参:やぎゅう
それからどれくらいの時間が経過しただろうか――
ルストは目を覚ました。
「ん……」
瞼を開けば自分が清潔で温かな寝具の中に横たえられていることに気づいた。衣類も普段自分が着ていた傭兵装束ではなく、いつか見た〝着物〟と呼ばれる前あわせの衣に着替えさせられている。
体を起こそうとするが右足首に激しい痛みが走る。
「痛っ」
だが、傷そのものにはきちんとした手当がされている。何者かがルストを治療してくれているのだ。
全身が鉛のように重い。体を起こすのも苦行のようだ。
「るー」
聞き慣れた声がする。たどたどしくもとても優しい声。
「つき?」
「るー め さました」
月詠は着物を着ていた。子供用の可愛らしいものだ。だが明るいところであらためて月詠の容姿を見たときに驚かされる事になる。
「つき、あなた、その髪の毛」
銀髪、まごうことなき銀髪だ。そしてそれは、
「るー つき おそろい」
月詠は嬉しそうにルストの髪の毛に手を触れる。
人というのは自分自身と同じ要素を持つ者同士で共感を感じるものだ。
ルストは月詠を労わるように言う。
「つき、怪我はなかった?」
「つき へいき」
「そう。よかった」
月詠がにこりと笑って頷いていた。
するとその時だ、ルストが寝かされていた部屋の襖が開く。現れたのは一人の老女。年の頃は60くらいだろうか?
「おや、お目覚めになられたのですね?」
老女は落ち着いた声で語りかけてきた。
「朱鷺と申します。そなた様のご看病を仰せつかっております」
その語り方から彼女には上司か主人がいるのが分かる。ルストたちを助けてくれたあの二人も含めると複数の人々が月詠に関わっているのが読み取れた。
何らかの組織や集団があることは明らかだった。
礼儀を失してはいけない。幼い頃から礼儀作法やマナーというものを徹底的に教えられたルストだ。そのまま寝ていて挨拶もしないでいるのは本能的に許せない。
無理にでも体を起こそうとする。
「も、申し訳ありません」
体を起こそうとするルストを朱鷺は両手で静止した。
「ご無理は駄目ですよ。お医者様が衰弱がひどいと申されてました。まずはお体をお休めになられてください」
ルストは素直にそれに従う。
「ありがとうございます。せめて名乗らせてください」
その言葉を遮るほど朱鷺は強引でも無粋でもない。ルストの言葉をじっと待つ。
「エルスト・ターナーと申します。ルストとお呼びください」
「これはご丁寧に、ではルスト様、今はごゆっくり養生なさってください。後ほど何か食べれるものをご用意いたしますので」
「はい。ありがとうございます」
今はその言葉に従おうと思う。ルストの傍らで月詠が座り込み心配そうにルストを見つめていた。
朱鷺が月詠に語りかける。
「月様、何かあればお知らせください」
「うん」
素直に頷く月詠に微笑みかけながら朱鷺は部屋から退出していく。部屋の入り口で正座して一礼する。
「それではごゆっくりなさいませ」
そう述べて音もなく襖を閉めたのだ。
二人きりになった時、月詠は詫びの言葉を口にした。
「ごめん」
「え?」
「つき ちから つかえない」
そう答えつつ自分の両手をじっとしげしげと眺めている。その仕草にこの子が何か特別な力を持っているのだと察した。
だがそれが今、何らかの理由で使いこなすことが出来なくなっているのだ。だが、月詠がルストに対してそれを気に病む理由はどこにもない。
「つき、あなたの気にすることではないわ」
「うん」
まだ体が完全に回復しているわけではないことをルストは思い知っていた。たったこれだけ会話を交わしただけなのに凄まじい疲労と睡魔が襲ってくる。
「ごめんね。もう少しだけ眠るね」
「うん」
ルストは無理をせずそのまま横たわる。
月詠の小さな手がルストの額に当てられる。その暖かな温もりが癒してくれるそんな気がしていた。
そして再び、ルストは眠りに落ちていったのだった。
† † †
それから再び、目を覚ましたのは夕暮れ時だった。
部屋の外の明るさが先ほどよりは暗さを増している。夕焼けの日差しの色に部屋の中が染まっていた。
体をゆっくりと起こそうとする。まだ全身が重かったがなんとか上体だけは起こすことができる。足の痛みがまだ激しいので歩くことは厳しいだろう。
いったいなぜ、このようなことになったのか分からないことだらけだが、逆にこうして保護してくれる人たちに出会えたのは僥倖だった。
周囲を見回したが月詠の姿は無い。
すると部屋の襖が静かに開いた。
「るー!」
「つき?」
「るー めをさました」
にこにこと嬉しそうに笑みを浮かべる月詠の姿があった。月詠が言う。
「あにうえ つれてくる」
そう言い残して襖を開けたまま行ってしまった。
それと入れ替わりに入ってきたのは、着物とは微妙に異なる衣を身にまとった若者だった。
「おお、目を覚ましたのかいな?」
片手に扇を持ち、その身のこなしは静かかつ穏やかで優雅さに満ちている。〝高貴な生まれ〟そう感じさせる気配を持っている。
礼儀をもって応じる必要を感じた。
「申し訳ございません、横になったので失礼いたします」
「かまわん。気に致すな。それよりそのほうのあしをみせてたもれ」
その者は両膝を折って正座をしながらルストの寝具の上掛けをめくり始めた。そして昨夜の治療に襲われた右足を確かめ始めた。
右手で触れて仔細を確認しているようだが不安に思っている素振りはない。
「腐ってはあらしゃいまへんようやな。まずは一安心と申せる」
その言葉に興味が湧いたルストは自ら問いかけた。
「それはどのような意味ですか?」
「死霊やあやかしに受けた傷はきちんと清めないと腐ってしまう時があるでおじゃる。清めがうまく参ったようであらしゃいますね」
その言葉からはルストの傷を彼が直してくれたのだということが読み取れた。
礼を言おうとしたその時だった。
「泰誠もここに居たのか」
「これは宗冬殿」
「どうだ右足の具合は」
「磨呂の清めに抜かりは無いでおじゃる。三日もあれば腐る事なくなおるやろ」
「それは重畳」
丁寧な言葉遣いの若者に続いて現れたのは、左腰に倭刀を大小二本手挟んだ袴姿の若者二人。容姿は非常に似ているが気配が微妙に異なる。
一人が後ろに下がりもう一人が前に出る。互いの主従関係を常に意識しているような所作だ。扇子を手にした若者と異なり、きびきびとした身のこなしからすると武術や戦闘に習熟している戦闘職の身分だと推察される。
前に出ている若者は髪の毛が一筋青くなっている。後ろに控える彼は髪の色が一筋白い。
二人がルストの側に膝を折って正座する。先に名乗ったのは髪が一部青い彼だ。
「まずは名乗らせていただこう。余が当家の主である柳生内膳正宗冬である。左に控えているのが、余の弟である宗春だ」
宗春が紹介されて両手をついて頭を下げながら名を名乗った。
「柳生宗春と申します」
そして間髪を置かずに礼を述べてきたのは宗春だった。
「この度は我らのあるじ、月詠様をお守りいただき心より感謝申し上げる。そなたの働きがなけば今頃どうなっていたか想像だに恐ろしい」
そして傍らの宗冬も礼を述べる。
「昨日の夕刻から全く姿が見えなくなっていたのです。八方手を尽くして探していたのですがすんでのところで間に合いました。誠に有難く存じます」
彼らもまたそれなりの地位にある身分なのだろう。扇の彼とは違う形で丁寧な言葉遣いをしている。名前から察するに兄の方がこの館を差配する立場であり、身分階級に由来する肩書きが名前に含まれているのだろう。
柳生が姓で、宗春・宗冬が名だろう。
そして扇の彼も名を名乗る。
「土御門弾正少弼泰誠じゃ。泰誠と呼んでたもれ」
それが彼らの名だった。明らかにルストがそれまで暮らしていた世界とは全く異なる理の人々だった。
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