結:別離

「本当にいいのか? この中に潜ることになるぞ」

「承知してます」


 そう言い始めると装備品を彼女は外し始めた。

 俺も彼女と少し距離を置いた場所で装備を下し着衣を脱ぎ始めた。腰回りの下履きのみになると準備を終える。

 かたや彼女は、長い髪をたくみに結い上げ腰回りの下着のみという姿になった。さすがに必要性があるとはいえこういう状況で彼女をジロジロと見つめるのはマナーに反するだろう。

 俺は可能な限り彼女の体を視界にとらえないようにしながら、ここから先の作業を説明した。

 俺は湖底の発光体を指差しながら手順を教える。


「いいか。この地下温水湖の湖底に沈んでいるのが、古代遺跡施設の心臓部だ。普段は自動化された石扉に遮断されている。君に頼む作業はその石扉の操作だ」


 彼女は俺に問うてくる。


「どのようにすればよろしいですか?」

「あれを見ろ」


 指差す先には赤く光るガラスブロックの発光体が沈んでいる。


「あれを両手で触れてくれればいい。そうすることで石扉は開いたままになる。俺はその間に心臓部に命令を与える指令コード装置に規定の命令を打ち込む」

「わかりました」


 彼女の素直な声が聞こえる。そんな彼女に俺はあるものを渡した。


「水中ではこれを使ってくれ」


 俺が手渡したのは太い棒状の物で長さは拳二つぶんくらい。その真ん中あたりに口に咥えるための吸い込み口が設けられている。


「これはいったい?」

「水中で呼吸を可能にする装置だ。俺たちの世界の精術と呼ばれる技術を応用して作られたものだ。地精の力で水から空気の源を分離し、そうして生まれた空気を風精の力で呼吸を補助する仕組みになっている」


 そして彼女はもっともと言える疑問を口にした。


「私でも使えるのですか?」

「ああ、本来は地精と風精への適性が必要なんだが、色々と改良がされて誰でも用いることができるようになっている」


 その説明を聞きながら彼女は呼吸用の器具を受け取ってくれた。


「わかりました。使わせていただきます」

「頼むぞ。それでは早速作業に取り掛かろう」

「はい!」


 そう明るい声で屈託なく返事をしてくれる。

 その声につられて思わず彼女の方を見てしまうが、地下遺跡の薄明かりに照らされた彼女の体は美神ミューズのように光り輝いていた。


「行くぞ」

「はい」


 そう言葉を交わすと呼吸器具を口にして水中へと潜っていく。当然ながらそこから先は会話はなく身振り手振りでを伝えあった。

 水面から湖底までは人の身長で3人分くらいはあるだろう。俺は軍人だから水泳の技能や水中での軽作業などは軍の訓練カリキュラムの中で一通り叩き込まれている。

 かたや彼女の方を見れば、まるで人魚のようにたくみに水中を泳いでいる。俺よりも速い速度で目的とする遺跡の操作パネルへとたどり着いた。

 そして彼女は俺の方に視線を向けてくる。少し遅れて俺も所定の位置へとたどり着いた。

 湖底は思ったよりも温度が高い。のぼせ上がる前に作業を終えて水面に浮上する必要がある。


 俺は目線と手振りで作業開始を指示した。

 まずは彼女が石扉の開閉操作を行う。発光体のパネルに両手を触れて然る後に石扉が開いていく。その中は人ひとりの上半身分くらいの大きさの空間が空いていた。

 そしてそこには、人間の手のひらの半分ぐらいの大きさの正方形のタイルが敷き詰められている。

 この正方形のタイルそのものが個別の命令コードであり、これをどう並べてどう連携させるかで、より詳細な指令コードを設定することは可能になる。


 この状況では長い時間はかけられない。今回の遺跡突入任務開始前のブリーフィングのさいに、指令タイルの並べ方を頭に叩き込んでおいた。

 こうした記憶力も軍人には要求されるものなのだ。

 時間はさほどかからなかった。指令タイルを想定しておいた順番に並べ終え、間違いがないかを確かめる。確認を終えてパネルから離れると、彼女に視線と手の仕草で石扉を閉めるように促した。

 彼女は頷いて操作パネルから離れる。すると石扉はゆっくりと閉まっていく。湖底に沈んでいる遺跡の心臓部の発光パターンが明らかに変わった。動作状態が変わったことを表しているのだ。

 作業の完了を確認して浮上するように指示を出す。 

 彼女はそれに頷いて速やかに水面の上と浮上していく。俺も後を追い水面へと浮かび上がった。


 水面から上がって周囲を見回せば彼女はすでに水中から上がった後だった。私も後追い水中から上がると彼女と語りかける。


「急いで着衣を身につけてここから脱出しよう」

「はい」


 用意しておいた乾いた布を彼女にも渡しながら、体の余分な水滴を拭き取る。着衣と装備を手早く見つけて出発準備を終える。そして俺は彼女が準備を終えたかを確かめた。


「アン、用意はいいか?」

「はい、いつでもいいです」

「ここが停止するのに一時間ほどの余裕を持たせてある。今のうちにいた脱出するぞ」

「はい」


 そう、語り終えるのと同時に俺たちは走り出す。トラップをかわしてなるべく最短ルートを取って上を目指す。すでに通ったルートなのでさしたる問題もなかった。そして、第2階層へと上がり、俺たちは初めて接触したあの長通路へとたどり着く。

 彼女が俺へと語りかけた。


「バロンさん」

「アン」


 彼女は落ち着いた表情で言った。


「ここでお別れです。ここから左にまっすぐ進むと私が迷い込んだ洞窟へと戻ります」

「そうか、協力ご苦労だった」

「いえ。お手伝いできてよかったです」

「いや。礼を言うのは俺の方だ。ご協力感謝する」


 俺は右手を差し出す。彼女も右手を差し出して、互いに握りあい握手を交わした。

 そして彼女は言う。


「バロンさん。これからのあなたの戦いのご武運があることをお祈りしております」


 その言葉は俺が彼女たちの世界にない事情を抱えていることを理解してくれたことの現れでもあった。

 軍人と冒険者は違う。軍人とは国と国との対立のために武器を振るう者だからだ。ならば俺も彼女へと言わねばなるまい。

 

「ありがとう。君のこれからの冒険の旅路に精霊の加護があるように」

「ありがとうございます」


 冒険――、その言葉がもたらす言葉の響きはなんと希望に満ちたものだろうか。だが彼女たちにも不倶戴天の敵は居る。魔族――そしてそれに連なる者たち。彼女たちはそれらとの戦いに立ち向かわねばならないのだから。


「行きましょう、それぞれの道を!」

「あぁ」

 

 それは互いにかわした最後の言葉だった。

 握り合った手を放すと俺たちはそのまま別れて走り去った。

 第1階層へと上がったところで照明となっているブロック状の発光体が急速に明るさを失っていく。

 順調に遺跡の停止は成功したようだ。

 だが俺の脳裏を彼女の面影がよぎる。


「アン。無事に脱出できるといいが」


 今となっては確かめる方法はない。無事に脱出できたと信じるしかないだろう。


「あっ?」


 そこで俺は彼女に貸した水中呼吸装置を回収し忘れていたことを思い出した。


「しまった――」


 やむを得ない。軍には水中作業中に紛失と報告するしかない。俺は盛大にため息をついた。


「行くか」


 そう一人呟くと再び歩き出す。地上へと戻るために。

 部隊の連中に再開した時に説明とつじつま合わせに苦労させられるのが頭に浮かんでくるようだった。



 †     †     †



 その後、バロンは遺跡の暴走により別位相空間から侵入者が迷い込みこれと戦闘を行い撃退に成功したと報告をしこれを認められた。

 水中呼吸装置の紛失についてはやむなしと判断されてお咎めなしとされた。むしろ、単独で任務を成功させたことを評価されて臨時報酬の発給をバロンは受けることとなる。


 しかし――


 バロンはこののち、彼の愛妻の裏切りにあい激昂し不幸にもこれを殺害してしまうこととなる。そして、特赦を受けて職業傭兵として絶望の底に沈みながら戦闘任務に従事し続けることとなる。


 エルスト・ターナーと出合い、自らのその心を救われるその時まで。


 かたや、


 アンヘリカは無事脱出に成功。元のパーティーとも再会を果たしダンジョン攻略を成功する。ちなみに間違って持ってきてしまった水中呼吸装置は、ダンジョンでの発見拾得物として冒険者ギルドに提出することとなった。


 しかし――


 その後とある悪質な冒険者によって、精神を奴隷化する隷属化装備を取り付けられ心の自由を奪われて酷使されることとなる。


 ウィルフレド・ハーヴィーと出合い、救出されるその時まで。


 二人はお互いの運命を知らない。

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