第17話 テント内での女子会

「ふー……疲れたわぁ」


 ヘレナ、シャルロッテ、マリエルが何となく話をしながら盛り上がっていた折。

 そうぼやきながら戻ってきたのは、アンジェリカだった。


「あら。ロッテにマリーじゃない。あんたたちもこのテントなの?」


「ええ、そうですの」


「あたくし、ここと言われただけですわ」


「てっきりわたくし、皇族だけのテントだと思っていたわ」


 少し驚いた様子のアンジェリカが、そう眉を寄せる。

 まぁ、その考えも致し方ないところだろう。アンジェリカは現皇帝ファルマスの実妹であり、ヘレナはそんなファルマスの妻――皇后だ。ヘレナにその実感は全くないけれど、皇族の一員なのである。

 そんな皇族と、皇族に謀叛を企てたとして処刑された一族の生き残り、シャルロッテが同じテントというのは、確かに違和感だとは思う。


「ふぅ……失礼しますわ」


「ああ、クリスティーヌ。お前も戻ってきたか……ということは、このテントは女専用ということか?」


「はい。こちらのテントは女人専用ということで区別しておりますわ。男性がこのテントに近付いた場合、衛兵に取り押さえるように伝えております」


「そうか。まぁ、下手な男が来ても返り討ちにする自信はあるがな」


 アンジェリカに続き、テントに入ってきたクリスティーヌ。

 ヘレナ、アンジェリカ、クリスティーヌ、マリエル、シャルロッテ――今回の新兵訓練ブートキャンプに参加している女性は、この五人だけだ。だからこそ、こうして一つのテントを女人専用としているのだろう。


「ひとまず……一応、禁軍の将軍をさせていただいているわたくしと、後見役のアンジェリカ様が一緒に、全体の監督をしてから戻りました。全員、足腰が立たない様子でしたが、問題なくテントの方に戻っておりますわ」


「ご苦労。まぁ、今晩は泥のように眠るだろうな」


 クリスティーヌの報告を聞いて、ヘレナはふぅ、と小さく嘆息した。


「でも、わたくし驚いたわ」


「どうした、アンジェリカ」


「わたくしも、ヘレナ様の新兵訓練ブートキャンプを受けたわ。正直、厳しすぎて逃げ出そうと思ってたけど……今日のこれ、わたくしが受けたアレより、もっとひどかったもの」


「当然だろう。後宮の令嬢を相手に、本気のしごきなどできんさ」


 ヘレナは、一月ほどの日々を思い出して腕を組む。

 かつてフランソワ、クラリッサ、シャルロッテ、マリエル、アンジェリカ――この五人に対して施した新兵訓練ブートキャンプ。その内容は、恐らく赤虎騎士団にいるかつての新兵たちが見たら、どれだけ優しいんだと憤慨する代物だろう。

 走らせる距離もさほどなく、基礎体力訓練の回数も半分以下だ。さらに反抗的な態度をとろうが、与えられる制裁はハリセンである。鉄拳制裁が基本となる新兵訓練ブートキャンプにおいて、これほど優しい訓練はない。

 そう考えれば、アンジェリカも《本物》の新兵訓練ブートキャンプは、初めて見たのだと思う。


「ヘレナ様の言う通り、今晩は多分逃げ出す体力もないと思うわ。でもヘレナ様は、今晩から監視の兵もしっかり配備させているのね」


「ああ。百名ほど、銀狼騎士団から借り受けている。彼女らは夜中の哨戒だけやってもらい、昼間は寝てもらう手筈だ」


「……逃げ出す元気、ないと思いますの」


「そうね……」


「だが、往々にして人間というのは、予想外の動きをするものだ。そんな体力など残っていないだろうと慢心することに、一つも利はない。むしろ私としては、この地獄から抜け出すために、と体に鞭打って逃げる者の方が多いと考える」


 くくっ、とヘレナは笑みを浮かべる。

 新兵訓練ブートキャンプを何度もやってきたヘレナだが、逃亡者が出なかったことなど一度もない。大抵の場合初日二日目三日目――そのあたりで耐えきれなくなった者が、よく逃げ出していたことを覚えている。


「ちなみに銀狼騎士団の連中には伝えているが……逃亡兵は捕まえ次第、首から『私は逃げ出しました』という札を掛けて両手両足を縛って拘束される。明日の朝、縛られている新兵が何人居るか楽しみだな」


「ひどいですの……」


「それが軍だ。この程度の地獄も耐えられない人間に、戦場の地獄は生きていけん」


「……確かに、あれは地獄でしたわ」


 はぁぁ、と大きく溜息を吐くのはマリエル。

 この中で唯一、ヘレナと共に戦場を経験しているマリエルだ。どれほどの地獄かは、身をもって知っていることだろう。


「でも改めて、わたくし思うわ。やっぱり、ヘレナ様に頼んで正解だったって」


「そう急くな。まだ初日が終わったに過ぎない」


「でも、前まで物凄く反抗的だったヤツも、クリスの言葉に従っていたもの。もう反抗する元気もない、って感じだったけど」


「そうですわね、アンジェリカ様。わたくし……あんなに素直に従う禁軍兵、初めて見ましたもの」


「ふむ……まぁ、今までぬるま湯に浸かっていた連中には、いい薬になっただろう」


 彼らの反抗心は、既にへし折った。

 ヘレナを決して逆らってはならない相手と認識させ、恐怖によって従えさせる――それが新兵訓練ブートキャンプの第一歩である。

 ここからは軍に所属する一人として、上官の指示に対して素早く動き、命令通りに戦える兵士として一人前にさせる――そこまでが、新兵訓練ブートキャンプの役割だ。

 かつて後宮で行った五人に対する新兵訓練ブートキャンプほど、傑出した才を持っている者が出てくる可能性は低い。何故なら、軍とは一人の傑出した才よりも、多人数の平均的な能力によって強さが変わってくるからだ。


「だが……アンジェリカ、クリスティーヌ。二人とも、少しは胸の内で覚悟を決めておけ」


「へ? 覚悟?」


「ああ。銀狼騎士団の連中には、伝えてある。夜間……兵士たちが休んでいるテントを、順に開けて人数を数えて、一人でも足りなければ草の根分けて探せ、とな」


「だから、それは逃亡者に対して……」


「いいや」


 アンジェリカの言葉に、ヘレナは首を振る。

 逃げ出した者は、捕まえればいい。もし捕まえることができなくとも、王都に入るためには門を抜けなければならないから、門兵が捕らえてくれるだろう。もし王都の方に逃げなくとも、逃げた兵士がそのまま逃げ続けられるということは全くない。

 だが――。


「軍において、最も多い死因は戦死だ。それはまぁ、当然のことではあるが……」


「え、ええ……」


「二番目に多いのは、自殺だ」


「……」


 新兵訓練ブートキャンプを施された新兵は。

 もう逃げ出すことができない――そう感じたとき、冥府に逃げるのだ。

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