6:叫び
この国に警察と言う存在はない。あるのは軍隊だけだ。犯罪が起きても軍の中にある憲兵部隊や軍警察が犯罪者取り締まりの役目を担うのだ。
これはよく他の国からも指摘されるのだが、犯人が軍警察へと反撃した時の対応が苛烈すぎると言われる。警察の対応ではなく、軍隊の反応だと人は言う。
即座に大部隊が捜査対象領域に派遣され、短時間で一気に圧倒的勢力で制圧される。たとえそれが一人であったとしてもだ。
そもそもだ一本のナイフしか武器を持たない若い女の子だ。追い詰めるのは雑作も無い。大人数で戦場に行くのとなんら変わらない武装で一気に追い詰める。
市街地のあちこちでフリントロックライフルの銃声がこだまする。その場所に彼女がいるのだ。私は官憲の人たちとともにその方へと駆け抜けた。
そこは袋小路だった。
3方向を石造りの壁に囲まれて逃げ場はなかった。
返り血を浴び、刀傷や銃で撃たれた跡もある。彼女が右手に握っているそのナイフは血で濡れていた。あれからさらに反撃した人数がふえたのだ。
彼女を追い詰めている正規軍兵は10人ほど。いずれもフリントロックライフルを構えて、銃口を彼女へと向けていた。
どう見てももはや逃げ場はなかった。
そこへと駆けつけるなり私は彼女へと叫んだ。
「ジン! なんでこんなことをしたの!」
緊迫した空気の夜の袋小路にて私の声がこだました。炯々と光る目で周りのあらゆるものを睨み返したまま彼女は黙ったままだった。
「答えて! ジン!」
彼女はそれでも沈黙を守ろうとしていた。まるで甘んじて銃弾を受けようとしているかのように。
そんな時だ後ろの方から聞き慣れた声がした。
「嬢ちゃん。それでいいのかい?」
ダルムさんだ。彼はジンへとなおも問いかけた。
「少なくとも一度は、ルストの嬢ちゃんに助けられたんだろう? 礼くらいは言ってもいいんじゃねえのか?」
官憲の一人が言う。
「ギダルム準一級!?」
「おう」
そう答える彼の顔は明らかに私に対して怒っていた。
「後で説教する」
私は頷くしかなかった。ダルムさんはジンへと告げた。
「お前さん。そういう生き方しか知らねーんだろ? 生きるか死ぬか、取るか取られるか、そう言う殺伐とした世界しか知らなかったはずだ。そんなお前がコイツに助けられた。その時お前さん、どう思ったんだ?」
誰もが注目した。そして彼女の、ジンの言葉をじっと待ったのだ。長い沈黙の後に彼女は言った。
「嬉しかった。でも――、迷惑だった」
「ジン……」
ショックだった。自分の善意が必ずしも正しいとは限らなかったという事実に。
「私はアンタと違う」
その目は明らかに私を拒絶していた。
「私は親を知らない。
生まれてすぐに路地裏でゴミを漁って生きてきた。学校なんか行ったこともない。初めて私を助けてくれた人は人を殺すことを商売にしていた」
彼女の過去が滔々と語られた。
「野良猫よりもひどい暮らしから抜け出すにはそれしか方法がなかった。だから私は〝殺し屋〟として生きてきた」
そして彼女は寂しそうに笑った。
「私はこの生き方しか知らない」
そして彼女は涙声で叫んだ。
「恵まれてるあんたとは違う!」
10の銃口が狙う中で彼女の言葉は続いた。
「私がどうしてこの国に来たのか全くわからない。殺し屋だった過去をこのままどこかに忘れ去って生きていくのもいいかと思った。でもね」
ジンは涙声で声を震わせながらこう言ったのだ。
「あなたにこう聞かれた。〝あなた何をやってたの?〟って。そう言われた時に気づいたの。
殺し屋として生きていた私の魂は無意識のうちにすでに一人殺していた。何の罪もない相手を、殺す理由のない相手を! 取り返しのつかない過ちをすでに犯してるって!」
その時、私の傍にいた官憲の一人がジンへと告げた。
「君は、君を襲った暴行犯が死んだはずだということを理解していたんだな?」
「もちろんよ。人間の体の急所はたいてい覚えてる。脳内出血で呼吸停止でしょ?」
「その通りだ」
そして、ジンは私へと言った。
「こっちの世界で殺しと縁のない人生を歩むのも悪くないかと思った。でもあなたの言葉で気づいてしまった、せっかくのチャンスを自分で潰したって! 体に染み付いてきた自分の過去で! だから……」
彼女は泣いていた。
「せっかく助けてくれたあなたを巻き込みたくなかった」
「ジン」
私は本当に致命的な過ちを犯していたのだ。
「ありがとう。あなたがくれたパン美味しかった」
そして、ジンはナイフを振り上げる構えようとしていた。最後の抵抗の意思として。
「構え!」
官憲の一人が号令をかける。10人の正規兵がフリントロックライフルを一斉に構えた。
もう、彼女を救うことはできない。この世界の、この国の決まりを、違えてしまったのだから。
目をつぶろうとする私をダルムさんは私の肩をしっかりと抱いてこう怒鳴った。
「しっかり見ろ! お前のしでかしたことの結末を! 逃げるな!」
私は目を見開いた。全ての覚悟を決めて。
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