六:かかさま

 それから程なくして夕食が運ばれてきた。

 粥から普通の白いお米になり、野菜のたっぷり入った味噌汁や豆腐といった品揃え。それらを残すことなく食すことができたので体の調子は間違いなく回復しているようだった。

 

 朱鷺さんもルストの回復具合に満足しているようで、


「このご様子だったら湯浴みも大丈夫そうですね」


 そう話している時だった。傍らで様子を見守っていた月詠が言う。


「つき おふろ いっしょ はいる」


 朱鷺さんが言う。


「あら、一緒に入るの?」

「るー てつだい ひつよう」

「そうね。お風呂の中でまだまだ一人では心配だものね。よろしくお願いしますね。月詠様」

「あい」


 よく気が付く子だった。どうすれば自分以外のみんなが幸せになるのかを常に考えているようだった。

 月詠と出会い、死霊や野犬と戦ってから7日ほどの時間が経っていた。実に一週間ぶりに立ち上がることになる。


 朱鷺さんの手を借りてゆっくりと立ち上がる。

 立ちくらみしそうになるが、なんとか倒れずにすみそうだ。


「大丈夫ですか」

「はい。このまま歩いてみます」


 ふらふらする中、朱鷺さんに手を引かれて、屋敷の奥にある湯浴み場へと足を踏み入れた。湯船は全てが木で作られていて床に埋め込まれている。中には温かな湯がなみなみとたたえられている。

 寝間着の着物を脱ぐと浴槽の縁に手をかけてゆっくりと入っていく。

 お湯は少しぬるめ、冷え切った体にはかえってそれが心地よい。


「それではごゆっくり」


 そう話した朱鷺さんが脱衣場で月詠様の衣類を脱がしているのが分かる。

 そして、現れたのは月詠、とたとたとお風呂入ってくると浴槽の中へと入ってくる。

 手伝うと言ったがそこはやっぱり小さい子、ルストと一緒にお風呂に入る域を出ないのはご愛嬌だ。

 お風呂の中でルストの膝の上に乗ってくると、ルストは月詠をそっと抱いてあげた。ルストの方に背中をかけて体を預けてくる。


「おゆ あたたかい」

「そうね 暖かいわよね」

「るー あたたかい」


 そしてこう言葉を続けた。


「るー やさしい かかさまみたい」


 それは恐れていた言葉だった。月詠がルストに母親の面影を投影している証拠だった。

 小さい月詠に、これを考えるなというのがそもそも無理な話だ。すまない気持ちになるがそれを月詠に悟られないようにしなければならない。そう思った矢先、


「るー どうした?」


 くるりとこちらの方を振り向いて、ルストの顔をしげしげと見つめてくる。そして、あの小さい手をそっとルストの顔へと触れるとルストの顔を見つめてくる。


「しんぱい? こわい?」

「大丈夫よ。心配ないわ」


 笑みを浮かべたルストに月詠が満足気に微笑んでいた。

 それから湯からあがり体を洗う。この時代に石鹸はない。使うのは布の袋に入れた糠だった。布の袋を両手で持つとルストの背中を一生懸命に擦ってくれる。


「るー きもちいい?」

「ええ、とっても」


 そしてもう一度湯に入り二人で温まるとお湯から上がる。乾いた布で余分なお湯を拭うと、寝間着を着る。月詠の着物は朱鷺さんが着付けてくれた。


「いかがでしたか?」

「はい。とてもいいお湯でした」

「お体の調子も順調のようですね」

「はい」

「それでは少しずつ、お外を歩いてみたらいかがですか?」

「はい、そうさせていただきます」


 一定の回復が得られたことで少しずつ体を動かして行けるようになった。完全な回復まであと少しだ。

 でも――


「るー ねどこ つれてく」


 月詠が小さな手を差し出してルストの手を引いてくれる。


「よろしくお願いしますね、月詠様」

「わかった」


 それから寝床に戻ると月詠が見守ってくれる中で再び眠りへと落ちていく。ルストは月詠に言う。


「また明日ね」

「うん またあした」


 その小さな手でバイバイをしながらルストの寝室から去っていった。

 あの子の心を思うとルストの心は晴れなかった。どう、接すればいいのか考えはまとまらず巡り巡っている。

 まんじりともしないまま、ルストは眠りへと落ちていったのだった。


 そしてその翌日から表歩きが始まった。


 寝巻きから小袖と呼ばれる着物に着替え、草履をはかされる。まだ多少ふらつくので手には木の杖を握っている。

 まずは屋敷の庭を散策する。ここでも月詠がつきっきりで手を引いてくれる。ルストが順調に回復して歩けるようになったのを何よりも喜んでいる。

 その嬉しそうな笑顔のなかに込められた想いを考えると胸が痛くなる。


 そして次の日、外を歩くように提案される。

 だが、ルストのこの髪の毛ではこの町では目立ってしまうだろう。

 月詠は自分の力なのか、髪の毛を緑がかった黒へとかえていた。だがルストはさすがにそれはできない。途方に暮れていると朱鷺さんがあるもの持ってきてくれた。


「これをお使いになられては?」


 差し出してくれたのは〝頭巾〟と呼ばれるものでこれはお高祖頭巾と言うらしい。

 頭をすっぽりと覆うと顔だけが見える形だ。これならば外に出ても無理はないだろう。


 表を歩く。そうなるとやはりついてきたのが月詠だった。片時もルストのそばを離れようとしなかった。

 念のために才蔵が護衛としてついてくれるという。


 歩いたのは浅草の境内、人通りの少ない時間を狙って外に出る。そして回復を促すために少し長めに歩く。


〝お寺〟と呼ばれる場所を歩きお参りし、帰り道では茶屋で菓子を食べる。終始、月詠はニコニコと笑っており嬉しそうなのは間違いない。

 ルストも本心を隠して、優しく穏やかに接し続けた。

 穏やかな時間がゆっくりと過ぎて行く。

 1日1日薄皮を剥くようにルストの体力は回復していく。ふらつきながらの表歩きだったものが、着実な体力の回復とともに元気よくなっていく。

 表歩きをするたびに月詠はルストと一緒に歩きたがった。それを拒むようなルストではない。

 宗冬たちが暮らす根岸の屋敷は近くに浅草や上野の寛永寺などがあることもあり、散策する場所には事欠かなかった。

 日差しの良い時は足を伸ばして田畑のある郊外へと散策することもあった。そういう時に護衛役として同行するのは半蔵か宗春の役目だった。

 そして、杖を使わなくても歩けるようになると月詠はルストにこう求めた。


「るー だっこ」


 嬉しそうに目をキラキラさせて抱っこをせがむ。


「はいはい」


 月詠を両手で持ち上げると抱き上げる。すると月詠はさも嬉しそうに笑顔を溢れさせて笑うのだった。

 そして、満月の前の日だった。運命のときは訪れたのだった。

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次話公開は3月27日夕方5時公開です

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