第20話 意識の変革

 禁軍の兵士たちは、変わらぬ毎日を送り続けていた。

 初日、全く心の準備が出来ていなかった彼らは、気が狂いそうになりながらもしごかれ続け、誰もが倒れるように眠った。二日目からはそれなりに心の準備をしていながらも、しかし体をいじめ抜かれて倒れる日々だった。

 そして、彼らは既に送ってきた日数すら記憶にない。今日が訓練を始めて何日目なのかも分からないし、この訓練が何日で終わるのかさえ分からない。

 まるで永遠に続く地獄――そんな訓練の日々だった。


「よぉし! これにて訓練を終了する!」


「はっ!」


「では全軍、テントに戻って休め!」


「ありがとうございました!」


 ヘレナの言葉に、禁軍の兵士が声を上げる。

 どんな状況であれ、声を出さなければならない。仮に声を出すことを怠けていた場合、目敏く発見されて容赦ない罰を与えられるのだ。それを理解している彼らは、例え体中が筋肉痛でバキバキに痛んでいる状態であっても、腹の底から声を出す。

 しかし変わった点は、ヘレナが「終了」と言った瞬間、倒れ込む者がいなくなったことだ。初日はほぼ全員が、二日目からもほとんどが訓練を終えた瞬間、その場に座り込むか倒れ込むかしていたというのに。

 現在、兵士たちは終了を告げられた直後から、食事を与える列に並んでいる。


「はい、どうぞ。お疲れ様ですわ。温かいスープです」


「パンはお渡ししますの。こちらに並びますの」


 彼らに与えている食事は、質素なものだ。

 元より戦場において、満足な食事を取れることなど滅多にない。行軍中ならば食事休憩を設けることもあるが、作戦中は隠れて保存食を囓れたら御の字、二日三日食べられないことなど当然のようにある。

 そして戦争時の兵士に与えられる食事など、大鍋で煮詰めたスープとパンくらいのものだ。そんな食事に慣れさせるために、敢えて質素なものを提供しているのだが――。


「ああ、ああ、うめぇなぁ……」


「こんなうめぇもん、今まで食ったことねぇや……」


「ああ、手ずから取ってくださったパン……」


「女神が注いでくださったスープだぁ。ありがてぇ……」


「天使のパンは本当にうめぇなぁ……」


 何故か、その満足度は異常に高い。

 禁軍の兵士は元が貴族家の生まれだから、「こんな庶民のメシを食わせるのか!」と怒る者が、少なからずいることを想定していたのだが。

 まぁ、これはこれで良しとしよう――これも誤算ではあるが、文句を言う者が一人もいないことは良いことだ、とヘレナは納得することにした。












 そして次第に、彼らの意識も変わってくる。


「……なんだか、体が軽い気がするな」


「お前もそうか? いや、俺もそう思ってたんだよ」


 訓練を終えて、就寝するためのテントに移動した兵士たちがそう話す。

 今までは、疲れ切っていた体だ。訓練を終えると共に、泥のように眠っていたはずの彼らは、自分の体に対して違和感を覚えていた。

 いつもと同じ訓練を受けたはずなのに、体に感じる疲れが今までほど厳しくない――その事実を。


「つか、むちゃくちゃ腕が太くなった気がするぜ」


「お前、痩せたよなぁ。前まで体ぶよぶよだったのにさ」


「まぁ、あれだけ毎日走ってりゃ、そうなるのかねぇ……」


「体が軽いな……本当にそう思うわ。今まで、どんだけ運動不足だったんだよ俺ら」


「んだな」


 禁軍という、形は違えど軍に所属していた彼ら。

 しかしまともな訓練を行うこともなく、仕事といえば城下町の警邏程度だった彼らは、慢性的な運動不足だった。そして彼らに命令できる者もおらず、好き勝手に振るまっていた。

 だが、彼らも若い男である。

 鍛えればそれだけ肉体は応えてくれるし、過酷な訓練を重ねていけば引き締まる。まだ訓練を始めて一月も経ていない状態だというのに、彼らの肉体はそれだけ変わっていた。


「なんか……変な気分だな。すっげぇ訓練きついのに、なんか楽しみになってきた」


「あ、お前も? 俺もだよ。なんか、すげー軍人っぽくなってんじゃん俺ら」


「マジで訓練きついけどなぁ……なんか、成長してる感あるよな」


「そうそう。終わってから倒れなくなったし」


 何より、彼らの意識を変えてきたもの。

 それは――訓練を重ねることによる自信だ。


「ついていけてる、ってことだよな……」


「初日の俺ら、ダサかったもんなぁ」


「正直、逃げたかったよ。逃げても、逃げるとこねぇから無理だったけど」


「死にたいって言ってた奴もいたよな」


「ははは!」


 今まで終わってからすぐに倒れていた訓練に、ついていけている。

 今まで訓練で疲れ切っていた体が、自信に溢れている。

 今まで会話を楽しむこともなく眠っていたのに、起きていられている。

 それは率直に、自分の成長を実感できているということだ。


「……今まで、何してたんだろうな。俺たち」


「ダサかったなぁ。俺たち、偉そうにしてただけだったろ」


「んだな……」


「警邏に出ても、ろくに仕事もしてなかったしな……」


「このまま頑張れば、強くなれるのかな……」


 それは、意識の変革。

 ただの貴族家の次男三男だった彼らが――兵士として、軍人としての意識を、ようやく芽生えさせた瞬間だった。












「ふぅ……」


 ヘレナはテントの中で、小さく息を吐いた。

 そんなヘレナの目の前にあるのは、最初から行ってきた訓練の内容だ。走り込み、腕立て伏せ、腹筋、屈伸――とにかく全身をいじめ抜いてきた基礎体力訓練である。


「ヘレナ様、何を見ておりますの?」


「ああ……シャルロッテか。いや、訓練内容を振り返っていた」


「ふぅん……」


「あらぁ。ちゃんと、回数を記録しておりますのね」


 彼らが、一日で行っている回数。

 それが偏らないように、ちゃんと一日の目標回数を設定している。十二班に分けている現在も、何か一つの訓練ばかりを課されないように調整している状態だ。

 さらに――。


「あら……」


「おや……」


「ほう。二人とも気付いたか?」


 シャルロッテ、マリエルの視線の先にあるのは、紙に書かれている回数だ。

 腕立て伏せや腹筋、走り込みを行うにあたっての外周を回った回数――その総量。


「回数が……減っておりますの」


「その通りだ」


 全ての項目において、現在行っているのは初日の七割程度である。

 しかも初日から徐々に減らしているため、簡単にその事実には気付かないだろう。それこそ、現在ヘレナが見ている紙でも盗み見ない限り。


「初日には出来なかったことが、現在は出来るようになる……それが、成功体験に繋がる。そして成功体験は、明日の訓練を行う何よりのモチベーションになる」


「まぁ……!」


「恐らく彼らは、考えているはずだ。自分たちが、訓練についていけるようになったと。このままいけば乗り切れるだろう、と」


 これが、ヘレナにとっての飴と鞭。

 厳しい訓練を課しながら、そこに成功体験を加えていく――。


「だから」


 だが、過度な成功体験は慢心に繋がる。

 この程度なら楽勝――そう思わせてしまえば、新兵訓練ブートキャンプの意味などない。


「明日からは、実戦訓練に移る」


 ゆえに。

 地獄に慣れた者には、さらなる地獄を与える――それが、新兵訓練ブートキャンプである。

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