張った。目線を決して逸らさず立ち続け、倒れやしなかった。そして立ち向かわんと力を絞ろうとしたのだが――――


「ゴフッ」


 思わずむせて咳をする。それに従い腹から胸元を途轍もない不快感が走り、口より鮮血が迸る。全身の力が抜けかけた。


「ぐぅっ!」


 だが、それでも俺は歩みを始める、あらん限りの気力を絞って。それは覚束ないながらも、しかし確実に自分を先へと進めるものだった。


 再び感覚が麻痺し始めたのか、痛みはもう感じなくなっていた。あまりにも激しい損傷は痛覚を遮断するということか、或いは死が迫るが故の効果か、それともあまりにも激しい憎悪が痛覚をも凌駕したのか――真実は分からない。ただ俺は痛みに苛まれることなどなく歩みを進め続けることができた。

 目は眼前の異形に注がれたまま。憎悪の炎 迸らせたそれは決して異形から離れない。


MELEミールゥゥ……」


 怨念に満ちた声を放ち、俺は手を伸ばし掴みかからんとする。だが不意に視界が踊り、思いが果せない事実を知らされる。世界が回り、一瞬重力の感覚を失ったかと思うや、次に大地に横たわる自分を知った。

 倒れたのだ。肉体の損傷は、やはりまともな歩行を許さないほどに深いものだった。いや、ただ立つことさえ、本来なら一瞬でも許さない域に達していたのだ。

 俺は力尽き、倒れ伏すしかなくなっていた。だが、それでも、未だ意識は失わない。


 視界の片隅に目玉を持った触手が映る。それは何するともなく俺を見つめていた。その知覚が俺の意識に再び怒りの炎を灯す。もう一度掴みかかろうとするのだが、やはりと言うか、身体がピクリともしなかった。そればかりでない、全身の感覚が完全に消えているのに気づいたのだ。まるで意識だけが切り離されたようで、肉体がどこかに消えてしまったかのようだったのだ。遂に肉体の稼働限界を越えたのか? 思いは叶わないのか……


 ――動けない、これでは何もできない……


 しかし意識は未だ働く、目や耳などの知覚も機能も残っている。

 触手が動くのが見えた。瞬きでもするように目玉が変化した。そして水銀のような魔物の全身が俺に向け進行し始めるのが見えた。


「うう、くぅっ!」


 ――喰うのか! この俺を喰おうというのか!


 アメーバ状の身体より幾つかの触手が新たに伸び出て来た。それらはウネウネとうごめきながら俺の方へと伸びて来る。一気に来ないのは警戒しているのか、或いは俺に恐怖でもいだかせて弄ぼうとでもいうのか? 


 そんなものが狙いならば、それは決して果たされない。怒りの炎を焚きつけるだけだ。


 ――ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなぁぁぁぁっ!


 怒りは頂点に達し、脳髄を席巻する。己を喰らおうとする異形に対し、ぶつけてもぶつけても、幾ら撃ちつけても消えぬ憎悪の炎が燃え上がる。動けなくなっているせいか、よりいっそう激しく炎上した。


 ――お前はそうして何もかも喰らい尽くすのか! そうして俺から大切なもの全てを奪い尽くすというのか!


 “大切なもの”――それは故郷であり、友であり、家族だ。この異形はその全てを奪い去ったのだ。

 声は上がらない、最早上げられなくなっていた。だが怒りに満ちた眼は決して離さず、心の中で叫びを上げたのだ。

 そんな俺の怒りなど委細構わず、微塵も届きもしないのだろう。異形は静かに触手を伸ばすのみだった。この世界とは全く由来の異なる存在だ。如何なる対話も叶わないということ。その思考も感覚も人類の理解が及ぶものではないのだ。

 ただ触手の先にある眼が奇妙な感想を呼び起こす。つぶらにも見えるそれは、まるで幼子の瞳のよう。そんなものが不定形の異形の中にあるのだ。これを悪夢と言わずして何と言うのか? だからこそ怒りは尽きない、憎悪は果て無く燃え盛るのだ。


 ――許さんぞ……、許さんぞぉぉぉっ!


 突如として触手が突進を始めた。まるで俺の心中の叫びを察知したかのよう。いきなり弾かれるように高速で奔るそれは真っ直ぐに俺の喉元を貫いた。一気に叩き付けられた衝撃は、しかし痛みを齎さない。ただ息が詰まり、呼吸が完全に妨げられるのが分かった。それに従い意識が急速に薄れていった。


 ――終わる、終わってしまう……ダメ……だ、まだダメ……だ……


 それでも俺は叫ぶ、薄れる意識の中で叫ぶ。晴らせぬ怒りだけが俺を掻き立て、それが消えようとする命の炎を弾けさせ、迫りくる終末の暗黒に抗おうと足掻く。


 ――くそっ、このまま……ただ喰われ……てしまっ……てたまる……もの……か……


 怒りは消えない。だが、それでも限界は訪れる。俺は何もかも分からなくなり、遂に不明の際へと堕ちていくかに思えた。

 しかし――――


 激しい衝撃が起きた。いきなり烈風が叩きつけられ、俺は何mか吹き飛ばされてしまった。それは意識をはっきりとさせる効果を及ぼしたらしい。朦朧としつつあったが、逆に明晰となり周囲の状況を観察することができるようになった。


 ――何が起きた?


 奴が砕け散っていた。俺の喉元を貫いていた部分も破壊され無数の欠片に砕かれていた。本体も同じ、跡形もなく四散していた。それはガラスか何かの破片のようなものに見えた。どちらかと言えば粘性たっぷりの流動体に見えたそれだったが、欠片となったせいなのか、寧ろ硬質なガラスのようなものに転じていたのだ。

 欠片が散乱する中央に深い穴ができていた。周囲を黒ずませているそれは爆発の跡だと知らせるものだ。


 ――爆発? 何故? それが奴を砕いたのか?


 右奥より金切り声のような金属音が鳴り響いて来た。すぐさま焔の中より黒い巨人が姿を現わす。全身を鋭角的な多重装甲に包んだ戦車のような姿をしている。しかし二対の手足を持つそれは直立した人型機械だった。

 巨人は姿を現わすや、その内より人間の声が響く。俺に話しかけるものだった。


「無事か、少年! まだ息はあるか?」


 声はキンキンと響いたので、耳どころか頭まで痛くなった。拡声器を通したものらしいが調整を誤っていたのだろう、鼓膜を必要以上に刺激したのだ。

 聞こえてはいたが俺は何も反応することはなく、目の前の巨人を見上げるだけだった。いや、反応のしようがなかったのだ。喉を突かれたため――いや、それ以前に衰弱が酷かったので――声など上げられなかった。目や耳は――かろうじてだが――働いていたのだが、それだけ。口などきけず、いや呼吸すらままならず、ただ横たわるしかなかったのだ。

 だが理解した。思考だけが流れる。


 ――この巨人が異形を葬った……


「ちっ、もうすぐレスキューが来るからな。死ぬんじゃないぞ!」


 それだけ言って巨人は動き出す、もう話しかける気はないらしい。ゆっくりと歩みを始め、その重厚なる響きが身体に染み渡る。冷え切り、感覚の殆どを喪失していたのだが、の巨人の力感だけはありありと感じ取ることができた。


 いわおのような背中が目に映る。それが人類世界最強の陸戦兵器だという知識を走らせた。


 ――そうだ、俺は“これ”を知っている。


 知識は巨人の正体を俺の意識に伝えた。

 戦闘甲殻コンバットシェル――パイロットの思考と感覚をダイレクトに反映させ動作する大型のパワードスーツ。全高4mに及ぶ直立歩行機動戦車……


 揺れ動き、消えかけていた意識の中で、その名は燦然とした輝きを放ち、眼前の巨人を讃えるかのように響いていた。


 巨人の足元より爆発するように土砂が舞い上がった。唸りを上げる悲鳴のような響きは天をもつんざかんばかりに高鳴る。そして僅かに身を屈めたと思うや、突如としてダッシュを始めた。猛然たる加速走行は焔の壁を破り、切り裂きさえした。そして炸裂する爆発音――巨人の駈ける後に無数のガラス片のようなものが飛び散るのが見えた。


 攻撃を開始している。巨人の向かう先に数多の異形が見えるが、それが悉く巨人の疾駆の後に屠られていた。その余りにも圧倒的な力の行使に、俺は言葉もなく目を向けるだけだった。見惚れさえしたと言えるだろう。

 死の際にあった俺の胸中には恍惚たる想いが流れていた。


 戦闘甲殻コンバットシェル……力だ、圧倒的な力だ――――


 狂おしいほどの焦がれをいだきつつ、遂に暗黒の彼方へと堕ちていった――――

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