2:接触
腰の後ろには短い矢がホルダーに収められている。それを右手で引き抜きながら俺は走り出す。
この明るさの十分でない遺跡の中では視覚だけに頼るのは適切ではない。音・振動・気配、あらゆるものを利用して敵の位置を突き止めなければならない。
「右」
細長い通路の突き当たりが丁字になっている。俺は自らの勘で右を選んだ。
角を曲がる身を乗り出す。その瞬間、敵はこちらへと矢を放ってくる。だが、当たることはない。
――ヒュンッ――
俺の頬をかすめて矢は通り過ぎていく。
敵の気配と矢の気配、大体の勘で飛来してくる矢の軌道が俺には読めるのだ。
「かなりの高位の射手だな。弓の技術は相当なものだ。だが――」
俺は一気に駆け出した。視界の中に敵の存在が捉えられた。
「女?」
敵は女だった。しかも明らかに軍人ではない。敵対国の兵士でもない。敵の素性が何なのか判断がつかないがそれは後回しだ。
俺は一気に決着をつけることにした。
腰の後ろからもう一本矢を引き抜き右手に2本掴んだ。そして、一本目をつがえる。
敵は少し離れた位置の通路入口に体を隠していた。まずは牽制として一本目をその頭部へとめがけて放つ。
――ヒュッ!――
当然敵は矢を避けようと身を隠す。それも計算のうちだ。矢を撃ちながら一気に駆ける。物陰に身を隠した敵の位置を計算しながら脇通路に飛び込むのと同時に2本目を撃ち放った。
――ヒュッ!――
すると剣が翻り矢が切り落とされる。
敵は弓だけでなく剣も用いるらしい。
ならば!
俺の手にはすぐに3本の矢が異なる指と指の間に携えられていた。
敵が技で来るなら、こちらは数で圧倒するだけだ。
3本の矢をつるべ撃ちに連続で撃ち放つ。その3本を軽やかな剣さばきで見事にいなしてみせる。だが、俺はもうひと押しした。
さらに2本同時に矢をつがえると素早く撃ち放つ。
「に、2本同時?!」
若い女性の女性の驚く声が聞こえる。その矢を回避しようとしたが足を滑らせて仰向けに倒れた。
俺はさらにもう1本矢をつがえ、狙いを定めたまま俺たちを襲撃してきたその人物に素早く歩み寄る。
敵であるか否かはまだ確定していない。あらゆる可能性を考慮して敵が持っていた小ぶりの剣を足で蹴り払い遠くへと追いやる。倒れた際に手放したのだ。
俺はそいつへと告げた。
「無駄な抵抗はするな。こちらには弓以外にも戦闘手段がある。これ以上の抵抗を行う場合、戦時的判断に基づいて殺処分する」
俺は軍人だ。敵対する相手へは戦時法に基づく現実的判断のみが判断基準の全てだ。ましてや向こうの側から明確な意図を持って攻撃されている。敵対的意志があると考えるのが妥当だろう。
だが、相手から帰ってきた反応は予想外のものだったのだ。
「ゆ、許してください」
声が震えている。いささか涙声だ。そしてそれは明らかに女性の声だ。
「こ、殺さないでください」
素人丸出しと言うか軍属や傭兵でもない職業的な戦闘職の人間とは到底思えない。俺は矢をつがえたままそいつに問いかけた。
「姓名と所属を言え」
俺はさらに尋問する。その女性は怯えきった声で素直に答え始めた。
「アンヘリカ・アルヴォデュモンド、オールディス王国冒険者ギルド所属の冒険者です」
「オールディス王国?」
聞き慣れない国名に一瞬理解が止まる。だが、我々が足を踏み入れてるこの古代遺跡の特性から考えれば常識ではありえない事態が十分に考えられるのだ。
俺はアンヘリカと名乗った彼女に〝かま〟をかけることにした。
「そのオールディス王国とやらは〝海を越えた〟どこにある?」
「海? 海なんか渡っていません。ダンジョンの入り口から通常通りに入ってきたんです」
俺は彼女の言葉から得られた情報をじっくりと吟味した。そしてあの結論を出す。
俺は弓を下ろしながら彼女へと詫た。
「すまない。いささか双方に誤解があったようだ。こちらにも事情があってね、戦時上の敵対勢力の可能性を疑っていた」
そして敵意がないことを示すために俺は手にしていた弓を床へと下ろす。そして倒れていた彼女に手を差し伸べる。
「立てるか?」
「はい」
驚くほどにスリムな体つきの彼女は南洋系の異国人を思わせる褐色の美しい肌をしていた。髪は白髪で翠色の美しい目をしていた。
身につけている衣装は、純白のワンピースの上に肩当て付きのチェストアーマーにグローブ、ガントレット、足にはすね当て付のロングブーツ、腰にはベルトを巻いていて、そこに剣や弓と言った必要装備品を下げている。
俺たちの価値観から言えば、長期の野外戦闘というよりは短期の斥候任務を想起させるような品揃えと言えた。
俺は非礼を詫びる意味を込めて自ら名乗った。
「俺の名はバルバロン・カルクロッサ、フェンデリオル国の国家正規軍で大尉だ」
俺の言葉に彼女は驚きを見せる。
「軍人さん? 冒険者ではないのですか?」
「冒険者? 君たちの国――いや君たちの世界にはそのような職業があるのか?」
「はい。こちらではごく当たり前にある職業です」
アンヘリカはそう語った時にある疑問を抱いたようだ。
「君たちの世界――とはどういう意味ですか?」
思ったよりも彼女は聡明なようだ。
「そうだな、お互いの事情を共有し合いながら先へ進むというのはどうだ? これでも時間に余裕がないのでな」
武器を収めたこと、名前と身分を名乗ったこと、穏やかに会話を交わしたことで彼女もこちらへの警戒心を解いたかのようだ。
「わかりました! あのお名前は何とお呼びしたら?」
「バロンでいい」
「わかりました! では私のことはアンとお呼びください!」
そう言いながら彼女は屈託なく笑った。
そこには我々軍人には骨身にまで染み付いているはずの剣呑さは微塵もない。華やぐような前向きさに少なからず羨ましさを覚えずにはいられなかったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます