3:ジンとルスト

 この安宿は連れ込み宿を兼ねている。そのためかベッドは幅広く作られていた。まぁ、理由は分かるよね?

 二人くらいならなんとか寝れる。

 私は彼女を寝かせて、自分もその隣で寝た。さすがにこの四日間の夜間警備はしんどかったからだ。そしてそのまま日の登っている間、私たちは眠り続けた。

 先に目を覚ましたのは、彼女の方だった。

 ベッドの隣で体を動かす気配を感じて私は目を覚ました。

 目を開けて傍を見れば、そこにはきょとんとした顔で私を見ている彼女がいた。

 私も体を起こして彼女に視線を向ける。


「目、覚めた?」


 問いかけたが言葉は返ってこなかった。ただシンプルにはっきりと頷いただけだ。


「私、ルスト。あなたの名前は?」


 その問いかけに少し沈黙していた彼女だったが、


「ジン」


 ぼそりと呟いた。その表情を見ていると明らかにこちらを警戒してるのがわかる。否、私を警戒しているのではない、自分以外の全てが警戒するに値する存在なのだ。

 私は職業傭兵を始める前は、花街の娼館で下働きをしていた。夜の街の裏側では悲惨な生い立ちの人たちがあふれかえっていた。

 自分以外の誰も信用できない――、そんな暮らしをしていた人はこの世の中には掃いて捨てるほどいるのだ。

 ああ、そうだ。この子もそういう人間だ。

 でも――


「ありがとう」


 素直に彼女の口から出てきたその一言が、彼女がまだ真人間であることを表していた。

 私は彼女に問うた。


「お腹空かない?」


 小さく申し訳なさそうに首を縦に振る。

 私は自分の衣類を身につけながら言う。


「待ってて何か食べ物買ってくるから」

「分かった」

「すぐ戻ってくるから」


 私はそう言い残してその場から去っていく。

 彼女が姿を消しているのならそれはそれで仕方ない。もし、私を待っていてくれるなら彼女を助けてあげようと思ったのだ。それが、私自身に取り返しのつかない傷を残すのだとも気づかずに。


 安宿の周りには食べ物屋があふれかえっている。屋台、お店、食堂、食材を売っているお店もある。

 私はパン屋さんと、煮物屋で、パンとおかずを適当に買い込むとすぐに戻って行く。


「お待たせ」


 そう言いながら扉を開ければ彼女は逃げ出さずに私を待っていた。私が脱がせた衣類を身につけて。


「おかえり」

「大したものはないけど」


 買ってきたものをベッドの上に広げると、それを挟んでベッドの反対側にそれぞれ腰を下ろして食事を始める。

 買ってきたのは、パンの間にハムや野菜を挟んだバゲットと、揚げ物のクリケート、二人とも言葉少なく手早く詰め込んでいく。

 一通り食べ終われば気持ちも落ち着いてきたのだろう、今度は彼女の方から言葉が漏れてきた。


「教えて」

「え? 何を?」

「ここどこ?」


 それは予想外の言葉だった。


「気がついたら全く見知らぬ街に来ていた。自分の知っている人も居ない、帰る場所もわからない。言葉はなんとか通じるけど、書かれている文字も読めないし、何が何だかわからない」


 その言葉を聞いて私はある可能性を口にした。


「あなた昔の記憶がないの?」


 だが彼女は顔を左右に振った。


「記憶は、ある。色々なことを覚えてる。でも、今いる場所も、見ている風景も、何もその記憶には繋がらない」


 私はその言葉にどう答えていいのか見当がつかなかった。


「行くあては?」


 私がそう尋ねれば彼女は顔を左右に振った。


「そう」


 聞けば聞くほどその真実からは遠ざかるような気がした。少なくとも彼女が、この国の人間でないことは明らかなのだ。

 行き詰ってしまった空気の中で私は雰囲気だけでも変えようと彼女にこう伝えた。


「ね、お風呂に入らない?」

「えっ?」

「先のことあれこれ悩んでいても辛いだけでしょ? 気分転換しない?」


 私の言葉に彼女は静かに微笑んだ。そして顔を縦に振る。言葉も少なく、表情も乏しそうに見えるが、それでいて内面は感情豊かな人柄だった。

 私は彼女へと片手を差し出した。


「行こう!」


 私は彼女を連れて風呂場へと向かったのだった。

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