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脳が薬師寺の事を生物だと認識していないのか、無防備に彼/彼女の前に立ち尽くしてしまう。
薬師寺はそんな俺達を気に留め……てないのかは分からないが、椅子から立ち上がって、後ろの棚から幾つかの小瓶を取ってきた。
1つだけ手に持ったまま、残りを机に置く。
『喜び』と書かれた小瓶を開けると、薬師寺は中の錠剤を口に含み、飲み込んだ。
「初めまして、薬師寺クスシだ」
途端、脳味噌を押し潰された感触が広がり、薬師寺が生物に堕ちる。
彼の顔に浮かんだのは純度100%の笑顔。声も分かり易く弾んでいる。
「お久しぶりっす!」
八足はほっとした声で、薬師寺に挨拶をしている。
「初めまして、御影です」
「御影、よろしくね」
ちょっと待って欲しい。
挨拶を返す途中で薬師寺の表情が陰る。
声も明らかに沈んでいるが、俺の自己紹介はそんなにダメだったのだろうか?
「配合の関係でエストロゲンが少し長く残るんだ。気にしないでくれ」
「そう………なんですね?」
よく分からない説明に戸惑っていると、薬師寺が『猜疑』と書かれた小瓶を空け、中の薬を飲んだ。
「君は、何の用事で来たんだ?」
絵に描いたような疑念の表情が薬師寺に浮かぶ。
感情が書かれた小瓶の薬……まさかそういう事か?
「そうですね」
確かに突然八足を通して会いたいと言えば、疑われもするだろう。幹部なら御厨の事を知っている可能性があるので何とか聞き出したいし、そうでなくとも情報を知っている人を紹介して貰える様に友好的な関係を築きたい。しかし、先日のオニさんの反応から察するに、御厨の情報は禁忌となっている可能性もある。うまく立ち回らなければ、逃げ場のないこの場所で捕まり、制裁を受けるかもしれない。最悪俺と八足の2人共が、御厨と同じ目に遭ってしまう恐れもある……
――様々な思考が巡る。
――今後に繋がる大事な場面だ。
「薬師寺さんは、感情が無いんですか?」
だと言うのに、そんな不躾なことを聞いてしまった。
八足は驚愕しており、今すぐ俺の口を縫い合わせてしまいそうな慌てようだ。
薬師寺は暫く停止した後、『驚き』の小瓶の薬を飲んだ。
「君は賢そうなのに、際どい質問をするね。私と君は、質問を質問で返せる間柄ではない筈だが?」
「薬師寺さんが『不快』ではなく、『驚き』を選んでくれると思ったので。いえ、『不快の思ったのなら、すいません』と言った方が良さそうですか?」
「話が早い人は楽だ」
薬師寺は『喜び』の薬を飲む。
ああ、やっぱりそうなんだと、虚脱感の様なものに襲われた。
薬師寺には感情が無い。
だから薬で脳内物質を生成し。感情を発生させているのだろう。
それが先天的なものなのか、後天的なものなのかは分からない。
聞けば答えてくれるかもしれないが、聞いてはいけないと防衛本能が肩を掴む。
視界が白と黒のモザイクに乱れ、自分がショックを受けている事に気が付いた。
「人間の感情は脳内物質の化学反応で生まれる。通常外に反応して脳内物質が作られるが、物質の摂取で感情を操作する事も可能だ。アルコールやドラッグを体内に入れれば、気分が変化するのが分かり易い例だろう」
「感情は自在にコントロールできるものなんですか?」
問いかけると。薬師寺は『優越感』と書かれた薬を飲んだ。
「他の人の調合では無理だろう。私が天才なのだよ」
優越感て、感情なんだ?
「俺が飲んでも、感情の操作は有効ですか?」
尋ねると薬師寺は『自己肯定』と『自己防衛』、『不安』の小瓶を手にした。
どれを飲むか迷っているのだろうか?それとも同時に飲んで感情を混ぜるのか?
「『不安』がいいっす!」
その時、八足が横から割り込んでしまう。
――やりやがった。
八足を視線で咎める前に、薬師寺は『怒り』の薬を口にしていた。
「どうして私が、感情を君に指示されないといけないんだ!」
「す、すいません!」
室内に薬師寺の怒号が響く。
カラオケの室内でなかれば、ビル中に響いただろう怒気だった。
八足は縮こまってしまうが、薬師寺は6秒程度経つと無表情に戻っていた。
その後『不快』の薬を飲み、グチグチと八足に文句を言っていた。
「……」
説教をされている八足を横目に見ながら、こっそりと部屋の中を見回す。
薬師寺は、『俺が飲んでも感情の操作は可能ですか?』という問いかけに、自己肯定と自己防衛、不安で応えようとした。
『やったことが無い』『成功している』『効果が無い』では、その感情は湧かないだろう。
ならば、『やったことがあるし、ある程度成功するが、失敗もある』というニュアンスだと考えられる。
また人体実験をしている段階ではなく、既に薬はほぼ完成している状態。
失敗と言うのは、個体差によって、効き方が違うと言う事ではないだろうか?
「……八足の軽率は痛いな」
人の感情は金になる。
もし薬師寺の薬が、脱法ドラッグの様に売り捌かれているとすれば、薬師寺はこの半グレ集団の資金源に関係している。中枢を担っているのではないかと思う。
御厨の事を含む、様々な情報を知っている可能性があり、出来れば話を聞きたい所。
だが、これ以上の冷静な話は正直厳しそうだ。
不快な感情は、怒りに比べると弱い力しか持っていない。しかし爆発して消える怒りと違い、消えずに溜まり続ける微毒となる。
大雑把な人は苛立ちの所在すら見つけられず、持続的な攻撃性を持ち続ける。
不快感を持つ薬師寺の視界に入り続けていると、嫌な奴として脳に刻まれ、今後聞き出せる筈の情報を損失する可能性がある。
ここは話を切り上げて、一度撤退しておくべきだろう。
「八足、お前が悪い」
俺が薬師寺の説教に割り込むと、2人がこちらを向く。
薬師寺が怒りの瓶に手を伸ばすが、気にせずに続けた。
「人間の感情の発露は管理できるけど、感情の発生は統制できない。精々可能なのは学習による鈍化くらい。
薬師寺さんは薬の有無によって感情の発生をコントロールできるけど、敢えてしてないんだ。それが人間の自然な姿だから」
「お、おう……すまん」
八足の方を見て捲し立てたので、薬師寺の方を見れていない。
ただ視界の端で、薬師寺が手に取る薬瓶を変えたのは認識できた。
「御影の言う通りだ。八足もこの賢い青年を見習いたまえ」
何の薬を飲んだのかは分からなかったが、薬師寺は上機嫌に見える。
どうやら危機回避は、成功したらしい。
「どんな聖人でも釈迦でも怒りは湧く!せめて発生した憤りを正しく処理するのが、人間に許された感情のコントロールだ!ああ、だってそうだろう?目の前で恋人が殺されたのに怒りが湧かない奴は、頭の足りないクソ餓鬼かNTRで射精する性倒錯者に違いないんだから!」
怖い怖い怖い。
薬師寺は一体何を飲んだんだ?
高揚している薬師寺は、奥の棚から小瓶を2つ取ってくる。
「まあ、いい!気分が良いから、2人共これをあげよう。人気なんだぞ」
怖い怖い怖い。
薬師寺から小瓶を渡されたけど、正直受け取りたくない。
愛想笑いもせずに小瓶を確認すると、ラベルには『劣情』と書かれていた。
「あざっす!」
「ありがとうございます」
あーー……、これたぶん半グレの資金源だ。
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