第18話 閑話:平和な離宮

「ヘレナちゃーん」


 ガングレイヴ離宮。

 皇族しか住むことを許されない、側仕えの者以外の入宮一切を禁じているそこで、ルクレツィア・ハインリヒ・アルベルティーナ・ガングレイヴ――現皇帝ファルマスの母にして、皇太后という立場を持つ彼女は。

 暇を持て余して、つい最近結婚した息子の嫁――皇后ヘレナの部屋へと、遊びに来ていた。


「ヘレナちゃーん」


 こんこん、と扉を叩くが、向こうから返事はない。

 ルクレツィアは首を傾げて、唇を尖らせる。


「どうしたのかしら……留守ってことはないはずなんだけど」


 ルクレツィアは、自然とそう呟く。

 離宮にいる女は、基本的に自由がない。離宮に入った皇族の女は、里帰りすら禁じられている。公務以外で外出することは許されず、自由に動くことができるのは離宮の中だけだ。

 まぁ、とはいえルクレツィアもアンジェリカも、ずっと離宮にいてばかりというのも息が詰まるため、たまに外出したりはしているけれど。それにあたっても、公務であるという証明が必要になるため、わざわざ書類を用意しているくらいだ。

 だから、所用で出かけているということは、ほとんどないはず――そう思いつつ、ルクレツィアは再び扉を叩いた。


「ヘレナちゃーん」


「あれ……ルクレツィア様?」


「あら?」


 そこへやってきたのは、ルクレツィアの顔見知り――皇后ヘレナの専属侍女、アレクシアだった。

 掃除道具を持っているのは、恐らく部屋の掃除をしにやってきたからだろう。


「アレクシアちゃんじゃないの。どうしたの?」


「あ、はい。ヘレナ様のお部屋を、掃除しようと思いまして。主人がご不在でも、埃は溜まるものですし」


「……不在? ヘレナちゃん、出かけてるのかしら?」


「はい。数日前から出かけております」


「あらぁ……」


 むぅ、とルクレツィアは唇を尖らせる。

 今日はせっかく、ヘレナと色々話でもしようと思ってやってきたのに、出鼻を挫かれた気分だ。


「数日前……ね。何か公務でも行っているの?」


「あ、はい……公務といえば、公務ではあるのだと思いますが」


「なぁんだ。今日はヘレナちゃんと話をしようと思ってたのにぃ……」


 あ、とそこでルクレツィアは手を打つ。


「そうだ、いいことを思いついたわ」


「大抵わたしの主人はそういうことを言った場合、ろくでもないことをお考えです」


「アレクシアちゃん、お茶に付き合わない?」


「えっ……」


 ルクレツィアの言葉が意外だったのか、目を丸くするアレクシア。

 だが、ルクレツィアがヘレナの部屋までやってきた理由は、ただの暇つぶしである。暇を持て余して、なんだか誰かと喋りたい気分だったから、丁度いいからヘレナと話でもしようと思っていただけだ。最近のファルマスの様子とかを知りたかったし。

 とはいえ、ヘレナがいないならば別に、その相手がアレクシアでも構わない。ルクレツィアからすれば、普段あまり話さない相手と話したい気分だっただけなのだ。


「うん、そうしましょう。アレクシアちゃん、わたくしの部屋にいらっしゃい。マリアベルにお茶を用意させるわ」


「……わたしは構いませんが、よろしいのですか?」


「いいわよー。暇だったから、誰かと話したい気分だったの」


「いえ、そういう意味ではないのですが……」


 アレクシアはふっと苦笑して、それから頷いた。


「承知いたしました。でしたら、主人の部屋を掃除してから向かいます」


「ええ、待ってるわね」


 ふんふーん、とルクレツィアは踵を返して、自分の部屋へと戻る。

 さぁ、マリアベルに言って最高級のお茶とお菓子を用意させなくちゃ、と。













「失礼いたします」


「いらっしゃい、アレクシアちゃん。どうぞ、そこに座って」


「ありがとうございます、ルクレツィア様」


 ルクレツィアの部屋。

 濃紺の絨毯が敷かれた、落ち着いた色合いのその部屋は、決して派手好きではないルクレツィアの性格を現しているような一室だ。調度品にも派手なものはなく、むしろ細かい装飾などに気を遣っているものを多く採用した部屋は、一見すれば地味にも見えるだろう。

 そんなルクレツィアの部屋にある一対のソファ――そこに掛けることを促すと、アレクシアは思いのほか素直に座った。


「お茶です、ルクレツィア様」


「ええ」


「お、お、お、お客様も……ど、どうぞ……」


「……」


 かたかたとティーカップを震えながら置く、ルクレツィアの専属侍女マリアベル。

 ルクレツィアに対しては普通にお茶を置いたのに、何故アレクシアに提供するときだけ、それほど怖がっているのだろうか。

 先程、「アレクシアちゃんが来るわよぉ」とマリアベルに告げたときも、何故か「ひぃっ!」と悲鳴を上げていたし。


「ふぅ……まぁ、楽にしてくれて構わないわよ、アレクシアちゃん。別に、何か問いただそうってわけでもないから」


「ええ、では失礼します……良い茶葉ですね」


「ええ。この間仕入れたものなんだけど、評判が良いのよ。良かったら、帰りにお土産に持たせるわ。ヘレナちゃんにも淹れてあげて」


「お言葉はありがたいですが、ヘレナ様は向こう一月ほど帰ってきませんので」


「あら、そうなの?」


 思わぬアレクシアの言葉に、ルクレツィアは眉を上げる。

 ヘレナが離宮にやってきたのは、ほんの七日ほど前のことだ。そして現在、一応ながら皇后として即位している立場ではあるものの、彼女に与えられた公務はほとんどない。何せ、本来皇后がすべき公務は大抵ルクレツィアに押しつけられているからだ。

 だから、それほど長く外出するという話は聞いていなかったのだが――。


「はい。キャンプを行っているのだそうです」


「……もしかして、アレ?」


「はい。アレです」


「そう……」


 かつて、ルクレツィアが後宮で見たもの。

 それはルクレツィアの娘であるアンジェリカを含めた、後宮の側室たちに対して行っていた訓練だ。まるで軍隊のように律された彼女らを見て、正直頭が痛くなった。

 元々は軍人――それも八大騎士団が一つ、赤虎騎士団で副将を務めていたヘレナだ。やはり、その性質は皇后となっても根っから軍人なのだろう。


「いいわねぇ……なんだか、羨ましいわ」


「そうですか?」


「ええ。わたくしが離宮に来たばかりの頃なんて、自由がなかったもの。皇族の女性は決して出てはいけません、って」


「はぁ……」


「まぁ、理由は分かるけどね。わたくしを害せば、それだけで皇后の席が空くもの」


 いつ暗殺者に命を狙われてもおかしくない、皇后という立場。

 それゆえに、ルクレツィアは自由を制限された。公務の際に、周りをびっしりと騎士に囲まれて移動する以外に、外に出ることはなかった。

 だが――。


「でも、ヘレナちゃんなら暗殺者もあっさり撃退しそうよね」


「そうですね。後宮でも、普通に撃退しておりましたし」


「そういう時代なのかしらねぇ。皇族の女にも、ちゃんと自由を与えてくれるっていう」


 ふぅ、と小さく嘆息するルクレツィア。

 自由――それは、自分が離宮に来たばかりの頃には、なかったものだから。


「自由、ですか」


「ええ。ヘレナちゃんは自由よねぇ。そこがいいところだと思うけど」


「……あの方は、少々自由すぎる気がしますけども」


 ふふっ、と笑みを浮かべるアレクシア。

 そんなアレクシアに対して、ルクレツィアもまた笑みを浮かべた。


「うふふ。そうだ、丁度いいから、ヘレナちゃんがどんな風に後宮で過ごしていたのか、わたくしにも教えて頂戴。きっと、色々変なことをしてると思うわ」


「ええ。きっと、ご想像の斜め上ですよ」


 そんな風に、穏やかに会話をしながら。

 側仕え一人だけが胃の痛くなるお茶会は、和やかに過ぎていった。

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