弐:やいば

「はっ?」


 慌てて周囲を確かめたがもう遅かった。

 別な群れなのか、遠巻きに回り込んできたのか、向かう先を遮るかのように野犬たちの群れがルストらを待ち構えていたのだ。

 気の緩みがあったと誹られたとしても仕方のない状況だ。月詠と言う守るべきものが傍らにいたのなら、簡単に安堵すべきではなかった。

 慌てて道を戻ろうとする。だが――


「グゥウウ……」


 背後からも唸る声がする。間違いなく野犬だ。完全に挟まれてしまったのだ。

 草むらと違い田畑の真っ只中のあぜ道だ、行動の自由はそう多くない。回避する方法と言えばあぜ道から外れて畑の中を泥まみれで逃げるしかない。だがそれでは足場の悪さから勢いよく走ることができない。こちらの場合も万事休すとなる。


「つき! しっかり掴まって!」


 その言葉はまさに我が子を守る母の如し。

 女身ゆえの母性でもあった。

 その力強い言葉に素直に従うように月詠はルストの肩に再びしっかりと捕まった。


「るー こわい」


 月詠も状況が悪化したということを察したのだろう。ルストにしがみつきながら震えているのか分かる。

 そんな月詠をルストはその背中をそっと叩きながらあやすように語りかけた。

 

「大丈夫よ。私が何とかするから」

「わかった」


 そして再び月詠はルストにしっかりとしがみついた。ルストに全てを委ねて。


「この子の前で血生臭いことは避けたかったけど、背に腹は代えられない!」


 ルストは覚悟を決めた。

 戦杖を打頭部を斜め下にして勢いよく駆け出す。

 精術武具の聖句詠唱がされる。


「精術駆動、軽身歩!」


 その詠唱とともにルストは空中の見えない足場を駆け上がるかのように空中へと舞い登る。そしてさらに、


「精術駆動、巨人鎚!」


 その詠唱とともに戦杖を上段から地面めがけて振りかぶるのと同時に勢いよく振り下ろす。


――ドォオン!――


 大音響とともに巨大な鉄塊でも落ちてきたかのように野犬の群れは叩き潰される。

 これでまずは1/3を削り取る。

 ついで後方から迫ってくる野犬の群れに対しても攻撃を仕掛ける。


「精術駆動! 高速慣性制御!」


 自分自身の移動速度を強制的に底上げすると、自ら後方の野犬の群れに急接近する。そしてさらに、


「精術駆動! 仮想刃!」


 反重力力場を形成して目に見えないやいばを戦杖の打頭部の周囲に作り上げる。

 二つの術式を同時駆動して高速移動のままで不可視の斬撃を連続で繰り出していく。

 

 ルストが反重力力場の刃を繰り出すたびに野犬が悲鳴をあげ一匹また一匹と動きを止めて行く。

 獅子奮迅の動きを続けながら月詠を守ろうと必死の戦いが続いた。だが――


「くっ、数が多すぎる」


 想定したよりも野犬の数は多かった。

 ルストの愛用する武器・精術武具は高い威力を発揮する代わりに使用者の生命力を削り取る。代償なしに行使できる力はない。これだけの大量交戦を続けていれば息が上がってくるのは当然だった。


「はぁ、はぁ」


 ルストが荒い息を立てながらなおも迫ってくる野犬たちをあしらい続ける。しかし、それにはもはや限界が近づきつつあった。


「るー へいき?」


 月詠がルストの身を案じていた。自分を庇い続けてここまで戦ってくれているのだ。感謝というより心配の方が大きくなっているのだろう。

 正直いつ倒れてもおかしくない。誰がこの子の前ではそんなことは素振りも見せるわけにはいかないのだ。


「大丈夫よ、つき」


 そう呟いた時だった。


「えっ?」


 野犬たちが急に下がり始めた。何かに怯え恐れをなして逃げ出している。


「るー こわい」


 月詠が何かを怖がっている。尋常ならざるものが訪れようとしている。それはルスト自身の感覚にも危機感として感じられていた。その脅威はルスト自身の足下から現れようとしていたのだ。


「えっ?」


 ルストはあっけにとられていた。倒したはずの野犬たちが再び動き出していた。ただし、唸り声はない。幽鬼のように起き上がるとルストたちの方を見て荒い息を繰り返している。

 ルストはその正体を直感した。


「死霊!?」


 野犬が死霊に転化したのか、野犬の遺体に死霊が取り憑いたのか判別はつかない。ただひとつだけわかることがある。

 手持ちの武器ではどうにもならないということだ。ルストのもつ地精系の精術武具は物理的攻撃という意味においては極めて強力だが、実体を持たない霊的な存在には甚だ無力だからだ。

 そうなれば取るべき行動はたったひとつしかない。


「精術駆動! 高速慣性制御!」


 物の動きの本質である〝慣性〟

 これを直接に意のままに操作するのがこの精術だ。

 聖句詠唱と同時に、放たれた矢の如く一気に駆け出した。


――ビュオッ――


 一歩で千里を行くが如くの勢いで走り始めたが、肉体的制限を超越したその存在には逃げることすら無意味だった。

 ルストは不意に足を掴まれる。

 否、噛み付かれた。

 足首に激痛が走る。そして、地面へと叩きつけられた。


――ダァン!――


 その瞬間、両手でとっさに月詠を庇ったのはルストの持つ母性本能ゆえだった。

 背後を振り返る。それはもはや野犬の死霊の群れではない。死霊同士が結び合い巨大な結合体と化していた。そびえ立つように見下ろしている。

 その圧倒的な姿にルストは絶望する。自分自身の無力さに気づきながらも、それでも考えるのは――


「るー?」


 月詠を地面へとおろし自らの背中の側へと追いやると、自分自身を盾として守ろうとする。

 愛用の武器を手に必死に立ち上がりなおも戦う意思を見せていた。


「つき! 私が合図したら急いで逃げなさい!」


 それは厳しさを帯びた強い言葉。だが月詠は、そんな言葉にあっさり従うような無情な子ではない。

 べそをかき涙声で一人で逃げることを月詠は拒絶した。


「だめ だめ」

「行きなさい!」 


 お互いをかばい合う二人を見下ろしていた巨大死霊だったが、ついにその牙をむき喰らいつこうとする。

 最後を覚悟する――


 だがその時だ、


「朔」

「心得たあるじ」


 凛とした理知的な声と、力強い男身のある声、

 そのやり取りのその後に、ルストたちと巨大死霊の間に割って入るように着流しの一人の男が立ちはだかった。

 その男は背後のルストをちらっとだけ見るとこう告げた。


「あとは任せろ」


 そして正面を見据えると、こう吐き捨てる。


「死霊風情が。身の程わきまえろ」


 その言葉と共に朔の姿は巨大な獣へと変化する。巨人死霊など子供に見えるような威圧感を伴って。

 驚きと安堵感が同時に襲ってきた。

 それが限界だった。ルストの意識はプツリと切れる。後ろのめりに崩れ落ちた。


「るー!」


 月詠の泣き声が聞こえる。

 

「ごめんね」


 ルストは心の中で謝りながら意識を失った。

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次話公開は3月23日午後五時です

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